- ジミー・スミス Jimmy Smith -

<最初の目撃者>
 1956年2月のある夜、1925年創業の老舗ジャズ・クラブ「スモールズ・パラダイス」にブルーノート・レーベルの経営者二人アルフレッド・ライオンとフランク・ウルフが現れました。その店は、ハーレムで唯一黒人が経営する人種差別のない高級クラブでとして知られており、新進気鋭の黒人ミュージシャンがその舞台から何人も巣立ていました。当時、ジャズ界に旋風を巻き起こしていた白人経営のレーベル、ブルーノートの経営者にとって新しい才能の発見は不可欠で、その日もそうしたミュージシャンを探しに店に来たのです。その情報源はブルーノートで録音をしていたミュージシャン、バブス・ゴンザレス。彼から絶対に見るべきだといわれ、二人はその店訪れたのでした。そのお目当てのアーティストこそ、「ジャズ・オルガンの創始者」と呼ばれるジミー・スミスJimmy Smithでした。
 その日、二人の目の前で展開された彼の音楽はそれまでのジャズの概念を覆す画期的なものでした。クラシック・オルガンではなく電気ハモンド・オルガンを用いることでアンプを通したパワフルな音楽を展開する彼の音楽は音量だけではなく、その技術の高さと音楽的な質の高さによって二人を魅了。この瞬間、ジミー・スミスはブルーノートからデビューすることが決まり、新たなジャズの展開が始まることになりました。
 ロックン・ロール・ブームの火付け役となった「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットした1955年。アメリカではロックの影響が広がり始め、その一つとして電気楽器の使用が当たり前になりつつありました。ジャズ界もその例外ではなく、先ず最初にエレキギターが導入されました。しかし、もともと新しいものが大好きな黒人のミュージシャンたちは、電気楽器の使用を邪道とは考えず、少しずつその使用範囲を広げてゆくことになります。それは、ロックの大音量に負けないために必然的な選択でもありました。

<ジミー・スミス>
 1925年12月8日生まれのジミー・スミス Jimmy Smith は、ブルーノートと契約した当時31歳。ペンシルヴァニア州のノーリスタウンで生まれた彼は、青春時代をフィラデルフィアで過ごしました。元々彼はジャズ・ピアノ奏者でしたが、28歳になって初めて電気オルガンと出会い、独学でその演奏法を習得。さらに自分ならではの演奏法を開発しながらジャズ・オルガンという新たなジャンルを確立することになります。
 彼が生み出した演奏法の中でも特に重要なのは、足でペダルを踏むことで生み出せるベース音です。ピアノにはなかったこの機能により、オルガン・トリオにベーシストは不要となり、エレキギターとオルガン、そしてドラムスを組み合わせた編成が定番となり、アンプの使用によりロックン・ロールに近いパワフルな音作りが可能になったといえます。こうして生み出されたまったく新しい音楽は黒人たちの心をつかみ、オルガン・ジャズの一大ブームがやってくることになります。

<ブルーノートからのデビュー>
 「スモールズ・パラダイス」で彼のパワフルな演奏に感動したブルーノートの首脳は、すぐに彼と契約を交わします。こうして1956年2月18日、さっそくジミー・スミス初のレコード録音が行われることになりました。こうして、彼のデビュー・アルバム「A New Sound A New Star / Jimmy Smith at the Organ(第一集)」が生まれました。しかし、最初の録音ということもあり、この時の録音の多くはできが今ひとつだったため、レコードにならなかったようです。それはジミーが初めての録音に緊張してしまい普段の実力を発揮できなかったためでもありますが、ブルーノートの録音技師もオルガン・ジャズが初めてだったため、上手く音をひろえなかったためとも言われています。
 3月11日に行われた二回目の録音は上手くいったようで、一回目では消されてしまった曲「ザ・チャンプ」もついに「同アルバムの第二集」に収められ、後にアルバム・タイトルの邦題が「ザ・チャンプ(第二集)」となるほどの代表曲となります。

