台湾版:さらば青春の光と影


「牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day」

- エドワード・ヤン 楊德昌Edward Yang -
<幻の映画>
 この作品の英語タイトルは「A Brighter Summer Day」(輝かしき日々)です。しかし、映画の印象深い場面は夜、それも暗闇の中で展開し、光はその闇の中から浮かび上がる心細いものばかりです。さらに停電が何度も起きることで、その印象はさらに強められます。この映画は僕には「台湾版 さらば青春の光と影」と思えるのです。
 この映画は、日本で初公開されて以後、長い間DVD化されず、見ることができなくなっていました。それはこの映画の権利も持つ会社が倒産し、権利が宙に浮いていたためだったようです。しかし、この作品を高く評価していたマーティン・スコセッシが、この作品の4Kデジタル・リマスター化を行い、2016年にDVDとして発売されることになりました。それも当初カットされていた部分を追加した3時間56分のロングバージョンでの復活です。陰影に満ちた美しい映像をじっくりと堪能してください!

<光と闇の魅力>
 デジタル・リマスターによって蘇った映像がとにかく美しい作品です。すでにこの世を去ってしまった監督が見たらきっと喜ぶでしょう。
 1950年代末の台北は街の明かりも少なく、停電も頻繁に起きていたので、現代と違って夜は闇が大部分を占める世界でした。それだけにロウソクの光、懐中電灯の光、窓からもれる光は、どれも美しく、怪しく、神々しく感じられます。そんな美しい「光と影」の世界は、青春時代を生きる少年たちの「優しさ」と「残酷さ」と見事な対比を生み出しています。停電などめったになく大地震でも起きなければ真っ暗な夜を体験することもない現代社会では、そうした「光と闇」の対比は体感することはなく、人々の心は心の中の闇しか逃げ込む場所がなくなっているのかもしれません。
 ネットの世界がないだけに、当時の若者たちは心の不安から逃れるため、ダイレクトにリアルな暴力世界を選択していました。刀や銃を平気で扱う少年たち、ちょっと前に殺し合いをしていた同級生と仲直りできる感覚が現代の我々にはあり得ないと感じられるかもしれません。まして、一生守ると誓った女の子を刺してしまう少年の気持ちの揺れも含めて、いらいらしたり、あきれたりしながら目が離せません。そして、「これが青春ってやつだったんだよな」と気づかされます。現代の青春を生きる若者だって、どこかで我を忘れる瞬間があり、残酷になる時があり、暴力的な気持ちになる瞬間があるはずです。

<名前と愛称に注意!>
 この映画で少々わかりずらいのは、字幕に登場する漢字の名前がわかりずらいことです。
 例えば、主人公の友人でプレスリー好きの少年の愛称は小猫王と書かれ、「リトル・プレスリー」と呼ばれます。しかし、本名は王茂(ワンマオ)といい、その名前が使われることもあります。そうした名前の使い方がちょっとややこしいのです。主人公にも本名の張震と愛称の小四(シャオスー)の二通りの呼び名があります。日本人の我々には漢字と発音が一致しないこともあり、どうも字幕に出てくる名前と人物を一致させずらいのです。ヒロインの元カレの名前が「ハニー」という可愛い過ぎるのもわかりずらい。漢字と英語それにカタカナが入り混じるのは、台湾の歴史・文化の特異性でもありますが、わかりずらいけどしかたない。

