音楽と人を愛し続けたサムシング・ワイルドな映画監督


「ストップ・メイキング・センス」「羊たちの沈黙」「フィラデルフィア」・・・

- ジョナサン・デミ Jonathan Demme -
<ハイチを愛した映画監督>
 先日、ハイチ出身の女流作家エドウィージ・ダンティカの自伝的小説「愛するものたちへ、別れのとき」(2007年)を読みました。世界最貧国と呼ばれて久しいハイチと希望の国アメリカで生きる人々を描いた作品を読んでいて、ふと映画「羊たちの沈黙」のことを思い出しました。映画のラストで精神科の医師が逃げ込んだハイチの街を延々と映した映像が、以前から印象に深く残っています。そういえば、あの映画の監督ジョナサン・デミは、音楽好きで有名だし、もしかするとハイチの音楽「ヘイシャン・ミュージック」も好きなのかもしれない。と思いつつ、彼の経歴を調べてみて、予想以上にハイチとの関係が深いことに驚かされました。2017年4月にこの世を去った彼のことは今まで何も知らず、このサイトでも扱っていなかったことに気づきました。
 史上最高の音楽ライブ映画「ストップ・メイキング・センス」の監督でもあり、「羊たちの沈黙」によってアカデミー賞も受賞している20世紀を代表する巨匠ジョナサン・デミについて、ご冥福を祈りつつ、彼の人生、彼の作品を振り返ります。

<ロジャー・コーマン>
 ジョナサン・デミ Jonathan Demmeは、1944年2月22日、ニューヨーク州ボールドウィンに生まれています。フロリダ大学在学中、映画が好きだった彼は、学内の新聞で映画の評論を発表。卒業後は、ライターや記者として働こうと就職しますが上手く行かず、広告代理店に就職し、サラリーマンとして働き始めました。しかし、その仕事で彼は映画界の風雲児ロジャー・コーマンと知り合うことになりました。これが彼の運命を大きく変えることになりました。それはまさに、彼を「サムシング・ワイルド」な世界へと導く運命の出会いでした。
 アメリカン・ニューシネマを支え、その後のハリウッド映画界をも支えることになる映画界の逸材の多くを見つけ出し、育てた「ハリウッド映画再生の父」が育てた映画界の人材は、ざっとあげてもこれだけいます。
 俳優では、ジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、チャールズ・ブロンソン、シルベスター・スタローン、ウィリアム・シャトナー、ブルース・ダーン、ロバート・ヴォーン、ロバート・デ・ニーロ、タリア・シャイア、トミー・リー・ジョーンズ、バッド・コート、ウォーレン・オーツ、デヴィッド・キャラダイン・・・etc.
 監督・脚本家では、ロバート・タウン(脚本家)、フランシス・フォード・コッポラ、モンテ・ヘルマン、ピーター・ボグダノヴィッチ、マーティン・スコセッシ、スティーブ・カーバー、ジェームス・キャメロン、ジョー・ダンテ、ロン・ハワード、ジョン・セイルズ、ジョナサン・キャプランなど、そうそうたる顔ぶれが並びます。ジョナサン・デミは、その中でも比較的遅咲きの存在でした。
 コーマンのもとで仕事をしていた彼が、初めて監督を務めたのは、1974年の映画「女刑務所・白昼の暴動」というB級アクション映画。その後も、下積み的な仕事が続きます。「クレイジー・ママ」(1975年)、「怒りの山河」(1976年)さらにはテレビ・ドラマシリーズ「刑事コロンボ」の一作「美食の報酬」(1978年)などを監督。
 彼が映画監督として知られるようになったのは、1980年「メルビンとハワード」(日本未公開)でニューヨーク批評家協会監督賞を受賞したあたりからです。この頃、彼は、ミュージック・ビデオの世界での活躍も始めます。1981年にアメリカではMTVの放送が始まります。そして、音楽ビジネスの世界では、音楽と映像を同時に発信するのが当たり前の時代が始まります。元々ビートルズ世代の彼は、ロック、ソウルなどが大好きだけに、ミュージック・ビデオの演出は新たな活躍の場となりました。そして、ジョナサン・デミの代表作であり、音楽ライブ映画における20世紀最高の作品「ストップ・メイキング・センス」が誕生することになります。

「ストップ・メイキング・センス Stop Making Sense」 1984年
(監)(脚)ジョナサン・デミ
(製)ゲイリー・ゴーツマン
(撮)ジョーダン・クレーネンフェス
(音)ジム・ヘンドリクソン、ナンシー・フォガティ
(出)デヴィッド・バーン、クリス・フランツ、ジェリー・ハリソン、ティナ・ウェイマス、トーキング・ヘッズ
全米批評家協会ドキュメンタリー賞受賞

