- カレル・チャペック Karel Capek (後編) -

<ロボットの原点「R.U.R.」>
 戯曲「R.U.R.」の舞台は、ロッサムズ・ユニヴァーサル・ロボッツ製造会社(R.U.R.)のロボット工場がある島です。R.U.R.社の娘ヘレナは人間とそっくり同じに作られ人間以上の作業をこなすロボットについての説明を聞かされます。すでにそのロボットは完成しており、そのロボットによって社会から「労働」が消え、人類にとっては夢のような未来が訪れると社内の人間のほとんどが信じていました。
 それから10年後のこと、ロボットの活躍は確かに社会を変えていました。ただし、その頃女性たちは子供を産まなくなり始めていました。ユートピアとなり働き手を必要としない社会では子供を産む必要もなくなっていたのです。そして、それは人間の存在価値が失われたことと同義ではないのか?そう自問し始めた人間たちの前に、ラディウスという一台のロボットが登場します。彼は「何も造り出さず、無意味な言葉を発するだけの人類はロボットにとって不必要である」と宣言。人類を抹殺するため、ロボットたちを扇動し暴動を起こします。(映画「ターミネーター」はまさにこの戯曲のパクリです!)感情をもたず完璧に指令を実行するロボットたちはあっという間に人類を地上から消し去ってしまいます。
 ロボットの開発者のうちただ一人だけが殺されず、新しいロボットを造るようロボットたちに命令されます。しかし、彼は心をもつロボットを生み出すために必要な秘密を知っていましたが、それを明かそうとはしませんでした。そして、ロボットたちに悔しかったら自分たちの力で繁殖してみろと言い放ちます。ところが、彼はその時ロボットたちの中に愛し合っているカップルがいることに気づきます。そして、驚くと同時に感動した彼はこう言います。
「生命は再び愛から始まる。その始まりは裸んぼの小さなものであるだろう。それは荒野に根付く。・・・愛よ、おまえはごみの山の上に咲け、そして、生命の種を風にゆだねるがいい」

 彼は人類が迎えつつある新しい未来社会についてこうも語っています。
「現代文明が到達した唯一の完全性は機械的なものである。機械は完全無欠である。しかし、彼らに仕える生命は、または、彼らに仕えられる生命は、すばらしくもなければ、光り輝いても、完全でもなく、見てくれもよくない。・・・」

<戯曲「虫の生活」>
 1921年、彼は虫たちを擬人化したブラック・ユーモア劇「虫の生活」を発表。その中では明らかに当時チェコ国内でも力を伸ばしつつあった共産主義に対する批判が描かれていました。
 彼は「人間は自らの力で自らを救済すべきであり、何かの宗教や信条、主義に頼るべきではない」と生涯主張し続けていました。そして、「なぜ私はコミュニストではないか」というエッセイも書いています。
「私はコミュニストになることはできません。なぜなら、コミュニズムの道徳は援助の道徳ではないからです。また、社会制度の排除を主張しますが、それは必ずしも貧困という社会悪の排除ではないからです。・・・」
「・・・人間精神の最も非道徳的な贈り物は普遍化の贈り物です。経験を蓄積する代わりに、一事が万事、単純に普遍化してすべてを見てしまうのです。・・・憎悪、無知、徹底的不信。これはコミュニズムの心理的世界です。・・・」

 彼はしかし人間という存在を信じていました。
「・・・それでも人間は『自分自身をもちあげる』ことができる。垂直にというのが無理なら、斜めにならできる。・・・すべての間違いは、きっと、私たちが、「自らを救済する」という代わりに「救済される」ということに慣れているせいだろう。・・・」

