「ケインズ経済学」と「世界大恐慌」


- ジョン・メイナード・ケインズ John Maynard Keynes -
<20世紀を代表する経済学者>
 経済学を学んだことがない僕でもケインズの名前は、世界史の中で何度も目にしてきました。正直言って、僕は経済学という学問が世界を良くしてきたのかまったく疑問に思っているのですが、ケインズという人については知りたいと思いました。それは彼がブルームズ・グループというイギリス・ケンブリッジ大学の芸術家グループのメンバーとして、ヴァージニア・ウルフらと関りがあり、奥さんがモダン・バレエの元祖ともいえるバレエ・リュスの看板ダンサー、リディア・ロポコワだったからです。それも彼女との結婚は不倫の末で、それどころか彼はバイ・セクシュアルだったらしいのです。なんとも興味深い人物です。経済学の理論を用いて、彼は実際にお金を稼いだり、大きな損失を出したりもしています。どうやら彼は単なる経済学の先生ではなかったようです。そして、そんな彼の人生の背景には1920年代「ローリング・トゥエンティーズ」という特殊な状況もあったようです。彼が妻となった女性リディアにあてた手紙にこうあります。

「一日中、君の魅力について考えていました。君は老婆であると同時に若い女でも幼子でもある。つまりは完全無欠な存在なんだ。それに比べたら私が苦労して書いた経済学の記事など何の意味もない」
ジョン・メイナード・ケインズ

<1920年代のパリとバレエ・リュス>
 ケインズの妻リディアが所属したバレエ・リュスのまたの名は「ロシアバレエ団」、ロシアのダンサー、セルゲイ・ディアギレフが主宰するモダン・バレエの原点ともいえるダンス集団です。1917年の伝説的作品「パラード」には、台本にジャン・コクトー、舞台美術にピカソ、音楽にエリック・サティーという驚きの顔ぶれが集合していました。当然ケインズもこれらのメンバーたちと交流があったのでしょう。ということは、藤田嗣治とも交流があったかもしれません。1920年代フランスの首都パリは、世界で最も芸術的で退廃的で、すべてにおいて時代の先を行く都市でした。そこには芸術と美食と愛を求め、あらゆる人種の人々が世界中から集まっていました。20世紀を代表する経済学者ケインズはそんな時代の最先端にいたわけです。

<ジョン・メイナード・ケインズ>
 ジョン・メイナード・ケインズ John Maynard Keynes は、1883年6月5日イギリス・ケンブリッジ大学の経済学者ジョン・ネヴィル・ケインズの長男として生まれました。ケンブリッジ大学を卒業後、インド省に勤めますが、28歳で王立学会誌「エコノミック・ジャーナル」の編集長となり、同時に母校ケンブリッジ大で講師として経済学を教えるようになります。
 1914年8月、彼は大蔵省の高官から緊急の呼び出しを受けます。第一次世界大戦に突入した英国は金融危機に陥っていて、そのための経済対策を至急提案してほしいという依頼でした。彼は電車に乗らず、より早くつくために友人のサイドカーに乗せてもらい大蔵省に直行。その後、すぐに当時の蔵相ロイド・ジョージあてに進言書を書き始めます。その早い対応と提案内容を高く評価されたケインズは、1915年正式に大蔵省入りし、英国の経済政策に関わってゆくことになります。
 第一次世界大戦後、1919年1月にはパリ講和会議に英国代表団のメンバーとして参加。まだ彼は35歳という若さでした。戦後処理を進めるために行われたその会議では、ドイツをはじめとする敗戦国に巨額の賠償金を支払わせる一方的な決定が下されます。その裏の仕掛け人は、アメリカの銀行家グループで、彼らがヨーロッパ諸国に貸し付けていた巨額の資金を回収するために行ったといわれます。ケインズはそうした利益優先の条約交渉にうんざりします。
 戦争に敗れ、経済的にも破綻している国に払えるはずのない金額を要求すればどうなるのか?そうなれば、必ず国全体が破綻に追い込まれ、それがきっかけとなって内戦や戦争が起こるだろう。彼は決定に猛反対しますが認められず、調印式を前に辞表を提出して帰国してしまいました。そのまま彼は大蔵省を去り、同時に英国経済も長い不況の時期に入ることになります。多くの植民地を失い、それぞれが独立することで英国の黄金時代は終わりを迎えつつあったので、それは当然の流れだったのですが・・・

<経済学者として>
 官僚をやめた彼は、再び大学で経済学を教えながら、自らの知識をもとに外貨の先物取引を行い自己資本での実験を行います。その取引結果は、さすがにプラスとなりかなりの利益を上げたようです。しかし、1929年の世界を襲った大恐慌では彼も大きな損失を出し、それ以後、彼はより確実な株式売買を中心にお金を動かすようになったようです。彼の代表作「雇用、利子、貨幣の一般理論」はこのころに書かれました。

「リディア、ウォール街で株価が暴落した。新聞で読んだだろう。史上最大の値下がりだ。今日は一日中経済のことだけ考えさせられて、うんざりした気持ちでいる」
ジョン・メイナード・ケインズ

