- 黒澤 明 Akira Kurosawa (後編) -

「七人の侍」(1954年)>
 黒澤明の作品群の中で最も有名な作品は、「七人の侍」でしょう。この作品がアメリカで勝手にリメイクされ「荒野の七人」という西部劇映画の傑作を生みだしたのは有名な話です。(ちなみに、「宇宙の七人」というSF版のリメイク作品もありますが、今再びハリウッドではこの映画のリメイクを準備中とのことです!)しかし、実は黒澤明は日本版の西部劇として「七人の侍」を撮ったのだそうです。どうりで、今考えると、あの映画のもつヒロイズムは実にアメリカ的だったように思います。
 この映画が公開された年、日本では自衛隊が誕生しています。当時は朝鮮戦争のまっただ中で自衛隊が朝鮮半島へ派遣される可能性も浮上していました。(21世紀に入りついに自衛隊はイラク戦争に派遣されましたが、今回の派遣のなんとスムーズだったことか・・・)
 そんな状況下で、この映画を見た映画評論家の佐藤忠男氏は、この映画が自衛隊を是認する作品に思えて反発を覚えたと記しています。強い者(侍)が弱く愚かな者(百姓)を善意によって守ってやるという発想は、その後アメリカのベトナム出兵へもつながって行くことになります。娯楽映画として「七人の侍」がもつ完成度は、日本映画史上どころか世界の映画史に残るものであることは間違いないのですが、・・・。
 実は、僕も昔からあの映画に登場する百姓たちのあまりの卑屈さに違和感を憶えていました。・・・ベトナム戦争を題材にした映画、例えば「グッド・モーニング・ベトナム」のような作品でも、そこに描かれたベトナム人の姿に同じ様な違和感を憶えたものです。(逆にこのあたりが、黒澤作品のアメリカ受けする原因のひとつなのかもしれません)

「黒澤の映画からは、区別をつけ、細かな漸次的変化を観察することに対する、ほとんど強迫観念的な関心が見て取れる。たとえば黒澤は、単に男らしさと女らしさを区別する。臆病者とヒーローを対比させるだけでは飽き足らず、異なった種類の勇敢さと臆病さ、異なった種類の高と低の微妙な差異を、描きたさずにはいられないのだ。こうした小さな差異を尊重することへのこだわり、小さな差異を総体的な対立に化してしまうことを拒む姿勢こそ、ぼくらの前にたった二人ではなく、七人の侍が登場し、また「羅生門」では同じ話があんなにもさまざまなかたちで伝えられる理由ではないだろうか。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

<「蜘蛛の巣城」(1957年)>
 この映画は、シェークスピアの「マクベス」を原作として作られました。黒澤作品には、このように海外文学を日本に置き換えて映画化したものが数多くあります。
 「白痴」は、もちろんロシアの文豪ドストエフスキーの作品、「どん底」も同じロシアのゴーリキー作品、「天国と地獄」は、アメリカの作家エド・マクベインの小説、そして「乱」もシェークスピアのリア王が下敷きになっています。(「デルス・ウザーラ」も、ロシアが生んだ国民的文学作品ですが、これだけは地元ロシアで作品化されています)
 こうして、西欧の文学作品を日本に持ち込み、それを違和感なく映画化してみせることができるのは、彼自身が和洋どちらにも対応できる柔軟な考え方をもっていたからなのでしょう。だからこそ、彼は日本人でありながら世界でいち早く大衆的人気を獲得することができたのかもしれません。
 この映画のラスト、本物の矢を使ったシーンには主演の仲代も驚いたと言われます。今どき、そんな撮影絶対に無理でしょう。(完璧主義者とはこのことです)