 MTVの歴史に残るこの作品の素晴らしさは、この作品がライブ映画でありながら、物語としての「起承転結」があり、その物語を支える素晴らしい「キャラクター」が存在するところにあります。
 この映画(ライブ)は、トーキング・ヘッズの中心デヴィッド・バーンがラジカセを手に一人で現れるところから始まります。そして、カセット・テープを再生して、その音源に合わせて一人だけのパフォーマンスを開始。その後、ベースのティナとドラムのクリスが参加、さらにジェリー・ハリソンが登場して、トーキング・ヘッズのオリジナルメンバーがそろいます。ここまでで「起承」って感じでしょうか。
 その後、ティナとクリスによるプロジェクト、トム・トム・クラブのパフォーマンスを途中に挟みながら、サポート・メンバーのアレックス・ウェイナー(ギター)、バーニー・ウォーレル(キーボード)、スティーブ・スケールズ(パーカッション)、エドナ・ホルト、リン・モープリー(バック・コーラス)が参加して、音の厚みがどんどん増してゆきます。「転」です。そして、ラストにはフルメンバーでの演奏になり、カメラは観客の方に初めて向きを変えます。観客の盛り上がりを最後に映し出して、エンディングを迎えます。これがまさに「結」です。
 さらにこの映画では、ヴォーカルのデヴィッド・バーンの特異なキャラクターに加え、女子ベーシストのティナとその恋人でも会ったクリスのカップルによるトム・トム・クラブ、ソロとしても活躍したギタリストのジェリー・ハリソン、そこに加わった黒人の凄腕リズム隊3人とそれぞれ個性的なキャラ分けがなされています。
 元々は、トーキング・ヘッズのツアー中にその出来に自信をもったデヴィッド・バーンがフィルムに残したいと考え、ジョナサン・デミを紹介されたことがきっかけで映画の企画が生まれたそうです。依頼を受けた彼は、ツアーの最後に4日間にわたりコンサート会場を使って、この作品の撮影を行なったのでした。

「ジョナサンの素晴らしいのは、ライブをまるで演劇的なアンサンブルかのように捉えて、映画の観客にはそのキャラクターと思いがけない行動が紹介されていくんだ。そうやって、それぞれの異なる人間性と共にバンドを人として知ることになるんだよ。ある意味、登場人物が観客の友達になるんだ。僕は音楽やステージや照明に集中し過ぎて、キャラクターに焦点を当てることがどれだけ重要かわかっていなかった。それがこの映画を他とは違う特別なものにしているんだ。・・・」
デヴィッド・バーン

 「ストップ・メイキング・センス」の成功によって、彼には音楽業界からオファーが相次ぐことになりました。その中でも特筆すべきは、1985年の「サン・シティ」でしょう。この作品で、彼はMTVバブルともいえる1980年代半ば、彼以上に活躍していた演出家ゴドレー&クレームと共同作業をすることになりました。
 彼は反アパルトヘイトの主張を込めたそのビデオ・クリップの発表後、マーティン・スコセッシ監督らと共に映画人による反アパルトヘイト団体(Filmmakers United against Apartheid)を結成し、ハリウッド映画を南アフリカで公開させないよう圧力をかけます。(結局、これは上手く行かなかったようですが)

 この後の監督作品「サムシング・ワイルド」(1986年)もまた彼の音楽のセンスが生かされた作品でした。パンク、エスニック・ロック、サルサ、レゲエ、アフロ、ニューウェーブ、テクノ・・・様々な音楽が映画の主役的存在として画面を盛り上げます。当時はまだ無名に近かったアーティストも、その後、メジャーへと躍進することになります。ニューヨークのマンハッタンで働く真面目なサラリーマンをドロップ・アウトさせてしまう「運命の女」メラニー・グリフィスは、思えば彼を映画界へと誘ったロジャー・コーマンのことかもしれません。

