- 桑田佳祐 Keisuke Kuwata -

<桑田佳祐の総決算>
 2012年、桑田佳祐がソロ・ベスト・アルバムを出しました。彼にとってのソロ活動はサザンでの音楽活動とどう違うのか。その立ち位置やこだわりはどう変わってきたのかを時代とともに追ってみようと思います。ポップであることにこだわってきた彼の音楽の変化は、1980年代以降の日本を映し出してきたともいえます。危うく三途の川を渡りかけた彼は、見事に現場復帰を果たしました。ベスト・アルバムの発表で一区切りをつけ、今後まだまだ彼は活躍を続けてくれると思います。
 彼のソロ活動は、1981年桑田バンドの初ライブからスタートしたといえます。このバンドは、まだまだエネルギーにあふれていたサザンオールスターズとしての活動(この年サザンはアルバム「ステレオ太陽族」を発表しています)の合間をぬった趣味の世界だったようです。1981年の桑田バンドのライブは、その翌年「嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE !」として発表されました。この年、彼は原由子と結婚し、サザンとしてのアルバム「NUDEMAN」を発表。さらに小林克也を中心とする異色のバンド、ザ・ナンバーワンバンドのアルバム「モモ」の録音にも嘉門雄三として参加しています。(いち早くラップを取り入れた挑戦的な名作でした)
 1983年、彼は自主レーベル「TAISHITA」を設立。サザンとしてのアルバム「綺麗」を発表。(あの一時代を築いた「俺たちひょうきん族」のために「アミダばばあの唄」も作っています!35万枚のヒットでした)ある意味、何をやっても成功する時代だったともいえます。
 1984年、彼は桑田佳祐として人気深夜ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」を担当することになります。これもまた語り手としてのソロ活動だったといえます。この年もサザンはアルバム「人気者で行こう」を発表しています。
 1985年、第二期サザンの集大成ともいえる2枚組アルバム「KAMAKURA」が発表されました。当時大流行だった「打ち込み」の多用や様々な旬のアーティストたちへのオマージュにあふれた大作はサザンにとって、ひとつのピークとなる作品でした。
 この年、海外ではライブエイドによるアフリカ救済チャリティー作品として「We Are the World」が発表され大きな話題となりました。日本でも同様の企画はありましたが、結局実現はしませんでした。それはレコード会社の違いや「売名行為」といわれることへの抵抗などが障害になっていたようです。それではそうした「売名行為」とか「利益処理の問題」を気にしなくても良い企画をやろう、ということで桑田はユーミンとの共作曲「Kissin' Christmas」を制作。1986年の年末に様々なアーティストが彼を中心に集結し、日本テレビの特別番組「メリー・クリスマスショー」が実現しました。(忌野清志郎、山下洋輔・・・)
 さらにこの年、原由子の妊娠により、サザンが活動を休止。彼はその間に本格的なソロ活動への第一歩としてKUWATA BANDを結成。アルバム「NIPPON NO ROCKBAND」を発表しています。初めて、一人で曲を作ったり、録音を行う中で、彼はそれまでバンド全員で行っていた曲作りをひとりで行う術を身につけてゆきました。そして、そんな彼の心強い右腕となったのが当時はまだ無名に近かった音楽プロデューサーの小林武史でした。
 1987年、彼のソロデビュー曲「悲しい気持ち(Just A Man In Love)」は、小林武史との最初の仕事となり、その後、サザンのアルバムでも彼とのタッグが続くことになります。
 1988年、初のソロ・アルバム「Keisuke Kuwata」を発表。この年、産休あけの原由子を迎えてサザンが活動を再開。シングル「みんなのうた」で新たなスタートを切りました。

<1990年代、ソロ活動の本格化へ>
 1990年、サザンのアルバム「Southern All Stars」と桑田自身が監督した映画「稲村ジェーン」のサントラ・アルバムも発表。しかし、1992年にアルバム「世に万葉の花が咲くなり」を発表するとサザンは実質的な休止状態に入ります。
 1993年、シングル「真夜中のダンディー」を発表した彼は、日本武道館で開催されたエイズ救済コンサート「AAA - アクト・アゲインスト・エイズ」のプロデュースを担当、自らもそこで歌いました。

