悩めるモラリスト作家が書いたワイマール共和国の終末


「ファビアン あるモラリストの物語 Fabian Die Geshichte eines Moralisten」

- エーリッヒ・ケストナー Erich Kästner -
<ケストナー、もう一つの顔>
 エーリッヒ・ケストナーといえば、文句なしに「エーミールと探偵たち」、「飛ぶ教室」の作者でしょう。うちの子供たちも彼の児童小説が大好きでした。ドイツで制作された現代版の映画「飛ぶ教室」も面白かった。しかし、ケストナーの本国ドイツでの彼のイメージは、児童文学の作家ではなく戯曲作家、評論家、詩人など多彩なもので、ナチス・ドイツに抵抗した作家としても有名です。
 ここで取り上げる小説「ファビアン」もヒトラー率いるナチスによって焚書の対象になっています。1933年5月10日に行われた首都ベルリンでの公開焚書で、彼は自身の著作が燃やされるのを目撃していたといいます。そこまでされても、彼は最後までドイツから脱出することはなく、故国で終戦を迎えています。
 終戦後もしばらく出版されることがなかった本書は、その後、彼自身が「まえがき」を追記することで1950年に再度出版され、2013年には初版時にカットされていた部分を追加し、文体もよりオリジナルに近づけたものが出版されました。
 改めて、この作品を読んで驚かされたのは、様々な文章が今の日本の社会に合わせて書かれているように思えることです。例えば、・・・

「今さ、30歳で結婚できるやつって、いるか?失業してるやつもいるし、明日にでも失職するやつもいる。これまで一度も就職したことのないやつもいる。ぼくらの国は、後の世代が生まれてくるってことに、準備できてないんだ」

<1920年代末のドイツ>
 もしかすると、この小説で描かれている1920年代末から1930年にかけてのドイツ(ワイマール共和国)の社会状況は非常に特殊なものかもしれません。もしくは、今の日本に似ているのかもしれません。1917年に始まった第一次世界大戦に破れたドイツは、多額の賠償金を支払うことになり、経済が破たん状態になりました。それでも、持ち前の忍耐力と技術力により、ドイツはなんとか立ち直ろうとしますが、1930年に世界恐慌が始まるとその努力も水の泡となります。そんな危機的状況の中、ドイツ国民に残された選択肢は、自分たちの国の未来をヒトラー率いる「ナチス」に預けるか、ソ連のリーダーとする「左翼」に預けるかのどちらかになってしまいました。

 啓蒙によって世の中が幸福になる保証はない。けれども、せめてみんなが「頭」をもてば、最悪の不幸は避けられるのではないか。そうケストナーは考えていた。だが、「頭」(つまり理性)を中軸におくことによって、啓蒙主義は空回りしはじめる。なぜか。それは、ブレヒトの言葉とヒトラーの言葉を比較すれば、よくわかる。

「ナチに投票するほど国民が愚かだとは思っていなかった」

ブレヒト
「大衆は馬鹿だ。感情と憎悪だけでコントロールすることができる」
ヒトラー
(訳者あとがきより)

 この作品で描かれているのは、そうなる直前のドイツ全体が揺れていた最後の時期です。しかし、主人公のファビアンや彼の友人ラブーデには、この先の危機的な状況がおぼろげながらも見えていたのでしょう。それが「ヒトラー」という狂気の英雄によってもたらされることも、その男をトップに立たせるのがドイツの大衆であることも予測できていたのかもしれません。

「われわれはね、同時代人の数人が卑劣だからといって、破滅したりしないでしょう。また、そんな連中の数人が、地球を管理している連中の数人と同一人物だからといって、われわれは破滅したりしないでしょう。われわれは、関係者全員の心が怠惰なため、破滅するのです。われわれは、変化を望むけれど、自分自身の変化は望まない。『なんのために他のやつがいるんだ?』と誰もが考えて、自分はロッキングチェアにすわって、ゆっくりからだを揺らしている。・・・・」
ファビアンの同僚で経済部デスク、マルミ―の言葉

 そうした危機の時代に抗おうとプロレタリアートの側に立つ友人ラブーデに対して、誰よりもクールなファビアンはこう言います。

「君は権力をもちたいんだ。小市民を集めて、そのリーダーになるつもりなんだ。そしてそれから、天国そっくりの文化国家を建設する役に立つつもりなんだ。言っておくけど、その天国でだって、みんな顔をなぐり合うだろうさ!そんな天国なんか実現しないだろう、ってことは別にして・・・・。」

 なぜ、ファビアンはそんなにもクールな人間になってしまったのでしょうか?

