世界への窓だった国際プロレスに愛をこめて 


「東京12チャンネル時代の国際プロレス」

- 流智美 Tomomi Nagare -
<国際プロレス>
 1970年代から1980年代にかけて、日本んもプロレス界に「国際プロレス」という団体がありました。当初は、アントニオ猪木が所属していたこともありましたが、彼が独立して以降は、ラッシャー木村、ストロング小林など地味なレスラーを中心に活動。日本における昭和のプロレス・ブームにおいて、マイナーながらも輝きを放つ存在でした。
 偶然、そんな国際プロレスについて書かれた本を見つけたので、さっそく読んでみました。
 少年時代の自分が熱中していたプロレスの黄金期が、どうテレビと関わっていたのか?
 どこまでテレビ局によって試合が演出されていたのか? どこまで試合結果に影響を与えていたのか?
 そして、日本におけるプロレス・ブームの盛り上がりと衰退の歴史が、国際プロレスの歴史に凝縮されていることがわかりました。
 さらには、アントニオ猪木とジャイアント馬場によって築かれたプロレスの黄金時代に、国際プロレスの指導者、吉原功がその調整役としての役割を果たしていたこともわかりました。
 国際プロレスのファンだった方だけでなくプロレスの歴史に興味がある方にも、お読みいただければと思います。

<プロレス黄金期>
 僕は小学生の頃、プロレスの大ファンでクラスメイトから「プロレス博士」と呼ばれたりしていました。プロレス雑誌「ゴング」や「プロレス&ボクシング」を愛読し、プロレス選手名鑑が頭の中に入っているほど世界中のプロレスラーに詳しかったのです。それは、1970年の前後の時代でまさに「プロレスの黄金時代」でした。
 今回、たまたま流智美さんが書いた「東京12チャンネル時代の国際プロレス」を読み、当時の熱いプロレス愛がよみがえってきました。当時、プロレス・ブームは今では考えられないほどの盛り上がりで、火曜日以外のどの曜日にもプロレス番組があったようです。(1969年~1970年東京地区)
 ちょうど自分がプロレスに熱くなっていた時代が、その後「プロレス黄金期」と呼ばれることはわかっていたのですが、今までプロレスのページを作っていなかったことに気づきました。というわけで、初めて「プロレス」のページを作ろうと思います。

<なぜ国際プロレス?>
 1970年前後のプロレスと言えば、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の黄金時代です。しかし、猪木こそちょっとだけ在籍していたものの、国際プロレスは二人のようなスター性のあるレスラーが活躍する団体ではありませんでした。代表するレスラーの顔ぶれは、明らかに他の団体よりも地味でした。サンダー杉山、ラッシャー木村、ストロング小林、グレート草津、アニマル浜口など、華があるとはいえない顔ぶれでした。ただし、僕が国際プロレスにはまったのは、そうした地味な日本人レスラーよりも、様々な個性、国籍、得意技をもつ外国人レスラーの顔ぶれだった気がします。
 ビル・ロビンソンから始まった善玉外国人レスラーの活躍は、国際プロレスから始まりました。それまでのプロレスでは、外国人レスラー(悪役)を善玉の日本人レスラーが倒すという構図が基本だったのですが、そうではない構図を登場させたのが国際プロレスだったのです。「名は体を表す」と言いますが、「国際プロレス」という団体名は確かに「国際的」な団体でした。猪木や馬場が所属する団体が王道のアメリカからレスラーを呼び寄せていたのに対し、国際プロレスにはアメリカ人以外のレスラーが数多く登場していたのです。
 さらに、そうした国際プロレスの外国人レスラーの中には正統派で善玉のレスラーも多く、それが僕には新鮮で魅力的だったのです。ビル・ロビンソンの他にも、サマーソルト・キックでプロレス・ファンを魅了したエド・カーペンター、「プロレスの神様」カール・ゴッチやAWAチャンピオンのバーン・ガニアなど、日本人レスラーよりもカッコイイレスラーの存在は、1960年生まれで後に「シラケ世代」と呼ばれることになる僕にとって実に新鮮でした。

<ワールド・シリーズ>
 そんなプロレス少年だった僕にとって、今でも忘れられないプロレスの試合は、猪木の黄金時代の様々な名勝負よりも、国際プロレスが1968年から開催したIWAワールド・シリーズの名勝負の数々でした。カール・ゴッチとモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)の試合は、特に忘れられません。様々な国から来たレスラーによるプロレスの世界選手権のような大会は、それまで見てきた日本人レスラー対外国人レスラーという単純な構図とは異なり非常に新鮮に思えました。その大会では、外国人レスラー、日本人レスラーが対等に対戦し、上位選手による決勝リーグが行われました。
 1968年から始まり1977年まで6回開催されたワールド・シリーズをざっと振り返ります。

