紅い国から来た美しき女優


- コン・リー Gong Li 鞏俐 -

<中国が生んだグランプリ女優>
 かつて日本には「グランプリ女優」と呼ばれた女優がいました。京マチ子です。彼女が出演した作品「羅生門」、「雨月物語」、「地獄門」、「鍵」はどれも海外の映画祭で賞を受賞。彼女は当時戦後復興したばかりの「日本の顔」として世界中の注目を集める存在になりました。
 そして、ここで取り上げるコン・リーは、中国版の「グランプリ女優」ともいえる存在です。「紅いコーリャン」(ベルリン金熊賞)、「紅夢」(ヴェネチア銀獅子賞)、「秋菊の物語」(ヴェネチア金獅子賞、女優賞)、「さらば、わが愛/覇王別姫」(カンヌ・パルムドール)、「活きる」(カンヌ審査員特別賞)、「始皇帝暗殺」(カンヌ・芸術貢献賞)・・・中国映画の世界進出と彼女の活躍は、まさにリンクしていたといえます。
 中国が生んだ偉大な女優コン・リーとはいかなる女優さんなのでしょうか?

<女優を目指す才女>
 コン・リー Gong Li 鞏俐は、1965年12月31日中国の瀋陽で生まれました。兄が三人と姉が一人で彼女は五人目の子でした。経済的に厳しかったことから、妊娠がわかった時、両親は堕胎することを考えていたといいます。しかし、産婦人科の医師が生むように説得。そのおかげで彼女はこの世に生まれることになったのだそうです。
 その後、彼女の父親、趙英は、山東大学の経済学教授に就任。両親が共に歌や演劇が好きだったことから、彼女は子供の頃から歌やダンスを習うことができました。成績優秀だった彼女は、順調に高校を卒業し、大学を受験、教師を目指していました。ところがそこで彼女は受験に失敗してしまいます。そして、ここで彼女は改めて自分の将来について考え直し、教師ではなく演劇へと方向を転換します。そして、アルバイトをしながら声楽やダンスを学び、中国における演劇関係最高の学校とされる北京中央戯劇学院に見事合格します。数万人受験する中から20人ぐらいしか合格しないという難関校に受かったのですから、彼女の才能はすでに抜きん出ていたのでしょう。この学校に合格したことで、彼女には将来を大きく変えることになる出会いが訪れることになります。

<チャン・イーモウとの出会い>
 1987年、後に北京オリンピックの演出を任されることになる中国を代表する映画監督チャン・イーモウはデビュー作「紅いコーリャン」の準備を始めていました。彼は先ず、撮影に用いるコーリャン畑を作るため、その植え付けを行います。そして、それが育つまでの3か月、彼は出演する俳優たちを本物の農民にするため、身体を鍛えさせ黒く日焼けさせながら、大切なヒロインを探して中国全土を巡っていました。そして、彼女が通っていた北京中央戯劇学院を訪れます。彼女では若すぎると思ったものの、その演技力見て、これならならいけると判断した彼は、主役を彼女に決めました。
 こうして「紅いコーリャン」の撮影が始まり、彼女は2か月間コーリャン畑のある高密県で男性たちに囲まれた合宿生活をすることになります。それまでとはまったく異なる生活の中、彼女は映画について多くのことを学ぶことになりました。
 1989年、彼女は学院を卒業しますが、そのまま研究室に残り、演技の勉強を続けます。その間に出演した映画は、「続・西太后 暴虐の美貌」、「ハイジャック台湾海峡緊急指令」、「テラコッタ・ウォリア秦俑」など。そして、彼女は卒業後、再びチャン・イーモウ監督の作品に出演します。

<「菊豆」、「紅夢」>
 1990年のチャン・イーモウ監督作品「菊豆(チュイトウ)」で彼女が演じたのは、古い因習が残る農家にお金で買われて嫁入りした女性。彼女ははるかに年長の夫からのDVに耐え続けるうちに、夫の甥と不倫関係となり、夫が脳卒中で倒れると二人でどうどうと生活するようになります。しかし、その後、夫との間に生まれていた子供に怨まれ復讐されるという物語でした。
 1920年代を舞台にしたこの映画は、明らかに現代中国において未だに続く封建的な体制が大衆を苦しめている現状を思い起こさせるものでした。
 1991年の同じチャン・イーモウ作品「紅夢」は、やはり中国の古い社会体制に対する批判がこめられた内容でした。そのため、この作品は中国国内での公開を禁じられることになりました。それでも、彼の作品は海外で高い評価を受けたことから、主演女優の彼女も世界的に高い知名度を得ることになりました。

<世界的公務員女優>
 実は、中国において彼女の立場はあくまでも国家公務員でした。中国映画に出演している限り、彼女には撮影期間中の日当と基本給しか収入はありません。海外でも有名になっていた彼女ですが、中国での彼女の生活は車も持たず、普通の住宅に住む質素な生活だったようです。多くの中国人が、共産主義とは正反対ともいえる富を追求する弱肉強食の生き方に走る中、彼女がそうした欲を持つことはありませんでした。彼女は純粋に俳優という仕事が好きだったのでしょう。
 1992年、「秋菊の物語」が公開されます。農村に住むごく普通の女性が、夫に対する村長の行為に怒り、そのことを訴えようと村から郡、郡から県へと上訴を続けるうちに、周囲からの応援や社会の注目を集めてゆくという物語は、現代中国の問題点を浮き彫りにしました。(ただし、この映画は政府への上訴を可能にする法律ができたことに合わせて作られたため、政府から承認される作品となっていました)この映画での彼女は、それまでの作品と異なり、どこにでもいそうな身重の主婦をスッピンで演じていて、それがこの映画にリアリティーを与えていました。(この作品での演技により、ヴェネチア国際映画祭で彼女は主演女優賞を獲得しています)

