砂漠の中の天国誕生と発展の歴史 |
<夢の街を生んだ男>
世界一の賭博の街、ラスベガスを生み出したのはニューヨークを追い出され、アメリカ西海岸で「夢」を探していた一人のイケメン・ギャングでした。幸いなことにその男「バグジー」には、長年忠誠を誓っていたマフィアのボス、マイヤー・ランスキーという資金源があったため、「夢」の実現のために莫大な資金を使うことが可能でした。
何せ、砂漠の真ん中の何もない場所に天国のようなリゾートを作り上げたのです。どれだけの資金が必要だったのか?それは短期的に収益が求められる開発業者のレベルでは不可能なレベルの巨大プロジェクトでした。その意味では、マフィアの資金だけでも不可能だったかもしれません。幸いこのプロジェクトには、もうひとつの巨大プロジェクトが大きな役割を果たしてくれることになります。それは1930年代にアメリカを襲った大恐慌を脱するために立ち上げられたフーバー・ダム建設のプロジェクトでした。フーバーダムの建設なくして、ラスベガスの誕生はなかったかもしれません。
残念なことに、バグジーはその巨大プロジェクト実現のために巨費を賭けただけでなく、自らの命も賭けたため、若くして命を落とすことになります。彼は結局、自分の夢がかなえられ巨大なカジノの街が誕生するまで生きられませんでした。
バグジーの夢であり、あまりにアメリカ的な夢の街「ラスベガス」の歴史を振り返ります。
先ずは砂漠の中の小さな集落が賭博の街として発展し始めるまでの話から話を始めましょう。
<ラスベガス発見>
「ベガス」とは、スペイン語で「草木の生える低湿地」もしくは「牧草地」です。そこは砂漠にかこまれた土地に泉が湧き出した小さなオアシスだったようです。1830年代メキシコ人の探検家ラファエロ・リベラが発見したとされますが、周囲を砂漠に囲まれた土地が住みやすい訳はなく街として成長することはありませんでした。その後モルモン教徒たちが一時期住み着くものの厳しい自然に耐えられず、20世紀に入ってユニオン・パシフィック鉄道の駅ができたことでやっと街の形が出来始めることになりました。
1905年ラスベガス市が誕生し、街にホテル・ラスベガスがオープンします。
1931年3月、大恐慌による失業者対策も兼ねてネバダ州は他の州に先駆けて賭博の合法化を決定します。1934年には、ラスベガスを象徴することになるド派手なネオン・サインが登場しています。
同じ1931年、失業者対策も兼ねた巨大な公共事業としてフーバーダムの建設が始まります。そのためには多くの労働者が現場で働くことになり、ダムの下流にあったラスベガスの街の人口が急増することになりました。賭博を事業として合法的に行えて、ダムからの水と電気を利用できるならば、例えそこが不毛の土地でも西海岸から人を呼び込めるはず。そう考えたバグジーは、そこに賭博の街を建設できると考えました。当然、そのためには巨額の資金を必要としますが、禁酒法時代に溜め込んだ資金の使い道を考えていたランスキーは、バグジーの提案にゴーサインを出します。
<ランスキーのアドバイス>
バグジーに賭博場建設計画にOKを出したランスキーは、彼にいくつかの重要なアドバイスをしています。それは彼がかつて得意としていた賭博場での体験から生まれたアイデアでした。
(1)カジノにはネクタイの着用を強要せず、普段着で入場させること。(金持ちの娯楽だったカジノの敷居を下げることで客層を幅を広げ、居心地を良くする作戦です)
(2)カジノでの賭博に参加しない客も楽しめる豪華なショーやアトラクションも用意すること。(家族や恋人も来場させ、落ちるお金を増やす作戦)
(3)カジノには時計を置かず、時間を忘れて賭博に熱中させること。
(4)カジノはホテルの中心に置き、どこに行くにもカジノを通らせること。(24時間カジノ漬けにしようという作戦)
(5)ベガスの空港にスロットマシンを置き、そこで到着早々儲けさせること。(成功体験を与えることで客を洗脳する作戦)
賭博という行為は、マフィアが利益を得るために最も効率の良いビジネスと言われます。(利益率が3~5割というのですから、丸儲けです)しかし、マフィアにとって賭博が美味しいのは、それだけが理由ではありません。賭博場では、賞金は現金の形で動くのでそのやり取りは記録に残りにくいため、それを利用して政治家に現金を渡したり、裏金を作ったりすることができるのです。(昭和最大の収賄事件ロッキード事件でも、ラスベガスはこうした政治家への現金供与に利用されたと言われています)
さらにこうした不正に得た資金をきれいな資金へと洗浄するのにも賭博場は有効な場所でした。
こうして建設準備は整いましたが、予想外の障害が待ち受けていました。第二次世界大戦の始まりです。
<第二次世界大戦とルチアーノ>
1941年アメリカはついに第二次世界大戦に参戦することになります。それ以後、アメリカはドイツの敵国となり、アメリカの商船が次々にドイツの潜水艦からの攻撃を受け撃沈され、70隻が犠牲となりました。しかし、そこまで被害が拡大したのには、船の航路などの情報が事前にドイツ軍に漏れていた可能性が高い。そう考えたアメリカ政府は、ルチアーノに協力を要請します。それはルチアーノは港湾関係の労働組合も裏で仕切る人物だったからです。刑期を短くできるなら協力するべきと考えた彼は、港湾施設に忍び込んでいるドイツのスパイを見つけるよう部下に指示。するとすぐに8名のスパイを逮捕することができ、潜水艦による商船の被害を激減させることができました。
