「桐島、部活やめるってよ」

- 朝井リョウ Ryo Asai -

<ポップな小説に価値アリ>
 50歳を過ぎると、体力、精神ともにまだまだ若いとは思っていても、さすがに今の高校生の気持ちが理解できるとは思えません。いまさら青春小説を読んでも・・・という気もします。とはいえ、この本のことは知っていたし、たまたま空港の本屋さんの店頭で見て、厚さもちょうど良かったので読んでみました。
 さすがに面白い!50過ぎのおやじでも共感を持てる内容でした。自分が高校生だったらもっと深く共感できたと思います。やはりこの小説は、現役高校生だからこそ書けた作品であり、見事に「時代」と「世代」を切り取った作品です。小説は、古典となって読み継がれるのが理想かもしれませんが、「今」だからこそ読める小説もまた価値があります。それが「ポップ」の価値ということでしょうか。彼は、今、自分が書いてこそ価値があると考えていたようです。これこそ、「ポップ」の真髄といえそうです。

飛び出す、という言葉を僕たちは体現できる。十七歳のこの瞬間だけ。僕はこの瞬間が一番好きだ。世界で一番最高の瞬間を、映像として、僕らが切り取る。
(前田淳也)

 先日、著者である朝井リョウ氏のドキュメンタリー番組を見ました。彼は現役で大学を受験した時、第一目標だった一橋大学が不合格になり、先生に一浪して再挑戦することを勧められました。しかし、彼は先生に僕には書きたいことがあり、今すぐにでも書き始めたい。だから、浪人はしたくないんです」そう言って、すでに受かっていた早稲田大学に進学したといいます。どうやら彼は、誰にも言わずに高校時代から小説を書き始めていて、この作品もそこから生まれた小説でした。今だからこそ書ける小説を書いておきたい、そう思ったのでしょう。

・・・十一月の終わりって、微妙だ。十七歳ってのも、微妙。思ったようにあけっぴろげに泣いたりできなくなって随分経ち、もうそれに慣れてしまったくらい、だ。
(沢島亜矢)

 「今」を切り取る彼のセンスは技巧ではなく、逆に技巧を排除したそのシンプルさにこそあるのかもしれません。思ったことをそのまま言葉にしているからこその青春文学なのです。それは昔も今も変わらないはずです。

十七歳の僕達は思ったことをそのまま言葉にする。(菊地宏樹)

 だからこそ、彼の文章は実に簡単明瞭です。それはまるで俳句のように17歳の今を切り取っています。例えば、こんな感じです。

悲しそうな、残念そうな顔をしろ。耳元で、俺が囁いた。(小泉風助)

桐島が笑うと、ニカッという音がした。
(小泉風助)

志乃はくちびるの中に泉を持っている。ふるふると揺れて、きれいなものを自分のものみたいに映す泉。
(沢島亜矢)

<いじめ問題>
 先日、学校での「いじめ問題」の原因について、テレビである教育評論家がこんなようなことを言っていました。
 狭い空間に人を閉じこめれば、学校じゃなくても、それが人間じゃなくても(他の動物でも)、必ず「いじめ」が起きる。それをなくすのは簡単です。閉鎖空間を開かれた空間にしてあげることです。学校を校舎の中の世界だけでなく、社会全体へと広げたり、クラスの枠組みを広げて、学年もしくは学校全体の交流の機会を増やしてゆけば、それだけで「いじめ」は大幅に減るはずです。たとえ「いじめ」があっても、その「いじめ」から距離をとることができる場所が確保されていれば、被害者は救われるからです。
 学校という小さな世界、クラスというさらに小さな世界の狭さこそ「いじめ」を生み出す最大の原因だということです。もちろん、そんなことは教育評論家でなくても多くの人が理解していることかもしれません。しかし、その実現はわかってはいても困難です。

 もっと堂々と走ればいいのに、せっかくこんなに広いグラウンドなんだから、もっと自分はここだってアピールして、ボールを持てばいいのに。
 そんなふうにできるならとっくにしてるよ。グラウンドを通りこして、その奥を見つめる。
 本当は、世界はこんなに広いのに、僕らはこの高校を世界のように感じて過ごしている。
(前田淳也)

 世界を広げることで「いじめ」から逃れるための具体的な方法は、多くの高校生がなんとなくでも知っているのかもしれません。学校という閉鎖空間を拡張させる方法。そのひとつが部活です。
 学校では、それぞれの生徒たちが教室という狭い空間から逃れるため、部活というもうひとつの世界でもうひとつの人生を生きています。そして、著者はそんな部活を実に魅力的に描いています。そして、そこにこそこの小説最大の魅力があるといえます。

桐島のレシーブは、美しい線を描く。バレーを愛する気持ちをきゅっと固めて丸めたようなボールを、膝をやわらかく動かして全身で受け止めるんだ。(小泉風助)

・・・放課後のグラウンドはピアノの楽譜に似ている。駆け回る生徒たちがひとつひとつの音符だ。野球部の声で低音が安定して、そこにサッカーボールのバウンド音が重なる。八分音符にスタッカートがついたような軽快なリズム。強すぎるソプラノは、テニス部の笑い声。私は窓からサックスを突き出して、まるでグラウンドを操る指揮者みたい。
(沢島亜矢)