「ただ、メッセージ・ソングを書くこと程、実に簡単な、小手先の話はないんですよ(笑)。だって、みんながそう感じていることをなぞっているだけですから。作品の在り方は、秀逸なラブ・ソングを書き上げるほど健全ではないと思います。日常生活や恋愛観を独自の型で描くことの方が、100倍難しいんです。」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

「真夜中のダンディー」 1993年(キリン「JIVE」CMソング)
「・・・
愛と平和を歌う世代がくれたものは
身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂
隣の空は灰色なのに
幸せならば顔をそむけてる
夢も希望も現在も(いま)は格子の窓の外に
長い旅路の果てに魅惑の明日は来ない
・・・」

 1994年、正式にサザンが活動休止になるのにあわせて、彼はセカンド・アルバム「孤独の太陽」を発表。そのアルバムの曲を中心としたソロ・ライブ・ツアーも行い。いよいよソロとしての活動が本格化しました。このアルバムは、収録曲「漫画ドリーム」に象徴されるように彼にとっての英雄の一人ボブ・ディランを強く意識したプロテスト・フォーク作品だったともいえます。

「漫画ドリーム」 1994年(ライブでこの曲を歌うときは、毎回、その時期にあわせて歌詞は変えられているようです)
「・・・
泣く人生の影で抱く現金の嵐
公序良俗なす高嶺のブタ共に見た料亭の魂
MaMaMa・・・漫画ドリーム・・・
胃は錠剤にただれ身は注射器の嵐
理路整然たる水増しの医者共に見た延命の魂
・・・
今日も報道の名にて下司な情報の嵐
罵詈雑言吐くC調系のマスコミに見た門もう文盲の魂
・・・
子は番号で呼ばれ一流のフェチの嵐
憐れ世のガキより顔の無い教師らの偏差値の魂

・・・」

「やっぱり僕は自分のことを、ディランズ・チルドレン、ビートルズ・チルドレン、ロバート・デ・ニーロ・チルドレンだと思っていますからね。彼らのやってきた音楽や映像を真似してきたというか、全ては模倣に過ぎない人だと思う時もあります。でも『これは自分の生き方なんだ』と言い切れる境地まで辿り着いた気もしていて」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 1990年代に入り、ボブ・ディランはアルバム「Good As I Been Too You」(1991年)、「奇妙な世界 World Gone Wrong」(1993年)二枚のトラッド・カバー・アルバムを発表。原点回帰ともいえるこれらの作品により、ボブ・ディランは久々に注目を浴びていました。このディラン再評価の流れが彼に大きな影響を与え、彼自身が感じていた日本の現状に対する不満と不安が作品化されたといえます。そして、そんな彼の不満と不安は、その翌年、思わぬ形で現実化することになります。1995年の「オウム真理教による地下鉄サリン事件」と「阪神淡路大震災」もまた彼の心に深い影響を与えることになりました。

<2000年代、ソロ中心の活動へ>
 2001年、再びサザンが活動を休止。彼はソロ・シングル「波乗りジョニー」、「白い恋人達」を発表。どちらも大ヒットとなりました。

「正直、船が大きくなり過ぎたような気がしています。一度この船から降りて、手漕ぎのボートのようなもので漕いで、レアな気持ちで足元を見つめたい。『自分が、何のために音楽を始めたんだろうか』ということを考えたい。」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 2002年、彼は3枚目のソロ・アルバム「Rock And Roll Hero」を発表します。

「やっぱり歌はスキャンダラスな方がいいし楽しい方がいい。安全な歌ばっかり歌っていてもしようがない。」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

