「怪談 Kwaidan」

- 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn) -

<オタクたちの貢献>
 多くの大衆文化の発展には、そのジャンルにおけるオタク的な研究家、収集家たちが大きな貢献を果たしています。ポピュラー音楽の発展においてなら、アメリカにおいてブルースやフォーク音楽の貴重な音源を集め続けたロウマックス親子のような存在がいます。彼らの実績は特別なものですが、それ以外にもロック時代の先頭を走ったローリング・ストーンズには、ブライアン・ジョーンズのようにブルースやエスニック音楽の収集家がいましたし、ライ・クーダーのように世界中の民族音楽やルーツ・ミュージックを訪ね続け、その影響を広めた偉大な研究者タイプのアーティストもいました。
 文学においては、そうした研究はすでに大昔から学問として続けられてきましたから、それほど珍しいものではありません。しかし、そうした過去の文学がすべて研究の対象になっていたわけではありません。まして、それが書物の形で残っていればまだしも、定まった形のない「語り」としてしか存在していない「昔話」のたぐいとなれば、その研究は困難であり、価値も認められていませんでした。そうしたマニアックな文化に着目し、その研究に熱中する。そんな変わり者の多くが、客観的な視点ももつ外部の人間であるというのは現在でも多くみられることです。20世紀の初めにブルースの研究に熱中し、その録音、保存、発掘に人生を捧げた人々やその熱狂的なファンの多くは、その演奏者である黒人たちではなく白人、それもヨーロッパの人々でした。
 日本文化の発展に大きな貢献を果たした人々の中にも様々な外国人がいるのは有名です。その中のひとり小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、まさにその典型的な存在でした。彼は、世界の中でもマイナーな存在だった日本の文化の中でも、さらにマイナーな存在だった「怪談」に着目したのですから、まさに異色の存在でした。そんなラフカディオ・ハーンの代表作「怪談」を読み直してみたいと思います。

<Kwaidan>
 「怪談 Kwaidan - 不思議なことの物語と研究 -」は、原題を「Kwaidan」という英語の書物で、1904年にアメリカのハウトン・ミフリン書店から発売されています。作者の小泉八雲ことラフカディオ・ハーンという人物は、アイルランド系の父親のもとでギリシャに生まれ、その後フランス、イギリスなどで学んだ後、アメリカに渡り、アメリカ人になりました。その後、記者として来日し、退社後、東大に就職、8年間東京帝国大学の講師をつとめました。彼はそこを辞めた後も故国アメリカへは帰らず、日本に住み着きます。その間、彼は日本人の女性、節と結婚し、小泉八雲という日本名を得て、1896年に日本に帰化しています。彼は、こうして生涯日本文化を研究し、それを海外に紹介し続けました。
 残念なのは、彼が苦労して集めた日本の伝承文化を当の日本人は評価しなかったことです。なぜなら、当時の日本人は政府も大衆もみな西洋文化の吸収に必死で、古臭い日本の伝統文化に価値があるとは思えなかったからです。そのため、彼は学校でも日本の伝統文化を教えることなく、英文学の授業しかさせてもらえませんでした。そして、ついには彼は洋行帰りの日本人に、東大での講義の座を奪われることになります。どうやら、それが夏目漱石だったようです。
 彼がこの世を去ったのは、この本を発表した直後、1904年9月26日のことです。東京大久保にあった自宅で心臓発作で倒れ、そのまま旅立ちました。享年54歳でした。

<ラフカディオ・ハーン>
 後の小泉八雲、ラフカディオ・ハーンは、エーゲ海に浮かぶリュカディア島にアイルランド人軍医とギリシャ人母親の間に生まれました。2歳の時、家族と共にアイルランドに移住しますが、4歳の時に母親と、7歳と時に父親と死別し叔母の下で育つことになります。
 孤独な人生を歩むことになった彼は、19歳の時、アメリカに移住。ホテルの雑役、夜警、行商などをしながら勉強も続け、24歳の時、ニューオーリンズで記者として働くことになります。
 日本に渡ったのは、1890年のこと。彼は島根県松江市に住み、松江中学で教師として働くことになります。
 子供の頃から霊感が強く、怖い話、不思議な話を聞くのが大好きだった彼は、大人になってもそうした話に目がなく、来日してから日本の文化について研究するうちに、そうした怪談や妖怪伝説にひかれるようになり、その収集を行なうようになってゆきました。
 偶然ですが、彼は16歳の時、怪我で左目を失明し、生涯、不自由な左目を見せることを嫌がって、顔の右側からしか写真を撮らせなかったといいます。もしかすると、これは「ゲゲゲの鬼太郎」のモデルだったのかもしれません。
 同じアメリカ出身の作家エドガー・アラン・ポーの活躍は1800年代の前半ですから、怪奇な物語の時代はすでに幕が切って落とされていました。そして、19世紀末から20世紀にかけて、ほぼ同じ時代にH・P・ラブクロフトやW・H・ホジスンのような現代ホラー小説の原点となる作家たちも現れています。したがって、彼の存在はけっして例外的ではなく、それは世界的なブームだったのかもしれません。