<「用心棒」(1961年)>
 1960年、日米新安保条約が調印され、深刻さを増していた東西冷戦の中に日本はさらに深く巻き込まれることになります。そんな社会情勢だったことを考えると「用心棒」のストーリーもまた単なる侍たちの派閥争いを描いたものには思えなくなってきます。
 「敵同士に闘わせて、その隙に両方を倒す」というこの映画の展開は、その後も多くのアクション映画で取り入れられることになります。なかでも、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」とブルース・ウィリスの「ラストマン・スタンディング」は、そのリメイク作品ですが、部分的な借用については数え切れないでしょう。
 この映画におけるオープニング・シーン、宿場町を吹き抜ける「空っ風」の描写は、まるで西部劇のように斬新な演出でした。
 さらに主人公の「桑畑三十郎」の汚れた衣装と無精ひげ、蚤を取る描写などは、それまでになかった新たなヒーロー像を生み出したといえます。「野良犬」の刑事といい、黒澤が生み出すヒーローの多くは「汚さの美学」によって生み出されています。

<「椿三十郎」(1962年)>
 前作「用心棒」とこの作品で黒澤のアクション娯楽時代劇路線は、ほぼ完成したと言えるでしょう。特に、この映画のラスト、思いがけない機材故障から生まれた血が噴き出す決闘シーンの迫力は、世界中の映画人に計り知れない影響を与えることになりました。
 この場面の殺陣はお互いに相手の動きを教えられないまま、リハーサルをすることなく一発で撮影されたといいます。それは緊張するでしょう。これまた完璧主義者ならでは・・・。

 「椿三十郎」の、最後の三船敏郎と仲代達也の対決の壮絶さは言うまでもない。いまや伝説となっているように、この対決の場面は脚本には「この決闘は筆では書けない」と書かれていた。
 これは以前、仲代達也さんに聞いたことだが、三船、仲代とも、相手がどう斬りかかってくるか、あらかじめ知らされていなかったという。分っているのは自分の殺陣、動きだけ。まさに真剣勝負。それでいて二人は期待に応えた。リハーサルなしで一回で決めた。完全主義の黒澤明が一回でOKを出すのは珍しい。

川本三郎「映画の戦後」より

<「天国と地獄」(1963年)>
 この頃、日本は高度経済成長路線をひた走っていました。翌1964年には東海道新幹線が運行を開始。さらに名神高速道路の開通後、東京オリンピックが開催されています。
 そんな急激な右肩上がりの経済状況の中、誰もが貧しかった戦後は終わり、いっきに社会では貧富の差が広がりつつありました。こうして生まれた「天国」と「地獄」の間に起きた誘拐事件が、この作品のテーマです。
 考えてみると、今の世界の状況はこの「天国と地獄」の拡大版と言えなくもありません。富める国アメリカと戦場と化したイラク、そしてそこで誘拐された日本人ボランティア。かつては、それぞれの国が、それぞれの宗教や価値観で「幸福」というものを定義していましたが、「グローバリゼーション」という世界統一規格の登場によって、世界ははっきりと「天国」と「地獄」に分けられつつあるのかもしれません。
 ところが、こうして日本に生まれつつあった暗い現実を描き出したことで、この映画は「模倣犯」という新しい犯罪者?を生み出してしまいました。黒澤明は、その誘拐事件に大きなショックを受け、その後しばらくの間、映画を撮れなくなってしまったといいます。
 しかし、「天国と地獄」における高台の豪華な邸宅が、あの9・11同時多発テロ事件のツイン・タワーに見えてくると、この映画の見え方はかなり変わってくるかもしれません。確かに、山崎努演じる誘拐犯は冷たい極悪人ですが、仲代達也演じる刑事より、よほど人間的に思えたのは僕だけでしょうか?
 この映画中盤の犯人に向けた「赤い煙」の映像は、モノクロ映像における唯一のカラー描写として強烈な印象を残しました。この手法ものちに影響を与えた手法です。

<「トラ、トラ、トラ」降板事件>
 1969年、黒澤明は20世紀フォックスの依頼を受け超大作戦争映画「トラ、トラ、トラ」の共同監督につき日本側の映像を撮影していました。(アメリカ側の監督はリチャード・フライシャー)しかし、プロデューサーが大きな力をもつハリウッド方式の進め方に反発。途中で監督を降ろされてしまいます。しかし、この頃彼は映画業界が衰退する一方の日本で製作資金を集められなくなっていました。そのため、彼は資金調達のために海外へも目を向けざるを得なくなっていました。実際、これ以後彼は映画製作の資金集めに撮影以上の日数をかけざるを得なくなります。もし、彼のことを師と仰ぐジョージ・ルーカスフランシス・フォード・コッポラたちの助力がなければ「影武者」のような大作は撮ることができなかったでしょう。それだけに、この時の監督降板劇は彼にとって大きなショックだったようです。