 足で力強く蹴り出した分、大地は私を押し返してくれる。一回一回、強く強く、エネルギーを感じながら飛び込んでいく。グローブにボールが収まる瞬間は何よりも気持ちがいい。このためにソフトボールを続けているのかな、と思うくらいだ。
(宮部実果)

<17歳の素晴しさ>
 そして、もうひとつこの小説が魅力的なのは、あくまでも「17歳」という世代をポジティブにとらえているところです。部活というもうひとつの世界からはじき出された桐島を思う周りの学生たちは彼のことをことを考えることで、少しずつ心を変化させてゆきます。
 そんな中、部全体が差別され、仲間はずれにされていたのはずの映画部が、コンテストで入選したことをきっかけに周りの人々に影響を与えるほど輝き始めるというラストが素敵です。

 僕らには心から好きなものがある。それを語り合うときには、かっこいい制服の着方だって体育のサッカーだって女子のバカにした笑いだって全て消えて、世界が色を持つ。
(前田淳也)

 なんといっても、ラストに野球部を自ら飛び出しながらも、そのことを後悔し続けていた菊地君が映画部のふたりを見て、その輝きに圧倒される場面は、まさに「これぞ青春!」って感じです。著者は、そんな青春の輝きを忘れないうちに早く文章化したかったからこそ、浪人しようと思わなかったのでしょう。
 残念なことに多くの若者たちは、「青春の輝き」に気づかないか、目をそらしたまま生きています。自分も輝けるのに、そんなことはありえないと・・・。だからこそ、そんな輝き(光)をフィルムに焼き付ける映画部のふたりはその主役に相応しいといえます。

 桐島、たぶん、お前も、バレーをしているとき、こんな顔をしていたんだろう、と俺は思った。自分がやりたいことを全力でやっているときは、たぶん誰でも、こんな顔をしているのだろう。とっぷりと何かに濡れていた心が絞られて、蜜のようにこぼれ出た感情が血管を駆け抜けていく。
 きっとレンズの向こうに映るバトミントン部の姿は、この目で見るよりも遥かに美しい。だけど、そのレンズを覗く映画部のふたりの横顔は、ひかりだった。
 ひかりそのもののようだった。

(菊地宏樹)

 どうせなら、みんな光り輝く人生を送りましょう!そして、それは青春時代だけとは限りません。

小説「桐島、部活やめるってよ」
(著)朝井リョウ
集英社

映画「桐島、部活やめるってよ」(2012年)<追記>2016年1月
(監)(脚)吉田大八
(脚)喜安浩平
(撮)近藤龍人
(編)日下部元孝
(音)近藤達郎
(出)東出昌大、神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、清水くるみ、山本美月、松岡茉優、高橋周平、太賀
日本アカデミー賞最優秀作品、監督、脚本、編集、話題賞受賞

 小説では、それぞれの登場人物の正直な思いがそれぞれの立場で描かれてます。しかし、それを映像化するとなれば、同じように映画化することは不可能です。そこで吉田監督は、登場人物の心の中を語らせることなく客観的な行動(視点は移動します)と会話によって、物語を語る手法をとりました。映画と小説、この二つの作品からは、二つの映像表現の違いがはっきりと見えてきます。この映画は、小説に描かれている心の中に輝く「ひかり」を映像化する試みだったわけです。
「果たして映画は、『ひかりそのもの』を描くことができるのだろうか?」
吉田大八
「作者が感じ取り、小説に織り込まれた『ひかり』は、あらかじめ無意識に準備された祈りだった、とは言い過ぎだろうか?」
吉田大八

 他に注目したいのは、音楽の使い方です。小説の中には、aiko、ラッドウィンプス、チャットモンチーらの音楽が登場していますが、映画にはまったく登場しません。それどころか、背景に音楽は使用されず、唯一、ブラスバンド部が演奏するワーグナーの歌劇「ローエングリーン」がラスト近くで大きな役割を果たします。そのおかげで、観客は青春映画を観る感覚ではなく、青春映画を登場人物として体験することが可能になるのです。
 小説の中で映画部のメンバーが撮影しているのは、「青春映画」ですが、映画の中の映画部は「ゾンビ映画」を撮影しています。この変更も効いています。「映画オタク」の彼らには、どう考えても「ゾンビ映画」の方がリアリティーがあるし、映像的なインパクトもあります。だからといって、小説もその方が良かったかというと、そうではないと思います。小説では映画のタイトルだけで読者に映像を思い浮かばでることが可能です。それには「ゾンビ映画」よりも名作映画の方が向いています。小説に登場するのは、「ジョゼと虎と魚たち」、「百万円と苦虫女」、「メゾン・ド・ヒミコ」、「打ち上げ花火」、「チルソクの夏」、「花とアリス」、「ニライカナイからの手紙」、「感染列島、「ラヴァーズ・キス」、「アカルイミライ」、「サマータイムマシン・ブルース」、「BABEL」・・・ 

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