<ブルーノートの看板スターに>
 当初、彼のアルバムはレコード店側から「何だ?この音は?」と驚きをもって迎えられましたが、ジャズ・ファンの多くはすぐに飛びつき、ブルーノート躍進のきっかけとなりました。1956年、一年で彼はアルバムを5枚発表しています。いかに彼のアルバムが売れていたかということです。さらに翌年彼は9回もアルバムの録音を行います。しかし、ブルーノートの経営陣は彼の才能をブームに乗って使い捨てしてしまう気はありませんでした。そのすべてをアルバム化することはせず、スタジオ盤、ライブ盤、ジャムセッション盤など、異なるスタイルの作品の中から良いものだけを発表することで、彼の良さを引き出して行きます。おかげで、彼の人気は一時のブームで終わることなく、長く続くことになり、さらにブルーノートも売れるアルバムを生み出すためのノウハウを彼のおかげでつかむことができたといわれます。
 デビュー当時の彼の演奏は、ハードバップ期のホーン奏者に対抗して短い音符を連発するパワフルなものですが、1962年に彼がヴァーヴに移籍した頃からは、しだいにソウルフルでポップな路線へと変化しながら人気を不動のものにしてゆきました。
 かつて、グリニッチビレッジの有名クラブ、「カフェ・ボヘミア」で初めて彼の演奏を見たマイルス・デイヴィスは、彼のことを「ジャズ界8番目の不思議」と言ったという伝説も残っています。新もの好きのマイルスらしい言葉です。

<お奨めアルバム>
「ザ・チャンプ A New Sound A New Star / ジミー・スミス・アット・ジ・オルガン 第二集」 1956年(ブルーノート)
 「ザ・チャンプ」は、第一集のための録音をやり直してこのアルバムに収められ、初期の代表曲となりました。デビューの時点で彼の演奏法が完成されていたことを証明するヒット作で、この作品で一躍彼の名はジャズ界に知られることになりました。
 バンドのメンバーは、ギターがソーネル・シュワルツ。ドラムスがドナルド・ベイリーです。

「クラブ・ベイビー・グランドのジミー・スミス Vol.1&2」 1956年(ブルーノート)
 デビュー・アルバムと同じメンバーで行われた最初のライブ録音アルバムです。白人客中心のグリニッチビレッジのクラブで行われているのは、彼の人気がすでに白人層にまで広まっていたことを証明しています。こうして白人層にまで広まった人気は、ジャズ・アルバムの売り上げ増につながり、ブルーノートの人気をさらに増すきっかけになりました。

「スモールズ・パラダイスのジミー・スミス Vol.1&2」 1957年(ブルーノート)
 ドラムスはドナルド・ベイリー、ギターはエディー・マクファーデンによるトリオでのライブ・アルバム。彼がニューヨークでのデビューを飾ったクラブでの凱旋ライブともいえる作品。ハーレムの高級クラブでのリラックスした演奏を楽しむことができます。

「ミッドナイト・スペシャル Midnight Special」 1960年(ブルーノート)
 スタンリー・タレンタインのテナー・サックス、ケニー・バレルのギター、ドナルド・ベイリーのドラムスによる録音。この後、コンビを組むことになるスタンリー・タレンタインとの初共演作。タイトル曲「ミッドナイト・スペシャル」のヒットともに、60年代を代表する傑作と言われる作品です。

「プレイズ・ファッツ・ウォーラー Plays Fats Waller」 1962年(ブルーノート)
 ピアニスト、エンターテナー、作曲家、バンドリーダーとして1930年代に一世を風靡した黒人アーティスト、ファッツ・ウォーラーのカバー・アルバム。ファッツは最初のジャズ・オルガン奏者とも言われる存在で、ジミーに大きな影響を与えたと言われています。

DVD「ライブ・アット・パリ 1969年」
 フランスのパリで行われたこのライブは、フランスのテレビ向けに行われたもので、映像的にも彼の演奏をじっくりととらえています。彼が編み出した左足でのペダル・ワークも、途中、収められていますのでお見逃し無く。メンバーは、長くコンビを組んでいるギターのエディ・ファーデン。そして、ドラムスはチャールズ・クロスビーというトリオ編成です。
 聴き所としては、ブルースでファンキーなナンバー「Sonnymoon For Two」と「Got My Mojo Working」。「Got My Mojo Working」では、自らヴォーカルを担当。エンターテナーとしての一面も見せています。
 ムーディーなスタンダード・ナンバー「Alfie」( 映画「アルフィー」のテーマ)と「Satin Doll」も素敵です。さらに彼の代表曲ともいえる20分に及ぶジャム・セッション曲「The Sermon」(1958年の代表曲)も聞き逃せません。

<参考資料>
「ブルーノート・レコード」
(著)リチャード・クック
(訳)前野律

「ブルーノートJAZZストーリー」
(著)マイケル・カスクーナ
(訳)油井正一

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