- リトル・フィート Little Feat -

<マザーズのはみ出し者>
 若き日のフランク・ザッパが、その偉大なる足跡の第一歩としてつくったバンド「マザーズ・オブ・インベンション」、リトルフィートの実質的リーダー、ローウェル・ジョージは、かつてそのメンバーでした。しかし、ドラッグに頼ることを嫌うザッパは、ドラッグ漬けになっていたローウェル・ジョージに対し、ドラッグを止めないなら、バンドを止めるよう宣告します。(ザッパのアンチ・ドラッグは、その後もずっと貫かれた。サイケデリック一色だったこの時代、ドラッグを使用していなかった事自体凄いのに、ここまで徹底していたとは、ザッパやはりただ者ではなかった!)そして、このおかげで、リトル・フィートが生まれることになりました。

<小さな偉業 Little Feat>
 ザッパの指示に従い、彼はマザーズを脱退します。そして、同じようにマザーズを止めたロイ・エストラダビル・ペインと言うピアニストを加えて、新しいバンドをスタートさせます。バンドの名前は、「リトル・フィート Little Feat 」小さな偉業という意味でしたが、元はと言えば、R.ジョージが、マザーズ在籍中にドラムのジミー・カール・ブラックにいつも「それにしても、おめえは、ちっちぇー足だな」と言われていたことからきていると言います。"Little Feet"の一文字を換えて"Little Feat"(小さな偉業)というわけでした。偉大なるザッパと落ちこぼれジョージ、スタートから、このバンドの独特の個性は始まっていたのです。

<リトル・フィートの小さな第一歩>
 こんな調子で始まったバンドだっただけに、そう簡単にアルバムが売れるわけはありませんでした。コートの襟を立てたバンドのメンバーたちが寒そうに立っているアルバム・ジャケット同様、そのファースト・アルバムの売上は、実にお寒いものでした。しかし、このひねくれ者たちのバンドは、その独特のひねくれ具合を売りにして、少しずつ上昇気流に乗り始めます。ドラッグ漬けローウェル・ジョージのレイドバックしたギターとクソ真面目なビル・ペインの天才的キーボード、この二つが見事な調和をみせることで、このバンドは、不思議な魅力を生みだし始めたのです。

<ネオン・パークのジャケット>
 リトル・フィートの魅力として、二作目以降から始まったネオン・パークのデザインによるアルバム・ジャケットを忘れるわけにはゆかないでしょう。不気味で怪しげなキャラクターとユーモアにあふれた風景は、一度見たら忘れられないインパクトをもっています。誰でもジャケットを見ただけで、それがリトル・フィートのものであることを確認できる実に見事なデザインです。(同じ時期、これと対照的な内容で、一世を風靡したのが、ロンドンのデザイナー、アンソニー・プライスによる美人モデルを使ったロキシー・ミュージックのジャケットでした)

<ニューオーリンズ・サウンドの導入>
 リトル・フィートの音楽的魅力の中でも、とりわけ重要なのが、3作目あたりから導入されるようになったニューオーリンズ・サウンドの存在です。根っからL.A.のバンドであり、ニューオーリンズはおろか、南部にすら行ったこともないくせに、彼らは、そのセカンドライン・ファンクと言われる複雑なグルーブを見事に自分たちのものにしていました。(南部の香りがする泥臭いロックン・ロールを売りものにしていたあのクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルが、実は南部になど行ったこともないサンフランシスコのバンドだったいう同じような例もあります)こうして、人工の都市L.A.のセンスと南部のファンクが融合した新しいファンク・サウンドが生まれました。(「デキシー・チキン」は、その代表作)

<驚異のハイテク・バンド>
 彼らが、こうして独自のサウンドを生みだすことができたのは、単にアイデアの勝利ではありませんでした。メンバーの持つ驚異的なテクニックがなければ、この挑戦はアイデア倒れに終わっていたはずです。そんな彼らの実力を知るには、彼ら唯一のライブ・アルバム「ウェイティング・フォー・コロンブス」が最適かもしれません。もちろん、彼らはただ上手いだけではありません。同じ時期に活躍していたフュージョン・バンド「スタッフ」が、ステージでアルバムの再現に終止していたのに対して、リトル・フィートは、ステージでは、アルバムとはまた違ったサウンドを展開し、ソロ・パートでは、驚異的なアドリブ演奏を聴かせてくれていました。特に、ビル・ペインのキーボード・ソロは凄かった!僕はかつて中野サンプラザで、彼らのライブを見ましたが、各メンバーのソロ・パートはどれも実に凄かった。これこそ、ザッパ率いるマザーズ直伝のインプロビゼーションだったのです。(「腐っても鯛」ならぬ「ラリッてもマザーズ」?)おまけに、この時の来日コンサートには、なんとホーン・セクションにあのタワー・オブ・パワーのメンバーを連れてきていたのです。なんと豪華な!

<ひねくれついでに>
 その後彼らは、74年の傑作「アメイジング」では、ひねくれついでにアメリカン・ロック最高のオタク系プロデューサー、ヴァン・ダイク・パークスを採用。いよいよ世界一のマイナー・バンドへと成長して行きます。そして、その間にもローウェル・ジョージは、80年代にやっとメジャー級のスターになるロバート・パーマーのニュー・オーリンズ・スタイルのデビュー・アルバムスニーキング・サリー・スルー・ジ・アリーの制作に協力したり、まったく無名だったリッキー・リー・ジョーンズの「イージー・マネー」と言う曲を自分のソロ・アルバムで取り上げて、スターへの道を切り開いてやったりと独自の活動にも余念がありませんでした。

<愛しのフィート>
 1979年、ローウェル・ジョージの脱退もあり、バンドはあっさりと解散。その直後にそのローウェル・ジョージがあっさりと心不全で他界してしまいます。しかし、現在も、残りのメンバーでリトル・フィートは活躍中。
 彼らが、南部の架空の街を舞台に、作り上げた架空の音楽の数々は、訪れた人々を魅了しました。そこは、一度住んだら離れられない不思議な魅力に満ちた街だったです。
 僕と同じように彼らに魅了されていたサザン・オールスターズは、彼らのデビュー・アルバム「熱い胸さわぎ」で「いとしのフィート」という曲を彼らに捧げています。ご存じでしょうか?

<締めのお言葉>
「今でも人々は想像力とは、イメージを形成する能力だとしている。ところが想像力とは、むしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージから、我々を解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない」 
ガストン・パシュラール

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