実録:天才トランぺッターの悲劇

- リー・モーガン Lee Morgan -

ドキュメンタリー映画「私がモーガンと呼んだ男」
<天才トランぺッターの悲劇>
 2016年にドキュメンタリー映画「私がモーガンと呼んだ男」という作品が公開されました。タイトルにあるジャズ・ミュージシャンのリー・モーガンは妻により射殺された事件を検証した作品です。事件が起きたのが1972年なので、44年が過ぎて映画になったことになります。モダンジャズの黄金時代から50年ほどが過ぎ、当時活躍していたミュージシャンたちの物語がこれからもどんどん映画になって行くかもしれません。(マイルス・デイヴィスの隠遁生活など)
 若くして天才トランぺッターと呼ばれたミュージシャンの33年の生涯と殺人犯となった妻のその後を描いた記録映像。それは、アメリカならではの悲劇の物語と言えます。先ずは、その主人公リー・モーガンの生い立ちから始めたいと思います。

<早熟の天才現る!>
 リー・モーガン Lee Morgan は、1938年7月10日にペンシルヴァニア州フィラデルフィアで生まれました。父親が教会の聖歌隊のピアニストだったこともあり、家では常に音楽が流れたいて、子供の頃からジャズを聞く毎日でした。14歳の時、姉がトランペットをプレゼントしてくれたことから、本格的にジャズ・トランペットを始めました。幸いフィラデルフィアの街は、ジャズが盛んな街で、子供ながらに彼は、ジャズのワークショップやジャム・セッションに参加することができ、そこでジャズについて多くのことを学ぶことができました。
 フィラデルフィアの天才ジャズ・トランぺッターとして彼の名はしだいに知られるようになり、17歳の時、アート・ブレイキーに誘われてバンド入り。その後、ディジー・ガレスピーのバンドに参加。1956年11月には18歳という若さで初のリーダー作「リー・モーガン・インディード!」を録音。ブルーノートから発売されました。
 ブルーノートの「アニマル・ブラザース」こと、フランク・ウルフとアルフレッド・ライオンに気に入られた彼は、その後、多くのアルバムをブルーノートから出すことになり、ブルーノート・レコードを代表する存在になります。リーダー作以外にもジョン・コルトレーンの名盤「ブルー・トレイン」(1957年)にも彼は参加しています。
 1958年9月、彼は再びアート・ブレイキーに呼ばれ、名門バンド、ジャズ・メッセンジャーズの一員となり、ジャズ史に残る名盤「モーニン」を録音。1960年の「チュニジアの夜」では、ファンキーなジャズにより、ジャズ・ファン以外の音楽ファンにも聞かれる存在となりました。
 さらに彼のリーダー作「サイドワインダー The Sidewinder」(1963年)は、ブルーノートの運命を変える大ヒット作となりました。ポップなサウンドによりCMなどにも使われたことであまりにも売れてしまったことから、ブルーノートは自社の生産体制を拡大することになり、それが後に経営の脚を引っ張る事になって行きます。
 とはいえ、当時のリー・モーガンはそれだけ売れるミュージシャンだったということです。それまで、ジャズの世界では経験を積んで初めて本物の音が出せるという常識がありましたが、彼によってその常識が覆されたと言われます。

<洒落者の危機>
 若くしてスターになり、大金を稼ぐようになった彼は、お洒落なスーツに身を包んだファッション・リーダーとなり、車に稼いだお金を継ぎ込むようになります。しかし、体力的にひ弱だったことから忙しく働くために、薬物に手を出し始めます。すると世話を焼く者がいなかったこともあり、彼はあっという間に薬物中毒となり、まともな演奏も出来ない状態になってしまいました。ライブにも演奏できない状態になったため、バンドから追放されただけでなく、演奏の依頼もなくなってしまいました。一時は、故郷のフィラデルフィアに戻りますが、ジャズが忘れられない彼は再起をかけてニューヨークに戻ります。
 仕事もなくホームレスのような状態になっていた彼を救ったのは、後に彼と結婚することになるヘレンでした。中東部のノースカロライナで13歳で子供を生んだ彼女は、子供を置いて1人ニューヨークに来て働いていました。年上で世話好きな彼女は、ボロボロの状態だった彼を住まわせ、食べさせ、麻薬依存の治療を受けさせます。そして、回復し始めた彼に再びトランペットを吹くチャンスを与えるため、マネージャーも務め始めました。こうして二人はその後結婚。公私ともに最強のコンビとなります。

<新たなスタイルの模索>
 復活した彼は、60年代末らしいアフリカのファッションを身につけるようになり、公民権運動も意識した音楽活動を開始します。インタビューでは、こんなことを語っています。
「ジャズという名前が好きじゃない。それは白人が勝手につけた名前だからだ。僕は『ブラック・クラシカル・ミュージック』と呼ぶべきだと思っている」
 公民権運動英雄の一人でありブラックパンサー党のメンバーだったアンジェラ・デイヴィスに捧げた曲「アンジェラ」を録音したのもこの頃です。そして、彼はマイルス・デイヴィスが挑戦していた電気楽器の導入にも肯定的で、当時の最新のポップ・サウンドであるロックからも影響を受けつつあったようです。元々1963年の彼の大ヒット作「サイドワインダー」は、ポップなダンス・サウンドでジャズの新たなスタイルだっただけに、彼の新たな挑戦はこれからだったはずです。

