「また会う日まで Until I Find You」

- ジョン・アーヴィング John Irving -


ジョン・アーヴィング John Irving
<1980年代を代表する作家>
 ジョン・アーヴィング John Irving は1942年3月2日ニューハンプシャー州のエクセタで生まれています。早くから作家を志し、同時にレスリングに熱中。レスリングをするためにピッツバーグ大に一年間通った後、ウィーン大に留学します。その期間中、彼はオートバイに乗ってヨーロッパを旅した後に帰国。ニューハンプシャー大を卒業後、1986年に処女長編小説「熊を放つ」を発表。この処女小説は、彼がヨーロッパで過ごした青春時代がもとになっている作品です。その後、再びウィーン大で3年間過ごした後、「水療法の男」(1972年)、「158ポンドの結婚」(1974年)を発表。(後に、この頃のウィーンでの生活から、映画化もされた傑作「ホテル・ニューハンプシャー」が生まれることになります)
 そして、1978年発表の「ガープの世界」が世界的ベスト・セラーとなり、彼は一躍1980年代を代表する作家の仲間入りを果たしました。

「・・・アーヴィングはいわゆる「現代文学」の硬直した価値観を大胆に無視して(ときにはむきになって蹴飛ばして)生きてきた人であり、その、ポイント・オブ・ヴューは80年代においては見事に鮮烈であり、若々しくもあった。しかし、80年代を通り越し、そのテーゼになおもせっせと磨きをかけ、それに沿って小説のフォームをますます強固にしていくことによって、そのぶんアーヴィングの作品から「自由な魂のそよぎ」のようなものが失われていったのではあるまいか、という僕の - 他人事だと思って勝手なことを言うみたいだけど - 個人的感想である。・・・・・」
村上春樹(編・著)「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」(2000年)中央公論新社

「僕が『物語の復権』という動きを最初に感じたのはジョン・アーヴィングの『ガープの世界』でした。それからティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』。それらを読んで『ああ、こんなのもありなんだ』と思いました。・・・」
村上春樹「村上さんのところ」

 確かに、彼の作品の魅力のひとつは、若いからこそのアナーキーさにあった気がします。それは彼自身が若かったからこそのものであり、落ち着く年代になるとそうはゆかないのはしかたのないこと。それはそれで、その世代ならではの魅力も生まれてくるのでしょうが、・・・・・。

<執拗な作家>
「アーヴィングはとにかく執拗なんだ。『本を買っているときの僕は、正面しか見えない目隠しをつけた馬のようなものだ』と彼は言う。執拗さは彼の人生のあらゆる局面に浸透している。畳み掛けるような反復的な文章のリズム、きれいな弧を描く彼のキャリア、友人たちや家族に対する誠実さ、強迫観念的に実行される日々の運動 - すべては執拗さに帰するものである。執拗さよ、汝の名はアーヴィング。」
ジョン・ポール・ニューポート「ジョン・アーヴィングの世界」(1994年)

 こうしたアーヴィングの執拗さは彼の代表作「ガープの世界」の主人公やその母親の性格にもよく現れていました。それは彼の小説に登場する個性的な人物の多くにも共通することといえるでしょう。

<体力の作家>
「・・・一冊の小説を書き上げるのに必要な三年か四年のあいだ、アーヴィングは早朝から夕方近くまで仕事をする。週に七日、一日の休みもなく。『僕は世界で一番才能のある作家とは言えないかもしれない』と彼は最近ある友人に向かって言った。『でもありがたいことに、僕は書き直すことができるんだ。僕はそのへんの誰にも負けないだけのスタミナを、作品にそそぎ込むことができる』・・・」
ジョン・ポール・ニューポート「ジョン・アーヴィングの世界」(1994年)

 村上春樹氏が、当初からジョン・アーヴィングを推し、自ら翻訳を担当していたのは、こうした彼のスポーツマン的な著作活動が自分と共通していたからかもしれません。いや、そんなことを彼は知らなかったけれども、作品にその姿勢が表れていたと考えるべきかもしれません。

<「ガープの世界」に生きる作家>
「『僕としてはむしろ金持ちになって、阿呆どもが「シリアス」と呼ぶところのものとは無関係に生きたいものだね』と(ガープは彼のエージェントに)言った。でも本当にそんなことが可能なのだろうか?
 現実のおぞましい世界からの孤立なら金で買うことができるだろう、というのがガープの正直な気持ちだった。彼は自分とダンカンとヘレン(と生まれたばかりの赤ん坊が、彼が呼ぶところの『人生の残り』に干渉されることなく、ちらりとも触れられることなく生活できる要塞のような場所を頭に思い描いた。」

