<偉大なるジミの後を追って>
 60年代ロックをあらゆる点において代表するミュージシャンのひとりジミ・ヘンドリックス。彼が偉大だったのは、当時存在した数多くの壁をギターを武器にして破壊し、新たな世界への扉を開いたことにあります。
 ブルース・ロックという新しいジャンルを切り開き、黒人ミュージシャンがロック畑で活躍するという未だかつてなかった快挙をなしとげ、エレクトリック・ギターの新しい奏法により「ノイズ」を音楽化するという革命を起こし、そのうえ、彼はこの革命に自らの命を捧げたのです。
 だからこそ、ロックの世界において、新たな天才が現れたとき、ジミと比較されるということは、光栄であると同時に、たいへんなプレッシャーになるのです。
 天才プリンスやジャズ畑から登場したジェームス・ブラッド・ウルマーなども、かつて明らかにジミを意識していた時期があり、いろいろと比較されたものです。(マイルス・デイヴィスもまたジミの信望者のひとりで、ジミが死ななければふたりの共演も実現するはずでした)
 そして1980年代の終わり、ジミやジョン・レノンの信望者であると、あえて宣言して登場したアーティストがいました。それが20世紀最後の大型新人と言われたレニー・クラヴィッツでした。

<複雑な血筋>
 レニー・クラヴィッツは、1964年5月26日にニューヨークで生まれました。彼の父親はユダヤ系のTVプロデューサー、母親はバハマ系の黒人女性で俳優でした。ボブ・マーレーやジミ・ヘンドリックスにも似た複雑な血筋の持ち主です。(ボブは父がイギリス人の軍人で母はジャマイカ人だったし、ジミは白黒混血だけでなくインディアンの血も混じっていました)
 そのせいか、ほとんどの写真でサングラスをかけている彼の顔は、ドレッド・ロック系のヘアースタイルのせいもあり、どう見ても黒人なのですが、サングラスをとった数少ない彼の写真では、実に優しい表情をした白人青年の顔にも見えます。
 この複雑な血筋が彼が聴く音楽に大きな影響を与え、彼が後につくることになる音楽に大きな影響を与えることになったのは間違いないでしょう。

<憧れのミュージシャンを目指して>
 彼が憧れたミュージシャンは、前述のジミ・ヘンとジョン・レノン、それにボブ・マーレーなど、けっしてソウル系のアーティストではありませんでした。そして、そんな憧れのサウンドを演奏するため、彼はあらゆる楽器を独学でマスターして行きました。(同じような趣向をもつ仲間がまわりにいなかったのかもしれません)さらに、彼はロスアンゼルスに移住してからは、クラシック系の声楽グループにも属し、オペラにも出演したことがあるという。まさに、「天才型」アーティストでした。(彼が通っていた高校は、かつてはフィル・スペクターを、最近ではガンズ&ローゼスのスラッシュ、それにレッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスとマイケル・バルザリーらが卒業したロックの名門校です!)

<立ちはだかるジャンルの壁>
 しかし、そんな天才肌のアーティストにとっても、デビューまでの道のりには、厳しい現実の壁が存在しました。それは彼が黒人アーティストでありながら、ソウルやファンクではなくロック・ミュージシャンとしてデビューしようとしていたことが原因でした。
 アメリカにおいては、白人と黒人の混血はすべて黒人として扱われます。そして、黒人として扱われるアーティストは白人層がターゲットのロックのマーケットでは、受け入れられないのが常識なのです。数少ない例外といえば、イギリスに渡って成功のきっかけをつかんだジミ・ヘンドリックスやテレンス・トレント・ダービー、それとリヴィング・カラーフィッシュボーンなどのバンドぐらいでしょう。(もちろん、彼らも単純に成功したわけではありません)

<たったひとりの初録音>
 結局、レニーはデモ・テープどころか、ファースト・アルバムを自らのプロデュース、自らの資金、自らのバック演奏(サックスとドラム以外はすべて自分で演奏)で行ってしまいます。そして、新興レーベル、ヴァージンと契約し、やっとミュージシャンとしてのスタート・ラインに立つことができたのです。ヴァージンは、ジャンルにこだわらず新しいアーティストを積極的にプッシュするレーベルで、1988年にはユッスー・ンドゥールの「ザ・ライオン」、1989年にはSoul USoulの「キープ・オン・ムーヴィン」をヒットさせていました。そんなヴァージンがプッシュしただけに、彼のマルチ・タレントぶりはすぐに話題となり、デビュー・アルバム「レット・ラブ・ルール Let Love Rule」(1989年)は「20世紀最後の天才登場」と騒がれることになりました。彼はいきなりジャンルの壁を破壊してしまったのです。(これは時代の変化のせいもあるかもしれません。ジャンルの壁は、かつてほど強固なものではなくなりつつあるようです)