<戦争の後遺症と次なる悲劇>
 第一次世界大戦の戦場で死なずにすんだとはいえ、ファビアンの仲間の多くはそこで命を落としました。ファビアンの異常なまでのクールさは、そうした体験や罪の意識からきているのでしょう。思えば、そうした戦場での心の傷は、第二次世界大戦でPTSD(心的外傷後ストレス症候群)を負ってしまったJ・D・サリンジャーが書いた「ライ麦畑でつかまえて」のもつ「無常観」と似たものをこの作品に感じるのは、そのせいかもしれません。

「・・・目の前に迫っている未来は決まっていた。ぼくはブラッド・ソーセージに加工されるんだ。それまでにぼくは、なにをするべきだった?本を読む?人格を磨く?お金を稼ぐ?ぼくは大きな待合室にいた。ヨーロッパという名前の待合室だ。一週間後に列車が出る。それをぼくは知っていた。だが列車がどこへ行き、ぼくがどうなることになっているかは、誰一人知らなかった。そして今、ぼくらはまたもや待合室にいる。待合室の名前は、またもやヨーロッパだ!そしてぼくらはまたもや知らない。なにが起きるのだろうか、は。ぼくらは暫定的に生きていて、危機に終わりはないんだ!」
ファビアンが語った戦争での体験について

 ただし、「ライ麦畑でつかまえて」の主人公とは違い、ファビアンは大人であり、現状の把握ができていました。ただし、自分に何ができるのかをわからずにいたのです。いや、何もできないと諦めていたというべきでしょうか。

・・・ファビアンはまだ手伝うことも、精力的に動くこともできない。どこで動けばいいのか、誰と同盟を結べばいいのか、わからないからだ。自分と自分に似た者たちに向けてスタートの合図のピストルが鳴らされるまで、ファビアンは静かな場所に行って、山からその時の来るのに耳を傾けていようと思った
 ファビアンはカフェを出た。しかしファビアンの計画は、逃走ではないのか?行動しようと思う者にとっては、どんな時にも、どんな場所でも、現場があるのではないのか?何年も前からファビアンはなにを待っているのか?
 ファビアンは今、この世界という劇場の俳優になるのだと信じているが、そうではなくて、もしかしたら、観客になる運命をもって生まれてきたのだ、という認識を持っているのかもしれないのでは?


 思い悩んだ末、突然、彼が選んだ選択は正しかったのでしょうか?ただし、モラリストである彼にとって、その選択の結果がどうなろうとも、そこには大いなる「価値」があったのだというある種の核心はあったに違いありません。

・・・数学的に考えれば、プラス・マイナス・ゼロだ。ふたりとも所有金額は以前と変わりがないのだから。しかし心優しい行為は取り消されることがない。道徳の方程式は、算術の方程式とは別の道を歩いている。
(自分に会いに来た母親のポケットに、別れ際、20マルク札を入れたファビアンでしたが、彼のポケットにもやはり母親からの20マルク札が入っていたことに気づきます。親子は共に同じことを考えていたわけです。しかし、その20マルク札には、明らかにプラスの効能があったことは明らかでした)

<警鐘と脱出への呼びかけ>
 小説によって大衆を啓蒙するなんて、今どきあり得ないと思われるかもしれません。しかし、ケストナーの児童小説が今でも多くの人に読まれているのは、そこに訳知り顔の「啓蒙主義」が小説の中に感じられないせいです。そこにあるのは、「啓蒙」ではなく、状況をちょっとだけ誇張して、それをわかりやすく表現し、そこから脱出しようというささやかな「呼びかけ」なのです。

 ケストナーは1950年に追記した「まえがき」でこう書いています。
 当時の大都市の状態を描いている本書は、詩や写真のアルバムではなく、風刺なのだ。あったことをそのまま記述せず、誇張している。モラリストたる者、自分の時代に突きつけるのは、鏡ではなく、ゆがんだ鏡。カリカチュアは芸術の正当な手段であり、モラリストのなしうる究極のものである。・・・モラリストの定席は今も昔も、勝ち目のない持ち場である。その持ち場でモラリストは全力をつくす。モラリストのモットーは、昔からずっと、そして今も、「それにもかかわらず!」なのだ。