さらに彼は自らの故郷であるシシリー島の連合軍上陸作戦でも大きな役割を果たしています。その功績により、彼は政府からの恩赦を得て釈放され、国外追放というかたちでイタリアで暮らすことになりました。ルチアーノは、こうしてイタリアで暮らすことになったものの、その後もマフィアのトップの地位は譲らず、イタリアからアメリカの部下たちへ指示を与えつづけることになります。とはいえ、現地で実際に組織を仕切るのは彼の右腕だったランスキーになり、ルチアーノは新たな戦略のため、イタリアを抜け出しキューバに向かいます。そこで拠点を構えた彼は、麻薬の密売ルートを構築し、そこからアメリカ向けの密輸を始めます。しかし、そうした彼の動きがアメリカ政府に知られると、実質的にアメリカの植民地状態だったキューバの政府は彼を追放、イタリアに送還します。(その後、ルチアーノの後継者となったランスキーは1955年にハバナの最高級ホテルにカジノを開設。ハバナを賭博の街にする計画を進めますが、1956年にキューバ革命が起き、キューバからカジノは消えてしまいます)
1962年1月26日ルチアーノの波乱の人生を映画化しようと、ハリウッドの映画製作者が彼の住むナポリを訪れます。ルチアーノは、彼を迎えるため空港に行きました。到着した製作者と握手をした瞬間、感極まった彼は急性心不全を起こして倒れると、そのままこの世を去ってしまいます。(享年64歳)彼の葬儀は、生前の願いが認められ、彼にとっての第二の故郷ニューヨークで行われました。
<ラスベガスの誕生と魔性の女>
1942年、戦争によってラスベガス建設が動かなくなった頃、バグジーは映画女優を目指し、ハリウッドの裏社会とつながりをもつようになった謎多き美女ヴァージニア・ヒルと恋に落ちます。美人なだけでなく男勝りで派手好きな彼女は、バグジーとの相性も良く、その後の彼の運命を左右する存在となります。彼女のあだ名は、その美しさと派手さから「フラミンゴ」だったといいます。このあだ名こそ、彼がラスベガスに最初に建て、街のシンボル的存在となるホテル&カジノの名前です。
(音楽ファン的には、トム・ジョーンズの代表作でもあるライブ・アルバム「ライブ・イン・フラミンゴ」はこのホテルでのショーを収めた作品でした)
彼女はその後、バグジーの愛人だけでなく仕事上の右腕となり、ホテルの建設、企画、装飾、運営、経理にまで関わり成功に導くことになります。しかし、彼女はラスベガス誕生物語における「ファム・ファター」となります。
<ホテル・フラミンゴ>
1946年12月26日、ホテル・フラミンゴが未完成ながらオープン。当日は、ラテン界の大御所ザビア・クガートの楽団が演奏を行い、観客たちの中にはクラーク・ゲーブル、ラナ・ターナー、シーザー・ロメオらの顔がありました。しかし、天気が悪く、設備が不十分だったことからその後ホテルは利益を上げられず、一時閉鎖を余儀なくされ、再オープンを目指すことになります。
そしてちょうどその頃、ヴァージニア・ヒルがホテルの資金をスイスの預金口座に移しているという情報がランスキーにもたらされます。ランスキーはバグジーにヒルと手を切るよう説得しますが、彼はすでにヒルと籍を入れていました。
500万ドルもの巨費を投じていながら未だ完成せず、資金の横流しも明らかになったことで、マフィアの幹部たちはバグジーの暗殺を決議してしまいます。盟友のランスキーにももう止めることはできませんでした。
1947年7月19日、ビバリーヒルズの豪邸にいた彼は、外部から凄腕のスナイパーによって狙撃され41歳の若さでこの世を去りました。犯人は不明のままです。
<ラスベガス黄金期へ>
再オープンしたホテル・フラミンゴは、主人の死と関わりなく集客に成功。ラスベガスは賭博の街として、人気を獲得し始めます。
1947年にはラスベガス大通りが、「ストリップ The Strip」と名付けられます。
1952年には北アフリカをコンセプトにした「サハラ」、1954年にはミシシッピー川の演芸船をテーマとした「ショーボート」
1955年にはフランスのリゾートをモデルにした「リビエラ」。1956年「デューンス」、1957年「スターダスト」、1959年「コンベンション・センター」。
さらに、1950年代ラスベガスには、カジノ以外にも大きな売りがありました。多い時には月に4回も行われ、トータルで100回以上行われた巨大なアトラクション「核実験」です。
アメリカでは放射能被爆による健康被害についてごく一部の人しか知られていなかったため、ネバダ砂漠で行われていた核実験を見ようと多くの観光客がラスベガスを訪れていたといいます。彼らは核爆弾が生み出すキノコ雲を見ながら、「アトミック・カクテル」なる飲み物で乾杯していたとのこと。しかし、彼らの多くがその後、被爆による影響で命を落とすことになります。(同じ頃、砂漠地帯で西部劇の撮影を行っていたジョン・ウェインらの俳優たちも同じように被爆によって命を縮めています)被爆によるこの時期の被害が明らかになったのは、それから20年後のことで、1990年になってやっと政府はその責任を認め、補償のための特別法をつくることになります。
1967年、一時代を築いた世界的大富豪ハワード・ヒューズがラスベガスの多くのホテルを買収し、彼の帝国の一部にします。(彼をモデルにした映画「アビエイター」にも描かれています)しかし、ほぼすべてがマフィアの所有物であるだけに、所有権を得ただけでは思うとおりに営業することはできず、すぐに営業が困難となります。そのため彼は膨大な資金を失い始めたため、1970年、彼はすべてをバハマを本社とする無名の企業「インターテル社」に売却します。
