- 太田光、中沢新一 -

<太田光を応援します!>
 ある晩、偶然つけたテレビ番組の中で爆笑問題の太田光が国会議員を相手にこんな感じで語っていました。
「今の憲法は理想論かもしれない、でも人類の未来にとってもっとも必要なことがここに書かれていることは、理解できるはずです。それが素晴らしいものであることはわかっているはずです。だったら何故その素晴らしい憲法を世界に広めようとしない?、なぜ胸を張り誇りを持って、それを世界に主張しないんですか?」
その熱く語る姿を見て感動してしまいました。彼の言葉に対し「何を夢みたいなこと言ってんの」と笑うことは簡単です。「現実を見ろ」と怒ることも簡単です。しかし、かつて歴史を変えた人々はみな「何を夢みたいなこと言ってるの」と言われたものです。
 そしたら、そんな彼の思いが中沢新一という日本を代表する思想家、哲学者の助けを借りて本になったというじゃないですか。その本の中で中沢氏はこう語っています。
「・・・最前線にたったひとりで躍り出て、背後にひとりの援護射撃もない状態で、太田君はラッパを吹いているのである。・・・」
そこで僕も遅ればせながら、太田光応援団のひとりになろうと勝手に思ったしだいです。

<世界遺産とは?>
 ところで「世界遺産」とは何でしょうか?どんなものが選ばれるのでしょうか? 
 以前、TBSのドキュメンタリー番組「世界遺産」の総合プロデューサー辻村氏の講演を聴く機会がありました。その講演の中で辻村氏は最近、日本各地で『おらが土地も世界遺産登録を目指したい』という話が多く、行く先々で相談されていると言っていました。彼はそんな時こう答えるそうです。
「あなたがたは世界遺産というレッテルがほしいのではないですか?そうでないなら、自分たちの土地を愛し、育てるための努力があればルールが厳しく自由度の少ない「世界遺産」というレッテルは必要ないですよ」
 ちなみに我が街、小樽については「小樽の街並みは十分世界遺産に値するが、この街こそ、そんなレッテルは必要ないでしょう」と言っていただけました。さらにこんなことも言っていました。「世界遺産」とは、その土地がその国の歴史や地理的な面で、どれだけ価値があるかどうかで選ばれるのではなく、世界全体の歴史や地理において、どれだけ価値があるのかで選ばれるというのです。例えば、奈良の街にあるお寺の数々が世界遺産に選ばれた理由は、東アジアの多くの仏教国の中で、700年代(奈良時代)に建てられた木造建築のほとんどは戦争や火災などによってすでに失われてしまっているからなのです。そんなわけで、世界的な視野にたってこそ初めてそのものの価値が見え、世界遺産に値するかどうかが判断できるわけなのです。

<憲法九条>
 では憲法九条は世界遺産に値するのでしょうか?
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」


