失われしものへの哀悼の書

「洪水 CRUE」

- フィリップ・フォレスト Phillippe Forest -

 それはまるで伝染病だった。ところが、世界はそれにまるで気づかなかった。これから語る現象の痕跡を記録し、その顛末を再現してくれる年代期は存在しない。この病 - 仮にそんな言葉が当てはまるとして - は秘密裡に猛威を振るう。
 ある意味で、病そのものが秘密なのだ。いつ感染が始まったのかは誰にも分らない。そしていまでは収束したと言いきることも、誰にもできない。始まりや終りがあったのかさえ疑わしい。いまから報告する数々の出来事の時期を推定することは、不完全なかたちであってもできそうにない。徴(きざし)は大量に生じていたのだから、人々はその重要性を認識すべきだった。


 なんという書き出し!新型コロナ禍の前に書かれた本とは思えません。
 ではいったい何が書かれているのか?引き込まれます。
 架空の街としながらも、明らかにパリとわかる街を背景に展開するこの小説は、こうした衝撃的に始まります。
 ワクワク感一杯で読み出すと・・・またも驚きです。
 前説が長く続き、さっぱりドラマが展開しません。イライラしてきてしまいます。
 でもそんな展開に著者による仕掛けがあることが、わかってくるのでそこは我慢して読んでく下さい!
 「面白くない展開」にはわけがあるのです。

<あらすじ>
 どこともわからない街に住む名前も年齢も仕事も家族のこともわからない男性が主人公。
 ある日、彼は近所の不法移民などが多く住むビルの火事を目撃します。そして、偶然その火事を見る人の中にいた男女が、自分が住む家の近所であることを知ります。
 その後、主人公は別々に二人と知り合いになりますが、二人の間に特に関係はなさそうなことがわかります。
 かつて音楽家を目指していた女性は、ピアノを弾くために部屋を借りているらしく彼はその女性と知り合い、いつしか深い仲になりました。
 もう一人の男性とも彼は親しくなり、夜中に彼と世界の現状について語り合い、彼の理想について聞かされていました。
 ある日、彼の飼い猫がいなくなってしまいます。
 そしてその後、謎の二人も、突然行方不明になってしまいます。そして、その後すぐに街を洪水が襲い、避難できなかった主人公は自宅に閉じ込められてしまいます。そして街のほとんどは水没してしまいました。
 なぜ洪水の前に彼らはいなくなったのか?彼らは洪水と何か関係があるのではないのか?
 そして、彼と街の運命は?

 わたしが「伝染病」と名付けるものはこうして一匹の猫とともに始まった。すなわち、柵のあいだを巧みにすり抜けてきたかと思えば、今度は空き地の奥で痕跡を残さずに消えてしまい、相手が誰であれ、もう二度と自分の消息を知らせたりはしない、そんな姿を想像させる一匹の猫と共に始まったのだ。その消失は他すべての消失に関わっていた。
(これって完全に「シュレディンガーの猫」ですよね!)

<失った者の悲しみが生む文学>
 著者のフィリップ・フォレスト Phillippe Forest は、1962年にパリに生まれました。ナント大学文学部の教授でもある現代仏文学を代表する作家です。
 1996年、小児がんにより若くしてこの世を去った娘との別れの苦しみを文学として昇華させようと執筆を開始。1997年、その作品が小説「永遠の子ども」として発表されます。
 その後、彼は日本の「私小説」が描いてきた作者とその人生についての研究を開始。大江健三郎、津島佑子、夏目漱石、小林一茶などは、その後の彼の作品にも大きな影響を与えることになります。
 2015年、「アラゴン」でゴンクール賞(伝記部門)を受賞。その他に、「さりながら」、「荒木経惟つひのはてに」、「夢、ゆきけひて」、「シュレディンガーの猫を追って」などを発表。

 彼の文学は、自らが失った者への悲しみを文学に昇華する「私小説」的な作品であり、この作品はその巨大版と読むこともできそうです。

 愛するものが消失するのを目の当たりにする試練。それは、おそらく誰もが経験することだろう。それは世の常であり、例外はない。どれだけ満たされた人生であったとしても、与えられたすべてを手放さなければならないときがやってくる。過ぎゆく時間が、到来する死が、その使命を果たす。・・・

<繰り返される物語>

 後半、物語はぐんぐん面白くなります。そして、この物語自体が著者による創作ではなく、過去にある人物によってすでに書かれていた物語の書き写しだと記されます。
 人名も地名も具体的な固有名詞をことごとく排除した物語が、読者に脳内での映像化を困難にさせるため、前半部は実に読みづらい。しかし、著者はあえてそうしたスタイルにこだわることで、物語を普遍的、時間超越的、神話的な物語にすることに成功しているのです。だからこそ、この物語は、聖書の「ノアの箱舟」だけでなく様々な「喪失の伝説」の新タイプとして高く評価されることになりました。

 常に同じひとつの物語が、太古からいたるところで繰り広げられていて、それは永久に続くことを運命づけられていた。もしかすると、あの英国人作家自身、何ひとつ創作しておらず、わたしが彼から物語を受け取っていて、今度は自分がそれを伝播させるべく写し直すにとどめていたのかもしれない。様々なかたちをとって、あらゆる時代に、すべての国々で、この物語は繰り返され、続いていた。そして、結局のところ、この物語以外の物語は存在しないのではないか。・・・


「実のところ、そこにあるのは大いなる虚空なのだ」
アーサー・マッケン

「洪水」 CRUE 2016年
(著)フィリップ・フォレスト Phillippe Forest
(訳)澤田直、小黒昌文
河出書房新社

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