「わたしを離さないで Never Let Me Go」

- カズオ・イシグロ Kazuo Ishiguro -

<どう書くべきか?>
 小説「わたしを離さないで」を読んだ時、このコーナーにどう書こうか考えてもまとまらず、結局お蔵入りにしてしまいました。ところが、2011年、この小説の映画化とその公開にあわせて、映画の製作総指揮でもある著者が来日し、NHKが彼のインタビューを交えたドキュメンタリー番組「カズオ・イシグロを探して」を放映。それを見て、やっとこの小説について書けそうな気がしてきました。
 SFファンの僕としては、この小説におけるクローン技術の使用の仕方には疑問を感じざるを得ませんでした。根本的に、臓器移植のためにクローン人間を造ることを社会が許容するは思えません。イギリスのような先進国ならなおのことです。もし、それが世間から隠れたところで密かに行われたとしたら、クローン人間にわざわざ教育することはしないでしょう。さらに最新の技術においては、万能細胞を利用することで、すべての臓器を人工的に造ることが可能になりつつあります。そうなると、この小説の前提が崩れてしまいます。(この小説が書かれた時点ではその技術のことは明らかになっていなかったのですが・・・)
 しかし、彼の今回のインタビューを見ていて、考えが変わりました。彼にとって、物語へのクローン技術の導入はあくまで二次的なものであったことがわかったからです。彼は1990年に初めてこの小説を書き始めましたが、途中で挫折。その後も一度書き始めたものの結局完成させられなかったそうです。その頃、彼が書こうとしていたのは、クローン人間のことではなく、あくまで「限定され縮められた人生」を生きる人にとって「記憶」とは何なのか?そのことを追求することに目的がおかれていて、そのための納得できる設定が見出せなかったのだそうです。ところが、1997年、イギリスでクローン技術の最先端技術によってクローン羊のドリーが誕生。そのことを知った彼は、さっそくその技術を物語に導入することで小説を完成させたのでした。どうしても最新の科学技術を持ち込むとSF小説として読まれることになりますが、この小説はあくまでも寓話と考えるべきなのでしょう。
 彼の父親は海洋学者で完全な理系の頭脳をもっていたようです。しかし、その息子のカズオは、科学的思考は苦手で父親の科学話にはついてゆけなかったといいます。どうやら彼にSF小説を書けということ自体無理があるようです。彼はインタビューで「小説の中にだけ目をむけてほしい」と語っています。もう一度、彼の生き方を振り返りつつ、「わたしを離さないで」を読み直してみたいと思います。

<幻の母国日本>
 カズオ・イシグロこと石黒一雄は、1954年11月8日長崎市で生まれています。1960年、彼が5歳の時、海洋学者だった父親が北海の油田調査チームに加わるため、家族でイギリスに渡り、サリー州のギルフォードに住むことになりました。1960年といえば、まだ日本人が海外で働くなど稀な時代でしたから、日本人学校も少なかった時代です。そのため、彼は地元の小学校に通うことになり、そこで英語を用いて勉強することになりました。彼自身は、当初1,2年で日本に帰れると思っていたようですが、結局家族はそのままイギリスに住み着きます。こうして、彼はほとんど日本語を話せない不思議な日本人としてイギリスで成長することになったわけです。
 彼の日本への望郷の思いはその後も変わらず、国籍は日本人のまま大人になりました。1982年、作家としてデビューした年、日本語も話せず日本の思い出もない自分が日本人でいることに意味はないと感じた彼はついにイギリス人へと国籍を変えます。しかし、彼の小説にとって、幻の母国日本の記憶はなくてはならない存在でした。

<アメリカ的青春時代>
 彼が青春時代を迎えた1970年代の初めは、世界中で巻き起こった学生運動が行き詰まり、シラケの時代に入った頃でした。若者たちは目標を見失い、それぞれが新たな目標を求めてさ迷っていました。そんな中、彼が目指していたのは科学者ではなくミュージシャンになることでした。ロックミュージシャンになることを夢見ていた彼は、アメリカのヒッピー・ムーブメントに憧れて、アメリカ国内を3ヶ月間放浪。その後、イギリスに帰った彼は、様々な仕事を転々としながらミュージシャンを目指すものの、結局その夢は叶いませんでした。
 当時、彼はホームレスの収容施設で働いていたこともあり、そこで彼はアルコール中毒者や薬物中毒者、人生を捨て家族も捨てたホームレスなど、様々な人々と出会いました。「人生の敗残者」と世間から言われているそうした人々が、何を心の支えに生きているのか?そんな疑問を持っていた彼は、彼らの多くが過去の思い出、それも「良き日の記憶」を糧にかろうじて生きていることに気づいたといいます。

