韓国民主化運動の転換点を描いた名作


「タクシー運転手 約束は海を越えて」
「1987、ある闘いの真実」


- チャン・フン、チャン・ジュナン -

「光州事件(5・18民主化運動)」
 1979年10月26日、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺されました。その10・26事件から韓国では、民主化運動が盛り上がり、「ソウルの春」と呼ばれる情況が生まれました。しかし、韓国の保守化政治家たちはその動きを認めず、翌1980年5月17日、陸軍少将の全斗煥(チョン・ドゥファン)を中心とした軍部によるクーデターが起きます。政権を奪った軍部は、民主化運動の中心となっていた金大中(キム・デジュン)を逮捕し、民主化運動にストップをかけようとします。
 5月18日金大中が光州市の出身で、支持者が最も多い地域だったことから、彼の解放を求める運動が光州始まりでます。当初は、学生たちがその運動の中心となっていましたが、彼らを政府が暴力によって制圧したことから、市民にまで反対運動の波が広がることになります。そして光州市で起きた20万人規模の反政府デモは、その後、全羅南道全体にまで広がることになります。
 それに対し、韓国政府はメディアを使って、情報操作を行い、光州で起きている民主化運動を北朝鮮のスパイ(共産主義者)によって操られた「反政府暴動」と報道させます。さらに光州市を完全封鎖し、交通だけでなく通信も遮断し、孤立化させ、5月27日には2万5千人の兵士により完全に運動は鎮圧されてしまいました。
 なぜ、光州が右派政権の暴力の犠牲となったのか?
 それは、まず反政府派の最重要人物だったキム・デジュンが光州市とその周辺(全羅北道・南道)を地盤とする政治家だったため、彼の支持者である反政府活動家や一般の支持者が多かったことが重要です。
 ちなみに、キム・デジュンとその後、大統領選挙を戦うことになる民主派の政治家、キム・ヨンサムは、慶尚南道とその中心都市釜山市が地盤。選挙で勝利をおさめる右派のノ・テウは、慶尚北道とその中心都市、大邱(テグ)市が地元の政治家。
 それぞれ地盤が全く異なることから、選挙での対立は単なる支持政党間の戦いであると同時に地域間紛争の様相も呈していました。このことが韓国の政治により複雑で悲劇的な事態をもたらすことになったとも言えます。

<光州からの報道>
 ドイツ公共放送(ARD)の東京在住特派員のユルゲン・ヒンツペーターは、光州で何かが起きているという情報を得て、街に潜入しようと韓国へ渡ります。そして、名もなきタクシー運転手の協力を得て、街への潜入に成功。地元の民主活動家や市民の協力を得て、光州市内で起きているデモ隊弾圧の恐るべき暴力の現場の撮影に成功します。彼の撮影した映像が世界に発信されたことで、韓国政府は世界的な非難に晒されることになり、かろうじてそれ以上の暴力の拡がりにストップがかかることになりました。
 当時、政府によって隠されていた事件の全貌は、政権が変わり、民主化が進む中でしだいに明らかとなります。そして、この時期に民主化運動に関わった人々は、その後、「光州世代」と呼ばれることになるほど、この事件はその後の韓国に大きな影響を残すことになります。そのことを象徴するのが、「1987、ある闘いの真実」の中で学生たちが密かに光州事件でのヒンツペーターが撮った映像を見る場面です。
「タクシー運転手 約束は海を越えて」 2017年
(監)チャン・フン
(製)パク・ウンキョン、チェ・キソプ
(脚)オム・ユナ
(撮)ゴ・ナクソン
(音)チョン・ヨンウク
(出)ソン・ガンホ(キム・マンソプ)、トーマス・クレッチマン(ピーター)、ユ・ヘジン(光州のタクシー運転手)、リュ・ジョンヨル(通訳の学生)
<あらすじ>
 ソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、外国人記者から10万ウォン払うという仕事を請け負います。その仕事は政府によって完全封鎖されていた光州市への往復というものでした。当時、光州が危険な事態に陥っていたことは、わかっていましたが彼はお金を必要としていたので、喜んで光州へと向かいます。
 軍による封鎖を避けながら抜け道を通って、光州に到着すると街は軍隊によって封鎖されていただけでなく、ほとんど内戦状態になっていました。ピーターは市内に市民や学生たちの協力を得て、様々な場所で撮影を行います。彼は、反政府派の市民や学生たちが軍や警察からの攻撃によって次々に倒れて行く悲劇の現場をカメラに収めますが、警察に見つかり、追跡をうけることになります。ピーターは、再びキムの運転するタクシーに乗り、フィルムを光州から持ち出す命がけのドライブに出発します。 