ジョン・アーヴィング著「ガープの世界」より

 彼はその後、ヴァーモント州マンチェスター・ヴァレーの山の上にまるで要塞のような家を建てました。執拗かつ病的なまでの心配性。これもまた「ガープの世界」の主人公そのままです。

<父を知らない作家>
「彼は本当の父親を知らない。6歳の時、母親の再婚者の子となってから、行方不明の父親についての情報はまったくなく生死すらわからないままだった。『ガープの世界』を書いている頃、彼は実際に子育てをしていて、ガープと同じぐらい母性的な父だった」
ジョン・ポール・ニューポート「ジョン・アーヴィングの世界」(1994年)

 これまた「ガープの世界」の主人公といっしょです。そして、この父親を知らない少年の成長記録が彼の小説にとって最大のテーマになったわけです。そして、このテーマから生み出された重要な作品が、2005年発表の「また会う日まで」です。

<職人としての作家>
「・・・僕は『芸術』について、あるいは神聖な作品に注ぐスピリチュアルな情熱について、ねじりはちまきで四苦八苦している連中のことが、どうしても好きになれない。ものを書くのは技術なんだ。何かを建てることなんだ。僕は建築家として以前よりも優秀になっている」
ジョン・アーヴィング

<書きたいことを書く作家>
「イマジネーションに限りのある読者のことを考慮していたら小説家なんてかけやしないよ」
ジョン・アーヴィング

<エンターテイメントにこだわる作家>
「僕がペニスについて言及するのは、それよって読者の関心を話しに引き寄せるためだよ。ほら、人はないかというとそれを話題にするじゃないか」

「ディケンズはエンターテイナーだった。トルストイもエンターテイナーだった。フロベールもエンターテイナーだった。もし君が読者を楽しませることができないのなら、もし君が彼らの心をつかまえて手中に収めることができないなら、君は小説なんて書くべきじゃないんだ。そうだろう?それなら学術専門書でも書いていればいいんだ」
ジョン・アーヴィング
「また会う日まで Until I Find You」 2005年
<アーヴィング最長小説>
 「ガープの世界」で世界を魅了して以降、活躍を続けるアメリカを代表する作家ジョン・アーヴィングが、2005年に発表した自伝的な大作小説です。毎回長い彼の作品の中でも、この作品は最も分厚い本となったこともあり、一部には「長すぎる」という批判もあったようです。でも、彼の作品が長いのはいつものことで、エンターテイメント性の高さはいつも通りなので、上下2冊ですが、一気に読めると思います。特に、後半部分は映画ファンなら絶対ワクワクする内容なので楽しめるでしょう。自らがアカデミー脚色賞を受賞しているだけに、映画界の内幕話が実に興味深く描かれています。

<西加奈子とアーヴィング>
 直木賞受賞後の西加奈子さんのインタビューを見ていたら、彼女が尊敬する作家として、ジョン・アーヴィングの名前をあげていました。なるほど・・・彼女がプロレス好きなのは有名ですが、アーヴィングといえばレスリングは欠かせないスポーツです。しかし、それ以上に自らの人生をモチーフにして、そこから物語を紡ぎだす、その作話手法も似ている気がします。
 単に自分の人生を小説家することはガープのお母さんも禁止していましたが、アーヴィングの作品はデビュー作の「熊を放つ」から「ガープの世界」、「ホテル・ニューハンプシャー」など、どれもが彼のヨーロッパ放浪体験などをもとに書かれた小説でした。
 「父親の不在」、「ヨーロッパ放浪」、「レイプ」、「人種差別」、「作家としての苦悩」、「父親としての苦悩」・・・そこに彼の師匠的存在だったであろうカート・ヴォネガット作品からの影響が加えられることで、彼の小説は生み出されてきました。

<半自伝的作品>
 2005年発表のこの小説は、どうやらそんな彼の私小説的作品の集大成的な到達点ともいえそうです。この本の訳者あとがきには、アーヴィングの生涯について改めて書かれています。