<小説「絶対子工場」>
 1922年、彼は新聞の連載小説というかたちで長編小説「絶対子工場」を発表します。
 チェコの発明家マレクという人物が原子の分裂によって膨大なエネルギーを生み出す方法を発見します。この発見によって無限のエネルギーを得たことで、人間社会は大きな変化をとげることになります。ところが、この無限のエネルギーは同時に不思議なパワーを発揮、人間に聖なる恍惚感をもたらすことも明らかになります。「カルブラートル」と名付けられたこのエネルギーは、いつしか「神」として信仰の対象ともなり始めます。そして、「神」のごとき存在「カルブラートル」をめぐってついに世界大戦が始まります。そして、最後に戦争を生き延びた人々がこんな話をしています。
「いいかな、ある人が信じるものが大きければ大きいほど、それを信じない者たちをそれぞれ激しい怒りをもって軽蔑するのです。ですからね、たしかに、最大の信仰とは人間を信じることかもしれない」
「誰もが人類ということになれば、すごく好意的に考えます。しかし、人間ひとりひとりに対しては『ノー』です。おれは貴様を殺す、しかし、人類は救済しようというのでは困ります。神父様、世界は人間が人間を信じ始めない限り、よくはならないでしょう」

 驚くのは彼が核分裂によって生じる「原子力」をこの時期に小説の題材として取りあげていたことです。確かにイギリスの物理学者ラザフォードは1919年原子の崩壊を実験によって確認していますが、まだ量子力学という学問分野は生まれたばかりで、その分野の重要が論文「不確定性原理」(ウォルフガング・パウリ)と「量子論の確立」(ニールス・ボーア)が発表されたのはともに1927年、まだまだ先のことでした。「原子力」が未来を大きく変えることになるとは、まだ誰も認識してなかったはずです。

<戯曲「マクロプロス事件」>
 1922年、次ぎに彼は「マクロプロス事件」という戯曲を発表しています。このお話は膨大な資産をもつ名家の遺産相続についての裁判から始まります。そして、この裁判を解決に導いた謎の女性の正体が実は300年前に実在した錬金術師の娘だということが明らかになります。その娘は父親が調合した不老不死の薬によって300年間生き続けていたのでした。そして、その娘は主人公たちに自らが使ってきた薬の処方箋を渡そうとします。そして、その時彼女はこう言います。
「人間は三百年も愛することはできないわ。三百年なんて望むことも、作ることも、見つめることもできゃしない。それを維持できない。幸せに生きるなんて退屈だし、ひどい生活に生きることも退屈よ。・・・あなた方は少なくとも生きている。でも、あたしたちのなかでは生命は停止してしまっている・・・愚かな者たち、あなた方はこんなにも幸せじゃありませんか!・・・」
 彼はこの作品の発想を有名なロシアの生物学者メチニコフが発表した「老化とは身体組織の自家中毒である」とした理論から得たとのことです。

<病と恋に悩む日々>
 彼はこの頃長年の恋人オルガとは別の女性に恋をしています。そのお相手は、ブルノ大学の教授令嬢ヴィエラ・フルーゾヴァーでしたが、彼女に対しても彼は単純に愛情を告白できず、こんな手紙を書いています。
「ヴィエラさん、人生で価値のある唯一のものがある。それは自由だ。もし愛と自由とどちらを選ぶかと言われたら、僕は自由を選ぶ。・・・バラ色の手枷より、黒い羽根の方がましだとね。・・・」(ちょっとカッコつけすぎでは?)チャペックにとって幸いなことに、ヴィエラは1923年別の男性と結婚することにより、自ら恋に決着をつけました。
 この時期、彼は恋に悩むと同時に自らの持病にも苦しみ、それらが原因で精神的な病いにおちいっていたようです。そのため、彼は療養も兼ねてしばらくイタリアに滞在し、そこからオルガに手紙を出しています。
「僕は弱い人間だ。しかし、僕の弱さのなかに僕の力がある。僕の悲しさは僕に痛みを与えない。僕の疲労、それは同時に僕の思索だ。僕の拒否、それは同時に僕の潔さだ。僕は少し人とは違っている。そして少し変わっている。でも、でも悪い人間ではない。なぜなら愛しているから、君を、人々と全世界を自分よりももっと愛しているからだ。・・・」

