- ジム・ジャームッシュ Jim Jarmusch -

<音楽のような映画>
 ジム・ジャームッシュの映画は、よく音楽のようだと言われます。例えば、ある一つの主題に基づいて、よどみのないテンポでドラマが進んで行く展開が音楽的です。また、音楽に第一楽章、第二楽章があるように、いくつかのパートに分かれている全体の構成も音楽的です。そしてもちろん、ジョン・ルーリーやニール・ヤングなど、優れたミュージシャンによる音楽と映画の見事な一体感もまた音楽的ですし、そんなミュージシャンたちが俳優として出演することで、より作品が音楽的に見えるような気もします。
 では、彼の映画はどんな音楽に似ているのでしょうか?
 初期の作品は、やはりジョン・ルーリーが所属していたラウンジ・リザースのちょっと奇妙でファンキーなジャズをイメージさせます。当時、彼らのサウンドは「フェイク・ジャズ」とか「パンク・ジャズ」などと呼ばれていて、ファンキーだけど本物の黒人ジャズに比べるとどこかインチキ臭い、そんな怪しげな雰囲気が受けていたものです。1980年頃のことですから、当然パンクの影響も受けていたはずです。
 実は当時、新宿のツバキハウスで彼らのライブを見ました。その頃、活躍していたファンク・ジャズと呼ばれていたリップ・リッグ&パニックのようなハチャメチャなジャズとは違い、ニューヨークらしいアバンギャルドでジャズっぽいサウンドだったことを憶えています。その点でも、ジャームッシュの作品はラウンジ・リザースっぽいように思います。
 そうそう、彼の作品中の異色作「デッドマン」は彼が大好きなミュージシャン、ニール・ヤングが薬でぶっ飛んだ時のサウンドなのかもしれません。

<「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の衝撃>
 彼が「ストレンジャー・ザン・パラダイス」でカンヌ映画祭グランプリを受賞した時の衝撃は、その後の映画界の流れからみると大変なものだったことがわかります。彼が現れるまで、「クライマックスのない娯楽映画」というものは、アメリカには存在しませんでした。(世界的に見ればなかったわけではありませんが、それらの作品はヒットすることを元々目指していませんでした)彼の作品がもつとぼけた雰囲気が、その衝撃度を感じさせにくいのかもしれませんが、それは音楽界におけるパティ・スミスセックス・ピストルズに匹敵する革新的存在なのです。その証拠に、彼の作品は着実にそのフォロワーを生み、彼らの作品にヒットのチャンスをもたらしました。このことによって、少しずつ映画界の流れを変えた貢献度は大変なものです。(アキ・カウリスマキやウェイン・ワンなどがメジャーに浮上したのは、その好例でしょう)

<作風の原点>
 彼の作品が他の映画監督のものと本質的に異なるのは、もともと彼が目指していたのが映画監督ではなかったせいかもしれません。
 1953年1月22日にオハイオ州アクロンで生まれたジム・ジャームッシュは詩人になることを夢見る青年でした。しかし、ヨーロッパに憧れてパリに滞在している頃、映画館で数多くの名作に出会い、映画を作る仕事へと方向を転換したのでした。彼が大好きな小津安二郎との出会いもこの頃だったと思われます。当時、アメリカの若者たちの多くがそれまで見たことのなかったヨーロッパや日本など海外の作品の素晴らしさに影響をうけ始めていましたが、彼はそれをヨーロッパでしっかり身につけたと言えそうです。
 その後、彼はアメリカに戻ってニューヨーク大学で学びながら映画監督ニコラス・レイの助手をつとめるようになります。時は1970年代後半。ニューヨークはアバンギャルドなアート・シーンの中心として数多くの才能を生み出しつつありました。特に音楽の世界では、後にニューヨーク・パンクと呼ばれることになるアーティストたちが世界中に知られるようになり始めていました。
 ラモーンズパテイ・スミス、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、リチャード・ヘル、ローリー・アンダーソン、・・・彼らは単にミュージシャンというだけでなく、パティ・スミスのように詩人だったり、ローリー・アンダーソンのようにパフォーマンス・アーティストだったりとアート・シーン全体に影響を与える存在として活躍していました。

