「海の上のピアニスト The Legend of 1900」 1999年

- ジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatore -

<人生の旅立ち>
 スキーの本場、北海道小樽に育った子供たちのほとんどはスキーが得意です。体育の時間にスキーの授業もあるので、幼稚園に通う頃からスキー・スクールに通う子供がけっこういます。我が家でも、子供たちは二人とも幼稚園に入る前からスキー・スクールに入っていました。そのため、子供たちにとって最初の親離れ体験は冬のスキー・スクールだったことになります。もちろん親にとってもスキー・スクールの初日は忘れられない体験でした。
 なぜかスクール初日は天気が悪いことが多く、雪の降る中、ゼッケンをつけてスキー場の斜面に座る子供たちを残してスキー場を後にすることになります。黙って座っていると、すぐにでも雪に埋まってしまいそうな小さな子供を一人おいてゆく気分は忘れられません。
 彼がいつかはこうして一人ぼっちで生きてゆくことになるのだと思うと考えただけで胸が熱くなってしまいます。これから彼が生きてゆくことになるであろう人生と言う名の巨大な海原のことを考えると、彼の存在のなんとはかないことか。
 「海の上のピアニスト」の主人公ナインティーン・ハンドレッドが一人で船を降りようとした時、地上は巨大な大西洋よりも広く複雑な土地に見えたことでしょう。彼の心細さは、幼稚園に入る前の子供が雪山に残された時の不安をも上回るものだったのでしょう。なにせ彼は地上の世界を生まれてから一度も体験したことがなかったのですから・・・・・。

<ジュゼッペ・トルナトーレ>
 「海の上のピアニスト」を撮ったジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatoreはイタリアが生んだ20世紀最後の巨匠ともいえる存在です。1956年5月27日にシチリアで生まれた彼は多くのイタリア人監督がそうであるようにほとんどの作品を故郷を舞台にして撮っています。監督としてのスタートはドキュメンタリー映画で、「ガットゥーゾの日記」(1980年)、「シチリアの少数民族」(1982年)、「シチリアの作家たちと映画、ヴェルガとピランデッロ、ブランカーティ、シャーシャ」(1982年)などで、シチリアという土地やシチリア出身のアーティストを取り上げ、「シチリアの少数民族」ではサレルノ映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しています。1986年公開の長編デビュー作「教授と呼ばれた男」(ベン・ギャザラ主演)はナポリの地下犯罪組織カモッラを扱ったドキュメンタリー調の作品でした。しかし、その後彼が発表する作品は、けっしてドキュメンタリー調ではなく、どちらかというとリアリズム・タッチのファンタジーとでも呼べる作品で、ユーモアにあふれセンチメンタルでノスタルジックな作風は世界中の映画ファンに愛されるようになります。
 1988年発表の「ニュー・シネマ・パラダイス Nuevo Cinema Paradiso」は、そんな彼の代表作となりカンヌ映画祭審査員特別大賞とアカデミー外国語映画賞を獲っただけでなく、世界中で超ロングラン・ヒットとなりました。
 映画好きの少年トト(サルヴァトーレ・カシオ)と孤独な映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)の交流を描いたこの作品は、当時32歳だったトルナトーレ監督が自身の少年時代の思い出を元に書き上げた半自伝的な内容でした。検閲によりカットされたキス・シーンをつないだアルフレードの遺作をトトが見るシーンの感動は未だに忘れられません。映画を愛するすべての人に捧げられた感動作です。
 実際、彼の映画への愛は誰よりも熱く、1990年代前半、彼はヴィスコンティやデ・シーカが撮った初期作品フィルムの修復作業を行うために一時期映画界を離れていた時期もあったほどです。こうした、彼の映画への熱い思いがあったからこそ、「ニュー・シネマ・パラダイス」や「明日を夢見て」のような作品が生まれたのでしょう。
 1990年の「みんな元気 Stanno tutti bene」は、前作でのトトとアルフレードの関係のように父と子の絆を描いた作品でした。主役のマッテーオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ある夏大きくなってそれぞれ独立して生活している5人の子供たちを訪ねる旅に出ます。故郷のシチリアから出発した彼は、ナポリ、フィレンツェ、ミラノ、トリノなどイタリア各地を巡ります。しかし、子供たちは自分が期待していたように幸福に暮らしているわけではないと知った彼は、現実を知りがっかりしてしまいます。なんだか、小津安二郎の「東京物語」を思わせるお話です。
 1995年の「明日を夢見て L'uomo delle Stelle」は、シチリアを舞台に新人発掘のオーディションと称して、お金をとって素人の映像を撮って回るサギ師のお話でした。名作映画からの引用やロード・ムービーの要素など、見所も満載ですが、シチリアの人々がフィルムの入っていないカメラの前で演じるそれぞれの演技、存在感は、ドキュメンタリー畑出身の監督ならではの演出です。(いや、演出をしない演出の力というべきなのかもしれません)

