- クール・アンド・ザ・ギャング Kool & The Gang -

<ファンク黄金時代>
 1970年代前半、ソウルの時代からディスコの時代へと移り変わる5年ほどの間、アメリカの黒人音楽の世界では、後に「ファンク」と呼ばれることになるヴォーカル・インストロメンタル・バンドによるダンス音楽がいっせいに花開きました。
 アース・ウィンド&ファイアーパーラメント/ファンカデリック、オハイオ・プレイヤーズ、コモドアーズ、アイズレー・ブラザース、グラハム・セントラル・ステイション、ウォータワー・オブ・パワー、ルーファス&チャカ・カーン・・・そして、クール&ザ・ギャング。彼らのほとんどは、その後30年以上21世紀に入っても活躍を続ける息の長い存在となりました。
 しかし、彼らの黄金時代とも言える1970年代のサウンドは、今やスタンダード・ナンバーとなったディスコでのヒット・ナンバー以外、ほとんど聞かれることはありません。(ヒップ・ホップのアーティストたちによってサンプリングされたり、リミックスされたものが、最近は多く聴けるようになってきましたが・・・)

<ファンクはアルバムも聴け!>
 黒人音楽について、一般的に思われ勝ちなのは、彼らのサウンドはシングルがあくまで中心であり、アルバムはそれを寄せ集めたものに過ぎないという考え方があります。これは、ある意味本質をついているかもしれません。しかし、それはシングルが売上の中心だった1960年代までの話しにすぎません。ディスコにおいてダンスをするためにかけられるようになった1970年代以降、シングルに収まらないダンス・グルーブを生むためには、アルバム製作がその中心にあるのは、当然のことだったのです。
「ファンク・バンドは、アルバム全体を聴くことが大事である。偉大なファンク・アーティストに関して新しく作られた編集盤や追悼盤は、単なるヒットの寄せ集めでしかないことが多く、そのためバンドの政治意識の高さや音楽的才能の幅広さや精神的信念が浮き彫りにならないのは、残念なことだと言えよう」
リッキー・ヴィンセント著「ファンク」より

 ファンク・サウンドとディスコ・サウンドは、どこが違うのか?そう考えた時、アルバム単位で聴けるかどうか?という基準はかなり有効かもしれません。
 そして、「ジャングル・ブギ Jungle Boogie」や「ハリウッド・スウィンギング Hollywood Swinging」「ファンキー・スタッフ Funky Stuff」などの大ヒット曲で有名なクール&ザ・ギャングのアルバム「ワイルド&ピースフル Wild & Peacefull」は、これらの曲だけでなくアルバム単位で聴くに値するという意味でまさに「ファンク」を代表するアルバムの一つと言えるでしょう。

<ベル兄弟と仲間たち>
 クール&ザ・ギャングの中心メンバー、ベル兄弟はニューヨーク近郊ニュージャージー州ジャージー・シティーの低所得者用公営住宅で育ちました。アート・ブレイキー、チャーリー・パーカー、マイルス・デイビスらに憧れていたジャズ好きの二人は、10歳くらいの頃から公園で仲間たちを集めてパーカッションを演奏したりしていましたが、地元のリンカーン高校に入学するとすぐにバンドを結成します。こうして1964年頃に結成されたジャズ・ファンク・バンド、ジャジアックスは、ロバート”クール”ベルのベース・ギター、ロナルド・ベルのサックス、ジョージ・ブラウンのドラム、チャールズ・スミスのリズム・ギター、デニス・トーマスのサックス、ロバート”スパイク”ミケンズのトランペットによって編成されていました。(ピアノのリック・ウエストは、ファースト・アルバム発表後に参加しています)

