裁かれるのは善人か悪人か?

「裁かれるは善人のみ LEVIATHAN」

- アンドレイ・ズバギンツェフ Andrei Zvyagintsev -
<楽しくはないけど素晴らしい!>
 ヒーローもののハリウッド映画に満足している方は、見ない方がいいかもしれません。この映画にはヒーローは登場しないし、奇跡も起きないので・・・。それでも、たまには違う映画を見て見たいとお思いの方には是非ご覧いただきたく思います。楽しくはないけれど、新鮮ではあるはずです。そして、予想外のラストに驚かされるはずです。
 素晴らしい映画は、オープニングのワンカットだけを見ればわかるもの。この作品もその例外ではありませんでした。
 でも、なぜそう思えるのでしょう?たぶんそれは、その最初のワンカットに見る者を引き込む何らかの魅力があるからです。具体的には、どこが違うのか?というと・・・。それは、構図、色彩、背景、被写体の人物造形などが絵画的な魅力を持っているか、見たことのない新鮮さに満ちているからでしょう。もちろん、どの監督もオープニング・カットで観客の目を映画の世界に引き込むことの重要性を認識しているはず。この映画もまたそのオープニング・カットから観客の目を引き込むことに成功しています。

<全てが見えてくる映像>
 この映画のオープニング・カットは、一台の自動車が荒野を走り、川べりに立つ家に向かうセリフのない映像です。そこには「美しさ」、「寂しさ」、「荒々しさ」、「神秘さ」など、この映画で描かれているすべてのテーマが収められています。映画の中でも、こうした車が荒涼たる大自然の中を走る場面は何度もあり、それがこの映画のテーマそのもののように思えます。
 理不尽なことばかりの人生を必死で生きる人間たちを、その車は象徴しているのかもしれません。そしてそんな環境下、厳しい状況に疲れ切った人々は、一人静かにウォッカを飲み、タバコを吸い、携帯をいじる姿ことで悲しみを忘れようとします。そんな孤独な姿もまたこの映画の中に何度も描かれています。
 この映画のテーマは、そのまま映画の中の映像の数々の場面に投影され、細部に宿っているのです。これこそ映画監督がやりたい究極の形ではないかでしょうか。本当に素晴らしい映画は、細部まで作者の思いが写し出されているものなのです。

<現代の神話としての映画>
 あえて映画の舞台がどこなのかを明らかにせず、そこに立つ廃墟となった教会と豪華な教会、骨組みだけの廃船や浜辺に横たわるクジラの骨(まさにヨブ記の巨大な魚)、そしてフィヨルドが生み出したと思われる波のない静かでありながら切り立った海岸の風景を配置した背景は、この世のものとは思えない神話的な映像ばかりです。それは、この作品が現代の神話であることを示しており、それが人間にとって普遍的な物語であることを示したいるとも言えます。
 主人公の家を破壊するために現れるパワーショベルが怪物の手のように見えるのはそのせいでしょう。この怪物の手の恐ろしい動きを室内からカメラで撮影するというアイデアもその恐怖感をさらに増すことに成功しています。
 現代のロシアを仮の舞台にした神話の映像化と考えると、この作品のハリウッド映画との違いも、驚くべき結末も、納得できるかもしれません。その意味では、この作品を現代のロシアの権力による不正と富の集中を暴いた社会派作品と捉えるのは単純すぎる味方だと思います。
 そもそもこの映画の脚本の基になった事件は、ロシアではなくアメリカで起きたもので、グローバル化が進む21世紀の今、この事件はどこで起きても不思議はないともいえます。民主主義も社会主義も関係ないのです。
 この映画の原題「レヴィアタン(リヴァイアサン)」とは、旧約聖書に登場する巨大な魚であり、神の象徴とも言われる存在です。その巨大な怪物をタイトルに書かれたトマス・ホッブスの政治哲学の大著「リヴァイアサン」は、大衆(臣民)がその権利を支配者である王に預けることで国家を動かすという社会政治理念を表した書物(1651年)です。これによると大衆は王に政治的な権利を委譲することで、国家に守られるが、王の支配には従わなければならない。反逆は赦されず、許されるのは逃亡のみということのようです。
 「水」と「神話」、そして「逃亡」といえば、アンドレイ・タルコフスキーのことを思い出しました。作品の中で繰り返し「水」を描き、ソ連政府によって亡命を余儀なくされてしまったソ連時代の巨匠です。

