ラテンアメリカ被支配の500年史


「ラテンアメリカ500年 歴史のトルソー」

- 清水透 Toru Simizu-
 このサイトでは「20世紀」を中心とした世界の歴史を大衆文化(音楽、映画、文学、スポーツなど)の変遷を描き出すことで構築しようと試みています。
 では、そこでいう「歴史」とは何なのか?
 「歴史」とは何のために学ぶ学問なのか?
 この本は、「ラテンアメリカ500年の歴史」を概観しながらも、そんな「歴史」の意味についても考えさせてくれています。
 例えば、そもそも「ラテンアメリカ」という呼び名は、誰がなぜつけたのでしょうか?
 そこにはちゃんとした意味がありました。(その理由は「目から鱗」でした!)

<「ラテンアメリカ」という呼び名の語源>
 「ラテンアメリカ」の「ラテン」って何を意味しているか知ってますか?(僕は知りませんでした・・・)
 
 独立を達成しておよそ半世紀、ラテンアメリカの知識人たちは、我々は果たして西洋人なのかあるいは何人なのかと、自分たちのアイデンティティについて自問しはじめます。北のアングロサクソン系のアメリカ人とは違う。西欧で遅れをとったスペインとも違う。自分たちを取り巻く混血大衆とも、「野蛮な」インディオ大衆の黒人とも完全に違う。彼らがゆきついたのは、当時の西欧文化の中心、フランスでした。その頃、ヨーロッパとりわけフランスに傾倒している知識人が多く、フランスに留学する人も多かった。そこに集まった文人たちの間で、初めて「ラテンアメリカ」という言葉が生まれます。我々の憧れであるフランス文化、それは広くラテン系の文化だ、と。・・・

 第二次世界大戦まで続くアメリカを含めたアメリカ大陸全体のフランス文化への憧れこそ、「ラテンアメリカ」という呼び名が生まれた理由だったわけです。フランスが「ラテン民族」の国だから「ラテン」だったのです。

<ヨーロッパにとっての新大陸の意味>
 さらにこの本は、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への進出について、興味深い見方も示してくれます。

・・・いわゆる大航海時代とは、香料と黄金郷=エルドラードの発見という動機と共に、「文明」のヨーロッパを取り囲む「野蛮」がどこにいるか、どの程度の野蛮かを、一刻も早く確認する必要に迫られた時代だったとはいえないでしょうか。この、ヨーロッパから外側に向かって「野蛮」という他者を発見し確定して行く過程を、僕は「外延的他者化」と名づけています。・・・
・・・「魔女狩り旋風」は、外部世界にたいする「野蛮」捜しが一段落した直後から始まる現象です。今度は、ヨーロッパ社会の内側へ向かって、「文明」を脅かす「野蛮」の探索が始まった。キリスト教文明を脅かす一番身近な他者、それが「魔女」という名の「野蛮」であった。外部へ向かっていた「他者」捜しが一転して内部へと向かう。こうした現象を、僕は「内延的他者化」と名づけています。「発見」を契機に、地球的規模で外へ、同時に内へと向かう他者化、これがヨーロッパ近代の基本的な特徴ではないかと考えています。・・・

 実に新鮮な視点です。ヨーロッパの世界進出の延長に魔女狩りがあったとは・・・!
 歴史的な事実を書くだけでなく、そこに新たな意味を見出すことこそが、歴史を学ぶ楽しみなのです。

<ヨーロッパの王国とインディオの王国>
 かつて南米にはアステカやインカなどヨーロッパの文明を上まわる強大な王国が存在しました。しかし、彼らはオランダやスペインのように国を出て他国を侵略することで国を拡張させるという世界制覇の野望をもってはいませんでした。そこに文化的・政治的な大きな違いがあったといえます。

 確かにアステカ王国はしばしば周辺の集団に対し「花戦争」を仕掛けました。しかしその目的は生贄を確保するという限定的なもので、全面的な征服を機に突然、それまでインディオ社会相互を取り結んでいた緩やかな関係は、片や征服者と一体となって大虐殺も辞さない集団と、他方、全面的に制圧される集団という決定的な敵対関係に変化する。このインディオ集団相互の関係性の激変が、征服地域の拡大とともに網の目のごとく連鎖してゆきます。