<ミュージシャンから映画監督へ>
 パンクの時代まっただ中の頃、ジャームッシュもまたロック・ミュージシャンとして、ザ・デル・ビザンティーンズというバンドに参加。同じ頃(1979年)に結成されたラウンジ・リザースのジョン・ルーリーとはこの頃知り合い、この後彼を俳優として、作曲家として使うことになります。こうして始まった二人の関係こそ彼の映画の原点と言えるでしょう。
 1982年の長編デビュー作「パーマネント・バケーション Permanent Vacation」には、さっそくジョン・ルーリーが音楽担当、俳優として参加。後のジャームッシュ作品の原型が早くも海外で注目を集めました。しかし、彼が世界中から注目を集めることになるのは、なんといっても次作「ストレンジャー・ザン・パラダイス Stranger Than Paradise」(1984年)のカンヌ映画祭におけるカメラドール賞受賞がきっかけです。
 この作品は当初、短編映画として完成版の1/3の長さで発表されたものでした。それも、「パリ・テキサス」「ベルリン天使の詩」で有名なヴィム・ベンダース監督が、「ことの次第」(1981年)を撮影した時に余らせたフィルムをもらって撮ったものだったのです。そのため、フィルムが足りず、本来撮影したかった全編を撮ることができずにいました。ところが、この作品を短編映画としてロッテルダム映画祭に出品したところ、見事に批評家賞を受賞してしまいます。そのおかげで作品を完成させるための出資申し入れがあり、残りの部分の撮影が可能になったのでした。こうして、完成した長編版が見事カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。いっきにこの作品は世界中で公開されることになり、一躍世界的ヒット作となったのです。

<ジャームッシュ作品の魅力>
 では彼の作品の魅力はどこにあるのでしょう?
ドラマチックではないし、アクションも特撮もなし、涙も、ギャグも、美しい風景も、恐ろしい怪物も出てきません。例えば、1986年から彼がコツコツと製作を続けた短編映画集の「コーヒー&シガレット Coffee & Cigarettes」。この作品の舞台はすべてコーヒー・ショップの中。一つのテーブルに座る二人の客とウェイターだけが登場人物です。もちろん、そこに強盗や刑事が現れるわけではなく、喧嘩も起きず、麻薬の取引があるわけでもありません。それでも、映画の中にドラマを探し出そうとする観客はいつしか画面に引き込まれて行きます。そして、ほんの些細な言葉の行き違いやくだらないギャグに聞き耳をたて、いつしか自分が主人公たちの隣のテーブルに座っているような気になってしまいます。そして、ふと気がつくのです。人生のほんの些細な出来事にも、ドラマは見出せるし、その積み重ねこそが人生だということに、・・・。
 都会の喧噪の中で生き、テレビや映画そしてゲームのドラマチックな世界に慣れきってしまった人にとって、彼の作品は非日常の世界でありながら日常の意味を感じさせてくれる「大人の癒し」とも言えそうです。
 彼の作品が「癒し」となるのには、もうひとつ理由があります。彼の作品のテーマは、ほとんどが「旅」であり、それぞれの「旅」は未完のまま明日へと続いています。
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の主人公は故郷のハンガリーへ。
「ダウン・バイ・ロー」がまさに自由を求める脱獄の物語。
「ミステリー・トレイン」(1989年)はホテルという旅の中継地点が舞台で、ラストには全員が再び旅へと出発します。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991年)は、世界各地の街でタクシーに乗り、それぞれの旅に向かう人々の物語です。
「デッド・マン」(1996年)は、主人公が東海岸から西部の田舎町へと旅をし、さらには殺し屋に追われて自由への旅に出発。ついには天国へと旅立つという究極の旅物語です。
 どの旅もその先にけっして幸福が約束されているわけではありませんが、少なくても現状を変えるための前向きな旅であり、明日への希望を感じさせてくれるものばかりです。
「ささやかではあっても、明日への希望を感じさせる映画」これはまさにジャームッシュが尊敬する小津安二郎作品のもつ味わいと共通しているように思います。淡々と積み上がられた日常のドラマがいつしか明日への希望を生み出す、これこそ小津作品の魅力そのものだと思います。ただし、そうした日常を単純につないだだけでは、娯楽映画としてヒットすることはないかもしれません。
 彼の映画について、日本を代表する映画監督根岸吉太郎はこう言っています。
「僕らは別に映画みたいじゃないけれど、映画みたいだなと思うことがあるじゃない。自分たちの周りでさ。その次元をうまくつかまえたんだよね」
キネマ旬報1989年11月号

