KCIA誘拐作戦イン・ジャパン

「金大中拉致誘拐事件」
「朴大統領射殺事件

<韓国の民主化とクーデター>
 1960年に行われた第4代大統領選挙における不正が明らかになった李承晩大統領は、国民からの激しい批判を受けて辞任に追い込まれます。その後、彼は逮捕を逃れるためにハワイに亡命したため、急遽、外務部の長官だった許政が大統領代行となりました。

 国民からの支持を失った与党自由党は議会での主導権を失い、野党民主党が政権を担うことになりました。ところが、権力を奪ったものの民主党内部での抗争や北朝鮮に近い左派の民主化運動が盛り上がりを見せたことで国内は大混乱となりました。
 1961年5月16日、そうした状況に乗じて陸軍第2軍副司令官朴正煕パクチョンヒ少将を中心とするグループがクーデターを起こし、軍が政権を掌握します。朴は国家再建最高会議議長に就任し、その後行われた大統領選挙では軍部と保守派を背景にして勝利をおさめました。
 朴政権は経済的な安定を最優先課題として経済成長が著しい日本との平和条約締結に動き、日韓基本条約を締結し国交を回復させました。しかし、その一方では民主化を求める反体制派を抑え込むための組織として大韓民国中央情報部KCIAを設立。反政府活動を徹底的に抑え込んで行きます。

<金大中登場!>
 1971年、韓国では大統領選挙が行われました。反政府運動を抑え込んでいた朴は圧勝できると考えていましたが、結果は金大中キムデジュン率いる野党「新民党」にわずかの差にまで詰め寄られるギリギリの勝利でした。議会の総選挙でも与党は議席の3分の2を確保できなかったため、憲法改正によって長期政権に持ち込むことも不可能になりました。
 1972年7月4日、7項目の南北共同声明が発表されます。その主な内容は「祖国統一は武力行使によらず平和的に南北間で自主的に行うとともに、南北交流を進めていくこと」などでした。
 南北朝鮮の統一を実現する野望を抱く朴大統領は、権力を失うことを恐れ、1972年10月17日非常戒厳令を宣布して議会を解散してしまいます。さらに一切の政治活動を禁止した上で、大統領の任期を6年に延長するなど憲法の改正を強行。こうして「維新体制」と呼ばれる状況が生まれました。
 一方、朴に僅差で破れた金大中は、1973年7月に来日。自民党の宇都宮徳馬議員らに招かれて講演と持病の治療を行うことになっていました。

<金大中拉致事件>
 来日時、在日韓国人ヤクザが彼の命を狙っているという情報が流れていたため、彼は偽名を使い宿泊先を移動しながらの隠密行動を行っていました。
 1973年8月8日、東京飯田橋のホテル・グランドパレス22階のスイートに宿泊していた民主統一党の梁一東ヤンイルトンと会談を行うため、金は同ホテルの2212号室を訪れます。当然、この会談は秘密裏に行われていたはずです。ところが会談後に部屋を出たところで、彼は数人の男たちに拉致され、空室だった2210号室に連れ込まれました。そこでクロロホルムによって眠らされた彼は地下駐車場に運ばれ車に乗せられます。後部座席に押し込まれた状況で彼は神戸港に運ばれ、そこで船に乗せられて韓国に向かいました。
 船で釜山に運ばれた彼は、そこから再び車に乗せられ、ソウルの自宅近くのガソリンスタンドで解放されました。その間、日本の警察も彼を追い続けていましたが、結局、最後まで見つけることはできませんでした。
 映画「KT」(2002年)は、阪本順治監督がこの事件を描いた実録物の日本映画です。
(監)阪本順治(原)中薗英助『拉致-知られざる金大中事件』(脚)荒井晴彦(撮)笠松則通(出)佐藤浩市、キム・ガブス、筒井道隆、香川照之

<日本政府の対応>
 日本の警察は、KCIAの関与を発表し、主犯とみられる駐日大韓民国大使館一等書記官の金炳賛キムピョンチャンの出頭を求めますが、外交特権を使い帰国されてしまいました。事件は、朴大統領が反政府的存在である金大中を監視下に置き続けようとした結果として起きたと考えられていました。その際、一歩間違えば、彼が韓国に向かう船から落とされる可能性もあったと思われます。
 日本国内で起きた事件だったことから、日本政府は主権侵害への謝罪と日本政府による捜査の続行を要求します。それに対し、韓国政府は金鍾泌首相が来日して宮澤喜一外相と会談。捜査はそこで打ち切りとなり、事件の真相は闇に葬られることになりました。

<韓国政府の対応>
 韓国政府は事件をKCIAが単独で行った暴走だったとするため、KCIAの部長だった李厚洛イフラクを解任。そうした混沌とした状況の中、朝鮮総連によって工作員となった文世光ムンセグァンが朴大統領夫人を射殺する事件が起きてしまいます。この事件の責任をとって、大統領警護室室長が解任され、KCIAと大統領警護室の対立が深まることになりました。
 1979年10月26日、KCIAの部長に就任した金載圭キムチュギュ(朴大統領の幼馴染でもあった人物)が大統領の私的な宴席で警護室長から野党工作の失敗を責められます。それに大統領も同調したことにキムは激怒。何とその場で、彼は大統領を射殺してしまいました。
 映画「KCIA 南山の部長たち」(2020年)は、ウ・ミンホ監督によるこの殺人事件の顛末を描いた実録映画です。
「KCIA 南山の部長たち」The Man Standing Next  
(監)(脚)ウ・ミンホ(韓国)
(原)キム・チュンシク「実録KCIA 南山と呼ばれた男たち」(脚)イ・ジミン(撮)コ・ラクソン(音)チョ・ヨンウク
(出)イ・ビョンホン、イ・ソンミン(朴大統領)、クァク・ドウォン(パク)、イ・ヒジュン、キム・ソジン 
1979年に起きた中央情報局長官による朴正煕暗殺事件の内幕に迫った実録映画。
「わたしはいつも君のそばにいる」「君の好きなようにしろ」大統領を演じるイ・ソンミンが素晴らしい!
それにしても韓国の政治サスペンス映画は面白いのは、起きていることそのものが面白いからかもしれません。
日本の政治サスペンスは、それ自体が面白くないのかもしれません。
この暗殺事件から民主化運動が勢いを増し、「光州事件」が起きることになります。 

<その後の金大中>
 その後、金大中は反政府主義者として一度は死刑判決を言い渡されますが、右派政権が倒れた後、公民権を回復し、政界に復帰します。
 1998年2月25日、ついに彼は第15代大韓民国大統領に就任することになります。

<参考>
「地図と写真で見る昭和史戦後篇1945-1989」
 2022年
(著)半藤一利
平凡社

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