- k.d.ラング k.d.lang -

2005年4月1日追記

<魅惑の声>
 この人の魅力は、なんといってもその声にあります。と言っても、その声はカサンドラ・ウィルソンのように深みのあるものではないし、シャーデーのようなクールでグルーブ感のあるものでもありません。いわゆるクセのある声ではないのです。僕が一番似ていると思うのは、カーペンターズのカレンの声です。透明感があり美しく良くとおるその声は、一歩間違うとイージー・リスニングとして最適ということにもなってしまいます。しかし、カレンの美しい歌声の影にも、精神的な苦しみや完璧さを追求する努力が隠されていたように、k.d.の歌声にも、その美しさを生み出すにいたる苦悩がありました。

<カントリー・シンガーとしてのスタート>
 k.d.ラング(k.d.lang本名はKathlyn Dawn Lang)は、1961年11月2日カナダのアルバータ州コンソートという人口わずか650人の町に生まれました。父親は薬学系の学者で母親は教師という固い家庭に育ちました。5歳の時に地元の歌唱コンテストで優勝、歌手という職業を転職と考えるようになった彼女は、ピアノとギターを勉強してカントリー系のシンガー・ソング・ライターとしての活動を始めました。その後自らのバンド、ザ・リクラインズを結成、地元のエドモントンを中心に活動した後、インディーズ・レーベルからデビュー・アルバム"A Truly Western Experiense"(1984年)を発表しました。そして、彼女はカントリーの枠に収まらないアーティストとして評価を得、その名を国外にまで知られるようになってゆきました。こうして、彼女はメジャー・レーベルのサイアーと契約を結ぶことになり、2作目のアルバム"Angel With A Lariat"(1987年)からはアメリカも視野に入れたカントリー系シンガーとして活躍を開始します。

<メジャーへ>
 3rd アルバム"Shadow Land"(1988年)を発表後、伝説のロックン・ローラー、ロイ・オービソンとデュエットした"Crying"はグラミー賞のボーカル・コラボレーション部門の最優秀賞を受賞。1989年発表の4th アルバム"Absolute Torch And Twang"では、ついにグラミー賞のベスト女性カントリー・ヴォーカル賞を受賞し、カントリー歌手としての頂点に達しました。しかし、カントリー歌手という枠、そして女性という枠に居心地の悪さを感じながらも、なんとか収まっていたのはこの頃まででした。

<パッツィー・クラインの影響>
 当時のk.d.について語るうえで、はずすことのできない女性アーティストがいます。それはカントリー音楽における伝説のアーティスト、パッツィー・クラインです。かつて、k.d.はパッツィーの伝記物語のミュージカルに主演し、彼女の虜になったことがあります。その時彼女は、自分が30歳という若さで事故死したパッツィーの生まれ変わりだと思いこむほど、その役にのめり込んだといいます。彼女がデビューしたときのバンド名「ザ・リクラインズ」は、Patsy ClineのClineからとられているほどです。

<カミング・アウト>
 1991年彼女は映画「サーモンベリーズ Salomonberries」という作品の主役に抜擢されます。監督は、パーシー・アドロン。大ヒット曲「コーリング・ユー」でも有名なカルト・ムービー「バグダッド・カフェ」の監督です。その映画での彼女の役は、「男装の麗人」的役どころだったのですが、その後彼女は1992年6月、ゲイ&レズビアンの雑誌インタビューで自分が実際にウーマンズ・ゲイであることを公表します。これは当時たいへんな話題となりました。それまで女性アーティストが自らゲイであることを公表するということは、まったくなかっただけに、彼女はその公表の反響をかなり恐れたといいます。しかし幸いにして、その心配はまったく無用でした。
 こうして、今までの精神的苦悩から解放された彼女は、音楽的にもカントリーの枠を完全に越えるアルバムを生み出すことになりました。

<「カウガール・ブルース」>(追記2003年8月25日)
 k・dは、1993年の映画「カウガール・ブルース」の音楽を担当しています。ガス・ヴァン・サント監督のこの作品は、伝説のヒッチ・ハイカーが過激なフェミニズム運動家集団でもあるカウガールの仲間となり、そこで人生について学んで行くという物語?です。主役のユマ・サーマンのヒッチ・ハイク・ポーズの素敵さ以外、あまりパッとしない作品でしたが、彼女の音楽はこの映画の中で、ぐっと光っていたように思います。

<「アンジャニュウ Ingenue」>
 それが全世界で800万枚もの売上を記録した大ヒット・アルバム「Ingenue アンジャニュウ」(1992年)だったのです。それまで彼女はあくまでカントリーの歌手だっただけに、僕も含めほとんどの人は、このアルバムで初めて彼女を知ったといえるはずです。
 アルバム・タイトル「アンジャニュウ」というのは、お芝居などで用いられる言葉で、「世間知らずのお嬢様」といった意味らしい。「イノセント・レディー(無垢な女性)」とせずに、あえてコミカルな言葉を使うあたりは、同じように女性アーティストとしてはアウトサイダー的存在のビョークやP.J.ハーヴェイのようにテンションが高い人たちとは、またちょっと違う精神的余裕、大人っぽさが感じられます。