 こうして始まったヨーロッパ諸国によるラテンアメリカでの富を収奪。そのための先遣隊として大きな役目を果たしたのが「教会」とそこで神に仕える「宣教師」たちでした。
 宣教師とは、宗教的指導者であると同時に植民地においては軍の先遣隊であり、CIA的な情報収集機関であり、友好的なボランティア組織のリーダーであり、海外勤務の商社マンでもありました。そして、その宣教師たちのほとんどがカトリックだったということにも理由がありました。

 アメリカ大陸でアステカ王国が征服されたのとほぼ時を同じくして、ヨーロッパではプロテスタント化の運動が野火のごとくに広がり、各地でカトリック教会の権威は他に落ちていきました。アメリカ大陸はこの危機に瀕したカトリック世界に、再建のための広大な場を提供することなのです。スペイン王、ポルトガル王にとってもローマ法王庁にとっても、新しい大地で新たに「発見」された人間を基礎に、カトリック・キリスト教王国に再建を計る道がひらかれた。いわばアメリカ大陸の「発見」は、危機的な状況に陥りつつあったカトリック世界に救いの手を差し伸べてくれる、救世主だったといえるのです。・・・

<収奪される大地>
 しかし、当初スペインやポルトガルの王たちは、そうした宗教者たちを使うことに積極的ではありませんでした。彼らが優秀な武器になるであろうことを知りながら、王たちは彼らを使いたくなかったのにもまた理由がありました。

 レコンキスタを完了し、スペイン王国が成立して間もないスペインでしたが、既に肥沃な土地の多くはカトリック教会が支配し、しかも高利貸しとして王権をも脅かす勢力に成長しつつありました。つまり資本の大半はカトリック教会に集中し、いったん教会に集中した財はなかなか外へ出てくることはない。・・・
 王権としては、こうした教会勢力が「新大陸」でも拡大すること、それはどうしても歯止めをかけたい。そこで布教の仕事を、因襲派ではなくカトリック内改革派、すなわち修道会に一任するという基本方針を探ることとなります。


 ラテンアメリカ進出の先陣を切ったのが、世俗社会との接触を避ける禁欲的な集団、フランシスコ修道会でした。その他、ドミニコ修道会、アウグスティヌス修道会、イエズス修道会などがあとに続くことになります。
 これらの宗教組織による宣教は富の収奪よりも、純粋にキリスト教を広めることが目的だったことから、後にこれらの宣教師たちが築いた教区がスペインやポルトガルの政府と対立し、ついには戦争に発展する場合もありました。そんなキリスト教徒と植民地政府軍との対立と戦闘を描いた名作として、ロ―ランド・ジョフィ監督の映画「ミッション」(1986年)があります。
映画「ミッション The Mission」 1986年
(監)ローランド・ジョフィ(製)デヴィッド・パットナム、フェルナンド・ギア(脚)ロバート・ボルト(撮)クリス・メンゲス(音)エンニオ・モリコーネ
(出)ロバート・デ・ニーロ、ジェレミー・アイアンズ、レイ・マカナリー、リーアム・ニーソン

 最終的には、新大陸があまりにも広く、布教するべき人々も多かったため、当初の純粋な宗教集団だけでは足りなくなってしまいます。こうして、より世俗的な宗教集団が新大陸へと向かいはじめ、そこからさらなる富の収奪が始まることになります。

 「野蛮」なるインディオの救済よりは、征服者社会のために奉仕する教会。こうした傾向は、その後王権がイングレシア・セクラル司祭の派遣を依頼することにより、いっそう拍車がかかります。征服地域の拡大にともなって、何百万というインディオたちを前に、修道会だけでは何としても手が足りない。
 結局ローマ法王を頂点とするイングレシア・セクラルに司祭の派遣を依頼せざるを得なくなる。つまり世俗権力と癒着した因習派的な流れがアメリカ大陸に渡ってくるのです。同時に、精神主義に貫かれた初期の修道会も、すでに1530年代あたりより、大所帯を抱え込みスペイン入植者としばしば抗争を起こすこととなります。