<クラシック・ロックの復興>
 彼のサウンドは「クラシック・ロックの復興」と称され、一つのブームとなりましたが、一方では彼のことを60年代ロックのパクリに過ぎないと言う意見も多かったのも事実です。実際、彼のサウンドは、曲によっては音色や曲調すべてがジミ・ヘン風だったり、徹底的にフィーリー・ソウルのカバー風の曲だったりと、その意図が実にはっきりしています。
 しかし、もとはと言えばロック自体、白人による黒人音楽R&Bのパクリから始まった音楽ですし、さらに言うと「ポピュラー音楽の歴史」そのものが人種や国境の壁を越えた「音楽のパクリの歴史」と言っても良いくらいなのです。問題なのは、その音楽が一過性のブームに過ぎないのか、新たな文化として育ってゆくものなのか、そこにあるはずなのです。そして、その判断は、評論家ではなく、マスコミでもなく、歴史の流れがゆっくりと時間をかけて下してゆくもののようです。(もしかすると、演奏者自身は、その時点で分かっているのかもしれませんが)

<ヒットしなけりゃ意味ないね>
 とは言え、そんな理屈抜きにレニーのサウンドは文句なしに格好いいのもまた事実です。そして、「60年代のロックは良かった」とウンチクをたれるオジサンたちに受け入れられることよりも、21世紀を生きる若者たちに聴かれることの方が、重要なことなのかもしれません。あとは、彼のサウンドが若者たちにとって、血となり肉となるかどうか?そこが問題なのでしょう・・・。
 しかし、外野でそんな様々な意見が飛び交う中、彼はしっかりと結果を残してきました。

<2000年の一区切りまで>
 2作目のアルバム「ママ・セッド Mama Said」(1991年)では、デビュー時の状況から、どうしてもオタク的になりがちだったサウンドはぐっとオープンになりました。3作目の「自由への疾走 Are You Gonna Go My Own Way」(1993年)からは、「ビリーブ Believe」という大ヒットシングルも生まれ、いよいよ彼はメジャー・クラスのアーティストの仲間入りを果たしました。そして、「サーカス Circus」(1995年)、「」(1998年)と着実にアルバムを発表。2000年には、未発表を含むベスト・アルバム「Lenny Kravitz Greatest Hits」を発表し、20世紀の活動に区切りをつけました。

<21世紀型レニーは?
 さて、2001年ついにレニーの新しいアルバムが発売されました。21世紀型レニー・クラヴィッツは、いったいどんなスタイルなのか?楽しみです。過去のものが多いこの企画ですが、同時代で変化してゆくアーティストの挑戦を聴けるというのは、やっぱり楽しいものです。ポピュラー音楽は、クラシックではなく、常に変化してゆくからこそ面白いのですから。(しかし、時代による音楽の変化など、予想もつかない最近の世界情勢、社会情勢の変化に比べたらかわいいものかもしれません・・・最近つくづくそう思います)

<肉体感覚があるかぎり>
 音楽という存在が社会の変化に影響されにくいのは、たぶん音楽を認識する行為(聴いて楽しむことと言ってもよいが)が人間の肉体感覚と分かちがたく結びついているからでしょう。確かに音楽はアナログからデジタルへの変化の中で、その質自体も変わりつつあります。しかし、人間の感覚は基本的に限りなくアナログ的構造をもっているだけに、アナログ楽器やノイズに対する欲求は、けっして無くなることはないでしょうし、それは、どんなに人間の肉体がサイボーグ化されても変わらないはずです。

<締めのお言葉>
「いったいオートマチックのギアシフトは人間的なデザインという意味で進歩なのだろうか?それは、操作の過程を簡単にし、安全にするというよりは、人間から運動筋肉の基礎的で比較的簡単な反応を除去してしまう傾向をもっているのであるから、オートマチック・ギアシフトの妥当性は怪しいものだ、ということがわかる」

ヴィクター・パパネック著「生きのびるためのデザイン」より

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