冒険家が選んだノンフィクション文学傑作選


「冒険家の日々本本」より

- 角幡唯介 Yusuke Kakuhata -
 このサイトで以前取り上げた名著「空白の5マイル」の著者、角幡唯介は、今や日本を代表する冒険家です。しかし、彼が書いた「探検家の日々本本」を読んでビックリ!書評家として、エッセイストとしての角幡さんの才能に脱帽です。
 彼がここで紹介しているのは、その多くがノンフィクションで冒険の本が中心。こうしたジャンルの本については、どれが面白いのか?なかなかわからないので、この本は大いに参考になりまそうです。
 そんなわけで、ここでは僕が今後読みたい本をリストアップしておく目的も兼ねて、「角幡文庫」で扱われている本を紹介しておこうと思います。ジャンル別に分類しておくので、是非、読書の参考にしてください。本当は、彼の文章の魅力を味わってほしいので、是非、実際の本書をお読みいただければと思います。

<ノンフィクション部門>

作品をジャンルごとに大雑把に色分けしておきました。
冒険・登山などの記録・エッセイなど
事件・戦争・人物の歴史・評伝など 
生物・民族・自然の研究など 

「Ice Blink」 スコット・クックマン
北極で消えたフランクリン探検隊の悲劇 
「アフガン諜報戦争」 スティーブ・コール 
ソ連の侵攻からアフガニスタン史とCIAの活動を描いたノンフィクション
「1491」 チャールズ・C・マン 
コロンブス以前の時代にアメリカ大陸に住んでいた北米・南米インディオの文化を調べたノンフィクション 
「宇宙創成」 サイモン・シーン 
「フェルマーの最終定理」の著者による解りやすい最新宇宙論 
「A3」森達也
オウム真理教による犯罪の真相に迫ったノンフィクション
・・・森達也の本は、常にシーンの連続だ。新聞記者はデータとして有用な内容ばかり重宝するから、シーンは不要な情報として切り捨ててしまう。しかし映像を撮っている人はシーンの中に相手の本音を見つけ出す。だから森はインタビューの時に見たシーンを常に文章の中で表現しようとする。そこにノンフィクション作品としての完成度の高さを感じる。 
「エヴェレストより高い山」 ジョン・クラカワ― 
登山家でもある著者によるエッセイ集 
「オオカミと人間」バリー・ホルスタイン・ロペス
オオカミの生態やその歴史、人間との関係を描いたノンフィクション 
「狼の群れと暮らした男」ショーン・エリス、ペニー・ジューノ
・・・どういい繕っても歴史的に探検は侵略の尖兵であり、アフリカ黒人の奴隷貿易、インドの植民地化、アヘン戦争、アメリカ白人によるネイティブ・アメリカンの虐殺などなど、大航海時代以降の侵略者たちによる数え切れないほどの世界史の汚点と今に連なる悲劇は、すべて探検がきっかけであったといっても過言ではない。つまり探検という言葉の裏には、探検された側の血の雨が降っているのだ。そんな歴史がある以上、ぼく探検家ですと嬉々と表明することにためらいを覚えるのは当然であろう。

 ただ、彼の行動が探検だった本当の理由は、彼がもたらした知見や情報の目新しさにあるのではなく、彼が野生オオカミの視座を獲得できたところにある、と私は思っている。
 群れの一員となることで彼は、人間の見る世界とはまったく違う、オオカミの見る世界に足を踏み入れたのだ。
「オスカーワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス
ドミニカ系アメリカ人オスカー・ワオとその一族の波乱の歴史
「完全なる敗北」ヒュウ・イームズ
悲劇の冒険家フレデリック・クックの評伝 
「奇跡の生還へ導く人」ジョン・ガイガー
 危機的な極限状態で現れる救世主「サードマン」についてのノンフィクション
 「奇跡の生還へ導く人」によると、サードマンが現れやすい条件というのがあるらしく、ひとつには自然環境や行動が単調であることが重要であるという。そのため平らな氷原を延々と歩く極地探検では比較的出没例が多いそうだ。

・・・極限的な冒険は精神的な要素が強い行為である。現在だと、こうした現象を体験しても脳認知学や神経学、心理学による解釈で説明を試みるだろう。しかしもし、初期のキリスト教の修道士やチベット仏教の隠者が山岳や洞穴で瞑想中にサードマン現象を体験したら、そこに神や天使の姿を見るはずだ。つまり現代の探検家や冒険家が体験している状況は、世界の真理を見つけるために荒野に向かった昔の修道士や隠者の体験に近い、ということである。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也
プロレスに転向し大成功した力道山に挑戦した柔道界最強の男は、なぜ力道山との闘いで敗れたのか?その裏側に挑んだノンフィクション
 ここまで見事に予断が転覆し、そしてそれを作品化した例を私は知らない。もしこれが取材と同時並行で書き進めた連載でなければ、たぶんこの作品は陽の目をみなかっただろう。単行本の書下ろしや取材がすべて終わった時点で書きはじめるような連載だったら、いろいろと熟慮した挙句、作品化することを断念していたかもしれない。あるいは予断が崩壊した時の感情を薄めて、全体的に整合性をつけて作品にしていたかもしれない。しかし取材で予断が崩壊した時、この連載は進行中だったという。すでに読者がいる以上、こっちの都合で中断するわけにはいかない。
 その結果、増田さんはそのひっくり返された予断を臨場感たっぷりの感動的な言葉で表現することになった。
 