<記憶をたどる小説家へ>
 1982年、彼は5歳まで住んでいた日本の記憶をたどりながら、イギリスに住む女性がかつて自分が住んでいた長崎の記憶を回想した小説「遠い山なみの記憶 A Pale View of Hills」(最初の出版時のタイトルは「女たちの遠い夏」でした)を発表。小説家としてのデビューを果たします。処女作でありながら、彼の作品の緻密な描写と繊細な文章表現は高く評価され、王立文学協会賞を受賞。一躍彼の名はイギリス文学界で知られることとなりました。
 1986年発表の「浮世の画家 An Artist of the Floating World」もまた日本人を主人公とした小説でした。この年、彼はイギリス人女性ローナ・アン・マクドゥーガルと結婚。それまでは「日本の記憶」にこだわっていた彼ですが、国籍をイギリスに改めて以降、その作品の舞台はイギリスへと変わることになりました。
 こうして、1989年に発表されたのが、彼の代表作と言われるブッカー賞受賞作「日の名残り The Remain of the Day」です。

「日の名残り The Remain of the Day」 1989年
 イギリスの名門貴族の家庭に長年勤めてきた執事が自らの晩年に思い出した過去の様々な出来事を描いた小説。「記憶の中の英国」を描いたこの小説は、こうした題材を得意分野とする名匠ジェームズ・アイヴォリーによって映画化され大ヒット。主演のアンソニー・ホプキンスにとっても、この映画は生涯の代表作となりました。

 その後、彼はほぼ5年に一作というペースで作品を発表し続けています。「充たされざる者 The Unconsold」(1995年)、「わたしたちが孤児だったころ When We Were Orphans」(2000年)そして、「わたしを離さないで」、さらに2009年には彼が大好きな音楽を題材とした短編集「夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 Nocturns」を発表しています。

<「ブレードランナー」との類似>
 この小説と類似した映画があります。P・K・ディックの原作小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の映画化作品で「ブレードランナー」です。
 人間とそっくりで特殊な判別能力をもつブレードランナーにしか区別することのできない人造人間レプリカント。彼らは地球外の過酷な環境下で働くために造られた人造人間でしたが、人間対して不満をもつことで反乱を起こす可能性を起こす可能性を考慮してその寿命はあらかじめ決められていました。しかし、レプリカント数名がその寿命を延ばそうと、宇宙船を奪って地球に侵入、彼らの設計者に会おうと企てます。主人公のブレードランナー(ハリソン・フォード)は、彼らを一人ずつ倒すことになりますが、優れた戦闘能力をもつ彼らは逆に彼を追い詰めます。
 この映画の中で、レプリカントのひとりが主人公に、かつて自分が見てきた宇宙空間での様々な記憶について語る場面があります。アンドロイドであるはずの彼らにも、忘れられない懐かしい記憶があることに主人公は驚きます。(ルトガー・ハウアーが素晴らしかった!)もうすぐ生命の火が消えることになっている彼らが見てきた壮大な宇宙の景色がどれほど素晴らしいものか!?観客もまたレプリカントの記憶をちらっとだけ見せられ、その魅力にひきつけられます。こうして、観客はブレードランナーではなくレプリカントに感情移入することで、映画は一気に魅力あるものになりました。

 どちらの物語も、ある日突然人生が終わることを前提に書かれているのですが、それはもちろん我々人類にもあてはまること。癌で余命3ヶ月と宣告された人でなくても、人は110年生きることは先ず不可能なのですから。多くの人は長生きすることは幸福なことと考えますが、それだけではないことも理解しています。「良き記憶」を溜め込んでいる人こそが幸福なのであり、人生そのものの長さは関係ないと考えるべきでしょう。
 例えば、子供を育てる行為は、「子供の笑顔」という「良き記憶」を毎日毎日ためることができる最高の体験です。もちろん子供がいなくても、彼女の笑顔という「良き記憶」を溜め込むことは可能です。
 幼き頃の日本の記憶を描き出すことから始まったカズオ・イシグロの小説は、日本の記憶についで英国の古き良き記憶を描き、「記憶とは何か?」という根本的な問題へと向かいました。次に、彼が描くのはいかなる記憶の世界でしょうか?楽しみです。