<元気な女性アーティスト時代の先駆け>
 ちょうどこの頃、今までの女性アーティストの枠からはみ出す存在が次々に現れています。上述の二人だけでなく、アラニス・モリセット、リズ・フェア、フィオナ・アップル、ミシェル・ンデゲオチェロ、シンニード・オコーナー、メアリー・J・ブライジ、ローリン・ヒル、マリーザ・モンチ、エリカ・バドゥ、アジアでは、椎名林檎やフェイ・ウォンなど、1990年代は元気な女性アーティストたちの時代だったとも言えるでしょう。
 k.d.ラングは、かつてジョニ・ミッチェルリッキー・リー・ジョーンズ、ケイト・ブッシュに憧れていたといいます。これら時代を切り開いた素晴らしいミュージシャンたちがいたからこそ、彼女たちの影響を受けて、同じ時期に世界各地から一気に数多くの優れた女性アーティストたちが現れたのかもしれません。
 しかし、前述の女性たちの多くが、男性との対決姿勢を前面に打ち出しているのに対し、自ら女性を愛することを宣言したk.d.が、かえって女性らしさを感じさせるのは、当然のことなのかもしれません。

<一流のヴォーカリストへ>
 彼女のもつ優れたヴォーカリストとしての資質が生かされた傑作が、次作の「ワールド・オブ・ラブ all you can eat」(1995年)でした。前作がオーケストラを用いたヨーロッパ的でゴージャスな雰囲気をもつ作品だったのに対して、このアルバムはループと打ち込みを多用したシンプルな構成になっており、その分彼女の歌の美しさと優れたグルーブ感が生かされていました。その無駄を省いたストイックな歌は、まるでボクサーのようです。(こんな喩えでは彼女に怒られてしまうのかな・・・)
 その後彼女は、1997年"Drag"、2000年"Invincible Summer"、2001年にはライブ・アルバム"Live by Request"を発表。コンスタントに活躍を続けていますが、以前ほどのヒットには恵まれておらず、ちょっと目立たなくなってきているかもしれません。
 カミングアウトの話題性によって、良い意味でも悪い意味でも注目されていた1990年代前半は、彼女にとって音楽的にもテンションの高い時期だったのかも知れませんが、その後もけっして彼女の歌声の魅力は失われてはいないように僕は思います。

<追記>
 2005年に、彼女はカナダ人作家たちに捧げたトリビュート・アルバム"Hymns of the 49th parallel"を発表しています。ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン、ブルース・コバーン、ロン・セクスミスニール・ヤングらの曲が取り上げられていて、全部は聞いていませんが、凄く良いみたいです。けっしてコマーシャルではないものの、この調子で良い歌を歌い続けてほしいものです。
 とにかく、僕は彼女の歌声が大好きです!

<締めのお言葉>
「最も基本的な原理とは、すなわち他のものを絶対に傷つけてはならないというものだ。他のものの中には、一切の人間だけでなく、ありとあらゆる生命および今ここに存在するすべてのものを含んでいる。そうしたものを傷つけないためには、支配しないこと、言い換えればそれらを巧みに操ったりしようとはしないことだ」

ダグ・ボイド著「ローリング・サンダー」

<パッツィ・クライン Patsy Cline小伝>
 パッツィは、ヴァージニア州ウィンチェスターに1932年9月8日に生まれました。母子家庭の家計を支えるため子供の頃から歌手になり、15歳でカントリーの殿堂グランド・オル・オプリーにデビューしました。1956年ナッシュビル・レコードと契約し、デビュー曲"Walkin' After Midnight"をいきなりヒットさせます。一時は、ポップス界への進出をはかるが失敗。
 美人でプロポーション抜群の彼女は、恋多き女だっただけでなく浪費家でもありスピード狂でもありました。結婚と離婚を繰り返す荒れた生活の後、自動車事故を起こし歌手生命の危機にみまわれます。しかし、歌手という仕事をあきらめきれなかった彼女は、強い意志をもって復活に賭け、「アイ・フォール・トゥー・ピーセズ」を見事に大ヒットさせました。さらに「クレイジー」も大ヒットし、カントリーの枠を越えたポップス界の人気者となりました。
 1963年、自動車事故で亡くなったDJのチャリティー・コンサートに出演後、帰りの飛行機が墜落、30歳という若さでこの世を去りました。死後彼女の「スウィート・ドリームス」が大ヒットし、アメリカのカントリー界における伝説的アーティストとなったのです。
 1980年代の終わり、イギリスのバンド、フェアグラウンド・アトラクションが彼女の"Walkin' After Midnight"をカバーし、その後1991年、彼女の再評価がなされ「クレイジー」が全米12位のリバイバル・ヒットとなりました。(もちろん、k.d.の活躍の影響もあるはずです)
(パッツィーの伝記は、「スイート・ドリームス」というタイトルで映画化もされています。アメリカにとって彼女の存在は、かなり大きなもののようです。ちなみに、この映画の主演は、k.d.ラングならぬジェシカ・ラングでした)

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