「グーグル革命の衝撃」NHKスペシャル取材班
検索サイト「グーグル Google」誕生秘話とそれが世界をどう変えることになるか?NHKスペシャルの書籍化作品
「荒野へ」 ジョン・クラカワ― 
映画イン・トゥ・ザ・ワイルドの原作となったアラスカでこの世を去った若者クリス・マッカンドレスの評伝 
凍える海 極寒を24ヶ月生き抜いた男たち」 ヴァレリアン・アルバーノフ
北極海で氷に閉じ込められ、船を捨てて島へと向かった男たちのサバイバル・ツアー 
「これが見納め」 ダグラス・アダムス 
絶滅危惧動物たちを追って世界を旅したルポ 
「コロンブスそっくりそのまま航海記」 ロバート・F・マークス(朝日新聞出版) 
コロンブスが行った航海を忠実に再現した記録 
「サバイバル!」服部文洋(ちくま文庫)
「狩猟サバイバル」 服部文洋(みすず書房) 
「人体冷凍 不死販売財団の恐怖」ラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ
アルコ―延命財団による「不死」商法の内幕を暴露したノンフィクション 
「信仰が人を殺すとき」ジョン・クラカワ―
1984年に起きたモルモン教原理主義者による母子殺害事件に迫るドキュメント 
「神話の力」 ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ 
 人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でも、ほんとうに求めているのはそれではないでしょう。人間がほんとうに求めているのは<いま生きているという経験>だと私は思います。純粋に物理的な次元における生命経験が自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する。それを求めているのです。

 意味なんてありません。宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。そしてあなたは自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。

「唯一の正しい知恵は人類から遠く離れたところ、はるか遠くの大いなる孤独のなかに住んでおり、人は苦しみを通じてのみそこに到達することができる。貧困と苦しみだけが、他者には隠されているすべてのものを開いて、人の心に見せてくれるのだ」
カナダ・エスキモーのシャーマン、イグジュ・ガルジュクの言葉 
「西南シルクロードは密林に消える」高野秀行
著者の角幡が「空白の5マイル」を書く際の目標になった東南アジア奥地の紀行作品 
「世界しあわせ紀行」エリック・ワイナー
世界各地の幸福度の高い国を旅した幸福な記録文学 
「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」ローリー・スチュワート
2001年、タリバン崩壊後のアフガニスタンを犬と共に旅した記録 
「戦場の掟」 スティーブ・ファイナル 
イラク戦争で活躍したアメリカの傭兵警備会社の活動を描いたノンフィクション(ピュリッツァー賞受賞) 
「空へ」 ジョン・クラカワ― 
1996年エヴェレストで起きた遭難事件の真実に迫ったドキュメント 
「哲学者とオオカミ」 マーク・ローランズ(白水社) 
オオカミとの生活を行った記録 
「倒壊する巨塔」 ローレンス・ライト(白水社) 
9・11同時多発テロ事件の真実に迫った本格的なノンフィクション 
「父さんのからだを返して」ケン・ハーバー
父親の遺体を標本として奪われたイヌイットの少年の記録 
「同性愛者たち」 井田真木子 
 極端な言い方をすると、新聞記者は事実に関心がない。新聞記者が関心があるのは、それが事実かどうかではなく、それが事実として書ける素材であるかどうかであり、より正解にいば、それが書けるということが誰かによって認定されているかどうかである。そもそも本当に事実がどうかなど、誰に分るというのだろう?新聞は独自で事実認定する努力を事実上放棄しているのだ。

・・・井田さんはそれを新聞記事のように双方の言い分を聞いて、足して2で割ったような、分かったような分からないような表面的な事実の羅列に終わらせるのではなく、徹底的に同性愛者側に身を置くことで双方の事実の向こう側に横たわる事実性を捉えようとするのだ。
「同性愛者と同性愛についての確かな実感が欲しかった」と彼女は書いている。
 この言葉の持つ意味は深いと私は思った。
 なぜなら実感がないと、書き手は事実の向こうに横たわる事実性を永久に発見できないし、表面的な事実に内実を伴わせることもできないからだ。ノンフィクションを書くには、たとえそれがどのようなテーマであれ、絶対に皮膚感覚レベルの実感が必要なのだ。
 そして同時に、私がこの作品を読んで思ったことは、実感を得るためには、結局のところ自らもプレイヤーとして立ち振る舞わなければならないのだろうか、ということだった。
 