<悲劇の日>
 1972年2月18日、悲劇は突然やってきました。彼のために全てをかけて尽くしてきたヘレンは、彼が浮気をしていることに気がついていました。そして、この日、猛吹雪の中彼から連絡がないことから心配した彼女はその日のライブ会場に向かいました。一方、彼は吹雪の中、ライブ会場へ行く途中に事故を起こし車が動かなくなっていました。薬物によって迷惑をかけてきた過去もあり、遅刻しながらも彼はなんとか会場のクラブ「スラッグス」にたどり着き、演奏を行いました。そしてその会場には浮気相手の女性がいました。
 演奏の休憩時間、ヘレンが会場に到着します。浮気の事実を知るヘレンは彼に迫り、口論となります。頭に血が上った彼女は、我を忘れ、バッグの中にあった銃を取り出すと、彼に発射。その銃は、夜中に出歩くことがある彼女の護身用にと彼がプレゼントしたものでした。彼女はすぐに自分がしてしまった過ちに気づきます。周囲も駆け寄り、救急車が呼ばれました。
 もし、その日がいつもの夜なら、彼の命は救われたのかもしれません。ところが、その日、救急車は1mを越える大雪のため一時間たっても到着しませんでした。そのおかげで、彼は大量の出血により、この世を去ったのでした。

<映画「私がモーガンと呼んだ男」>
 1973年8月、彼女は裁判で罪を認め、第二級過失致死で有罪となり、殺人罪は免れました。その後、保護観察処分となって出所した彼女は、故郷ノースカロライナのウィルミントンの街に戻り、教会でボランティアとして働きながら高校の夜学に通うようになります。
 ドキュメンタリー映画「私がモーガンと呼んだ男」が作られるきっかけの一つとなったヘレンのインタビューは、この高校で歴史を教えていた教師によって行われたものです。ジャズに詳しくDJもやっていた教師ラリー・レニ・トーマスは教え子があの有名なトランぺッター、リー・モーガンの妻であると知り、インタビューを申し込みました。しかし、インタビューは実現せず、時は再び流れました。そして、8年が過ぎた1996年2月、突然彼にヘレンから連絡が入り、インタビューが実現しました。その翌月ヘレンはこの世を去りました。彼女は自分の死を覚悟して、インタビューに応える決心をしたのでしょう。
 最高のコンビだった二人の物語は、薬物と銃とジャズによるアメリカならでは悲劇として終わりを迎えました。
「愛と憎しみは紙一重」
 使い古された言葉かもしれませんが、二人の物語にはこの言葉ほど相応しい言葉はないのかもしれません。

ドキュメンタリー映画「私がモーガンと呼んだ男 I Called Him Morgan」 2016年
(監)(脚)(製)カスパー・コリン(スウェーデン)
(撮)ブラッドフォード・ヤング、エリック・ヴァルステン
(編)ハンナ・レヨンクビスト、エヴァ・ヒルストロム他
(出)リー・モーガン、ヘレン・モーガン(声)、ベニー・モーピン、ウェイン・ショーター、ラリー・リドリー、ビリー・ハーパー

<映画に使用されている曲>
曲名  演奏  作曲  コメント 
「Search For The New Land」  Lee Morgan  Lee Morgan   
「モーニン Moanin」 Art Blakey &
The Jazz Messengers
Robert Timmons
Jon Hendricks 
 
「チュニジアの夜 A Night In Tunisia」  Dissy Gillespie John Gillespie
Frank Paparelli
ニューポートでのライブ(1957年)より
ジャズ・メッセンジャーズの同名タイトル版は1960年録音
「GAZA STRIP」  Lee Morgan  Lee Morgan  18歳でのデビュー作「Lee Morgan Indeed!」より
「Dat Dere」  Art Blakey &
The Jazz Messengers 
Bobby Timmons 1969年の「The Big Beats」収録 
「Tom Cat」  Lee Morgan  Lee Morgan  
「New - Ma」  Lee Morgan  Lee Morgan   
「Politely」  Art Blakey &
The Jazz Messengers 
Bill Hardman  
「So Tired」  Art Blakey &
The Jazz Messengers 
Curtis Fuller 1960年の名盤「チュニジアの夜」より
「Lament For Stacy」  Art Blakey &
The Jazz Messengers 
Lee Morgan  
「The Procrastinator」  Lee Morgan   Lee Morgan   
「Helen's Ritual」  Lee Morgan  Lee Morgan  「ヘレンの遅い化粧」 
「Like Someone In Love」  Art Blakey &
The Jazz Messengers 
Jimmy Van Heuser (作詞)Johnny Burke 
「Absolutions」  Lee Morgan Jymie Meritt  ライブより 
「The Morning After」  Hank Mobley  Hank Mobley   
「In What Direction Are You Headed ?」  Lee Morgan  Harold Jr Mabern   
「August To The Future」  Freddie Waits  Freddie Waits   
「ライブのアナウンスメント」  Pee Wee Marquette
Art Blakey 
  ジャズの名門店「バードランド」名物のイントロ 
「Angela」  Lee Morgan  Jymie Merritt  ブラックパンサー党員でもあった公民権運動の英雄
アンジェラ・デイヴィスに捧げた曲
「I Can't Hyde」  Jason Moran  Jason Moran   

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