「Rock And Roll Hero」 2002年
「・・・
一度は僕らもHero(だった)
極東の成金People
Yes I'm going to keep my faith in you all the time.
Ah.華やかなりしあの頃の
円で勝つ夢は Melt away.
後は修羅場だ
泡沫のようにすべてが消えた・・・Oh
満身創痍でUp Up しそうなくらい I nearly die.
人災列島に夜明けは来ない Never never・・・again.
いっさいがっさいShock Shock 世相は暗いアホみたい
政府首脳よ ニッポンは妙じゃない?
米国は僕のHero
我が日本人(ホウ)は従順(ウブ)なPeople
安保(マモ)っておくれよ Leader
過保護な僕らのFreedom
No(ダメ)だと言えないお父さん
ピンハネがバレたお母さん
疑惑にまみれたHero
騙され続けたPeople
・・・
Ah.援助金(カネ)を出しても口を出せぬ
弱気な態度は世界No,1
舵取りのいない泥の船は
どこへ行くのか?・・・Well
・・・」

 この作品で彼は、それまでのサザンの曲とは異なるよりメッセージ色が強くよりスキャンダラスな曲を中心とした構成で、今まで以上に「ロック」にこだわったスタイルを見せてくれました。

「僕らの世代のビートルズファンは、ポール派はニューミュージックでジョン派はロックンローラーになっちゃうんです。多分僕はその真ん中で両派の言い分にいつも首を傾けていたんですよね。」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 2005年、サザンは久々のアルバム「キラー・エリート」を発表しますが、2007年には再び活動を休止。彼はソロ活動に専念し次々とシングルを発表します。「明日晴れるかな」、「風の詩を聴かせて」、「ダーリン」・・・

「サザンの『エリー』は問答無用の水戸黄門の印籠みたいなものかもしれないけど、自分自身のリアリティとしては、新譜を作って、常に音楽に対する”飢え”を失いたくないんですよ」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 2008年、サザンは再始動し、33枚目のシングル「I Am Your Singer」を発表。30周年記念ライブを開催し、大きな話題となりましたが、それを区切りとしてついに無期限活動休止状態となります。
 2009年、彼はフジテレビで「桑田佳祐の音楽寅さん」を企画出演。このころ彼がこだわっていたのは、「ロック」の原点回帰ともうひとつ「言葉」、「日本語」、さらに「文学」でした。「音楽寅さん」は、その集大成的な内容で、そこから異色の大作「声に出して歌いたい日本文学」が生まれています。この曲は日本文学の名作10作品に桑田がメロディーをつけて歌うというもので、どの曲も素晴らしい18分の大作です。この曲を聞くためだけでも、ベスト・アルバムを買う価値ありです!(「銀河鉄道の夜」、「たけくらべ」、「蜘蛛の糸」、「蟹工船」、「一握の砂」、「汚れちまった悲しみに」、「智恵子抄」、「我輩は猫である」・・・)

<2010年代、死の淵からのカムバック>
 2010年、突如彼は食道癌と診断され、入院します。しかし、その入院中も彼は作曲を続けていたようで、退院後すぐに活動を再開。そして、あえて彼はNHK紅白歌合戦という究極のポップ番組でカムバックを果たしました。

「銀河の星屑」 2011年(フジTV「Control 犯罪心理捜査」テーマ曲)
「・・・
故意か偶然か帰宅途中に遭ったのは
痛みも苦しみも無い世界
夢を見たのかい!?No,no,no
道に迷ったかい!?
シラフじゃ説明出来ないあの夜だった
哀れみの献花(ハナ)
そんなモノはまだ僕は欲しくない
払い終わらぬ借金エトセトラ・・・
まだ人生にゃ未練がいっぱい
お別れの歌!?
そんなバカな!?
蘇れもう一度!!
何処かで母が呼ぶ声がする」


 2011年、彼は本格的にソロ活動を開始。死を意識した昨年の体験がもとになったと思われる曲「銀河の星屑」などを収めたアルバム「Music Man」を発表。

「うん。自分で自分をバカにしないとね。自分の加齢の仕方もさ。そうじゃないと、ただジジイになるなんて何か悔しいからね。だから文化にマーキングをしていきたい。歌のマーキングをね」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 そしてそんな頃、2011年3月11日あの東日本大震災が起きてしまいます。