 先ず憲法九条は歴史的に古いものではありません。したがって、単純に「古さ」に価値を見出すことはできません。当然、その希少価値にこそ価値があるわけです。しかし、単に珍しいということだけでは価値があるとはいえません。どちらかというと九条は世界に先駆け、未来を先取りするものとして唯一日本で生み出されたものです。それは「未来の神話」と呼ぶべきものなのかもしれません。
 爆笑問題の太田光と哲学者の中沢新一の共著「憲法九条を世界遺産に」では、九条というある意味非現実的とも言える存在を「ドンキホーテ」に例えています。魅力的ではあっても現実離れした存在であるドンキホーテが、従者のサンチョ・パンサという現実的な存在によって支えられ、旅を続けられたのは現在の日本の状況に通じるものがあるというわけです。サンチョ・パンサは、日本にとっては自衛隊だったり、アメリカだったりするのでしょう。ただし、日本がドンキホーテ(九条)を主役から降ろしてしまったら、もうただの国でしかなくなってしまいます。
「ただの国だって、北朝鮮に占領されるよりはいいだろう!」そういう意見もあるでしょう。ただ、その問題は憲法を改正して軍備を増強すれば、それで解決するのか?もちろん、そうではないはずです。逆に戦争に巻き込まれる危険性は高まるかもしれません。
 それとこんな話があります。アメリカ軍が1950年代に兵士の戦闘における精神状態を調査したところ、敵兵と遭遇した際、すぐに発砲できるのは、わずか40%程度にすぎないという結果が出ました。そこでアメリカ軍はより戦闘的な兵士を育てるための訓練を行うようになります。その結果、ベトナム戦争が本格化する頃には、前述のパーセンテージがなんと70%を超えるところまでになったというのです。(しかし、その訓練によりベトナムからの帰還兵の多くは、社会に適応できず、あの「タクシー・ドライバー」のトラヴィスのような人間を生み出したわけですが、・・・)実は、宗教やファシズム、そしてこうした特殊な訓練など思想的で過激な圧力さえ加わらなければ、人間とはけっして戦闘的な生物ではないのです。(というより、あらゆる生物は無駄に他の生き物を殺すということはしないのですが)
 重要なのは、やはり相手の心を「イマジン」する心だと僕は思います。もちろん、それは戦争のない世界をイマジンするだけではなく、戦争相手の心も含めてすべての人の心をイマジンし、それを理解しようとする心だと思います。実はそんなありえない世界への挑戦を人類は大昔から行ってきました。そのために人類は、架空の世界を舞台にした理想の物語、「神話」を大切に育ててきたのです。
 日本国憲法第九条はできた時点で人類史にその名を残す、「神話」のひとつなのかもしれません。

<クール・ジャパン・ブーム>
 いまや日本の文化は世界的な人気を獲得するに至りました。アニメ、ファッション、フード、フトン、畳、囲碁、ゲーム、小説、建築、自動車、映画、カラオケ、禅、パチンコ・・・etc.その状況は日本に住む我々が思っている以上の盛り上がりのようです。じゃあ、そうした数多くの日本発の人気アイテムの中に日本国憲法の第九条を入れられないでしょうか。クールな日本文化を象徴する最大のスローガン、それが第九条となれば世界中の若者たちがTシャツに第九条をプリントして着てくれるかもしれません。憲法第九条を世界遺産にするだけでなく、「Cool Japan」の象徴として世界に再発信できないでしょうか。(残念ながら、外圧に弱い日本は海外で認められないとそのありがたみがわからないようですから)

「改憲すべきだと言う人が、自分の国の憲法は自分の国で作るべきだと、よく言います。でも僕は、日本人だけで作ったものではないからこそ価値があると思う」
太田光

「当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後の日本人の後悔や反省の中から生まれてきたよいところが、うまく合体しているんですね・・・」
中沢新一

「自らの存在の深部に、免疫抗体反応の発動を否定しようとしてきたものが、憲法九条以外に、この世にすくなくともふたつある。ひとつは母体である。・・・そして、もうひとつは、神話である。・・・」
中沢新一

「『ことばの戦場』をたたかいぬくのは、ほんとうにむずかしい。でも僕はいま多くの仲間たちに呼びかけたい。ことばは世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが使っているこのことばに、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。
 お笑いのことば、きまじめなことば、理論的なことば、官能的なことば、音楽とともにあることば・・・・。
 僕たちは感覚と想像と思考の力を総動員して、ことばに世界を変える力をよみがえらせていきたいと思う」

中沢新一

<最後に>
胸を張って「日本人にとって最大の誇りは憲法第九条を守り抜いてきたことです!」と言おうじゃないですか。


<追記>2014年7月
「世界の憲法が戦争を禁止すれば、世界政府という概念が機能し戦争が物理的に不可能になる。そのよいモデルである日本国憲法が改定されるとしたら、いったん戦争を禁止した後、再びそれを認めるという悲劇の先例となってしまう」
エドワード・サイード Edward Said

<中沢新一>
 1950年生まれの宗教学者、文化人類学者
 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
 野生の科学研究所所長
 多摩美術大学客員教授
 著書には、「チベットのモーツァルト」(1983年)、「アースダイバー」(2005年)、「森のバロック」(1992年)など

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