<娯楽映画としての仕掛け>
 そこで彼は、それぞれの作品において毎回観客を引きつけるために、そうした日常の風景に楽しい仕掛けを施しているのです。
 「ミステリー・トレイン」では、同じホテルの異なる部屋を舞台にドラマを進行させ、それが最後にひとつにつながるというミステリー仕掛けそして連結仕掛けの不思議な映画スタイルを組み立てました。
 「ナイト・オン・ザ・プラネット」では、同じ時刻に世界各地を走っているタクシーの中で出会った運転手と乗客が交わす会話が、それぞれのお国柄などを交えて展開しています。それは世界同時進行のドラマ集という画期的なスタイルです。
 「コーヒー&シガレット」では、よりシンプルに場所はコーヒー・ショップに限られていますが、そこで出会う主人公の人物像は様々でコーヒー・ショップ自体も様々な店が登場し、それぞれまったく異なる会話を展開しています。世界中にどれだけコーヒー・ショップがあっても、そこで繰り広げられる会話はどれ一つとして同じものはありません。そして、そんな様々な会話を楽しめるセンス、知識があるというのは、たぶん幸福なことなのでしょう。(ただし、全然楽しめなくても、それはそれで良いと思いますが、・・・)その意味では、彼の映画は誰でも楽しめるというわけではないかもしれません。しかし、彼は実に見事に観客を引きつけるコツを身につけているのは間違いありません。

<異色の俳優たち>
 そうそう、観客を引きつける仕掛けとしては、彼の映画独特の異色の出演者たちの存在もあります。
 イギー・ポップ、トム・ウェイツ、ロベルト・ベニーニ(イタリアの喜劇王)、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス(異色のブルースマン)、ジョー・ストラマー、ジナ・ローランズ(アメリカ・インデペンデント映画の女王)、ウィノナ・ライダー、スティーブ・ブシェミ、イザーク・ド・バンコレ、ベアトリス・ダルなどなど。しかし、これだけの俳優やミュージシャンなどを出演させられるというのは、彼の人望と彼の作品の本質的な魅力があればこそです。個性的な俳優とそれを活かす脚本、遊び心いっぱいのひねりの利いた演出、そして優れた音楽と美しい映像。これらが見事な相乗効果となって優れた配給会社や広告チームを獲得、最後にリピーターとなってくれる良いお客さんをつかまえることになった。そんな幸福なサイクルが彼の回りに生まれている。そんな気が僕にはします。

<俳優ジャームッシュ>
 蛇足ですが、ジャームッシュは作品をコンスタントに発表しながら、その合間に俳優として数多くの映画に出演しています。映画監督として、これほど顔を知られた人も珍しいでしょう。しかし、これらの特別出演は彼が認める新進監督たちの作品への友情出演であると同時に、彼らを世界に紹介することを目的としていました。その点でも、彼はインディペンデント映画に大きな貢献をしていると言えるでしょう。主な出演作品は、
アレックス・コックス監督作品「Straight To Hell」(1987年)
アキ・カウリスマキ監督作品「Leningrad Cowboys Go To America」(1989年)
ミカ・カウリスマキ監督作品「In The Soup/夢の降る街」(1992年)
ウェイン・ワン監督作品「Blue In The Face」(1995年)
自作「Year Of the Horse」(1997年)
ビリー・ボブ・ソーントン監督作品「Sling Blade」(1996年)

<ニール・ヤングとジャームッシュ>
 さらにもうひとつの蛇足。ニール・ヤングが好きな僕としては、あえて彼の記録映画「イヤー・オブ・ザ・フォース Year Of The Horse」をお薦めしておきたいと思います。ニール・ヤングとバック・バンドのクレイジー・ホースを追ったこのドキュメンタリー映画でもちょっとした仕掛けがあります。それはニール・ヤングの歌う姿が1970年代と80年代二つの映像が組み合わされて使われているのです。これによって、自然に彼の活躍の歴史を表現しようというわけです。しかし、それ以外彼のライブ映像は実にシンプルにコンサートの様子を写し取ることに徹しています。「すべての答えはニール・ヤングの歌にある」という彼のメッセージが伝わってきます。やっぱり彼はロックが分かっています!

<行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ>
「小説の中の日常生活的につじつまのあう事象が重要なのでなく、小説という言葉の仕掛けによって書き手がどのように語るかということこそ、すなわち文学表現の言葉の形式にこそ、すべてがあるということである。・・・」
 これは大江健三郎の「小説の方法」からの引用です。というわけで、締めのお言葉はこれをちょっといじってみました。

<締めのお言葉>
<行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ>
「 映画の中の日常生活的につじつまのあう事象が重要なのでなく、映画という映像による仕掛けによって、写してがどのように映し出すかということこそ、すなわち映画表現の映像の形式にこそ、すべてがあるということである。・・・・・」


<異色のドラキュラ映画(2013年)>
「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」

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