実はその会社は、マフィアの幹部たちがタックス・ヘイブンとして有名なバハマを利用して設立した投資会社でした。
<ランスキーの最後>
1970年、3人の中で唯一生き延び、マフィアのトップに君臨し続けたランスキーも68歳となり、引退を決意します。
最後に彼はユダヤ人たちの国イスラエルに移住しようと準備を始め、イスラエルに入国します。多額の資金を使ってイスラエルの市民権を得ていたのですが、第三次中東戦争が始まり、イスラエルがアメリカに武器の提供を求めることになると、イスラエル政府はアメリカ政府からの圧力に負け、ランスキーをアメリカに送還してしまいます。
帰国後、ランスキーは脱税など様々な罪状によって告発され10年に渡り、法廷闘争を余儀なくされます。それでも「テフロン人間」と呼ばれていた彼の身辺は完璧に守られていて、捜査チームは彼についての決定的な証拠を最後までつかむことができず収監することができずに終わりました。
1983年1月に80歳でこの世を去るまで彼は表向きは堅気のままだったことになります。
1989年「ミラージュ」のオープン以後、「ベラージオ」(1998年)など1990年代に入るとストリップ沿いに巨大テーマ・ホテルが次々にオープンします。ラスベガスは家族で楽しめるエンターテイメント施設として人気となります。その後も20世紀中のギャングの街というイメージからの脱却を図り続け、21世紀に入ると、さらなる高級化が進み、大人のため、セレブのための街となり、ショッピングモールやコンドミニアムも増えることになります。ただし、そうした新たなイメージの健全な街に変身したラスベガスですが、かつてのギャングの後継者たちが未だにその背後にいて、密かに街を仕切っていることに変りはないと言われています。
「ここでは、貴方の願望が全てかなえられる」
「ラスベガスで起こることは、ラスベガスの残る」
<参考>
「ラスベガスを創った男たち」 2016年
(著)鳥賀陽正弘
評論社
ラスベガスの概略地図 Las Vegas |
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LV | ラスベガス・ホテル&カジノLas Vegas Hotel & Casino エルヴィス・プレスリーが837公演を行った場所 |
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Circus Circus | CC | ||||||||||||||||||||||||||
リビエラ Riviera マーティン・スコセッシの映画「カジノ」 |
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C | C | Las Vegas Convention Center | |||||||||||||||||||||||||
Encore | E | D | e | s | e | r | t | I | n | n | R. | ||||||||||||||||
ウィン・ラスベガス Wynn Las Vegas スティーブ・ウィンが設立 |
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Fashon Show Las Vegas | FS | ||||||||||||||||||||||||||
Treasure Island | TI | Ve | T | w | a | i | n | A | v. | ヴェニシアン Venetian (ヴェネチアがテーマ) | |||||||||||||||||
ミラージュ Mirage(スティーブ・ウィン設立) シルクドゥソレイユの公演で有名 |
M | P | Palazzo | ||||||||||||||||||||||||
シーザース・パレス Caesars Palace バリー・レヴィンソンの映画「レインマン」 |
C | P | Fl | フラミンゴ Flamingo(トム・ジョーンズらが出演) 映画「バグジー」 |
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F | l | a | m | i | n | g | o | A | v. | ||||||||||||||||||
ベラージオ Bellagio(S・ウィン) S・ソダ―バーグの映画「オーシャンズ11」 |
Be | B | バリーズ Bally's マイク・フィッギスの映画「リービング・ラスベガス」 |
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Aria | A | P | パリス Paris エッフェル塔などパリを再現 |
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マンダリン Mandarin | M | PH | Planet Hollywood | ||||||||||||||||||||||||
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New York New York ニューヨークの摩天楼がテー) |
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