「ジュリア Julia 」 1977年

- バネッサ・レッドグレーブ Vanessa Redgrave、ジェーン・フォンダ Jane Fonda・・・etc. -

<年を経て輝きを増す映画>
 先日、久々にこの映画をテレビで見て、改めて感動しました。特にジュリアとリリアンがベルリンで再会する場面。ジュリアが見せた笑顔を見ただけで僕は泣けてきてしまいました。アカデミー助演女優賞は当然の演技です。この映画の原作となった主人公リリアン・ヘルマンの回顧録のタイトルは「ペンティメント Pentiment」。画家が作品を描く時に残した完成品とは異なる下書きの線が、絵が古くなってから透けた絵の具を通して見えてくることをいうそうです。
 僕自身が50歳を過ぎたせいか、この原作のタイトルは心にしみます。そのうえ、この映画が実話に基づいていること、そして、主人公を演じる二人の女優の生き様もまた闘いの人生だったことを思うと、年月がたつことで、よりこの映画の価値は増してくるような、そんな気がします。本当に良い映画は、アンティーク家具のようにその輝きを増し、時には「ペンティメント」によって見るものを驚かせてもくれるのです。

<激動の時代の再現>
 この映画の魅力のひとつに1930年代という激動の時代を見事に再現した映像がありえます。オープニングのダシール・ハメットのビーチハウスは実際はアメリカ東海岸のナンタケット島にあったらしいのですが、その雰囲気を求めてイギリスの北海に面する浜辺で撮影が行なわれたそうです。(映画「レッズ」に登場する劇作家ユージン・オニールのビーチ・ハウスの場面も同じようにイギリスで撮影されたそうです)
 そして、この時代のパリ。後に映画「噂の二人」の原作として知られることになる戯曲「子供たちの時間」を執筆中のリリアンが煮詰まって書けなくなっているのを見かねたハメットが、「それじゃあ、パリに行って来い」と言います。
 今でも「芸術の都パリ」といいますが、それはパリにルーブル美術館のような美術館や美しい街並みが並んでいるせいではなく、そこに集まる芸術家たちがもたらす熱気のせいでした。特に1919年に禁酒法ががアメリカで施行されるとお金のある芸術家たちはこぞってパリに遊びにに行くようになり、そこで新たな芸術が次々と生まれることになりました。この映画の中にも、姿こそ見せないもののアーネスト・ヘミングウェイジャン・コクトーの名前が出てきますが、他にもピカソエリック・サティー、ダンサーのディアギレフ、ココ・シャネルスコット・フィッツジェラルドドビュッシージョセフィン・ベイカーアンドレ・ブルトンらのシュルレアリストたちなど、あらゆるジャンルのアーティストたちがパリで活動を繰り広げお互いに影響を与え合っていました。そうした芸術の異常なまでの盛り上がりの裏には、芸術の破壊者として歴史に名を残すことになるナチス・ドイツが迫りつつあるというギリギリの緊張感があったことも確かでしたが、1933年にアメリカの禁酒法が廃止になり、ドイツでヒトラーが総統兼首相の座につくと、パリの黄金時代は終わりを向かえることになります。

<ジェースン・ロバーズ>
 この場面のダシール・ハメットを演じるジェースン・ロバーズ Jason Robards の渋いこと・・・。彼が自らの作品で描いた「マルタの鷹」、「血の収穫」など元祖ハード・ボイルド小説の数々は、彼の生き方をそのまま文章化したからこそ生み出せたのかもしれません。これぞ男が目指すべき理想の中年像です。ほんのチョイ役ながら、彼はこの映画で前年の「大統領の陰謀」に続き2年連続でアカデミー助演男優賞を獲得しています。たぶんハリウッドの男優、女優ともに憧れの存在が彼だったのでしょう。彼の主演作であり、サム・ペキンパーの代表作のひとつ「砂漠の流れ者」(1969年)は必見です。

<ジェーン・フォンダ>
 この映画でゴールデン・グローブ主演女優賞を受賞したリリアン・ヘルマンを演じたジェーン・フォンダ Jane Fonda は、1937年12月21日ニューヨークに生まれています。父親はもちろん、アメリカを代表する人気俳優ヘンリー・フォンダです。ただし、浮気を繰り返し、ついには母親を自殺に追い込んだ父親のヘンリーとは、彼がその死の間際に出演した「黄昏」で共演するまで絶好状態が続いており、それが彼女の反体制的生き方の原点になったと言われています。
 早くから女優として活躍していましたが、23歳の時、ジュシュア・ローガン監督の「のっぽ物語」で映画デビュー。その後、フランス映画界の巨匠ロジェ・バディムと結婚し、彼の監督作「バーバレラ」(1968年)などに出演。しかし、この頃からベトナム戦争に対する反戦運動に深く関るようになり、バディムとの関係は破綻してしまいます。
 1973年、アメリカにおける反体制派のリーダー的存在だったトム・ヘイデンと再婚。政治に関心を持つアーティストが多いハリウッドの中でもその先鋭的存在として、俳優としてよりも政治活動の方が注目されるようになりました。しかし、その後1970年代半ばを過ぎると再び彼女は女優として活動を本格化させ名作に次々と出演します。この作品もその一つで、他にも「帰郷」(1978年)、「チャイナ・シンドローム」(1979年)、「9時から5時まで」(1980年)、「黄昏」(1981年)などがあります。
 そんな女優の枠に収まらない彼女にとって憧れの存在だったのが、この映画で共演者としてジュリアを演じたバネッサ・レッドグレーブです。なんとジェーンは自分の娘に「バネッサ」という名前をつけているそうです。同じ年生まれの二人は、この映画のリリアンとジュリアの関係に似ているともいえそうです。