<小説「クラカチット」>
 1924年、彼は小説「クラカチット」を発表します。小説のタイトル「クラカチット」とは、原子がもつエネルギーを解放することによって壊滅的な破壊力を発揮する新型爆弾の名前です。(これはまさに原子爆弾そのものですが、原子爆弾が開発されるのは、まだ20年も先のことです)
 この小説はクラカチットの開発者とそのアイデアを横取りしようとする人々との争い、クラカチットを造ろうとする国の王女との恋などが描かれた冒険アドヴェンチャー的内容です。と言っても、そこには彼ならではの思想が込められています。主人公であるクラカチットの開発者が世界を支配しようとたくらむ男に誘惑されるシーンがあります。
「あなただって世界の独裁者になりたいでしょう。よろしい。世界を平伏させたいでしょう。結構。永久平和、神、新しい秩序、革命などを強制して世界を幸福にしたいでしょう。いやなわけがない?じゃ、お始めなさい。・・・」(これは聖書の中でイエス・キリストが悪魔に誘惑されるシーンのSF版ということでしょう)

 クラカチットをめぐる争いが原因で最後にクラカチットは爆発してしまいます。かろうじて生き延びた主人公は、夢の中で見知らぬ老人と出会い、こう言われます。
「・・・お前は世に祝福も与えず、また滅ぼすこともしない。お前の中には石に閉じこめられた火のごとく、多くのものが留まることになろう。それでいいのだ。それはいけにえとされるのだ。あまりにも大なるを成さんとすれば、成しうることもまた小なり。それもまたよし」

 1924年、彼はイギリス・ペン・クラブの招待でイギリスを訪問。大英帝国博覧会などを見学。イギリスの発展に驚くと同時にさらにそのうえを行くアメリカの工業化社会について、こんな考察をしています。
「・・・アメリカの仕立屋は一日にコートを三枚仕上げることができます。一方、われわれの仕立屋は一日に一枚です。同様にアメリカの仕立屋はわれわれの三倍稼ぐことができますが、三倍分の人生を消化しているかどうかとなると問題です・・・だからヨーロッパの人間は非常に効率の悪い労働機械だといえます。しかしそれはヨーロッパの労働者がまったく機械であるということです」
(エルメス、グッチのようなヨーロッパの有名ブランドとアメリカの大衆ブランドGAPとの関係がすでにあったわけです)

<大統領のブレーンとして>
 彼がペンをとっていた民衆新聞は、もともと地方紙のひとつでしたが優秀な編集長のおかげでしだいに部数をのばし、さらにチャペックら知識人たちの活躍により非コミュニスト系新聞の中心になっていました。
 さらにこの新聞は誕生したばかりのチェコ第一次共和国を積極的に応援。チャペックが毎週開いていたパーティーには当時の大統領T.G.マサリクも参加しており、いつしか彼は大統領のブレーンとして意見を述べる存在になっていました。(このパーティーのメンバーが政権にとってのシンク・タンク的存在になっていたようです)

<趣味の人として>
 彼は多くの仕事を抱えていたにも関わらず、多才な趣味をもつ男としても有名でした。兄と共同で建てた郊外の家で園芸に凝り出すと自ら勉強してセミ・プロ級の園芸家にまでなり「園芸家の一年」というエッセイ集を発表。この作品は彼の小説に匹敵する古典的名作として未だに売れ続けています。
 また犬や猫などペットにも熱中。子供向けの犬の童話「ダーシェンカ、または子犬の生活」など、ペットについての本も書いています。その他東洋の絨毯や民族音楽のレコードの収集、カメラ、絵などにも凝っており、多才な趣味人として多くのエッセイを書き残しています。
 彼はどんな状況になっても、そこから興味や楽しみを見出すことのできる才能を持っていました。こうした、彼の生き方はしだいに窮屈になろうとしていた社会情勢のもとでも変わることはなく、おかげで彼は最後の時まで幸福感を失うことなく生きてゆくことができました。