<「海の上のピアニスト」>
 1999年に彼が発表した「海の上のピアニスト」は、究極のロード・ムービーです。船の中で生まれ死ぬまで船の上で生きた主人公にとって、人生とは船の旅そのものだったからです。しかし、船を降りて生きることを恐れた彼にとって、船の中だけでの生活は人生という旅を拒否した生き方だったともいえます。そんな主人公の名が「ナインティーン・ハンドレッド」というのも象徴的です。それは彼がヴァージニア号という豪華客船の中で新生児として捨てられていたのが1900年だったことからつけられた名前でした。この映画の原題は、「The Legend of 1900」(1900の伝説)。「1900」は主人公の名前であると同時に1900年代(20世紀)という「時代」をも示しています。船の中でだけ生きた男を通して、この映画は20世紀という激動の時代を描いているともいえるのです。
 映画の最初のほうでヴァージニアン号がニューヨークに到着し、乗客のひとりが自由の女神を発見して、「アメリカだ!」と叫ぶシーンがあります。「ゴッドファーザー Part2」のドン・ヴィトーコルレオーネがシチリアからアメリカに渡ってきた場面を思い出させるこの感動的な場面には、当時のアメリカが見事に収められているといえます。考えてみると、この映画の主人公ナインティーン・ハンドレッドを演じているティム・ロスは若かりし頃のロバート・デ・ニーロ(若かりし日のドン・ヴィトー・コルレオーネ)にちょっと似ている気がしませんか?ロバート・アルトマン監督の演出でゴッホを演じたこともあるティム・ロスは狂気一歩手前の天才を演じると最高に輝く俳優です。しかし、この映画での彼の演技力は喜怒哀楽を表情によって表わすだけでなく素晴らしい音楽を弾き出すピアニストとしての指の演技にもかなりの精力が注がれているように思います。(「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディー同様ピアニスト映画は指が命です)まして、この映画の音楽は素晴らしく、エンリオ・モリコーネによる美しい曲の数々はそれぞれでも十分に観客を感動させる力をもっています。しかし、この映画の場合、その見せ場ともいえる場面の多くは主人公がピアノを弾く演奏の場面です。ピアノを弾くことがすべての彼にとって、ある意味それは当然なのかもしれませんが・・・・・。
 例えば、台風の中で右に左に大きく傾く船内のダンス・ホールでわざとストッパーをはずしたピアノに向かいピアノといっしょに移動しながら演奏をする場面。人生における唯一の恋人とダンスを踊る「美女と野獣」の一場面のように楽しくてやがて悲しいピアノとのダンス・シーンは名場面のひとつです。
 さらにこの映画の名場面が、伝説のジャズ・ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンとの火の出るようなピアノ・バトルです。(本当に火が出てしまいますが・・・・・)この場面でクラレンス・ウィリアムズ演じるジェリー・ロール・モートンというピアニストについて知ると、さらにそのバトルの重さに感動させられます。