<バネッサ・レッドグレーブ>
 バネッサ・レッドグレーブ Vanessa Redgrave は、1937年1月30日ロンドンに生まれています。ジェーン同様、彼女の父親マイケル・レッドグレーヴもまたイギリスを代表する有名な舞台俳優で、やはり子供の頃から俳優としてシェークスピア劇などに出演。その後、1958年に「仮面にかくれて」で映画デビュー。1962年イギリスの名監督トニー・リチャードソンと結婚。その後、イタリアの名優フランコ・ネロとの間に独身のまま子供をもうけ「未婚の母」となり、ウーマンリブの闘士として政治活動にも関ってゆきます。(イギリス労働党から選挙に出馬もしています)こうした活動の中で彼女はジェーン・フォンダと知り合うことになり、闘う女性の象徴的存在として、お互いに同志と認め合い友情が生まれることになりました。
 こうした二人の関係があったからこそ、ジュリアとリリアンのレズビアンでもなく友人でもない新しい人間関係を演じることが可能だったのでしょう。

<リリアン・ヘルマン>
 では、この映画の主人公リリアン・ヘルマンとはどんな人物だったのでしょうか?
 リリアン・ヘルマン Lillian Hellman は、1905年6月20日アメリカ南部ルイジアナ州のニューオーリンズに生まれています。1924年にニューヨークに出てニューヨーク大学、コロンビア大学で学んだ後、劇作家を目指します。そして、彼女がデビュー作として発表し、大きな話題となった作品、それがこの映画のオープニングで彼女がタイプライターに向かって苦闘していた作品「子供たちの時間」でした。
 「子供たちの時間」は、その後、「ローマの休日」などで有名な巨匠ウィリアム・ワイラーによって2度映画化されています。特に有名なのは、1961年の作品「噂の二人」で、ここではオードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーンが共演。女性の同性愛を描いた作品として大きな話題となりました。その他にも彼女は、ベティ・デイビス主演の「偽りの花園」(1941年)など、何作も戯曲が映画化されており、20世紀前半を代表するアメリカを代表する戯曲作家となりました。この映画は、そんな彼女が回顧録として1974年に発表した作品を映画化したものです。
 実際のリリアン・ヘルマンはどんな女性だったのか?どうやら彼女はこの映画の主人公よりもずっと気が強く、しっかり者で、どちらかといえば強い女性であるジュリアの方が近い人間だったそうです。しかし、そうなったのは、かつてリリアンがジュリアと別れた後、彼女の死を知った時からだったのかもしれません。多くの人は出会いと別れの中で新しい自分を発見し、それを身につけることで成長して行きます。だからこそ、彼女は後に訪れる「赤狩りの時代」も自らの意思を貫き通し、後の女性アーティストたちに勇気と誇りを与える存在となって行きます。
 1950年代、彼女自身は共産党員ではありませんでしたが、ダシール・ハメットが共産党員だったことから彼女も赤狩りの対象となります。しかし、彼女は議会での証言を拒否し友人たちを守り通しました。もちろん、ジュリア亡き後、彼女のそばにダシール・ハメットという素晴らしい同志であり恋人がいてくれたことも忘れてはいけません。

<ダシール・ハメット>
 リリアンを支えた作家ダシール・ハメットは、1984年5月27日メリーランド州セントメリー・カウンティに生まれました。ハードボイルド小説の確立者として有名な彼の人生は、リリアンとはまったく異なるものでした。
 貧しい家庭に生まれ、13歳で学校を中退した彼は、生きてゆくために新聞の売り子、運送業の事務、鉄道工夫など様々な仕事を転々とした後、有名な私立探偵社ピンカートンの事務所に9年間勤めました。そして、この時の体験をもとにして彼は推理小説を書き始めます。文学青年ではなかった彼の文体は、余計な飾りのないシンプルで渇いたスタイルとして注目を集めるようになります。そして、これが「ハードボイルド小説」の原点となります。
 彼は1929年から1934年までのわずか6年間しか執筆せず、リリアンが作家デビューする頃にはもう作家活動から離れていたようです。しかし、映画化された「マルタの鷹」や「影なき男」意外にも「血の収穫」や「ガラスの鍵」など多くのハードボイルド小説の傑作を残し、推理小説だけではなくその後の文学全体に影響を与える存在となりました。