 その後、彼は確実に損失を取り戻し、最終的に45万ポンド(20億円)の財産を築いたといわれます。当然ながら、民間企業からの資産運用依頼もあり、保険会社の役員として資産運用を行っていました。ただし、彼が住む英国は大恐慌の後、引き続き不況に苦しみます。街には失業者があふれ、政府はそれに対し、失業保険への補助金打ち切りを実施して、国家財政の赤字転落を食い止めようとします。しかし、それでは国家財政が負のスパイラルに陥り、英国経済の未来は見えてこない。単に市場経済に任せるのでは、この問題は解決しないのです。
 失業者を減らすためには、彼らのために仕事を用意することこそが第一で、それにより就業者の数を増やし国民の購買力を上げる。それにより企業収益を上げてさらに就業者を増やす。そうなると、失業保険への支出が減り、国家財政も健全化する。このプラスの循環を作ることが重要ということです。国は、その流れを生み出すためのきっかけを作る役目を担うべきで、そこから先は自由主義経済に任せると考えていました。
 彼は1925年に講演旅行でソ連を訪れていて、ロシア革命から8年後スターリンによる独裁体制下での計画経済が失敗であることを見抜いていました。当時、多くの知識人、文化人がソ連の社会主義体制を高く評価する中、彼は自由主義経済の優位性を確信したのです。

<世界恐慌>
 1920年代のアメリカは第一次世界大戦で被害を受けなかっただけでなくヨーロッパに軍事費として貸し付けていた多額の資金の回収もあり、経済的な黄金時代を迎えていました。1924年から1925年にかけてフロリダで起きた不動産株の上昇は、その流れが「バブル景気」へと変わる転換点だったといわれます。そこからアメリカの株式相場は上昇を続け、そのピークは1929年9月3日でした。しかし、多くの人がその高値に不信感を感じ、10月19日ごろから、多くの株式所有者が少しづつ売りに走るようになり始めます。
 1929年10月24日木曜日、この日ついにバブルの崩壊が始まります。「暗黒の木曜日」と呼ばれたこの日、一気に株価が下がり始めます。午後になり、モルガン商会のトーマス・モラントら金融界の大物たちが対策会議を始めたという情報が広がると、その日は下げ止まりました。
 しかし、10月29日には再び「売り」が殺到し、主力株の平均価格が40ドルも下がり、この日一日で100億ドルの資産が失われることになりました。1929年から1933年までの4年間でアメリカのGNPは46%も減少し、工業生産も38%減少。株価は65%も下落しています。失業率は25%に達します。
 10月24日一日で金融業者10人以上が自殺。ウオール街のホテルのフロントは宿泊者の受付の際、こんな質問がされたといいます。
「お休みになるのですか、それとも窓をご利用ですか?」

 1933年、ヨーロッパもその影響を受け、英国の工業生産は12%減で済みましたが、イタリアは33%減、ドイツでは47%も悪化していたのです。(この最悪の状況こそ、ヒトラーを英雄にする最大の原因となります)

<第二次世界大戦後の経済体制>
 第二次世界大戦の終戦が近づくと彼は再び英国政府に呼ばれます。そして彼は戦後の世界経済体制を再建するための会議に参加することになりました。彼の指摘通りに大失敗に終わったパリ講和会議におけるヴェルサイユ条約の二の舞にならないように戦後処理が行われたことは、第三次世界大戦が起きなかったこと、敗戦国だった日本とドイツの経済発展から明らかでしょう。
 「戦争の後」か「経済不況」になるたびに「ケインズ理論」は呼び戻されるようです。「経済学」という学問も正しく使えば、価値はあるのかも?そんな気がしてきました。市場経済を放置すれば必ず破綻をもたらす。そのことは歴史を繰り返れば明らかです。1929年の世界恐慌だけでなく、最近でもヘッジファンドやサブ・プライムローンなどの金融商品など、市場経済が生み出した危険物は様々あります。お金を儲けることを目的として企業活動を行っている限り、金融機関はまた世界的な金融危機を招くでしょう。そうならないように国の管理・規制は不可欠である、というのがケインズの考え方でした。僕にはこの考え方は実に当たり前のことに思えますが、アメリカが掲げる自由主義経済においては、未だに放任こそが正しい結果をもたらすと考えられています。
 やれやれ、それって自分だけが勝つために有利だからでしょ?

「今我々がその中にいるグローバルでかつ個人主義的な資本主義は成功ではなかった。それは知的でなく美しくなく公正でもなく道徳的でもない。そして善をもたらさない。だが、それ以外に何があるのだろうかと思うとき、非常に困惑する」
ジョン・メイナード・ケインズ

 「経済学」にとって最も重要なのは、「欲望」と「平等」をどう両立させるのか?というごくごく基本的なところにあり、その結論を出さない限り、「経済学」は「金持ちが資産を運用するための学問」であり続けるのだと思うのですが・・・。どう思います?

世界恐慌からアメリカを立ち上がらせた男


<参考>
「100人の二十世紀(下)」
 2000年
(編)朝日新聞
(出)朝日新聞社

「新 映像の世紀」 2015年
第二回「グレート・ファミリー 新たな支配者」より
NHK
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