<自殺未遂事件>
 黒澤明は時代劇版ER(緊急救命室)、もしくは「七人の侍」ならぬ「七人の町医者」といった感じの作品「赤ひげ」(1965年)を製作後、戦後の焼け跡を舞台にしたオムニバス人情ドラマ「どですかでん」(1970年)を製作します。
 ところが、1971年「どですかでん」を完成させた黒澤明は、自宅の風呂場で剃刀を用いて手首を切り自殺を図ります。幸い傷は浅く一命をとりとめましたが、この当時彼がいかに悩んでいたかがうかがわれます。彼はけっして完全無欠の天才ではなく、ヒーローの顔の後ろで未来の不安におびえる弱者でもあったのかもしれません。
 そう思いながら、改めて彼の作品を見ると、彼が弱者を描く時の厳しさが、実は彼自身に向けられたものだったのではないか?そうも思えてきます。

<その後の黒澤明>
 その後、彼はシベリアの大地を舞台とした異色の大自然ドラマ「デルス・ウザーラ」(1975年)、「影武者」(1980年)「乱」(1985年)と5年に一本ペースの寡作状態に入ってゆきます。
 作品発表のペースが落ちると同時に黒澤監督は現代劇を撮らなくなります。(時代劇を撮るためにはお金がかかるため、ペースが落ちたとも言えますが、・・・)残念なのは、こうして黒澤作品が現代社会とのつながりを失ってしまったことです。もちろん、時代劇から現代社会の問題点が見えることもあるし、時代劇は古くさいと言っているのではありません。「天国と地獄」によって現実とあまりにリンクし過ぎてしまった監督が、現実を描くことを恐れるようになってしまったのか?予算が集められずに、その資金を海外に求めるうちに日本の社会に対する関心がなくなってしまったのか?とにかく、彼は現代の日本を描かなくなり、現実離れした様式美の世界を描くことに熱中するようになりました。
 70年代には「どですかでん」「デルスウザーラ」で「生きる美しさ」を描いていた彼は、80年代には「滅びの美しさ」を描くようになります。さらには、彼自身の心に潜む不安を描くことで「終末の悪夢」を映像化、「夢」(1990年)を完成させることになります。
 翌年の「八月の狂詩曲」もまた、その延長線上にあったのかもしれません。しかし、遺作の「まあだだよ」(1993年)では、そんな思いを吹っ切ったようにも見えます。

<人間、黒澤明>
 「完全主義者」「天皇」と呼ばれた「世界の黒澤」は、日本人にしては背が高く、サングラスをいつもしていたせいもあり、ずいぶん恐そうに思われていたようです。(実際に、言うことをきかないスタッフは、例え勝新太郎であろうとやめさせていたのですが、・・・)
 彼が描く主人公たちのスーパーマン的な強さも、彼の強面イメージの元になったのかもしれません。しかし、時代とともに黒澤作品の主人公たちもどんどん変化して行きました。
 それはたぶん、彼の作品が日本という国の変化を映し出したからであり、それとともに黒澤監督自身もまた変わっていったのでしょう。70年代以降、彼が現代社会を描かなくなったのも、もしかすると現代社会に描くべき魅力的英雄がいなくなってしまったからなのではないでしょうか?そんな気もします。

<黒澤明と小津安二郎>
 黒澤明と小津安二郎、二人の巨匠は確かに対照的な存在かもしれません。しかし、一見繊細そうな小津監督よりも、実は黒澤監督の方がより繊細だったのかもしれません。
「黒澤明の作品における熱っぽさと激しさも、小津安二郎の作品の静けさや劇的葛藤の希薄さと同じように日本的なのである。日本人は、小津安二郎の作品に描かれているような静かな生活をひとつのの理想としている。しかし、現実の日本人は、わずかな成功のチャンスを奪い合うように、異常な激しさをもって押し合いへし合いして生きている。・・・」
佐藤忠男著「黒澤明の世界」より