<フレッド・ジンネマン>
 最後にこの映画の監督フレッド・ジンネマンについてもふれなくては、・・・・・。
「地上より永遠に」(1953年)「わが命つきるとも」(1966年)で2度アカデミー作品賞、監督賞を受賞している巨匠フレッド・ジンネマン Fred Zinnemann。彼は1807年4月29日オーストリアのウィーンで生まれています。ウィーンで音楽家を目指すものの才能はないことに気づきウィーン大学の法学部に入学します。ところが、在学中に映画にのめりこむようになり、パリにできたばかりの映画技術学校に入学。その後、映画の先進地だったベルリンでカメラマン助手をつとめた後、ハリウッドに渡り、あの伝説的名画「西部戦線異状なし」に俳優として出演しているといいます。しかし、映画監督となるための訓練はハリウッドではありませんでした。彼はドキュメンタリー映画の創始者ともいわれる監督ロバート・フラハーティの助監督を勤めた後、再びベルリンに戻ります。彼はこの映画の舞台となった1930年代のベルリンを実際に生きた人物でもあるのです。
 
<それぞれの生き様から生まれた映画>
 こうして、それぞれの生き様を見てみると、この映画はそれぞれの才能が絡み合い、それぞれの思いをこめることで「リリアンとジュリアの物語」を過去の出来事として蘇らせるだけではなく、より深みのある人間ドラマへと高めたのだということがよくわかります。
 その他のスタッフも充実しています。「普通の人々」や「ペーパー・ムーン」など渋い映画の脚本で有名な脚本家のアルヴィン・サージェント。「華麗なるギャツビー」や「冬のライオン」など格調高い作品を撮り、その後はインディー・ジョーンズ・シリーズの撮影も手がけることなるカメラマンのダグラス・スローカム。「突然炎のごとく」や「まぼろしの市街戦」などフランス映画の名曲の作曲を担当し、ハリウッドに進出したフランスの作曲家ジョルジュ・ドルリュー。それぞれ一流のスタッフたちが、最高の仕事をしていていることも忘れられません。

 「ペンティメント」のように、それぞれのアーティストたちの思いが透けて見えることで、この映画は時代を越えて人を感動させる奥の深い傑作となりえたのです。映画もまたアンティーク作品となりうる、この映画はまさにその証明といえる作品です。

<追記>2012年3月
以下はポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集-」より
「『ジュリア』という映画の照明をすぐれていると形容しても、ダグラス・スローカムの撮影を正当に評価したことにはなるまい。すぐれているどころではない。完璧なのだ。色彩は輝きに満ち、構図はあたかも静物画のように一分のスキもない。・・・
 それはまさに、一つのカットが月間最優秀スチール写真と言ってもおかしくない「名画」なのだ。」


「ダーウィン、エンゲルス、ヘーゲル、アインシュタインの理論にも精通したこのフロイト学者でマルクス主義者でもある知の女王は、ヴァネッサ・レッドグレーブ以外の女性が演じたらほとんど冗談に見えたことだろう。長身でたくましい肉体のレッドグレーブは、この世のものとも思えぬ、おとぎ話の人物のような神経性をたたえていて、イプセンの「海から来た女」の舞台で思う存分見せた肉体の豊かな存在感と貫禄を、この映画でも見事に活かしている。彼女ほど自然に女王然と振る舞える女優はほかにいないだろう。・・・
 ある場面では、彼女は全身を包帯に包まれて病院のベッドに横たわっている。口を利くことができないので、手を使って意思を伝えるのだが、その大きな手はおそらく映画史上最も表現力に富んだ手である。・・・」



「ジュリア Julia」 1977年公開
(監)フレッド・ジンネマン
(製)リチャード・ロス
(原)リリアン・ヘルマン
(脚)アルヴィン・サージェント
(撮)ダグラス・スローカム
(音)ジョルジュ・ドルリュー
(出)ジェーン・フォンダ
   バネッサ・レッドグレーブ
   ジェースン・ロバーズ
   マクシミリアン・シェル、メリル・ストリーブ、ハル・ホルブルック

<あらすじ>
 リリアンとジュリアは少女時代からの仲良しでしたが、ジュリアはイギリスへ留学、そのままヨーロッパで学業を続け、オーストリアでフロイトに学ぶためにウィーンへと向かいます。リリアンは、人気作家のダシール・ハメットと恋人同志となり、彼の薦めもあり作家を目指してタイプに向かい始めます。しかし、処女作に行き詰まってしまった彼女にハメットは、パリに行ってくるよう進めます。芸術家が集まる街パリで彼女はジュリアが大ケガをして入院していることを知り、急いでウィーンに向かい彼女と久々に再会します。
 その後、彼女の消息は途絶えていましたが、数年後、作家としt成功しロシアに向かう旅の途中、彼女の前に謎の男が現れジュリアからの依頼を伝えます。それはジュリアのお金をパリから運び、それをベルリンで仲間に渡して欲しいというものでした。それは、ユダヤ人をドイツから脱出させるための資金なので、大きな危険を伴う仕事でした。ためらう彼女に男は、けっして無理しないようにと言い、返事のための時間を与えます。
 ジュリアを尊敬するリリアンは、その仕事を引き受けベルリンへと向かう列車に乗ります。彼女は無事にお金を渡すことができるのでしょうか。

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