「サムシング・ワイルド Somting Wild」 1986年
(監)(製)ジョナサン・デミ
(脚)E・マックス・フライ
(撮)タク・フジモト
(音)ジョン・ケイル、ローリン・アンダーソン
(選曲)シャロン・ボイル
(出)ジェフ・ダニエルズ、メラニー・グリフィス、レイ・リオッタ、ジョン・セイルズ
曲名  アーティスト  
「Loco De Amor(Crazy For Love)」  デヴィッド・バーン&セリア・クルーズ
David Byrne & Celia Cruz 
女性アーティストが珍しいサルサの世界で女王として君臨していた大御所セリア・クルーズのド迫力ヴォーカル
オープニングでニューヨークの街をバックに彼女の歌声が響き、映画が始まります。
「Ever Fallen In Love」 ファイン・ヤング・カニバルズ
Fine Young Cannibals 
イギリスのロックバンドで当時はまだ無名に近かった。
1989年に「She Drives Me Crazy」が全米1位となり世界的に有名になります。
「Zero,Zero Seven Charlie」  UB40  イギリスのレゲエ・バンド。
1993年にプレスリーの「好きにならずにはいられない」が世界的 大ヒットとなります。
「Not My Slave」 オインゴ・ボインゴ Oingo Boingo アメリカLAのロックバンド
中心メンバーのダニー・エルフマンは、ティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」などの音楽を担当
映画音楽の世界で大活躍中
「You Don't Have To Cry」 ジミー・クリフ Jimmy Cliff  映画「ハーダー・ゼイ・カム」の主演・音楽で一躍世界的スターとなったジャマイカのレゲエ・スター
「With You Or Without You」 スティーブ・ジョーンズ Steve Jones パンク・ロックのレジェンド、セックス・ピストルズの元ギタリストによるソロ作品
「High Life」  ソニー・オコスン Sonny Okossun ナイジェリアのポップミュージック、ハイライフの人気アーティスト
「Man With A Gun」  ジェリー・ハリソン Jerry Harrison  トーキング・ヘッズのギタリストによるソロ作品
「Temptation」 ニュー・オーダー New Order  テクノ界のレジェンド的バンドのヒット曲
「Wild Thing」  シスター・キャロル Sister Carol NYのロックバンド、ザ・ワイルド・ワンズのカバーで、1965年トロッグスがカバーして大ヒットしている 
これはジャマイカの女性レゲエ・アーティストによるカバーで、エンドロールで歌われます。

 彼はこの後、映画監督として成功して以降も、音楽映像作品を多く作りました。「ストップ・メイキング・センス」の衝撃は世界中のミュージシャンたちに大きな影響を与えることになり、多くのスーパー・ミュージシャンたちが、ジョナサン・デミに自分たちのライブ映像を撮影してほしいとオファーをしていたようです。
 彼が演出を担当したミュージシャンとして、有名な名前をざっと挙げてみます。
 キッド・クレオール&ザ・ココナッツ(1980年)、ニュー・オーダー(1989年)、ネヴィル・ブラザース(1988年)、プリテンダーズ(2000年)、ブルース・スプリングスティーン(2001年)、ニール・ヤング(2006年、2009年、2012年)、ジャスティン・ティンバーレイク(2016年)

<「羊たちの沈黙」>
 「羊たちの沈黙」は、彼にとって最大のヒット作である同時に、映画監督としての彼の評価を決定づけた作品となりました。アカデミー作品、監督、脚色、主演男優、主演女優賞という主要5部門の制覇は、アカデミー賞の歴史でも「或る夜の出来事」と「カッコーの巣の上で」の2作品だけです。
 サスペンス、スプラッタ、推理、フェミニズムなど様々な要素をもつこの作品は、ハンニバル・レクターという映画史上最凶のキャラクターを生み出し、歴史にその名を刻むことになりました。1980年代以降の彼が残した作品を見てみると、人間ドキュメンタリー、音楽映画、ラブ・コメディ、シリアスな人間ドラマ以外の作品は、「羊たちの沈黙」だけかもしれません。ある意味、この作品の大成功により、もう彼はこのジャンルの作品を撮る必要を感じなくなったのかもしれません。映画監督なら一度は挑みたいヒッチコックの「サイコ」。それを成し遂げてしまったのです。(経済的にも、自分の好みからも?)
「羊たちの沈黙 The Silence of The Lambs」 1990年
(監)ジョナサン・デミ
(原)トマス・ハリス
(脚)テッド・タリー
(撮)タク・フジモト
(音)ハワード・ショア
(出)ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレン、テッド・レヴィン、ロジャー・コーマン(FBI長官)、シーザー・A・ロメロ(FBI捜査官)

 彼が挑んだヒッチコックを同じように師と仰いだ映画監督にフランスの映画監督フランソワ・トリュフォーがいます。同時代の映画監督と同じように「ヌーヴェルバーグ」の作品に憧れていたジョナサン・デミにとって、トリュフォーもまた憧れの監督でした。そのトリュフォーとジョナサン・デミには過去に運命的な出会いがあったといいます。まだ彼が広告代理店で働いていたサラリーマン時代、彼はアメリカに映画の宣伝のためにやってきたトリュフォーを迎え案内する仕事を任されたそうです。(1968年公開の「黒衣の花嫁」のプロモーション)当時の彼はまだ映画界で働くことになるとは思ってもいなかったのですが、トリュフォーの大ファンだった彼は、有名なトリュフォーによるヒッチコックのインタビュー本にサインをしてもらいました。すると、彼はアメリカを離れる際、彼に君の映画監督としてのデビュー作を楽しみにしているよ!と言われたそうです。後に、彼が「シャレード」のリメイクを撮影した際、彼は映画の中に様々なトリュフォーへのオマージュ・シーンを収めています。
 その後、彼はヒット作を作ることよりも、撮りたい作品を撮るようになって行きます。その中から、次なる傑作「フィラデルフィア Philadelphia」(1993年)が生まれています。トム・ハンクス主演のこの映画では、当時やっと正しく扱われるようになってきた「エイズ問題」と「同性愛への差別問題」を真正面から取り上げることで大きな話題となり、世界に感動を与えることにも成功しました。トム・ハンクスはこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞し、さらにアカデミー作曲賞をブルース・スプリングスティーンとニール・ヤングにもたらしました。
「フィラデルフィア Philadelphia」 1993年
(脚)ロン・ナイスワーナー
(撮)タク・フジモト
(音)ハワード・ショア
(出)トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイソン・ロバーツ、アントニオ・バンデラス、メアリ―・スティーンバージェン、ジョアン・ウッドワード