<歴史を少々お勉強>
 なぜ小四の父親は逮捕され、謎めいた場所に監禁され尋問を受け続けることになったのか?
 なぜ小四と仲間たちはグループを作って、他のグループと敵対しなければならなかったのか?
 この映画には、「それは青春だから」では説明できない謎がいくつもあります。ここではそうした謎を説明すべく少々台湾の歴史をお勉強してみましょう。
 同じ時代の台湾を描いた映画としては、エドワード・ヤン監督の盟友でもあるホウ・ショオシェンの傑作「悲情城市」があります。
 台湾は中国の中でもまったく異なる歴史をもつ土地です。元々中国とはまったく異なる国だったところに中国からの移民が住み着き、長い歴史を築きました。そんな彼らは、「本省人」と呼ばれていました。それに対して、中国が毛沢東率いる共産党によって支配されることになった日中戦争以降、蒋介石率いる国民党支持者が一気に台湾へと脱出。そうして急増した新しい移民のことは「外省人」と呼ばれることになります。
 外省人は人口的には本省人より少なかったのですが、中国から多くの資産を持ち込んだだけでなく、国民党の軍隊と共に移住したこともあり、台湾で政治的にも経済的にも軍事的にも力を持つことになりました。そのため多数派であり、元々の住人でもある本省人は、自分たちが支配される側にまわりつつあると感じるようになります。1947年には、ついに反体制派の本省人が各地で暴動を起こし、内戦が起きるに至ります。結局は国民党が武力で政権を掌握し、そこから長きにわたる軍事政権の時代が続くことになります。
 彼ら国民党政権がもっとも恐れたのは、中国本土から中国共産党が侵入してくることでした。そのため、政府は外省人の中に共産党支持者がいないかどうかを常にチェックし続けることになります。
 小四の父親は、中国本土での恩師が共産党員だったのかもしれません。そのことで疑いをかけられ尋問を受けることになったのでしょう。そうした疑いの目は、彼らの子供たちにも向けられていたようです。だからこそ、彼らの子供たちは同じ外省人の仲間とグループを作り、本省人のグループと対立することにもなったのです。

「かつてマイノリティーとは、孤立しているがゆえに仲間たちでは団結しているものとしてイメージされた。しかし、孤立しているからこそ、仲間たちでもまたさらに分裂してバラバラになってゆくという別の側面もあることを、この映画は恐ろしいほどのリアリティをもって描き出している。・・・」
佐藤忠男「中国映画の100年」より

 台湾という国が抱える複雑な歴史的、民族的背景がわかるとこの作品は、より深く理解できると思います。台湾という国が新たに生まれようとしていた時代。そこに生まれた「光と影」は、国民ひとりひとりの人生を左右しました。そんな時代が生み出した「光と影」が、青春時代が生み出す「光と影」と映画の中で見事にひとつになっているのです。主人公の少年の心の不安や葛藤が、彼の家族、学校、仲間たち、地域、台湾という国の抱える葛藤と重なって見えてくるように、この作品は作られているのです。

<エドワード・ヤン 楊德昌
 この映画の監督エドワード・ヤン楊德昌Edward Yangは、1947年11月上海生まれで、1949年に家族と共に台湾に渡った外省人です。(この映画の主人公は彼の分身だったようです)少年時代はこの映画にも何度か登場しているジョン・ウェインに憧れる西部劇大好き少年で、アメリカ映画大好き少年として育ちました。
 1969年に国立交通大学を卒業後、これまたこの映画の主人公の姉のようにアメリカに留学します。フロリダ大学で電気工学の修士号を取得した後、南カリフォルニア大学で映画の勉強を始めますが、授業内容に納得できずに自主退学。ワシントンでコンピューター関係の仕事につきました。
 1980年台湾に戻った彼は、ユー・ウェチンからの依頼で「1905年的冬天」の脚本に参加。その後、テレビでの演出家を経て、短編映画「指望」で監督デビュー。ホウ・ショオシェンらと共に台湾ニューウェーブの中心的監督として活躍を開始します。
 長編デビュー作は1983年の「海灘的一天(海辺の一日)」。「台北ストーリー」(1985年)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞。次の作品「恐怖分子」(1986年)ではロカルノ国際映画祭銀豹賞を受賞。21世紀に入っても、「ヤンヤン夏の想い出」(2000年)でカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するなど世界的な巨匠となります。しかし、2007年6月29日癌の合併症により59歳の若さでこの世を去ってしました。

