- クラフトワーク KRAFTWERK -

<職人の技>
 「クラフトワーク」とは、ドイツ語で発音すると「クラフトヴェルク」となり、日本語に訳すなら「発電所」ということになります。しかし、僕は強引に「クラフト・ヴェルク」「職人技」と訳してしまっていました。彼らのあの独特のピコピコ・テクノ・サウンドのイメージからは、「職人」というイメージは浮かびにくいのですが・・・。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの建築現場風破壊サウンドの方が、よほど職人的のような気がしないでもない(ちょっとこれは強引だったかな?)
 しかし、改めてじっくりとクラフトワークを聞いてみると、彼らの徹底的に贅肉をそぎ落としたシンプルなテクノ・サウンドは、職人のみがなし得る粋の感覚とストイシズムに満ちていることに気づかされるはずです。

<アナログ的テクノ・サウンド>
 彼らのテクノ・サウンドは、めいっぱい音を詰め込んだ最新のテクノ・サウンド(ドラムンベースはそのよい例だ)とは、対極に位置していると言えるでしょう。紛れもなく元祖テクノ、元祖ヒップ・ホップと呼びうる唯一の存在、クラフトワークは、実に職人的でアナログ的な感覚のバンドでした。
 だからこそ、アナログからデジタルへの重要な中継ぎ役となり、音楽界の急速なデジタル化の流れとともに、その役目を終えてしまったのでしょう。さらに、サンプリングの重要な音源として、未だに引っ張りだこなのも、彼らのサウンドがデジタル的に生み出すことが困難なアナログ的なものであったことの証明だったのではないでしょうか。(とはいえ、2003年には新作「ツールド・フランス」を発表。けっして、活動を終えたわけではありません)

<偉大なる存在、クラフトワーク>
 とにかく、クラフトワークというグループが残した功績は、このグループの現在の知名度からは考えられないほど大きなモノであることだけは確かです。20世紀のポピュラー音楽史を100年後に語るとき、間違いなく重要な存在としてあげられるはずです。

<オーガナイゼーション結成>
 1968年、ドイツのデュッセルドルフの音楽学校で出会ったラルフ・ヒュッターフローリアン・シュナイダーは、前衛的なロック・バンド、オーガナイゼーションを結成しました。彼らは1969年にアルバム「トーン・フロート」を発表するがまったく売れませんでした。1970年、彼らはバンド名をクラフトワークと改め、再デビュー・アルバム「クラフトワーク」を発表します。バンドには、その後クラフトワークと並ぶバンドになるノイを結成したクラウス・ディンガーも参加し、1971年「クラフトワーク2」1972年「ラルフ&フローリアン」を発表、しだいに彼ら独特のエレクトリック・サウンドは、その知名度を上げて行きます。

<クラフトワークの時代始まる>
 そしてついに、1974年彼らの評価は世界的なものとなりました。彼らの出世作「アウトバーン」が発売され、それが本国ドイツだけでなくヨーロッパ全体、そしてアメリカでも大ヒットとなったのです。(全米アルバム・チャート5位、全英アルバム・チャート4位)
 この時点でメンバーは、前述の二人に加え、カール・バルトスウォルフガング・フルールがパーカッション担当として加わり四人編成となりました。(このメンバーは1986年まで継続することになります)

<黄金時代>
 1976年「放射能」、1977年「ヨーロッパ特急」、1978年「人間解体」と連続して発表された3作品は、まさにクラフトワークの黄金時代を象徴する甲乙つけがたい傑作です。この3作品で彼らは前衛的、環境音楽的だった自らの作風をいっきに「テクノポップ」という新しい音楽スタイルへと展開して行きました。そして、その音楽に呼応するかのように1978年日本からはYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)、アメリカからはDEVOがそれぞれ衝撃的なデビューを飾ります。
 いつの間にか、彼らはテクノ・ポップという新しいジャンルの元祖として、そのブームの頂点に立っていたのです。

<テクノロジーに追い越される>
 1981年、彼らはアルバム「コンピューター・ワールド」を発表します。このアルバムで彼らは、人類の未来にとって重要な意味をもつであろう「コンピューター」をテーマとして取り上げました。それは、テクノ・ポップのリーダーとして時代の先を行っていた彼らにとって、当然の選択だったのでしょう。しかし、テクノロジーの進化は彼らの予想を遙かに超えるスピードでした。そのため、彼らの提示した未来像はあっという間に陳腐化してしまったのです。彼らが電卓を叩いて演奏していたことなどは、実に象徴的です。(実際、電卓がハイテクの象徴だった時代はあっという間に終わってしまいました)

<アイデアは古くても音楽は生き続ける>
 こうして、アイデアが現実世界に追いつかれてしまったことで、クラフトワークの時代は急速に終わりを向かえてしまいました。しかし、彼らの作品群の価値もまた終わったのかというと、けっしてそうではなかったのです。彼らの70年代の傑作アルバムは、今聴いても十分魅力的であり、けっして古さを感じさせません。それは音楽としての本質的な要素、メロディーとリズム、それぞれが独特の魅力を持っているからこそであり、当時の電気楽器のもつシンプルなリズム感とヨーロッパ的な美しいメロディーとの見事な融合を成し遂げた彼らの手腕は、時代の流れを越えたまさに「職人の技」であったと言えるからです。

<偉大なる功績>
 さらに、彼らのどこまでも無駄を省いた隙間だらけのリズムは、初期のジェームス・ブラウンが持っていたスカスカのファンク・サウンドと本質的に共通するものを持っていました。それはある意味、ファンクの原点と言えるものだったのです。だからこそ、ヒップ・ホップの元祖と言われる人物、アフリカバンバータは、クラフトワークの「ヨーロッパ特急」を聞いて衝撃を受け、それを元にヒップ・ホップの記念碑的作品「プラネット・ロック」を作ったのだった。そして、さらにその後静かにそして大きく発展を遂げることになるデトロイト・テクノにも大きな影響を与えることになるのです。
 今や黒人音楽の基礎をなすヒップ・ホップが、白人優越主義を唱えたヒトラーの母国ドイツだったというのは、何という歴史の不思議でしょう!(もちろん、クラフトワークのメンバーもまた、ファンクの原点であるR&Bの影響を受けていたのは明らかですが・・・)

「テクノポップは、パフォーマーの肉体と生み出されるサウンド間の直接的なつながりをいっさい否定することで、ロックの伝統的なパフォーマンス中心主義を変形させる。テクノポップのレコーディングにおいては、声そのものも、テクノロジー的な加工物になってしまう」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」(2012年追記)

<締めのお言葉>
「ぼくは機械になりたい。同じことを規則正しく繰り返す機械はすばらしい」
アンディー・ウォーホル

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