 ジョン・アーヴィングの両親はまだ彼が小さかった頃、離婚しています。第二次世界大戦中、父親は空軍のパイロットでしたがビルマ上空で撃墜され、中国に逃げ延びたもののその後、行方不明になったままでした。
 彼は11歳の時、年上の女性から性的虐待を受けた経験があります。
 そして、2002年彼は行方不明になっていた父が残した子供、彼にとっての異母兄妹がいたことを知ります。二人の弟と一人の妹と彼が初対面した時、残念ながら父親はもうこの世を去っていました。彼はもっと早くなぜ彼らと逢えなかったのかと悔しがり、大きな精神的ショックを受けたといいます。この事件が小説のモチーフになったわけです。この作品が、過去の作品に比べて重い感じがするのは、そんな精神的なショックから彼が回復していなかったからかもしれないし、だからこそ最も厚い作品にもなったのでしょう。

<アカデミー賞授賞式>
 この小説には、アーヴィングが自作「サイダーハウス・ルール」の脚色によってアカデミー脚色賞を受賞した際の授賞式の場面が描かれています。他の候補者のことや授賞式後のパーティーなど、たぶん実際にあったであろう事実が描かれていると思われ、実に興味深い出来事の連続です。読者は、まるで自分も授賞式に出席しているかのように思えます。
 作品中に登場する映画や俳優、監督たちは、「地獄の黙示録」(F・F・コッポラ)、「アマルコルド」(F・フェリーニ)「素晴らしき哉、人生」F・キャプラ、「アメリカン・ビューティー」(サム・メンデス)、「マグノリア」、「リプリー」、「用心棒」、「オール・アバウト・マイ・マザー」、「タイタニック」、ハーヴェイ・ワインシュタイン(製作者)・・・

<あらすじ>
 ジャック・バーンズは刺青師の母親とともに行方不明の父親を追って、ヨーロッパを旅して回る少年時代をおくりました。

 当時、まだ刺青は記念品のようなものだった。旅の記録、あるいは一生一度の恋、失恋、立ち寄った港の思い出 - 。肉体が写真のアルバムになる。ただ、刺青そのものが写真的な表現にならなくてもよい。芸術性、美的快感はなかったかもしれない。だが醜いものではない。醜さを意図してはいない。その昔の刺青には感傷の味わいがあった。また、そういう気分にならなければ、体に墨を入れようとは思うまい。

 父親のウィリアムはパイプオルガン奏者として、各地の教会を巡っていたため、二人はその後を追っていたのです。しかし、結局二人は父親に会えず、そのまま故郷のカナダにもどります。

 みんなジェリコのバラを隠し持っているのではないか、とジャックは思った。目に見える普通の刺青とは限らない。無料サービスみたいに、どこか普通ではないものだ。それでも一生残るには違いない。皮膚の上には見えないだけ。

 その後、学校にもどったジャックは、父親同様に女の子たちにもてる少年時代をおくりますが、なぜか年上の女性たちとの関係が続きます。レスリングに熱中しながら、俳優をめざすようになった彼は、幼なじみのエマ・オーストラーと共にハリウッドに向かい、そこで役者の道を歩み始めます。

「一人だけの観客がいると思いなさい」ワーツ先生は言う。
「一人の心にふれる演技をするの」
「一人って誰ですか?」
・・・・・
 そんな一人なら、やはり父しかいなかった。ウィリアムを念頭に置いた瞬間から、ジャックは舞台人になりきった。カメラに映される人生の始まりだ。役者の仕事はたいして複雑ではないのだと、いずれ知ることにもなる。二段階しかない。まず観客に愛される。そうすれば泣かすこともできる。


 女装マニアのイケメン青年役で人気者となった彼は、しだいにハリウッドでその知名度をあげ、エマが書いたヒット小説「投稿リーダー」の映画化にあたり、脚色を担当します。

「人生とは配役の表みたいなもの」と、エマは「投稿リーダー」の中で書いた。
「出番だと言われれば、出ていく。ほかに決まりはない」


 しかし、ハリウッドでの活躍によっても、彼の心の穴は埋められず、母親の死をきっかけに再び父親の記憶をたどる旅へと出発します。

 要するに、いまのジャックは芝居をしていなかった。できなくなったようなのだセリフを忘れたわけではないのに、役柄に入れなくなっていた。妹がいる、愛する妹が。その妹も兄を愛すると言ってくれた。いまのジャックは演技することをやめていた。ただジャック・バーンズであるだけだ。ついに本物のジャック・バーンズになっていた。

 すると、その旅で彼は驚くべきことを知ることになります。

「また会う日まで Until I Find You」 2005年
(著)ジョン・アーヴィング John Irving
(訳)小川高義
新潮社



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