小説「わたしを離さないで Never Let Me Go」 2005年
(著)カズオ・イシグロ Kazuo Ishiguro
(訳)土屋政雄
早川書房

<あらすじ>
 介護人キャシーはかつてヘイルシャムという周りから隔離された田園風景の中の寄宿学校で育てられました。彼女は大切な友人ルースとトミーとともに静かで幸福な学生生活を送りました。ところが一見ごく普通の寄宿学校のように見えたヘイルシャムには、実は大きな秘密がありました。ある日、その秘密を一人の教師が子供たちに明かしてしまいます。
 彼らは身体のパーツを提供するために生み出されたクローン人間だったのです。そのために、彼らは決められた人生を送り、ある年齢までしか生きられないという限界を定められていました。教師の説明のとうり、彼らは卒業後、それぞれの役割を果たすため、順々に旅立って行きました。こうしてヘイルシャムの秘密を知ったキャシーは、ルース、トミーとともに命を長らえるために自分たちを救うことのできる唯一の人物を探し始めます。

映画「わたしを離さないで」 2011年
(監)マーク・ロマネク
(脚)(製総)アレックス・ガーランド
(原)(製総)カズオ・イシグロ
(撮)アダム・キンメル
(音)レイチェル・ポートマン
(出)キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ、シャーロット・ランプリング

「僕が思うに、イシグロの小説の優れた点は、もちろん多かれ少なかれということだが、一冊一冊がそれぞれに異なった成り立ち方をして、それぞれに異なった方向を向いているところにある。構成も文体も、それぞれの作品ごとに明らかに、そして意図的に区別されている。しかし、にもかかわらず、それぞれの作品には確実にイシグロという作家の刻印が色濃く押され、ひとつひとつが独自の小宇宙を構成している。それぞれに魅力的で素晴らしい小宇宙だ。
 しかし、ただしそれだけではない。それら個別の小宇宙がひとつに集められると、そこにカズオ・イシグロという小説家の総合的な宇宙のようなものが、まざまざと浮かび上がってくる。つまり彼の作品群はクロノジカルに直線的に存在しているのと同時に、水平的に同時的に結びついて存在してもいるのだ。・・・」

村上春樹「カズオ・イシグロのような同時代作家を持つこと」

<ノーベル文学賞受賞スピーチの要旨>(追記2017年12月)
「私は自分が持っていた本のページ全体を占めるように描かれた、ある西洋人の大きな顔を覚えている。片方の背後には爆発による煙とちり。もう一方には爆発の中から空へと飛び立つ白い鳥たち。5歳の私は畳にうつぶせに寝転んでいた。印象に残っているのは恐らく、ダイナマイトを発明し、その使われ方を危ぶんだ人物が「ノーベルショウ(賞)」を創設したことについて語る母の声に、特別な感情がこもっていたからだろう。
 母はノーベル賞が「ヘイワ(平和)」を促進するためのものだと話した。私たちの街、長崎が原爆により壊滅したわずか14年後だった。幼い私は「ヘイワ」が大切で、それがなければ自分の世界が恐ろしいものに侵略されるかもしれないのだと知った。
 ノーベル賞は子どもに理解できるような素朴なもので、だからこそ世界の想像力に対し強く影響し続けるのだろう。自国の誰かがノーベル賞を受けた際に感じる誇りは、五輪でメダルを獲得の場合とは異なる。自らの民族が他より優れていると誇りを感じるのではない。仲間の一人が人類共通の努力に大きな貢献をしたとの、より広く、調和をもたらす感情だ。
 私たちは今日、民族同士が敵意を拡大し、共同体が反目し合うグループへと分裂する時代を生きている。このような時代に、ノーベル賞は分断の壁を越えて考えさせ、人類として共に何とために闘わなければならないかを思い起こさせてくれる。
 驚くべき知らせを受けて数分後、91歳になる母に電話した時、無意識に「ノーベルショウ」と呼んだ。その賞を受賞できて幸せだ。私はその大まかな意味をあの時、長崎で理解した。その物語の一部になることが認められ、畏怖の念を抱いている。ありがとう。」

「北海道新聞2017年12月12日朝刊より」

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