- ジョン・C・リリー John.C.Lilly -

<真実はSFよりも奇なり>
 映画「イルカの日」(1973年)、「アルタード・ステーツ」(1979年)、「ブレイン・ストーム」(1983年)、どれも公開当時かなり話題になったSF映画です。残念ながら、3本とも傑作とは言えませんが、アイデア勝負のSFとしては、実に面白い題材を扱っています。
 「イルカの日」は、イルカと人間のコミュニケーションを研究する博士がその研究を奪い軍事利用をたくらむ軍に狙われるというサスペンス映画。監督は、「卒業」などで有名なマイク・ニコルズ。
 「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」は、特殊なタンクに浮かんだ状態で薬物を使用し、自らの脳内に潜む過去の記憶を甦らせるというお話。ラスト近く、研究者の肉体までもが原始の姿にかえってしまい事件が起きます。監督は、ザ・フーの「トミー」を映画化したケン・ラッセル。
 「ブレイン・ストーム」は、脳の記憶を情報として写し取り他人にも経験させることができるという究極のバーチャル・システムをめぐるドラマです。監督は、「2001年宇宙の旅」などの特撮で一躍有名になった特撮畑出身のダグラス・トランブル。
 どれも、将来的にあえそうな話し、もしくは現在でも可能かも?と思えるアイデアがもとになっています。ところが、この3作品は単なる空想物語ではありません。どれも実際にあった研究がもとになっているのです。そして、これらの研究はなんと、ある一人の人物が進めたものばかりなのです。

<忘れられた天才科学者>
 その男、ジョン・C・リリィはれっきとした科学者であり、博士です。そして医学、生理学、物理学、生物学、電子工学、心理学など、ありとあらゆる分野を研究し、それぞれの分野の超一流の学者たちと共同研究を行った驚くべき研究者でした。
 それだけではありません。彼は哲学者でもあり、エスニックな精神修養の探求者でもありました。ところが彼の場合、その研究があまりに特殊なものだったため、その業績は未だに一般的に認められていないものがほとんどです。「万有引力の法則」や「相対性理論」など、数式で表現できる客観的な科学とは異なり、彼の研究はあまりに抽象的かつ主観的なものだったため、それを第三者に理解させることは困難だったのです。
 マスコミは彼を、時に「マッド・サイエンティスト」と呼びました。しかし、彼を直接知る人々の多くは、彼を精神的な導師(グル)と考えていたようです。そして、彼は自分自身のことをこう呼んでいました。
「僕は予期できないことの研究家です」

<アインシュタイン・ジュニアと呼ばれた少年>
 ジョン・カニンガム・リリィは、1915年1月6日ミネソタ州のセントポールで生まれました。父親のディック・リリィは新聞社のメッセンジャー・ボーイから社長にまで登りつめたやり手の実業家で、その後ノースウエスト航空など数多くのグループ企業をかかえるアメリカを代表する資産家となります。ほとんど金銭的価値を生み出さなかった彼の研究は、この父親の資産のおかげで可能になったとも言えます。
 母親のレイチェルもまた資産家の令嬢で、進歩的かつ教養のある女性でした。そのため、子供たちは自由な環境のもと好きなだけ知識を吸収する機会を与えられました。
 彼はに自分に弟ができ、母親が自分をかまってくれなくなると、突然自らの意志で自立し、その後急に客観的な視点で物事が見られるようになったのだそうです。それは彼がまだ2歳半の時でした。そんな彼が科学に興味をもつようになったのは、必然的なことだったのかもしれません。彼は中学生の頃、「アインシュタイン・ジュニア」と呼ばれていたそうです。

<リアリティーの追求>
 1933年、彼はカリフォルニア工科大学に入学します。初めは物理学を勉強していた彼は、オールダス・ハックリーの小説「素晴らしき新世界」を読んでいた大きな衝撃を受けます。そこには人間の行動や意識は、生理学的な仕組みによって支配されているという考えが書かれていたのです。
 もしそうなら個人個人にとってのリアリティーもまた生理学によって説明できることになります。人間にとってリアリティーとはいったい何なのか?彼が少年時代から疑問に思っていた謎を解くための長い人生が、こうして始まりました。

<脳の研究者>
 1937年、彼は脳の電気的な活動を脳の表面全体にわたって同時に計測できれば脳の生理学的変化を記録できると考えました。(この研究は1950年、「ベバトロン」という装置として実現することになります)しかし、脳についての基本的な知識が不足していると感じていた彼は医学部での研究も必要と考え、ダートマス大学の医学部に入学します。
 ちょうどこの頃、彼の父親が車ごと50メートルもの高さから崖下に転落するという事故を起こしました。ところが、数々の偶然が重なり父親は奇跡的に死を免れます。この信じられないほどの好運に驚いた彼は、宇宙には何か偶然を制御する力があるのではないか?と考えるようになります。そう考えるようになったのは、彼自身、子供の頃病気で死の淵まで行った際、二人の守護天使によって救い出されたという記憶をもっていたからでもありました。
 彼はこうした事件のおかげで、より真剣に医学に取り組むようになります。そして、そこで数々の優れた教授と出会うことになります。なかでも呼吸器系の専門家H・カスバート・バゼット博士は、彼に後々大きな影響を与えることになる教訓を与えました。
「医学研究者は、まず自分の身体で実験してみなきゃいかん。そうしなければ、患者やボランティアを相手にした時に、どうやって実験すればいいのかわかるはずがないじゃないか」