「Let's try again」 2011年(東日本大震災支援「チーム・アミューズ」作品のソロ・ヴァージョン)
「・・・
あの日起こった未曾有の出来事を
目の当たりにして僕らは学ぶ
想像を遥かに超えた力が
特別な夏を連れて来た
You'd better walk.振り向かず
Don't ever stop ,No.
You'd better walk.歩き出そう
涙の虹を渡って

・・・」

「明日へのマーチ」 2011年(NTTドコモ「Walk with you 2011」キャンペーン・ソング)
「・・・
遥かなる青い空
どこまでも続く道
希望を胸に歩いてた
あの夏の頃
想えば恋しや忘れがたき故郷
願うは遠くで生きる人の幸せ
風吹く杜 君住む町
良い事も辛い事も
それなりにあったけど
野も山も越えて行う
明日へのフレー!フレー!
想えば恋しや忘れがたき故郷
芽ばえよかの地に生命の灯を絶やさず
輝く海 美しい町

・・・」

「やっぱりあたたかいものじゃないですか、音楽っていうのは、辛いことがあった時に歌うと、自然にリズムを取ったりして慰められる、忘れさせてくれるというか。それってすごいことだなと。こんな簡単なことにどうして気がつかなかったのかな・・・なんて。」
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

 そして、2012年、彼は自らのソロ作の集大成としてベスト・アルバム「I Love You - now & forever」を発表します。

「愛しい人へ捧ぐ歌」 2012年(NTTドコモ「Thanks キャンペーンCMソング)
「・・・
涙枯れても止まぬ蝉しぐれ
海鳴る風
今は亡き人の面影に抱かれ
ひとり心と身体を横たえる
見つめ合うたび永久の幸せを
夢見た頃
波音はいつも寄せて返すのに
胸の振り子はあの日で動かない
また生まれ変わって僕と踊ろうよ
二人で寄り添って風になろうよ

・・・」

「 - 70年代、サザンはノンポリシーだったからこそテレビの画面から強烈なインパクトを持って登場しました。そしてずっと一音楽ファンだったからこそ、桑田佳祐はいつも新しく在ることが出来た。これからもそう在りたいと思いますか?」
「ええ。まだまだ見栄張っていたいですから。『そうはいかねえよ』、『負けてられねえよ』っていうファイティングポーズは常に構えていたいと思っています。もしもちょっと構えが下がったら、メンバーやスタッフやお客さんに『桑田、ガードが下がってるぞ!』って言ってもらえばいい - 」

「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」より

<人生の終わりと夏の終わり>
 彼のベスト・アルバムを僕がやっているFM小樽の番組で特集した際、気づいたことがあります。時期が8月後半だったことから「夏の終わり」をイメージさせる曲を選ぼうとしたところ、このアルバム収録の30曲の中に7曲ありました。ちなみに「真夏の歌」は5曲、「冬の歌」が4曲、「秋の歌」が1曲、そして「梅雨時の歌」も1曲でした。サザンといえば、「夏の歌」というイメージでしたが、ソロ作では「夏の終わり」が最大のテーマになっているのかもしれません。考えてみると、日本人にとって心揺さぶられる季節といえば、春(桜咲く頃)と夏の終わりなのかもしれません。そして、「春の歌」を若いアーティストが歌い、「夏の終わり」は、井上陽水、山下達郎、矢野顕子、ユーミンなど、ベテランたちが歌べきなのかもしれません。
 それぞれの時代を鏡のように映し出してきた桑田は、自らの心の内を表現することで、必然的に人生の季節感を表現することになったのでしょう。そして、それができるのは、ミュージシャンとして実に理想的な年のとり方なのかもしれません。

<参考>
「SWITCH 桑田佳祐クロニクル 愛と刹那の25年史」スイッチ・パブリッシング
(この本の表紙がまたドナルド・フェイゲンへのオマージュになっていて最高でした!)
アルバム「I Love You - now & forever」

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