 日本未公開の「愛されし者 Beloved」(1998年)は、オバマ大統領の愛読書として有名になったトニ・モリスンの代表作を映画化した作品です。
 彼の盟友的存在でもあったロック界の大御所ニール・ヤングのドキュメンタリー作品では、「ニール・ヤング/ハート・オブ・ゴールド孤独の旅路」(2006年)、「ニール・ヤング/ジャーニー」(2012年)も重要な作品です。
 そして、地味な作品ながら主演のアン・ハサウェイはアカデミー主演女優賞にノミネートされることになった「レイチェルの結婚 Rav\chel Getting Married」(2008年)、遺作となった「幸せをつかむ歌 Richi and The Flash」(2016年)と正直ヒットするとは思えない作品の合間には、さらに地味なドキュメンタリー映画も撮っています。
 それでも、民主党の大統領として1970年代末に活躍し、ノーベル平和賞も受賞したジミー・カーターの伝記映画「Man from Plains」(2007年)ではヴェネツィア国際映画祭でバイオグラフィルム賞を受賞。ハリケーン「カトリーナ」によって大きな被害を受けたニューオーリンズの街の復興に活躍した黒人女性を題材としたドキュメンタリー映画「I'm Carolyn Paker」(2011年)では、ニューオーリンズの街を愛し、台風の被害によって危機的状況に陥った街に最後まで残り、街のために救援活動を行った普通の主婦を描きました。
 彼の作品は、ドキュメンタリーでも、フィクションでも、彼が愛した主人公の生き様を丹念に描くことに特化しているようです。思えば、「羊たちの沈黙」もクラシスという弱くて強いキャラクターが愛すべき人物に描かれているからこそ、映画は魅力的な作品になり得たのだと思います。

<ハイチとの関わり>
 1980年代に入り、彼はハイチの絵画や音楽に興味を惹かれるようになっていました。彼が住むニューヨークにはハイチからの移民たちが多く住むコミュニティーがあり、そこからヘイシャン・ミュージックのヒット曲が誕生していた時代でもありました。
 ハイチのポップミュージックを代表するジャンル「コンパ」のナンバー1レーベルだった「ミニ・レーベル」から、オールスター・メンバーを集めたバンド、ミニ・オールスターズによる名盤「ピュア・ゴールド」が発表されたのが1982年なので、彼もこれらのヘイシャン・ミュージックを聞いていたのでしょう。
 1986年、彼は初めてハイチを訪れます。そして、そこでドキュメンタリー映画「Haiti : Dreams of Democracy」(公開は1988年)の撮影を行います。
 30年に渡り一族による独裁政治を続けていたデュバリエ大統領が反政府活動の盛り上がりによって、ついに国外に逃亡。1990年に行われることになる民主的な大統領選挙に向けて政治の民主化が進むハイチ。人々は自分たちの手で民主主義を作り上げようとしており、その希望に満ちた姿を彼はフィルムに収めました。ハイチでの滞在中に彼は、ハイチのポップミュージック、ヘイシャンの魅力にもはまり、1989年には自らがプロデューサーとなってヘイシャンのヒット曲を集めたコンピレーション・アルバム「コンビット~バーニング・リズム・オブ・ハイチ」をネヴィル・ブラザースのシリル・ネヴィルと共に制作・発売しています。その後も、彼はハイチと関りを持ちつづけ、大地震によってハイチが崩壊の危機に陥った年にも彼はミュージック・ビデオの撮影でハイチを訪れる予定だったそうです。
 残念ながら、彼は2017年4月26日、癌と心臓病により73歳でこの世を去りました。
 彼の葬儀の際、彼の親族は香典として受け取った金は、すべて移民たちへの支援機関に寄付すると発表したそうです。

 最後まで「センスなんて、どうでもいいこと!」と言いながら、最後まで「サムシング・ワイルド」な人生を歩み続けた彼は、「愛されし者」としての生き方を貫き、「孤独の旅路」を歩み続けました。彼が羊たちと共に安らかに眠られることをお祈りいたします。

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