こうして、彼にとっての重要な信念が生まれました。
「僕の身体が僕の実験室だ」
 こうして、彼が脳の研究に熱中しているちょうど同じ頃、彼の母親レイチェルが脳腫瘍であることがわかり、彼は脳外科医のワイルダー・ペンフィールド博士にその治療を以来します。彼こそ脳波記録装置の権威として後に世界的に有名になる人物で、二人はこうしてお互いに影響を与え合う関係になります。

<心の研究者>
 その後の彼は妻メアリーとの不仲が原因で精神的に追いつめられ、パラノイアに苦しめられるようになります。そこで彼は精神分析による治療で知られるロバート・ウエイルダー博士の治療を受けます。すると彼はこの学問にものめり込み、自ら精神分析によって心を静める方法を身につけます。と同時に彼は「脳の研究」だけでなく「心の研究」も行わなければ、人間の精神をとらえることはできないということに気づいたのでした。
 どうすれば自分を観察しえるだけの十分な客観性をこころが持つことができるのだろうか?そのためには、自分の脳を実験対象にするしかないだろう。それが彼の結論でした。

<感覚遮断タンク>
 外部との接触を断ち感覚的な刺激をすべて遮断すると人間はいったいどうなるのか?
 1954年、この「感覚遮断」を行うための設備「アイソレーション・タンク」を彼は開発しました。それはこのタンクの中でなら意識を保ちながらこころの中を探求できるのではないかと考えたからです。実際、タンクの中では普段夢を見ている時よりも、自由に夢を制御することが可能になったと言います。
 さらに彼はこのタンクの中でテレパシーの存在を認めざるを得ないような体験もします。こうして、彼は脳を研究する有効な方法を見出したわけですが、逆に当時のテクノロジーではこれ以上脳の研究は不可能と考えるようになります。前述の「ベバトロン」はすでに完成したいましたが、そのデータを詳しく解析するだけの優れたコンピューターが当時はまだ開発されていませんでした。
 そこで彼は人間に似た大きな脳をもつ生物を研究できないだろうか?と考えるようになります。そして、彼はイルカと出会うことになったわけです。

<イルカの研究者>
 当初、彼はイルカを単なる動物実験の材料と考えていました。しかし、1960年ヴァージン諸島にイルカの研究所CRIIを設立し、その研究を始めるとすぐに自分の考え方が誤りだったことに気づきます。
 今では、イルカの優れた知性については誰もが認める常識となりましたが、当時はほとんどの人がそうは思っていませんでした。1961年に彼が発表した「人間とイルカ」は、イルカのもつ優れた知性を世界に知らせる重要なきっかけとなりました。
 その後彼は、あの懐かしのテレビ番組「わんぱくフリッパー」の元になった映画「わんぱくフリッパー」(1963年)の監修も担当しており、イルカに関する世界的な権威となりました。(映画の撮影後、主役のイルカは彼の研究所のメンバーに加わりました)
 さらに、この研究所には、共同研究者として世界的な文化人類学者、グレゴリー・ベイトソンも参加し、CRIIは一躍世界の注目を浴びることになりました。

<LSDとアイソレーション・タンク>
 「わんぱくフリッパー」のプロデューサー、イワン・トルスの妻、コンスタンスは、LSDを用いた心理療法の先駆者で、彼女の指導のもとジョンはLSDを用いた「心の研究」を開始します。そして、アイソレーション・タンクとLSDを併用する試みが行われることになりました。
 LSDを服用してタンクに入ると、「心」の存在がどんどん大きくなり、宇宙全体に拡がる「心」のネットワークと等しい存在になったと彼は感じました。さらにこの間、彼は近くのプールを泳ぐイルカたちと「心」の中で通じ合うことができたと感じました。こうして、彼は「心」は「脳」の中に存在するものではなく、外へと拡がる存在であると確信するようになります。
 しかし、このあたりにくるといよいよ彼の研究は第三者にとって判断しがたいものになってきました。ましてLSDと言えば薬物の中でも筋金入りの危険物です。その体験が幻覚ではなかったことを証明するのは不可能です。
(注) LSDは、1939年スイスの科学者、アルバート・ホフマン博士が発明した人工の化学物質です。それは快楽を得るための薬品ではなく、精神分析や精神治療、精神研究のための補助用試験薬でした。さらに当時はまだ世の中に登場したばかりで、それは現在のようにその存在を完全否定されてはいませんでした。もちろん、それは街角で簡単に買えるものではありませんでした。
 1967年、彼はLSDを用いた脳の研究を基礎にして、当時急激に発展し始めていたコンピューターと脳を比較した画期的な報告書を発表します。(この著作は、1972年「LSDとバイオ・コンピューター」というタイトルで発売されることになります)
 そして同じ年、彼はイルカを研究材料として飼育することを止めるため、研究所CRIIを閉鎖しました。