<ジェリー・ロール・モートン>
 ジェリー・ロール・モートンは、1885年ルイジアナ州のガルフポートという街に生まれ、ニューオーリンズで育ちました。黒人の血が一部混じったクレオールの家系に生まれた彼は資産家の恵まれた家庭で育てられ、カトリック系の名門セント・ジョゼフ大学でクラシック・ピアノを学んでいます。ところが1894年ニューオーリンズという特殊な街で白人としての扱いを受けていたクレオールの人々は突然すべての権利を失い、黒人として差別される側に回ることになりました。生きてゆくために働かなければならなくなった彼は17歳の頃からニューオーリンズの歓楽街ストーリーヴィルでピアニストとして働き始めます。こうして、彼のミュージシャンとしての修行時代が始まるわけです。
 クラシックの下地をもつ彼はラグタイムのピアニストとして活躍すると同時にアメリカ南部の各地を旅しながら新しいピアノのテクニックを次々と身につけてゆきます。その旅の途中で彼は当時活躍していた数多くのブルースマンたちとも出会うことになり、彼らが奏でるブルースのフィーリングを取り入れることで新しいポピュラー音楽「ジャズ」の誕生に大きな貢献を果たすことになりました。
 フランス語を話すことの出来る名門の家系からドサ回りのピアニストにまで落ちぶれながら、その後はジャズを生み出した伝説のピアニストとして、スコット・ジョップリンとならび称される英雄にとなった彼は、ついに心の母国フランスなどの国々を回るヨーロッパ・ツアーに出かけることになったのです。
 そんな世界中を旅しながら腕を鍛えてきた男に立ち向かうナインティーン・ハンドレッドはといえば、クラシックどころか音楽についての教育を一切受けていないのです。にもかかわらず、彼は突然演奏中に即興曲を弾き始めることがありました。そして、それはクラシックでもジャズでもダンス音楽でもない彼だけの新しい音楽でした。二度と同じように演奏されることのない、それらの即興曲こそ、ナインティーン・ハンドレッド=20世紀の音楽そのものなのかもしれません。
 ジェリー・ロール・モートンのゴッタ煮的なジャズに対して、主人公のガラスのような純粋音楽のバトルは、まさに両極端に位置する音楽のぶつかり合いとなったのでした。

<戯曲「海の上のピアニスト」>
 この映画の原作「海の上のピアニスト Novecento(Un Monologo)」も読みました。
 この原作の主人公の名は「ダニー・ブードマン・T・D・レモン・ノヴェチェント」。監督もイタリア人でしたが、原作者のアレッサンドロ・バリッコ Alessandro Baricco もイタリア人です。そして、意外なことにこの原作は小説ではなく、一人芝居のために書かれた戯曲でした。もちろん、海外では何度も舞台で上演もされています。日本語翻訳版は140ページほどで驚くほど薄い作品です。したがって、映画化の際はかなり内容的に書き加えられています。そうした変更について、作者は最初から了解済みだったようです。ただし、彼は他の作品「怒りの城」「シティ」「洋・海」については、変更どころか映画化自体を認めないとしているそうです。彼は自分の各作品のスタイルをはっきりと分け、それらの作品にしっかりとしたこだわりをもつ作家のようです。
 それもそのはず、彼は作家として作品を発表するのと並行して、ライター養成学校で講師も勤めていました。さらに面白いのは、彼が小説を書き出す前、音楽評論家として活動していたということです。どうりで実在のブルース・ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンを登場させるとは、かなりの黒人音楽通でなければできない技です。そして、イタリア人であるこの作家がいかにアメリカが好きなのかについても納得しました。彼は1999年発表の「シティ City」でもアメリカを舞台に小説を書いており、イタリア人とは思えないアメリカ通ぶりをみせています。
 イタリアのトリノの街に1958年に生まれている彼は、僕とほぼ同世代。きっとアメリカン・ロックを聞きながら青春時代を送り、その後、ジャズやクラシックなど、ルーツ・ミュージックの研究へと進んだのではないのか?とかってに推測していました。
 映画もそうですが、この作品の見せ場も、やはり最初と最後にあるように思います。
 「ゴッドファーザーPart2」でも、ビトー少年がアメリカに逃れニューヨークにたどり着いた時のあの感動を思い出させる最初の冒頭の場面は、今も昔も大西洋横断旅行最大の見せ場です。しかし、無限の可能性が広がる新大陸に着いた移民たちの当時の感動は、今や世界中の誰にも味わうことのできない大きなものだったはずです。そして、この感動が大きければ大きいほど、その大きな夢が広がれば広がるほど、その船から降りようとする主人公ノヴェチェントには耐え切れない重荷となってしまうのです。