<山口百恵似?>
 彼女の若い頃の写真を見ると、山口百恵によく似ています。そのことは中国でも話題になっていたようで、彼女が登場した頃、「中国の山口百恵」と呼ばれていた時期があったようです。逆に言うと、当時、中国で山口百恵の人気は非常に高かったということです。山口百恵が結婚により引退したのは1980年のこと。彼女の活躍はそこから10年近く後のことですが、中国ではまだまだ人気が高かったのでしょう。
 同じ時期の香港を代表する女優・歌手のアニタ・ムイも、歌手としてデビューした当初は山口百恵のカバーを売りにしていました。引退してもなお、アジアでの百恵ちゃん人気は高かったのです。

<文化大革命の苦い体験>
 1993年、「さらば、わが愛/覇王別姫」は、「黄色い大地」(1984年)によって世界に中国映画時代の到来を予告したチェン・カイコー監督の傑作です。(チャン・イーモウは、「黄色い大地」でカメラマンとしてデビューしています)この映画で彼女が演じたのは、京劇の舞台俳優の妻で、文化大革命によって迫害される中で、夫に捨てられ、ついには自殺を遂げてしまう悲劇の女性でした。
 監督のチェン・カイコーは、青春時代に紅衛兵として文化人や芸術家などインテリ階級を迫害する側に立った経験がありました。その時の反省が後の彼の映画作りのモチベーションになったとも言われます。逆にコン・リーの場合は、教師だった父親を迫害されたという苦い体験をしています。その意味では、この映画は二人にとって歴史ドラマであると同時に個人的な体験に基づく重い人生ドラマだったといえます。ただし、この映画もまた過去の中国政府の政策をあからさまに批判する内容だったため、中国本土での公開は行われず、1993年に一部で公開されただけでした。

<チャン・イーモウ作品での活躍>
 1992年、海外でも注目されるようになった彼女に、アメリカの巨匠オリバー・ストーンから「毛沢東伝」への出演オファーが来ました。彼女の役は、毛沢東の妻だった江青女史。女優として活躍後、毛沢東の4番目の夫人となった彼女は有名な政治グループ四人組を組織して文化大革命を指導。毛沢東の死後逮捕され、獄中で自殺した人物です。当然、中国での映画化は困難であり、彼女も出演を躊躇。結局この企画は実現せずに終わっています。
 1994年、「活きる」(チャン・イーモウ監督)はカンヌ国際映画祭特別賞と最優秀主演男優賞(葛優)を受賞。
 1995年、「上海ルージュ」(チャン・イーモウ監督)で彼女は1930年代に上海を支配していたギャングの愛人となった歌手を演じ、歌を披露。
 ここまでの彼女の出演作品の3割はチャン・イーモウ作品ですが、二人のコンビは公私両方に渡っていました。もともと「紅いコーリャン」撮影時、すでにチャン・イーモウには妻がいたのですが、その後、チャンとコン・リーは不倫関係となってしまいます。ついには、夫婦は離婚に至っていたので、二人は結婚することもできました。
 ところが、1996年、コン・リーは突然シンガポールの中国系実業家との結婚を発表。そこからしばらくは二人のコンビによる作品がなくなることになりました。(復活したのは、2006年の「王妃の紋章」)

「映画を撮ることは、海水が満ちたり引いたりするようなもので、一本一本の映画は、多くのいい友だちと別れを告げ、また多くの新しい友だちと出会うようなもの。名画であれ、空の雲のように、ゆっくりとただよい遠ざかり、淡くなっていくけれど、友だちの友情は深い深い大海のようで、満ち引きはあっても生涯、私とともにあるの」
コン・リー

 1998年、「チャイニーズ・ボックス」(ウェイン・ワン監督)で彼女は、ジェレミー・アイアンズ、マギー・チェンと共演。いよいよハリウッド映画に進出した彼女は、香港返還の歴史的変化の時期を生きたイギリス人との恋を演じています。
 1998年、「始皇帝暗殺」(チェン・カイコー監督)は、中国史最大の独裁者、秦の始皇帝暗殺事件を描いた超大作。この中で、暗殺に関わった重要人物の女性、趙姫(架空の存在)を演じています。
 2000年、「きれいなおかあさん」(スン・チョウ監督)で、彼女は耳が不自由な子供の母親の苦難と喜びの人生を演じ、モントリオール国際映画祭で最優秀主演女優賞を獲得しました。
 2002年、再びスン・チョウ監督と組んだ「たまゆらの女」で、彼女は汽車に乗って遠くに住む恋人に会いに行く女性を演じています。不倫であるがゆえに結ばれない恋に燃える恋愛ドラマは、彼女にまた新たな一面を与えることになりました。
 チャン・イーモウと別れて以降、彼女の仕事の幅はより広くなったといえそうですが、チャン・イーモウとのコンビが復活して以降の彼女の作品にも期待したいと思います。思えば、アジア人初のアカデミー賞主演女優に最も近いのは彼女なのかもしれません。

<参考>
「中国映画の明星 女優篇」
 2003年
(著)石子順
平凡社

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