<心の回路(リリーの法則)>
 1968年に入るとLSDの存在は「LSD文化=サイケデリック文化」を形成するようになります。その中心人物ティモシー・リアリーとも彼は親しくなりますが、リアリーの「LSDを世界に」という考え方に賛同してはいなかったようです。
 当時、彼は研究中に何度も遠隔透視と呼ばれる現象を体験しました。それはLSDを使用せずに、タンク内にいた時にも起きたため、彼は新たな「心」の定義に思い至ります。
 それは個人の「心」には二つの回路があり、一つは肉体によって現在の自分の居場所と結びつき、もう一つは場所に限定されずに宇宙開発全体と結びついているというものです。さらに彼は、この考え方を押し進め、「心」はもともと自由に移動できるものであり、一時的に脳の中にとどまっているだけなのかもしれないと考えるようになります。こうして、「リリーの法則」と呼ばれる考え方が生まれました。
「こころの領域においては、本当だと思ったことは、体験や実験によって確認された限界内で真実であるか、真実になる。その限界は、新たに乗り越えなくてはいけない、次の信念である。こころの領域に限界はない」

 この頃から、彼はカリフォルニアを中心に盛り上がりをみせていたスーフィズム、チベット仏教、禅、グルジェフの教え、ヨガ、グノーシズム(古代キリスト教)などの神秘思想を学び始め、「心」を自らの力によって制御する方法を身につけて行きます。
 しかし、彼はひとつの宗教グループにとどまることを良しとしませんでした。彼にとっては、それぞれ個人が幅広いネットワークをもって数多くの個人や思想、宗教と結ばれていることが理想でした。
 その後彼はLSDに代わる新たな薬物ケタミンを使用することで、さらなる「意識変容」を経験します。これにより、彼は地球外リアリティーとも言える存在にコンタクトできるようになり、彼はそれをECCO(Earth地球  Coincidence偶然  Control制御 Office局)と呼ぶようになりました。こうして、彼は自分のことをこう考えるようになりました。
「僕は、人間の肉体に住み着くために、この惑星地球にやったきた異星人である。肉体を去り、故郷の異星文明に戻ると、人知を越えた大きな存在になる。・・・」
 当時の彼は薬物中毒で常に幻覚を見ていたのだと考えることもできるでしょう。しかし、彼がそこから多くの着想を得て、それを次々と発表していったのも確かです。(「ダイアディック・サイクロン」(1975年)「シュミレーション・オブ・ゴッド - 信念の科学」(1976年)、「サイエンティスト」(1978年)などがこの時期に書かれました)

<ヤヌス計画>
 1976年、彼は友人たちとともに、ヒューマン・ドルフィン財団を設立し、イルカの研究を再開します。(協力者には俳優のバージェス・メレディスやジェフ・ブリッジスらもいました)しかし、今回の研究はイルカを研究材料に用いる脳の研究ではありませんでした。それは人間とイルカのコミュニケーションを実現するためのまったく新しい研究でした。
 それはヤヌス計画と名付けられ、急激な進歩をとげたコンピューターを用いることでイルカと音声によって直接会話をしようというものでした。残念ながら、この計画は資金面の問題などで1985年に中断され思うような成果をあげることできませんでしたが、その後も別の研究者らによって研究は続けられ、ハワイ大学などではイルカと対話する人工知能のソフトウエアが開発されています。映画「イルカの日」が現実の物語になる日もそう遠くないかもしれません。
 1988年、オーストラリアで開かれた第一回国際イルカクジラ会議に彼は特別ゲストとして招待されました。彼のイルカに関する研究は30年たってやっと評価されるようになったのです。さらに彼の著作により、イルカが知性をもつことが世に広まり、そのおかげでイルカの保護は世界的な常識になりました。その点でも彼の果たした役割は大きかったと言えるでしょう。
<宇宙への旅立ち>
 ジョン・C・リリィは2001年にこの世を去りました。彼の「心」は肉体を離れ、宇宙のどこかを旅しているのかもしれません。それとも、過去にさかのぼりタンクに横たわる自分自身に語りかけているのかもしれません。そして、いつかこれを読んでいるあなたに話しかけることがあるのかもしれません。
<宇宙の旅人> 
 初めに彼の研究をもとにした映画を3本あげましたが、最近もう1本、彼のことを思わせる映画と出会いました。ケビン・スペイシー主演のSF風映画「K-PAX 光の旅人」です。ご覧になった方なら、たぶんなるほどと思われるのではないでしょうか。もしかしてこの映画、ジョン・C・リリィの思い出に捧げられていたのでは?

<締めのお言葉>
「多くのひとたちにとって、問題はナルシシズムである。ナルシシズムはとても小さな宇宙の中心である。ひとは少なくとも3人のひとを包み込む程度まで、その宇宙の中心を広げる必要がある。そうすれば、ひとは癒される。エゴイズムは、もしもエゴの境界が余りに狭いものにならないならば、素晴らしいものである。僕は世界で一番大きなエゴを持っている」
ジョン・C・リリィ

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