<ハーンの怪談>
 彼はただ単に日本の昔話や怪談を収集、記録、分類して、それを発表したというわけではありません。彼は自らの感性に従って様々な文集、文献の中から、より優れたもの、より日本的なものを選び出すという作業を行なっています。(ちなみに、この作品「怪談」の出典もとになっているのは、「夜思鬼談」「仏教百科全書」「古今著聞集」「玉すだれ」「百物語」などですが、「雪おんな」だけは、現在の調布付近に伝わる伝説がもとになったそうです)
 彼はそうやって選びぬいたお話の中から、さらに十数編にしぼり、それを翻訳して一冊の本にしたわけですが、それは単なる日本語から英語への変換ではありませんでした。日本に住み、日本人の女性と結婚し、日本の文化を研究してきた彼は、日本人以上に日本的な考え方を身につけていました。そのおかげで、彼には日本の優れた文学が持っている簡潔で美しい文体を英語で表現する能力が身についていたのでしょう。彼は、ワビ・サビの感性を英語によって表現した最初の外国人だったのかもしれません。
 

<愛の物語集>
 この本に収められた話のうち、単純に「怖いだけの話」は「むじな」と「ろくろ首」ぐらいで、残りの半分は「恨み」や「欲望」から生まれた「怨念」の産物である「食人鬼」や「亡霊」を主人公とするもの。さらに残りの半分は、自らが亡き後も現世に生きる「愛する人」のためにつくそうとする「幽霊」や「よみがえり」の話です。そして、たぶん彼が最もこだわった話は、最後のタイプ、「愛」に関するものだったと思われます。
「おしどり」は、殺された雄のおしどりの後を追って、自ら命を絶ってしまう雌鳥の悲劇の物語です。
「お貞のはなし」は、夫を残して若くしてこの世を去った妻が、別の女性としてよみがえり再び夫と夫婦になるという愛の物語です。
「うばざくら」は、自分が育てたあかちゃんの身代わりとなってこの世を去った乳母が、桜となってよみがえるという犠牲的な愛の物語です。
「葬られた秘密」は、忘れられない昔の恋人からの恋文を夫に見られては申し訳ないと、その処分に現れた亡き妻の亡霊の物語です。
「雪おんな」も、自分の正体を明かしてしまった夫を子供への「愛」ゆえに許してしまう妖怪と人間の「愛」の物語です。
 自分の妻、節を生涯愛した彼は、こうした日本人の犠牲的な愛の精神に深く心打たれたからこそ、日本に骨を埋めたのかもしれません。

<節との共同作業>
 1891年に結婚した最愛の妻、節の協力もまた彼の作品になくてはならないものでした。彼は「怪談」を作品化する際、それらがもともと「昔話」として語り継がれてきたことを重要視していました。そこで彼は彼女に本を読むのではなく、語り聞かせてほしいと頼み、それを聞きながら話の細部を少しずつ手直しして、より怖く、よりリアルに、より感動的な話しに仕上げていったのでした。そうした物語つくりの過程について、彼女が残した文章がこの本の解説に収められています。

「『あらっ、血が』
 あれを何度もくりかえさせました。
 どんな風をして言ったでしょう。その声はどんなでしょう。
 贋物の音は何とあなたに響きますか。その夜はどんなでしたろう。
 私はこう思います。あなたはどうです。などと本に全くない事まで、色々相談致します。
 二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます」


 そこまでこだわりをもって制作されたからこそ、「怪談」は日本におけるホラー小説の原点となり、何度となく映画化もされるだけの質の高い文学作品になりえたのです。
 さらに彼は、普段から自分自身の文学世界にどっぷりとはまっていたといわれています。例えば、書斎の竹薮で、夜、笹の葉がサラサラと音をたてると
「あれ、平家が亡びて行きます」と言い。
 風の音が聞こえてくれば
「壇ノ浦の波の音ですね」
 と言ったとか。

 考えてみると、20世紀が始まったばかりの日本は、現在の日本に比べると、ほとんど江戸時代と変わらない世界だったはずです。そんな時代に生きた日本文化マニアのアメリカ人がいたことだけでも驚きですが、その人物が誰よりも日本人的な美意識をもって生きていたのです。彼の人生そのものが十分に不思議な物語です。そして、彼とその愛妻の協同作業が生んだ「怪談」は、一世紀以上の時を越えて日本人の魂として永遠のものに今やなりつつあるのです。
 なんとロマンチックな物語でしょうか!

「怪談 Kwaidan」 1904年
収録されている主なお話
「耳なし芳一のはなし」「むじな」「食人鬼」「ろくろ首」「雪おんな」「青柳ものがたり」「安芸之介」など
(著)ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn
(訳)平井呈一
岩波文庫 

<参考>
「『坊ちゃん』の時代」 1987年
(著)関川夏央
(絵)谷口ジロー
双葉社 アクションコミックス

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