<「逃亡」という名の抵抗運動>
 ラテンアメリカの歴史について調べてみると、カリブの島々の多くでインディオの人々がヨーロッパ人によって絶滅に追い込まれたという記述が一般的です。それは奴隷として酷使されたり、白人が持ち込んだウィルスの流行などによるものといわれます。ところが、そうした多くの島々におけるインディオの絶滅は決して全員が死んだのではなく、別の消えた理由があったことがわかりました。

 ラテンアメリカの歴史の中で、逃亡という問題がどれほど白人社会を圧迫したか、あるいはその発展に歯止めをかけたか。すでに部分的にはご紹介したことですが、カリブ海のインディオの「絶滅」にしても、逃亡がもう一つの要因としてありました。征服されていない島へとインディオが逃げのびてゆく。最終的に彼らの一部はコロンビア、ベネズエラそして中米のカリブ海沿岸地域に落ち着きます。その結果、スペイン人が利用できる先住民はいなくなり、結局、ポルトガル人の奴隷商から高価な黒人奴隷を買わざるを得なくなるのです。
 大陸部でも、すでにお話ししたとおり、広大な未征服空間が延々と残された。つまり、都市と都市の間には、ほぼ例外なく未征服空間が存続したのです。その空間へ、再編を強要されたインディオたちが逃げ込んでゆく。この典型的な例であるブラジルの場合、ポルトガル人が入植できたのは帯状の海岸地帯だけでした。インディオたちはアマゾンという広大な空間に逃げ込んでゆく。使えるインディオがいなくなる。そこでカリブ海地域の例と同様に、アフリカから直接奴隷を導入することとなるのです。


 思えば、こうした見方はこれまでも映画や小説などに描かれていました。例えば、ジョン・ブアマンの隠れた名作のひとつ「エメラルド・フォレスト」では、アマゾンに生きる謎の部族の人々が森林開の大規模な伐採によって暮らしの場を奪われ、森から消えて行くまでが描かれていました。彼らは絶滅したわけではなく、広大なアマゾンの中へと逃げ込み、新たな暮らしを始めたのでしょう。(もちろん、そうした逃亡生活が永遠に続くわけではないのですが・・・)
 そうなると、彼らはもうひとつ別の選択肢である「共生」という抵抗の方法についてもこの本には書かれています。

<共生という名の抵抗>
 抑圧や価値の強要といった、抗しがたい現実と共に生きる。貢納の義務も果たし、征服者や教会に食糧も労働力も提供する。でも彼らは、単に現実をそのまま素直に受け入れたわけでは決してない。表面上はすべてを受け入れ、新たな価値の秩序に従順に従ったかのような姿勢を見せる。
 こうして抑圧の枠組みと共に生きながら、いや、共に生きることによってはじめて、わずかに残された自分たちなりの生存の道、自己再生の道を確保する。そうした被抑圧者たちの生き方を、僕は「共生」という名による抵抗と呼んでいます。


 今まで南米の歴史については、歴史書や小説などでいろいろと勉強してきたつもりですが、まだまだ知らないことがあると痛感しました。「歴史」という学問は、時代と共にその見方が変わり、かつての事実が誤りだったり、英雄が実は残虐な悪役だったと扱いが逆転することすらあります。
 「科学」という学問が時代と共に進化し続けていることは当たり前のことですが、「歴史」もまた変化し続けていることを認識する必要がありそうです。

 他者の歴史に接近することの意味は、単に知らなかった知識を集積することではありません。その知識が、自分のなかに無意識のうちに刷り込まれている既成の歴史観や価値観を見直す契機となってはじめて、意味をもつように思います。過去の歴史を理解するということは、自分自身のうちにある価値観や歴史観の変化に気づくこと。理解することは、そのようなものだと考えています。・・・


<参考>
「ラテンアメリカ500年 歴史のトルソー」

(著)清水透
岩波現代文庫
2017年

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