<退廃美の1920年代>
 さらにこの小説が魅力的なのは、その性描写の過激さです。「これが100年前の話なの?」と驚かされますが、この時代のヨーロッパはまさにそんな退廃的で自由に満ちた時代だったのです。同時代に書かれた小説に、ここまでリアルに時代の描写されているのは珍しいことです。「ローリング・トウェンティーズ」と呼ばれた西欧最後の黄金時代は、経済的繁栄だけでなく、文学、音楽、美術、ファッション、哲学、科学・・・あらゆるジャンルの学問・文化において天才たちが活躍し、お互いに刺激を与えあっていました。しかし、それはアメリカを中心とする経済圏のバブルに支えられていて、その恩恵を受けないドイツ人はいち早くそこから先の危機的状況を体験し始めていたのです。
 だから今日では当時よりもっと理解されないだろうが、『ファビアン』は「不道徳な」本などではなく、明らかに道徳的な本なのだ。原題は『犬どもの前に行く』(破滅に自ら向かう)いくつかの極端な章とともに、最初の版元に却下されたのだが、この原題を本のカバーに掲げるだけで、著者ははっきり伝えるつもりだった。そう、この小説には明確な目標があった。警告しようとしたのだ。ドイツが、そしてドイツとともにヨーロッパが、奈落に近づきつつあることを、警告しようとしたのだ!この小説は、適切な手段で、ということはこの場合、あらゆる手段で、という意味でしかないのだが、最後の数分に強要しようとしたのである。よく聞いて、よく考えるように、と。
ケストナーの「まえがき」(1950年)より

 ケストナーにとって文学は、読者が日常をよりよく過ごすための、エンターテイメントや啓蒙の道具。深刻な認識とか孤高の芸術をめざさなかった。しんねりむっつりが多いドイツ文学ではめずらしい姿勢である。深さよりは浅さを、鋭さよりは月並みを、曖昧さよりは明快さを大切にした。ケストナーは、男らしく、簡潔で、ダンディなスタイリストだった。
(訳者による「あとがき」より)

<エーリッヒ・ケストナー>
 エーリッヒ・ケストナー Erich Kästnerは、1899年2月23日ドイツの古都ドレスデンに生まれました。名門のライプツィヒ大学でドイツ文学を学んだ後、1927年に首都ベルリンで新聞や雑誌で演劇批評などを書き始めます。ドイツにおける芸術の黄金期とも言われる「ワイマール共和国時代」、彼もまた自らのキャリアにおける黄金期を迎えます。
 1928年「エーミールと探偵たち」、1931年「点子ちゃんとアントン」、1933年「飛ぶ教室」と児童文学の傑作を発表し、詩人としては、「腰のうえのハート」(1928年)、「鏡のなかの騒音」(1929年)、「ある男が報告する」(1930年)などを発表。そして、1931年には、この小説「ファビアン」が書かれています。
 この小説のタイトルを彼は当初「犬どもの前に行く」か「病気の若者」と考えていたといいます。「犬どもの前に行く」というのは、弱っている獲物が猟犬の前に出て、猟犬に食べられてしまうことをいいます。「自ら破滅に向かう」という意味です。気になるのは、彼が児童文学の傑作の中で描いていた人生を明るく前向きにみる視点と「ファビアン」で描いている未来社会への暗い予測、いったいどちらが彼の本意なのか?ということです。もちろん、それは「時代の空気」や彼の年齢と共に常に変化し続けたのでしょうが・・・。彼は戦争が終わるまで、国を離れませんでしたが、ナチスに表立って反抗したわけでもありませんでした。それはファビアンと同じように「逃げた」とも考えられる行動だったのかもしれません。彼は終戦を迎えるまで、悩み続けていたのでしょう。
 エーリッヒ・ケストナーという作家は、自作の主人公「ファビアン」のように深く深く思いつめたモラリストだったからこそ、永遠に少年たちの心をつかみ、信頼を得ることができる小説を書けたのではないか?僕はそう思っています。

「ファビアン あるモラリストの物語 Fabian Die Geshichte eines Moralisten」 1931年
(著)エーリッヒ・ケストナー Erich Kästner
(訳)丘沢静也
みすず書房

「飛ぶ教室」 2003年
(監)トミー・ヴィガント
(原)エーリッヒ・ケストナー
(脚)ヘンリエッテ・ビーバー、フランツィスカ・ブッフ
(撮)ペーター・フォン・ハラー
(音)ニキ・ライザー
(出)ウルリッヒ・ヌーテン、セバスチャン・コッホ、アーニャ・クリング、ビート・クロッケ

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