<ドイツの侵攻とチェコの死>
 1933年1月、チェコの隣国ドイツでは多くの人々が恐れていたことが現実となりました。ファシスト党の指導者アドルフ・ヒトラーがついに権力の座についたのです。これは何を意味するのか。チャペックにはそのことがすぐに理解できました。
 国内に多くのドイツ人が住むチェコではすでにヒトラーの影響を受けたファシスト・グループが活動を活発化しており、ドイツにとってチェコはすぐにでも占領することができる国となっていました。このままでは、チェコの国としての命は風前の灯火でした。
 そのうえ、ドイツではファシスト党の権力掌握に対して多くの知識人が沈黙してしまい、それと同じようにチェコ国内でも知識人たちはしだいにファシスト的な考え方に対し、批判の声を上げなくなっていたのです。こうした状況のもと、彼はペンによる抗議の姿勢を貫きとうします。
「・・・教育の使命は両腕いっぱいの遺産を保持することである。どうしようもないことだが、このことだけは言わずにおくわけにはいかない。文化はとくに人類のあらゆる作品との関連を呈示する。だからそれを失うわけにはいかないのだ。たとえ何か新しいものを作ったとしても、それは先行する作品の継続なのである」
「文化は自分自信を継続させ、文化を制約しようとするいかなるものにも屈服しない勇気と力を持たなければならない。・・・」

 残念ながら、状況はさらに悪化、自由な意見を発表することは困難となり、ファシズム批判はそのまま死を意味するようになります。しかし、それでもなお彼は抗議の姿勢を変えず、新たな作品を発表します。こうして、彼の最高傑作と呼ばれる小説「山椒魚戦争」(1936年)が発表されることになりました。

<小説「山椒魚戦争」>
 そう遠くない未来。ある船が太平洋を航海中に不思議な山椒魚を発見します。彼らは二本足で歩き、なおかつ人間から学んだことをどんどん憶える能力をもっていました。ある金持ちが、この山椒魚に目を付け、安価で優秀な水中作業員として飼育繁殖させ、販売する会社を設立します。初めは海底の真珠を取ることから始まった彼らの仕事はどんどん高度なものへと発展。いつしか彼らは独自の水中文化を築き始めます。
 その後、地上では山椒魚への差別が社会問題となりますが、山椒魚たちはしだいに自らの手で地球の改造に着手、自分たちが住みやすいように地形を変え、人類の住む土地を奪ってゆきます。そしてついに山椒魚と人類は、種の生き残りをかけた闘いを始めるのでした。
 いったい山椒魚とは何なのでしょう?そのことについて、こう書かれています。
「最も恐ろしいのは、あの何でもすぐに覚えてしまう、それでいて愚かで、見ただけで胸がわるくなる、文明化された可もなく不可もないタイプのものが同一規格品として大量に、それも何百万どころか何億という規模で増殖してしまったということだ。それとも、いや、そうじゃない。いちばん恐ろしいのは、彼らがこれほどまでに実績をあげているということだ。機械や数を操作することを覚え、世界に君臨するには、これで十分ということがあきらかになったということだ」
(ここから思い浮かべられる言葉は、「一般大衆」「戦後の日本人」「最近の中国」「全体主義国家」などでしょうか)

 では誰が彼らを育てたのでしょうか?そのことについてはこう書かれています。
「・・・ヨーロッパの五分の一がもうすでに水浸しになったというのに、いまでさえ、まだ、山椒魚に火薬や魚雷や採掘場を提供しているのは誰だ?それにこの『世界の終末』のために、新しい『大洪水』のために、金を出しているのは誰か?『知ってるさ。すべての工場。すべての銀行。すべての国家、だろう?』」