「六月民主化運動」
 1987年6月10日から「6・29宣言」が発表されるまでの約20日間。韓国全土では、チョン・ドゥファン政権に対する反政府活動が盛り上がり、政権の基盤を揺るがす事態となります。
 6月9日、延生大学の学生、李韓烈(イハニョル)が反政府デモに参加していて、反テロのための武装警察が放った催涙弾の直撃によって重体となります。(7月5日に死亡)この情報は韓国全土に広がり反政府運動はさらなる盛り上がりを見せることになります。
 6月10日、当時の大統領だった全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる民主正義党の全党大会が開催されることになっていました。民主化運動を進めるグループは、その大会に合わせ韓国全土の18都市で反政府デモを行います。
 6月18日、イ・ハニョルの重体を受け、民主化グループはその日を「催涙弾追放の日」と設定。全国14都市で24万人が参加するデモを行進を行いました。この後も運動は広がりをみせます。
 6月26日、平和大行進が全国33都市で実施され、政府はその拡大に妥協を余儀なくされます。
 6月29日、政府が「6・29宣言」を発表します。その主な内容は、「大統領選挙を直接選挙で行う」、「金大中の赦免・復権」などです。

 こうして明らかにされた政府による市民の拷問と死は、国内だけでなく世界にも衝撃を与え、韓国における民主化運動への支持が一気に強まることになりました。こうした流れの中、政府は妥協を迫られることになります。その結果が、大統領を直接選挙で選ぶという民主化への動きでした。
 反政府活動による死刑判決が下された後、アメリカに渡っていた金大中もこの年ついに公民権を回復。光州市の悲劇を乗り越えて、大統領選挙に挑むことになりました。
 政府の大きな方針の転換の裏には、1987年に控えていたソウル・オリンピックの影響もありました。平和の祭典であるオリンピックが、強権的で暴力的な政治体制の下で行われるなら、参加をボイコットするという動きが世界的に広がっていたせいです。もし、オリンピックが韓国で開催されていなければ、事態はより悲劇的なものとなり、軍事政権はさらに長く続いていたはずです。オリンピックが平和の祭典として開催される意義は、ここにもあったと言えます。

<選挙の実施とその行方>
 1987年韓国は民主国家であることを証明するため、直接選挙による大統領選挙を実施します。民主派の活動が勢いを持っていましたが、そこには落とし穴が・・・。反軍事政権の旗印のもと対立候補となった金大中に対し、同じ民主派の金泳三(キム・ヨンサム)が対抗馬として浮上。二人が民主派の票を奪い合うことになてしまいます。そのため、票数的には二人の合計より少なかった軍人出身の右派政治家、盧泰愚(ノ・テウ)が大統領に就任することになりました。

「1987、ある闘いの真実」 1987 : When The Day Comes 2017年
(監)チャン・ジュナン
(脚)キム・ギョンチャン
(撮)キム・ウヒョン
(音)キム・テソン
(出)キム・ユンソク(パク所長)、ハ・ジョンウ(チェ検事)、ユ・ヘジン(看守ハン・ピョンヨン)、キム・テリ(女子大生ヨニ)、パク・ヒスン(チョ刑事)、ソル・ギョング(民主活動家:金正男キム・ジョンナム)、イ・ヒジュン(新聞記者ユン・サンサム)、カン・ドンウォン(イ・ハニョル)、ヨ・ジング(ソウル大生パク・ジョンチョル)
<あらすじ>
 1987年1月15日、反政府運動に関わっていたソウル大学の学生だった朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が、治安警察による拷問によって命を落とします。政府は、学生の死因を隠すため、そうそうに死体を焼却処分にしようとします。しかし、そのことに気付いた検事が上司の反対を押し切って、正式に検死を行わせます。そころが、その結果は治安警察のパク所長の支持によって、心臓麻痺へと変更されてしまいます。それでも、彼はその情報を新聞記者にリーク。その情報を知った新聞記者が、すぐのその情報を新聞に掲載してしまいます。しかし、そうした不正が上層部の支持によるものであることを証明できないため、一部の警官だけが罪を背負わされ、それで捜査は打ち切られてしまいます。ところが、事件の責任を背負わされた警官の一人が、パク所長らの支持でやらされたことを告白した記録が刑務所に残されていたことがわかります。その情報を民主派のために密かに活動していた看守が入手。彼はその事実を公表するために民主派のリーダーであり、地下に潜っていたキム・ジョンナムのもとへと向かいます。そして、彼がもたらした情報は、キム・ジョンナムを通し、民主活動家を支持するキリスト教の司教らによって発表されました。 
<見どころ>
 「1987 : When The Day Comes」という英語タイトルからもわかるように、この映画は、韓国の歴史にとって重要な転換点である「1987年」という年を再現することにこだわっています。それは、背景となる街の再現だけでなく、小道具、衣装、メイクなど様々なところにも見えてきます。ウォークマンや雑誌など、1987年は日本人である我々にも懐かしいモノがいろいろと登場しますが、韓国の人々にとってはきっと涙が出るほど懐かしいのでしょう。

<今も続く民主化の闘い>
 韓国にとっての1987年が歴史の1ページとして、振り返ることができるようになってきたことはある意味幸いなことです。ちょうど僕がこの作品を見ていたころ、まったく似たような状況が香港で生まれていました。催涙弾の直撃を受けて重体となった学生。市民も巻き込んで展開される民主化運動。
 香港だけでなく様々な国、様々な地域で同じように民主化を求める運動が行われているのです。世界は少しずつでも進歩しているのでしょうか?それは地域ごとの歴史の違いによって、時間差で進むのか?それとも、逆行してしまうこともあるのか?そうでないことを祈りたいと思います。

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