<国際プロレスの特徴>
 国際プロレスは、バーン・ガニア率いる北米アメリカのプロレス団体AWAを中心に外国人レスラーを招へいしていました。そのため、ブルーノ・サンマルチなどニューヨークの大物レスラーやファンク兄弟などの南部の大物ではなくカナダやヨーロッパなどアメリカ以外の国からのレスラーが多く参加することになりました。それが国際色豊かな「ワールド・シリーズ」の原点になりました。1970年には大阪で万国博覧会が開催され、日本は急激に世界に開かれようとしていて、僕の部屋には大きな世界地図が貼られていました。僕にとってのプロレスは、そんな世界への窓になっていた気がします。
 当時のプロレスラーにとって、自らの民族的国家的人種的アイデンティティーを売りにすることは最も重要なプロデュースの方法でした。ナチス・ドイツの恐怖のイメージを売りにした、フリッツ・フォン・エリックやバロン・フォン・ラシク、キラー・コワルスキーなどのドイツ系レスラー。戦士の羽根飾りを付けたコスチュームでイメージを作り上げたワフ―・マクダニエルなどアメリカ先住民のレスラーたち。仮面をかぶる文化を持つメキシコからはあのミル・マスカラスやエル・ソリタリオなどの覆面レスラーがやって来ました。
 「兼高かおる世界の旅」、「素晴らしき世界旅行」など、世界を旅するテレビ番組が当時は大人気でしたが、僕にとっては国際プロレスもその一つだったのでした。

<国際プロレスの限界>
 日本人レスラーのスターが不在だったため、苦肉の策として選択されたのが外国人レスラーにも平等にチャンスを与える「ワールド・シリーズ」だったのかもしれません。ワンマン社長として、国際プロレスを仕切っていたのは、プロレスラーとしての実績のない吉原功という人物でした。
 彼はあくまでも優秀なビジネスマンとして、国際プロレスの運営を行っていたため、レスラーのやる気や観客の満足度、プロレスの未来に目を向けることをしませんでした。いかに当面の収益を上げるか、そのために生み出されたのが「ワールド・シリーズ」だったとも言えます。(他にも国際プロレスは「金網デスマッチ」や「選手の専用の入場曲」を採用するなど、画期的なアイデアを実現させています)
 吉原社長が次に行ったのは、他団体との合同による大会開催でした。当初は、他団体(新日本プロレス、全日本プロレス)からレンタルで人気レスラーを借りてきて、参加させることで観客動員を獲得しますが、最終的には別の団体と合同で大会を開催するようになりますが、そこに来た他の団体の選手との対戦で力の差を露呈。国際プロレスの実力は、完全に猪木の新日本プロレス、馬場の全日本プロレスに次ぐ3番手の烙印を押されることになって行きます。興行的に観客の動員にはつながっても、それぞれのレスラーの将来にとって、それは良い方向性ではなかったようです。
 1980年代に入るとプロレスそのものの人気が下降し始め、テレビ東京での放送が打ち切りとなり、資金繰りが悪化し、1981年には解散に追い込まれてしまいました。

