- ローラ・ニーロ Laura Nyro -

<孤高のシンガー・ソング・ライター>
 1960年代の終わり、アメリカを中心に数多くの優秀なシンガー・ソング・ライターたちが登場しました。ジェイムス・テイラーキャロル・キングジョニ・ミッチェルカーリー・サイモン・・・など個性にあふれたこれらのシンガーたちは、1970年代に入るとシンガー・ソングライター・ブームと言われる状況を生みだします。
 そして、彼らの多くはその後70年代のアメリカを代表するスターになっていったのですが、その中で、ついに大スターにはならず、1997年にこの世を去るまで、孤高の存在であり続けたアーティストがいます。それが、ニューヨークが生んだ天才、ローラ・ニーロです。天は、彼女に優れた作詞、作曲のセンスと素晴らしいソウルフルな歌声、そして美しい美貌をも与えました。にもかかわらず、彼女は大スターにならることはありませんでした。何故でしょうか?

<ブロンクスに生まれて>
 ローラ・ニーロは、1947年10月18日にニューヨークのブロンクスに生まれました。ブロンクスといえば、人種のるつぼニューヨークを代表する下町であり、黒人、ヒスパニック、白人がひしめき合う「混沌の街」です。(そうそう、あのヤンキースの本拠地、ヤンキー・スタジアムもここにあります)彼女の青春時代、この街では、R&B、ジャズ、ドゥーワップなどの黒人音楽はもとより、ヒスパニック系のラテン・サウンドが、競い合うように街中にあふれていました。この街(サウス・ブロンクス)でジャマイカ系住民たちが繰り広げていた野外サウンド・システムによるダンス音楽が、黒人たちに広まり、ヒップ・ホップへと発展していったのは有名な話しですが、それ以外にもラテンとR&Bが混ざり合ったブーガルーもこの街が生んだサウンドのひとつです。この街は、時には異文化が衝突する戦場ともなりますが、そこから新しい文化を生み出し続けた「創造の街」でもあったのです。(この頃のブロンクスの雰囲気を知るのに最適な映画があります。ロバート・デ・ニーロの初監督作品「ブロンクス物語」です。街角のドゥーワップや1960年代当時のヒット曲が使われており、ご機嫌です!お薦めです)

<早熟の天才少女>
 彼女の父親は、プロのジャズ・トランペッターで、有名なジャズ・ヴォーカリスト、ヘレン・メリルは彼女の叔母さんにあたりました。当然、彼女のまわりには、ジャズはもちろん、クラシックやR&Bなどの音楽が常にあり、一歩外にでると街角では、それらの音楽を生で聴くことができたのです。彼女も、ヒスパニック系のグループに飛び入りし、ドゥーワップ・コーラスを歌ったりしていたようです。それは最高の音楽環境だったと言えるでしょう。しかし、それだけ濃厚な音楽環境に育ったということは、彼女にとっての人生もまた濃いものであったに違いなさそうです。そこから生み出された大人びた感性は、彼女のデビュー・アルバムに早くも発揮されており、10代の少女がつくったとは思えない歌詞と複雑な曲の数々は、音楽界に大きな衝撃を与えることになります。

<静かなデビュー>
 彼女はマンハッタンにあるハイスクール・オブ・ミュージック&アーツを卒業後、1966年、19歳でフォーク・ウェイズ・レーベルと契約、翌1967年にデビュー・アルバム"More Than A New Discovery"(新しい発見、それ以上のもの・・・)を発表しました。そのアルバムの中の曲"And When I Die"では「私は死など怖くない、死の中に静けさがあるのなら、その時が早く来てほしい・・・私が死ぬ時、一人の子供が生まれる、そして、世界は巡り続けてゆく・・・」と、まるで悟りをひらいた仏教徒のような人生観を歌に込めていました。しかし、彼女の優れてはいるがアメリカ的ではない歌詞と複雑とも言える高度なサウンドは、一般受けするにはちょっと早すぎたようです。多くのシンガー・ソングライターたちが、ブームの波に乗ってスターになって行く中、彼女は無名のままでした。

<ローラ・ニーロの紹介者たち>
 やっと彼女の存在が世の中に知られるようになったのは、彼女の優れた曲を理解し、それを歌いこなせるアーティストたちが現れたおかげでした。
 その筆頭はなんと言っても、フィフス・ディメンションでしょう。高度なハーモニーと最高の選曲で黒人の男女混合コーラス・グループとしては、未だにポップス史上最高の存在と言える彼らにとって、ローラ・ニーロの曲はなくてはならない存在となります。
 "Stoned Soul Picnic"(全米3位)"Sweet Blindness"(13位)"Wedding Bell Blues"(1位)"Blowing Away"(21位)"Save The Country"(27位)
 その他、スリードッグナイトの"Eli's Coming"(10位)"、ブラッド・スウェット&ティアーズの"And When I Die"(2位)、バーブラ・ストライサンドの"Stoney End"(6位)。
 当時トップ40位入りした曲だけでも、これだけあるのです。
 その他リンダ・ロンシュタット、フランク・シナトラ、アレサ・フランクリン、シュープリームス、ピーター・ポール&マリー、カーメン・マクレーなど、彼女の歌をカバーしたアーティストは、ものすごい数にのぼります。こうして、彼女は「ミュージシャンズ・ミュージシャン」として、カリスマ的な人気をもつアーティストになってゆきました。