「日本人の冒険と創造的な登山」 本多勝一 
「ノンフィクション新世紀」石井光太
1980年~2012年のノンフィクション文学の傑作選などを記した本 
「東ヒマラヤ探検史」 金子民雄 
著者の角幡が「空白の5マイル」で目指すことになるツァンポー川上流域について書かれた探検記録 
「百年前の山を旅する」 服部文洋 
昔の登山隊や荷役衆の足跡をたどる旅の記録 
「ピダハン」 D・L・エヴェレット 
アマゾンに住む少数民族ピダハンとキリスト教の伝道師エヴェレットの30年間の交流記録。
著者はピダハン語がこれまでの言語理論に属さないことを明らかにし、現代文明を捨ててピダハンの仲間入りをします。 
「フェイスブック 若き天才の野望」 デヴィッド・カークパトリック 
フェイスブックの開発者、マーク・ザッカーバーグの評伝 
「ブラックダリアの真実」 スティーヴ・ホデル 
ブライアン・デ・パルマにより映画化もされた1947年ロスで起きた「ブラックダリア事件」の真相 
「Frozen in Time」 ジョン・ガイガー 
北極で全滅したジョン・フランクリン探検隊の記録 
「ベスト&ブライテスト」 デイヴィッド・ハルバースタム 
「北極圏1万2千キロ」 植村直己 
 要するに植村直己の怖さを感じる感受性の限界ラインは常人よりも一段階上なのだ。彼は暗闇に対する本質的な怖さを感じていなかったか、あるいは感じていたとしてもそれに蓋をして突き進むことのできる人だった。単に精神構造の違いか、あるいはそれまでの経験でもっと怖いものを見てしまっていて、そのへんの感受性が少し摩耗していたのか・・・。いずれにしても、だからこそ2シーズンもぶっつづけで極夜の中を疾駆し、1万2千キロも駆け抜けることができたのだろう。
 文章が天真爛漫としているのでそうは思わせないが、大変失礼な言い方をすると、彼に少し壊れていたころがあったのかもしれない。
 
「北極潜航」 W・アンダーソン 
原子力潜水艦ノーチラス号による北極海での潜水航海の記録 
マイ・バック・ページ 川本三郎 
1960年代学生運動がピークを迎えていた時代を背景にした映画評論家、川本三郎の自伝的青春録 
「マン・オン・ワイヤー」 フィリップ・プティ 
映画「ザ・ウォーク」の原作となったワールド・トレーディング・センターでの究極の綱渡り 
「メモワール」 小林紀晴 
写真家である著者が同業者である古屋誠一をカメラで追った20年に渡る記録 
「メルトダウン」 大鹿靖明 
2・11東日本大震災後の福島原発の混乱を描いた窮迫のノンフィクション 
「ヤノマミ」 NHK出版 
アマゾン奥地に住む部族ヤノマミの謎に迫ったNHkスペシャルの書籍化版 
「誘拐の知らせ」 J・ガルシア=マルケス 
1990年に起きたコロンビアの悪名高いメデジン・カルテルによるジャーナリスト誘拐事件 
「赦す人」 大崎善生 
一世を風靡したSM作家、団鬼六の評伝 
「腰痛探検家」 高野秀行 
「ロスト・シティZ」 デイヴィッド・グラン 
探検家パーシー・ハリソン・フォーセットと謎の古代都市のノンフィクション
「私のように黒い夜」 ジョン・ハワード・グリフィン
白人である著者が黒人に変装して、差別が残る南部を旅して体感した異色の記録文学 


<小説部門>
「越境」コーマック・マッカーシー 
「俺俺」星野智章 
「苦役列車」西村賢太 
「告白」町田康
明治26年、二人の男が10人の村人を次々と惨殺した「河内十人斬り」をモチーフにした小説 
「西行花伝」辻邦夫 
「すべての美しい馬」コーマック・マッカーシー 
「小さいおうち」中島京子(2010年) 
「月と6ペンス」サマセット・モーム(1919年) 
ハーモニー伊藤計劃 
「パンク侍、斬られて候」町田康 
「笛吹川」深沢七郎
戦国時代の甲斐の国で苦難の人生を歩んだ農民一家の歴史 
「平原の町」コーマック・マッカーシー 
「マザーズ」金原ひとみ(2011年) 
ザ・ロードコーマック・マッカーシー 
「ロング・グッド・バイ」レイモンド・チャンドラー(訳)村上春樹 

<参考>
「探検家の日々本本」
 2015年
(著)角幡唯介 Yusuke Kakuhata
幻冬舎

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