第1回大会(1968年)
優勝はビル・ロビンソン
<日本人レスラー>
豊登、グレート草津、サンダー杉山
<外国人レスラー>
ビル・ロビンソン(英国マンチェスター出身で紳士的な正統派レスラーとして大人気、得意技スープレックスから愛称は「人間風車」)
レイ・ハンター(オーストラリアのお金持ちの御曹司だったとか・・・)
ジョージ・ゴーディエンコ(カナダのウクライナ系正統派レスラーで引退後画家として成功したとか・・・)
ピーター・メイビア(アメリカ領サモア出身でなんとあの「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンの祖父とのこと!)
ジョン・ダ・シルバ(ニュージーランド出身のマオリ系正統派レスラーで「マオリの戦士」と呼ばれた)
レイ・ゴールデン・アポロン(トリニダード・トバゴ出身のアフリカ系、「黒い戦車」と呼ばれた)
シルベール・ボクニー(フランス)、マイケル・ネイダー(ハンガリー)
第2回大会(1970年) 
優勝はビル・ロビンソン
<日本人レスラー>
ストロング小林、グレート草津、サンダー杉山、田中忠治、清見川梅之
ビル・ロビンソン(英国マンチェスター、日本人レスラー以上の人気があり大会2連覇を達成)
イワン・ストロゴフ(ベルギー生まれだが両親はソ連出身「ロシアの荒熊」)
グラン・ブラジミア(ロシア系ベルギージン、「石頭入道」と呼ばれ195cmから頭突きを繰り出した)
ビッグ・コマンチ(オクラホマ州出身アメリカ先住民コマンチ族出身かどうかは?トマホーク・チョップが得意技)
コンデ・マキシミリ(ペルー出身で人食い族の生き残りというのが売り、「人喰いインディアン」)
ジミー・ダラ(モロッコ系?フランス人だがアフリカ系の正統派レスラーで「黒いミサイル弾」と呼ばれた)
第3回大会(1971年) 
優勝はモンスター・ロシモフ
<日本人レスラー>
グレート草津、サンダー杉山、ラッシャー木村
<外国人レスラー>
ビル・ロビンソン(英国マンチェスター、ゴッチと共に決勝リーグに残る)
シーン・リーガン(北アイルランド)
カール・ゴッチ(ベルギー人でドイツ系ではない「プロレスの神様」)、モンスター・ロシモフ(ポーランド系フランス)
モンスター・ロシモフ(フランス出身でブルガリア・ポーランド系、「木こり」だったとされたが実は家具の運搬人だった!)
ドクター・デス(カナダのマニトバ州、ムーン・モロウスキーが覆面を被っている)
ジャック・クレイボーン(マルチニーク島出身のアフリカ系フランス人レスラー、「褐色の豹」)
黒潮太郎(レイ・ゴールデン・アポロンの弟子で日本に留学していた)
バスター・マシューズ(フランス系カナダ)、マグナ・クレメント(モナコ出身)
第4回大会(1972年) 
優勝はストロング小林
<日本人レスラー>
ラッシャー木村、ストロング小林、サンダー杉山
<外国人レスラー>
バロン・フォン・ラシク(アメリカ・ネブラスカ州ドイツ系ではないが「ナチスの残党」が売りでした)
レイ・ゴールデン・アポロン(元黒潮太郎)
イワン・バイテン(ベルギー出身で「ベルギーのまむし男」と呼ばれた)
ホースト・ホフマン(アルメニア系ドイツ人で正統派のレスラーとして活躍した)
ジョージ・ゴーディエンコ(ウクライナ系カナダ人の正統派)
アリババ・マルスターニ(レバノン、ベイルート生まれで得意技はキャメル・クラッチ)
モンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)
ドンレオ・ジョナサン(アメリカ・ユタ州出身「モルモンの殺人者」、カナディアン・バックブリーカーなど大技が得意!)
ティト・コバ(ポーランド・ワルシャワ出身)
第5回大会(1973年) 
優勝はラッシャー木村
外国人選手のレベルが急激に低下し、ラッシャー木村の優勝という結果に・・・
<日本人レスラー>
ラッシャー木村、ストロング小林、寺西勇、田中忠治、グレート草津、マイティ井上、アニマル浜口、大磯武
<外国人レスラー>
ラーズ・アンダーソン(ミネソタ州出身、「ミネソタ・レッキング・クルー」のオリジナル・メンバー) 
ムース・ショーラック(アメリカ・シカゴ出身の白人レスラー、「ムース」という綽名の巨漢レスラー)
ボブ・ブラッガーズ(ネブラスカ州出身の白人レスラー、飛行機事故で死亡)
フリッキー・アルバーツ(南アフリカの白人レスラー)
ウィリアム・ホール(南アフリカ出身の白人レスラー)
ブラック・ジャック・マリガン(テキサス出身のカウボーイ・スタイルを売りにした白人レスラー、「黒い猛牛」と呼ばれた巨漢)
デール・ルイス(オリンピック出場の経験を持つウィスコンシン州出身の実力派レスラー)
グレッグ・ガニア(カナダ出身AWAのオーナーでもあったバーン・ガニアの御曹司)
第6回大会(1977年) 
優勝はラッシャー木村
4年の間をおいて開催されたが、来場客数・視聴率の低下は止まらず、これが最後の大会となった
<日本人レスラー>
ラッシャー木村、グレート草津、鶴見五郎、大位山勝三、マイティ井上、寺西勇、アニマル浜口、剛竜馬
稲妻二郎(本名はジェリー・モロー、マルチニーク出身のフランス系黒人レスラーだが日本側として活躍)
<外国人レスラー>
ビッグ・ジョン・クイン(カナダ・オンタリオ州出身の白人レスラー、「カナダの暴れ熊」
クルト・フォン・ヘス(カナダ出身本名はビル・テリーだが、ドイツ系悪役レスラー「ナチの亡霊」として活躍)
ジャック・クレイボーン(マルチニーク島出身のアフリカ系フランス人レスラー、「褐色の豹」)
キューバン・アサシン1号、2号(プエルトリコのサンファン出身、「キューバ・ゲリラ」という設定の悪役コンビ)
マッドドッグ・バション(フランス系カナダ人モーリス・バション、「狂犬」として活躍するも実力も併せ持つ)
ジプシー・ジョー(プエルトリコ出身のラフ・ファイターとして流血戦を売りにしていた)

<国際プロレスに感謝です>
 1960年代末というのは、世界中が政治的社会的に激動の時代で、あらゆる価値観が変わりつつある時期でした。
 映画、音楽、テレビ、雑誌、文学・・・様々なジャンルが急速に変化し、新たなヒーローが登場しつつありました。
 膨大な情報がそこから発せられ、日本へ、北海道に住む僕のもとへも押し寄せつつありました。
 但し、当時はまだそうした情報には限りがあり、受けとる方も、なんとか処理することが可能な範囲だった気がします。
 そんな僕に、世界への窓となった国際プロレスは、世界史、地理、民族問題、人種問題への興味をもたらすきっかけとなった気がします。
 そこから、僕のこのサイトが生まれることになったとも言えます。
 大好きだった国際プロレスと「プロレスの神様」カール・ゴッチに改めて感謝します。

「東京12チャンネル時代の国際プロレス」
(著)流智美
辰巳出版
2019年

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