<チャン・チェン 張震>
 小四を演じた主演の張震(チャン・チェン)は、1976年10月14日に生まれています。この映画に出演した時の彼はまだ15歳で演技経験はまったくなかったようです。「台北ストーリー」でも主演に俳優ではない映画監督(ホウ・シャオシェン)と歌手のツァイ・チンを選んでいるように、彼は俳優に上手い演技をすることを望んではいないようです。(そこは小津安二郎的なのかもしれません)しかし、この映画での彼の演技は高い評価を受け、その後も様々な作品に出演し、世界的な俳優として活躍し続けることになります。
 主な出演作品としては、エドワード・ヤンの「カップルズ」(1996年)、ウォン・カーウェイの「ブエノスアイレス」(1997年)「2046」(2004年)「グランド・マスター」(2013年)、アン・リー監督の「グリーン・デスティニー」(2000年)、ジョン・ウー監督の「レッド・クリフ Part 1 & Part 2」、ホウ・シャオシェンの「黒衣の刺客」(2015年)・・・名作ばかり!

「台北ストーリー 青梅竹馬 TAIPEI STORY」 1985年
(監)(脚)エドワード・ヤン
(製)(脚)ホウ・シャオシェン
(脚)チュー・ティエンウェン
(撮)ヤン・ウェイハン
(音)ヨー・ヨー・マ(音楽が素晴らしい!)
(出)ホウ・シャオシェン、ツァイ・チン、ウー・ニェンツェン、クー・イーチェン
 エドワード・ヤン監督の傑作のひとつと言われながら日本未公開だった作品です。マーティン・スコセッシらによるプロジェクトによって、「クーリンチェ少年殺人事件」と共に4Kデジタル・リマスターで復活。2017年になって初めて日本でも公開されました。
 そもそも、なぜ1980年代に公開されなかったのか?その最大の理由は、この作品がロカルノ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したものの本国台湾で大コケしてしまったからかもしれません。
 そのうえこの作品は、単なる台北を舞台にしたラブ・ストーリーではなく、1980年代の台湾とその社会全体を映し出した「時代映画」です。それだけに、この時代の台北の社会や文化を知らなければ感情移入しずらい作品でもあるのです。
 それでもこの映画は日本人の我々にも理解しやすいメンタリティーをもつといえます。映画の中に日本人も登場し、日本のテレビ番組や野球、カラオケなど、日本文化の影響が色濃いだけに1980年代の日本との共通性に驚かされます。なんだか当時の日本社会とは別の所で展開する並行世界でのドラマを見ているような気がしてきました。
 そんな台湾の首都台北にカメラはタイム・スリップし、変わりゆく街とそこに住む人々を映し出します。同時代を生きた人々には、懐かしく切なく熱くなる映画なのだと思います。
 主演の台湾の人気歌手ツァイ・チンとは、この映画の後、監督のエドワード・ヤンと結婚しています。
 主演のホウ・シャオシェンはこの映画の製作費を自宅を抵当に入れて出資したといいます。これってまるでのこの映画の主人公と一です!おまけに公開当初この作品は台湾ではまったく理解されず、興行的に大失敗となりました。まるでこの映画と同じ・・・。でも監督はこの映画の主人公と違い成功を収めることができました。(でも若くして死んでしまうのですが・・・)

「牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day」 1991年
(監)(脚)(美)エドワード・ヤン楊德昌Edward Yang
(製)ユー・ウェイエン
(脚)ヤン・ホンヤー、ヤン・シュンチン、ライ・ミンタン
(撮)チャン・ホイゴン
(音)チャン・ホンダ
(出)チャン・チェン、リサ・ヤン、ワン・チーザン、クー・ユールン、タン・チーガン
<あらすじ>
 外省人の中学生の小四は、学校で不良仲間たちとグループを作り、他のグループと対立していました。そんなある日、彼は一人の少女に恋をしますが、それは彼のグループのトップに立つハニーの恋人でした。ハニーは事件を起こしたために街を離れていましたが、ある日、街に戻って来ます。そして、グループ同士の対立が深まり、ついに大きな事件と発展してしまいます。
 そんな主人公の危機とは別に、彼の父親は公務員でしたがある日突然逮捕され、尋問を受けることになります。共産主義者でないなら仲間の情報を売れという半ば拷問のような日々が続きます。・・・

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