<ニューヨークへ>
 ニューヨークに出た彼らは、スタジオ・ミュージシャンとして活動を行い、さらにライブ演奏をしながら実力をつけて行きます。そして、1969年バンド名をクール&ザ・フレイムスと改めて、デライト・レーベル De-Liteと契約を交わしました。(但し、ジェームス・ブラウンのバック・バンド、フェイマス・フレイムズと名前が似ているということでクレームがつき、すぐにバンド名はギャングに変更されました)
 こうして、1970年彼らはデビュー・アルバム「Kool & The Gang」を発表。続くセカンド・アルバムとして早くもライブ・アルバム「Live At the Sex Machine」(1971年)を発表し、ダンス・バンドとしての実力を示します。(その後も、すぐに彼らは二枚目のライブ・アルバム「Live At P.J.'s」を発表しています)ジャズ・ファンク・インストロメンタル・バンドとして、エネルギーとアイデアにあふれていた彼らは、「Music Is The Message」(1972年)、「Good Times」(1973年)と次々にアルバムを発表して行きます。

<「ワイルド&ピースフル」誕生>
 ちょうどこの頃、ベル兄弟をはじめとするメンバーは、ネイション・オブ・イスラム(俗に言うブラック・ムスリム)に改宗します。そして、その影響はすぐに彼らのアルバムにも表れ、よりアフリカ的なサウンドやアルバム・デザインが登場してきます。こうして生まれたのが、彼らの最高傑作とも言える記念すべきファンク・アルバム「ワイルド&ピースフル Wild & Peaceful」(1973年)だったのです。
 このアルバムには、今やスタンダードとしてサンプリング・ネタとして知らぬ者のない名曲の数々が収められているわけですが、それらのシングルには収めきれなかったよりジャズ的でよりアフリカ的な要素がつまった10分近い大作も収められています。
 ジャケットのイラストも完全にアフリカのジャングルを意識したものでしたが、この方向性は1975年発表のアルバム「Spirit of the B oogie」でさらに強まります。ジャケットはよりアフリカン・アート的になり、内容的にもけっしてポップではない優れたコンセプト・アルバムとなっていました。
 この頃、ファンク・ブラザー・ナンバー1のジェームス・ブラウンは、あるインタビューでこういったそうです。
「クール&ザ・ギャングは、今2番目に格好良い」
 僕も当時、ソウル・トレインに出演した彼らを見ましたが、残念ながら口パクだったので、その凄さは今ひとつ分かりませんでした。

<ジャズ・ファンクからバラードへ>
 クール&ザ・ギャングだけでなく、アース・ウィンド&ファイヤーウォータワー・オブ・パワーなど、この時期のファンク・バンドの多くは、その基礎がジャズでした。マイルス・デイビスチャーリー・パーカーに憧れていた若者たちが、そのテクニックを活かして新しいジャンルに挑んだのがファンクだったのです。しかし、彼らのテクニックを活かすことができたのは、残念ながら1975年頃まででした。
 世界中に広まったディスコのブームは、世界中の誰もが踊れる最大公約数のサウンドを求めるようになり、高度な演奏技術による複雑なリズム・パターンをもつ曲は、マーケットから排除されるようになります。いつしか、ファンク・バンドたちの多くは、単純なディスコ・サウンドとポップ・チャートにも通用するシンプルなバラード・ナンバーを生きる糧とするようになって行きました。
 彼らもまた例外でなく、1978年にヴォーカリストとして、ジャームス・JT・テイラー James JT Taylorが参加して以降、ポップ路線へと一気に向かい始めます。
 1979年のアルバム"Lady Night"からは"Celebration"が、全米1位の大ヒットとなり、ポップ・バンドとしての地位を確立します。

<なぜ?>
 ほとんどのメンバーが、ブラック・ムスリムに改宗し、名前までも変えていたはずの彼らがなぜそのアフリカン・スピリットを捨ててしまったのか?
 お金を稼いで生きて行くため?アフリカ回帰願望への幻滅?60年代公民権運動のもたらした結果への反発?それともジャズやファンクに飽きたから?
 もしかすると、彼らは時代の要求する音楽を持ち前の高度なテクニックによって、正確に演奏し続けていただけなのかもしれません。

<締めのお言葉>
「ほら、僕らは音の科学者
 数字のように正確に演奏している」

"Heaven At Once" Kool & The Gang

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