<「まあだだよ」(1993年)>
 先日、久しぶりに黒澤監督の遺作「まあだだよ」を見ました。改めて見ると、あの映画はまるで彼自身の生前葬のような作品です。
 ラストシーンで子供時代の「かくれんぼ」を夢みるシーンがあり、それが見る人の心に懐かしと悲しさを甦らせてくれます。あのラスト・シーンを撮りたいがために、この映画は撮られたのではないか?そう思いました。この映画を撮ることで、彼は死の旅へと向かう心の準備を終え、あの「生きる」の志村喬のように安らかに生を終えることができたのかもしれません。もちろん、そんなことは本人しかわからないのですが、・・・。

<「雨あがる」(2000年)>
 黒澤監督の遺作とも言える脚本をもとに製作された「雨あがる」を見ました。主人公である人を切らない剣豪の立ちまわりは、「椿三十郎」の有名な殺陣シーンの究極の進化形であり、三船敏郎から彼の持ち味である殺気を取り去ったような寺尾聰の演技もまた味わい深いものがあります。(宮崎美子は、京マチ子から色気を取り去ったようなもの?)
 「椿三十郎」から「雨あがる」への変化は、そのまま黒澤明自身の変化であり、なおかつ日本という国の変化でもあるでしょう。でも、どっちの主人公が魅力的かと言われると、どう考えても椿三十郎のような気がしますが、・・・。

<締めのお言葉>
「・・・長いこと私を苦しめていたひとつの意図があるのですが、私はそれを小説に書くのを恐れていました。なぜなら、その意図があまりにもむずかしいものなので、それが魅力的であり私も愛しているものであるにもかかわらず、準備することができなかったのです。その思想とは、完全に美しい人間を描くことです。私の考えでは、特に現代においてこれほどむずかしいことはないように思われます。・・・」
ドストエフスキー「白痴」の主題についての言葉

「まあだだかい?」
「まあだだよ!」

映画「まあだだよ」より

<追記>(2013年8月)
「黒澤明監督は、壮大なスケールのシナリオを演出してたんだけど、なぜそれが彼にできたのか?それは、彼が頑丈で反抗心のある人だったからだと思う。生まれつき強靭で、体躯の大きな人だった。黒澤さんの肩幅はね、彼のもつエネルギーを体現していたと思うね。なんかさ、ふつうの日本人とは違ってたもの。・・・」
「北野武によるたけし」より

・・・黒澤がどなり散らしたり、好々爺になったりして現場をもみくちゃにするのは、出演者、スタッフなどをとことんまで混乱させて、そこから出てくる「未知なる何か」を期待しているからではないか、と思ったのである。
田中英司「現代・日本・映画」より

 小津安二郎が静的な秋の監督とすれば、黒澤明は動的な夏の監督。実際、黒澤作品は夏の物語が多い。「酔いどれ天使」も「野良犬」も「天国と地獄」も季節は夏。男たちは炎天下のなかで汗だくになっている。「七人の侍」も田植え前、初夏の物語だ。

 黒澤明には、逆説的になるが「汚さの美学」というものがある。夏という暑く厳しい季節が好きなように、汚れも好きなのだ。「酔いどれ天使」のドブ池や、「野良犬」の闇市など、そのいい例だろう。「どん底」や「どですかでん」のような、吹きだまりの世界を描いた異色作もある。
川本三郎「映画の戦後」より

<黒澤明とクラシック音楽>
 黒澤監督は、クラシック音楽のイメージを映画に多様していたことで知られています。ただし、既成の録音、曲を使えない場合も多かったため、そのイメージに似た曲を早坂文雄氏らに作らせていました。例えば、「赤ひげ」(1965年)の場合にはこう語っています。
「僕がスタッフのみんなに言ったのは、『おしまいに、ベートーベンの(喜びの歌)が、映画の中から聞えてくるようにならないとダメなんだぞ』ってことだったんだよね」
黒澤明

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