「何億何十億というキーがどこまでも巨大な鍵盤
 これがぼくの見たものさ。無限の鍵盤/
 鍵盤が無限なら、さて/
 そんな鍵盤の上で人間が弾ける音楽なんて、あるもんか。
・・・・・」



<20世紀の終わりに>
 この映画が公開された1999年20世紀は終わりを迎えました。ナインティーン・ハンドレッドの死は、もしかすると他の音楽ジャンルからの影響を受けずに育った純粋な音楽の消滅だったのかもしれません。今や人は誰もが皆、混沌として危険に満ちた世界に立ち、そこで一生を終えなければならなくなりました。経済的にも、文化的にも、すべての国は地球規模のグローバルな枠組みの一員として取り込まれ、逃れることはできなくなりました。もちろん、それは国レベルでも、個人レベルでも同じです。21世紀の人類には、もう海の上という逃げ場はりません。だからこそ、せめて子供たちにだけは父と母というささやかな休息の場を与えてやらなければ、そう思うのです。
 さらば20世紀!
 21世紀を生きる子供たちに幸いあれ!
 人生は最高の冒険だ!

「海の上のピアニスト The Legend of 1900」 1999年公開
(監)(脚)ジュゼッペ・トルナトーレ
(製)フランチェスコ・トルナトーレ
(原)アレッサンドロ・バリッコ
(撮)ラホス・コルタイ
(音)エンニオ・モリコーネ
(出)ティム・ロス、プルイット・テイラー・ビンス、メラニー・ティアリー、クラレンス・ウィリアムズ三世、ビル・ナン

海の上のピアニスト Novecento(Un monologo) 1994年
アレッサンドロ・バリッコ Alessandro Baricco(著)
草皆伸子(訳)
白水社

<あらすじ>
 大西洋を航海する豪華客船ヴァージニアン号のナインティーン・ハンドレッドは1900年に一等船室用のダンス・ホールに捨てられていた赤ん坊でした。黒人の船員ダニー・ブードマン(ビル・ナン)によって育てられることになった彼には国籍も生年月日もなく法律上はどこにも存在しない人間として船員たちに可愛がられて育ちました。8歳の時、彼は突然ピアノの才能を発揮し始め、船で演奏する楽団のピアニストとして働くことになりました。ある時、彼はかつて知り合いだった移民の娘と出会います。ニューヨークに着いた彼女は自分の行き先を彼に教えて船を降りてゆきました。彼女に恋心を抱いた彼は生まれて初めて船を降りる決意を固めます。しかし、生まれてから一度も陸地に足を下ろしたことのない彼にとって船から降りることは、海に飛びこむことよりも恐怖に満ちた行為でした。
 結局、彼は船を降りることなく船の上にピアニストとして生き続けます。ところが、半世紀にわたり大西洋を往復し続けたヴァージニアン号に引退の時がやってきます。廃船として爆破されることになったヴァージニアン号は沖に向かい最後の航海に出ます。しかし、その船の中には伝説のピアニスト、ナインティーン・ハンドレッドが乗っていたのです。

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