<シンガー・ソングライターとしての活躍>
 しだいに知名度が上がってきた彼女は、大手のレーベル、CBSに移籍、次々に傑作アルバムを発表して行きます。「イーライと13番目の懺悔 Eli and The Thirteenth Confession」(1968年)「ニューヨーク・テンダベリー」(1969年)の二作は特に評価が高くジャズ・ロック的で前衛的なトータル・アルバムの傑作でした。それに、フィーリー・ソウルの大御所ギャンブル&ハフのプロデュースで制作されたR&Bのカバー集"It's Gonna Take A Miracle"も、彼女のヴォーカルの素晴らしさが活かされた傑作と言われています。そして1973年には、彼女のデビュー・アルバムがタイトル(「ファースト・ソングス」に変更)と曲順を変えて、改めて発売されるということになりました。それだけ、彼女のデビュー時の知名度が低かったということですが、逆に彼女に対する評価の高まりとデビュー作の完成度の高さを表す出来事でもありました。

<死に至るまで>
 この後も、彼女は超寡作のアーティストとして、コンサート活動とアルバムの制作を続けて行きました。しかし、1993年にアルバム「抱擁〜犬の散歩はお願いね、そして明かりはつけておいて」を発表した後、癌におかされ、数年間に渡る闘病生活を送った後、1997年4月8日、49歳の若さでこの世を去ってしまいます。彼女は、その頃すでに故郷のニューヨークを離れ、コネチカット州の田舎に引っ越していたようです。そして、自分の死が迫っている時も、彼女はいつも地球の未来、環境破壊の問題を気にしていたということです。そんなスケールの大きな優しさこそ、ローラ・ニーロのサウンドがもつ魅力の秘密だったのかもしれません。
 最終的には富も名誉も充分に得ていたはずであり、すべての才能を兼ね備えた天才アーティストであったにもかかわらず、彼女のアルバム・ジャケットのポートレートは、どれも憂いに満ちた表情をしていました。ラスト・アルバムの中の曲"A Woman Of The World"で彼女はこう歌っています。
「私はかつて、愚かな女だったけれど、今では"A Woman Of The World"なのよ・・・」と。日本盤アルバムの翻訳では「世慣れした女」と訳されていますが、それだけなのでしょうか?文字通り彼女は「世界のすべてを背負い込んだ女性」だったと僕は思うのですが・・・。

<レイチェル・カーソンのこと>
 アメリカの女性科学者で初めて公害問題を世間に訴えた人物レイチェル・カーソンをご存じでしょうか?たぶん彼女の代表作のタイトル「沈黙の春」の名前は聴いたことがあるかもしれません。世界で初めて公害問題の深刻さを世に問いかけ、世界中で大ベストセラーになったノンフィクション作品です。(1963年の作品ですが、未だにその輝きを失わない自然を愛する人必読の書です)彼女もまた世界の不幸を背負い込み、その未来を心配し続けた人物でした。彼女は、当時まだ知られていなかった農薬などによる公害の危険を告発する鋭い視点をもっていたのと同時に、優しく自然を見つめ、それを美しく表現する素晴らしい文章力をも兼ね備えていた。それがなければ、けっして未だに売れ続ける作品を生み出すことはできなかったはずです。(彼女の伝記や、その他の作品「われらをめぐる海」「海辺」「センス・オブ・ワンダー」などの作品は、どれも素晴らしく未だに読まれ続けています)彼女もまた癌でこの世を去っています。
 人間を優しく見つめ続け、その未来を心配し続けた彼女は、我々人類の罪の償いのために、この世に現れたのではないのだろうか?そんなわけで、僕はローラ・ニーロの音楽を聴くと、なんとなく、レイチェル・カーソンのことを思ってしまうのです。

<締めのお言葉>
「鳥がまた帰ってくると、ああ春がきたな、と思う。でも朝早く起きても、鳥の鳴き声がしない。それでいて、春だけがやってくる-合衆国では、こんなことが珍しくなくなってきた。いままではいろんな鳥が鳴いていたのに、急に鳴き声が消え、目を楽しませた色とりどりの鳥も姿を消した。突然のことだった。知らぬ間にそうなってしまった。こうした目に遭っていない町や村の人たちは、まさかこんなことがあろうとは夢にも思わない」
レイチェル・カーソン著 「沈黙の春」より

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