 さらに物語の最後に驚くべきことが明かされています。それは山椒魚たちの独裁者が実は人間であるという事実です。
「本当の名前はアンドレアス・シュルツで大戦中はどこかの戦場で曹長だった」

 この人物がアドルフ・ヒトラーのことを示しているのは明らかでした。と言っても、この作品はただ単に独裁者のことを批判をしているだけではなく、人類の文化についての物語として時代を越えた普遍性をもっていることにこそ価値があります。しかし、ここまで書いたからには、この作品によって自分が死ぬかもしれないことを彼は当然意識するようになったはずです。

<生き急ぐ人生>
 この作品を発表する前の年、彼は突然長年の恋人オルガと結婚しました。それはまるで自分の人生の残り時間を知り、生き急ぎ始めたかのような決断でした。この頃、彼はノーベル文学賞の候補にも挙がっていたのですが、「山椒魚戦争」のもつ政治的なメッセージはあまりに重かったため、審査委員会は彼への授与を尻込みしていました。そして、彼に対し政治性を取り除いた作品を書くように求めてきたのだそうです。(ノーベル賞を与えるため)しかし、その依頼に対し彼は、「もう卒業論文は書き終えているので遠慮させてもらいます」と言ったそうです。
 1938年ミュンヘンで西側列強国とドイツの間で合意が成立。チェコは戦わずしてドイツの領土となってしまいました。多くの政治家や知識人がこれを機に海外へと亡命しますが、チャペックは祖国を離れようとせず、ペンをとり続けます。当然、彼への攻撃は日増しに強まっていました。

<祖国とともに死んだ男>
 そんなある日彼の住む街を大きな嵐が襲い、彼が大切に手入れしていた庭が滅茶苦茶になってしまいました。彼は嵐が過ぎると庭の復旧作業に時を忘れて熱中し、そのために風邪をひいてしまいす。もともと身体が弱かった彼はその風邪をこじらせてしまい、しだいに体力を失ってゆき、あっさりとこの世を去ってしまったのです。
 大好きな庭仕事をして、あの世へと旅立った彼の最後は、けっして不幸なものではなかったかもしれません。大好きな女性とも結婚。ノーベル文学賞に手が届くほどの傑作も残しました。そして、大嫌いなファシズムのリーダーであるヒトラーにも自分のできる範囲で一撃を食らわせることができたのです。
 皮肉なことに、彼の兄はその後ドイツによる占領下ですぐに収容所に送られ、そこで死を迎えています。その意味では、彼は祖国の死とともにこの世を去ったために、その後のあまりに悲惨な状況を知らずにすんだとも言えます。
 彼が49歳を目の前にして息を引き取ったちょうどその日、「民衆新聞」には彼の最後の文章が掲載されました。
「どうしたらいいんです。国と国との間がすごく遠くなってきました。私たち誰もがだんだん孤独になっていきます。君は家から一歩もでないほうがいい。門をしめ、窓を閉じたほうがいい。門をしめ、窓を閉じたほうがいい。門をしめ、窓を閉じたほうがいい。そして、今こそ私たちすべてを愛してほしい。・・・」
それはあまりに悲痛な叫びでした。

<締めのお言葉>
「勝負はわたしの負けだった。その途端、このチャンスの手がどれも昔ながらのもので、いつか誰かがやっていたような気がした。われわれの指し手も決して初めてのものではなく、その昔のと同じ敗北にいたることを感じた。
 おそらく、同様に上品でもの静かなベラミー氏が、かつて象牙海岸で黒人を狩り、ハイチやルイジアナに運ぶ途中、船倉でくたばるのにまかせたのであろう。このベラミー氏は何も悪気があったわけではないのだ。心はやさしいのだ。だからこそ手がつけられないのである。
『黒の負けだよ』ベラミーは得意そうにいってから席を立つと伸びをした」

カレル・チャペック著「山椒魚戦争」より

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