<フィヨルドが生み出す風景>
 この映画が描く独特の風景、それはフィヨルドが生み出した他には見られない風景です。長い年月をかけて、氷河が作り上げた深い谷のような海岸は、いきなり深く沈み込むので、海岸のすぐ近くにまでザトウクジラがやって来ます。(映画の中でも背景にザトウクジラの背中と泳ぐ姿がとらえられていました)
 さらにフィヨルドが作り出した海岸は、海から離れたところまで続くため、波が侵入しづらく海は常に静かなままです。そして、夏は白夜が続くので深夜まで明るく時間間隔が曖昧になりがちです。映画の中では、その場面が何時ごろなのかもわからなくしているのかもしれません。夜の場面は、本当に深夜0時を過ぎたもののはずです。たぶん物語の中心は夏から秋にかけてのはずですが、そんな季節感も我々日本人には不思議な感覚をもたらしているかもしれません。
 海は波がないだけでなく干満の差も激しく、そのせいで大きなクジラの死骸が浜辺に残されて骨になるまで流れされることなく残されたのでしょう。

<ロシア人とウォッカ>
 以前、小樽の税関で港で働く知り合いに連れられてロシアの船を訪問したことがあります。船長さんが歓待してくれて、昼間からロシア風の餃子(ペリメニ)とウォッカをご馳走してくれました。チェイサーにアサヒ・スーパードライを飲むくらいですから、飲んでも酔わないこと酔わないこと。(ちなみにチェイサーのビールは、スーパードライでないと駄目なのだそうです)僕は船を降りる頃にはすっかり出来上がっていました。本当にロシア人ってウォッカが大好きなんですね。北の海で荒波にほんろうされる船乗りには、やっぱりウォッカなんだろうな、と思ったものですが、この映画を見て荒波にもまれるのは船乗りだけではないと思い知りました。

<アンチ・ハリウッド>
 ソビエト時代の英雄たちの肖像写真を射撃の的に使うとは!さすがにプーチンのはなかったものの、よくロシア政府が許したものです。少なくともソ連崩壊前よりは、ロシアの表現の自由は確保されているようです。問題は、拡大された「自由」が「悪人」には絶好のチャンスであり、「善人」にはピンチだということです。
 ハッピーエンドを基本とするハリウッド映画を支えてきたセレブな映画人たちが応援したヒラリー・クリントン。彼女を大統領選挙で敗ったトランプ支持の人々は、ハリウッド映画にうんざりしているのかもしれません。この映画は、そんなハリウッド映画へのアンチテーゼとして見ることもできるかもしれません。

「裁かれるは善人のみ LEVIATHAN」 2014年
(監)(脚)アンドレイ・ズバギンツェフ Andrei Zvyagintsev
(脚)オレグ・ネギン
(撮)ミハイル・クリチマン
(編)アンナ・マス
(音)フィリップ・グラス(神話の世界のような風景にぴったりの音楽は、ドラマチックさを排除し、どこまでも静かで波の音のように背景の一部となっています。そんな音楽を生み出したのは、アメリカの現代音楽作家。彼の音楽もハリウッド映画の対極に位置するといえます)
(出)アンドレイ・セレブリャコフ、エレナ・リャドワ、ヴラディミール・ヴドヴィチェンコフ、ロマン・マディアノフ
カンヌ国際映画祭脚本賞
ゴールデン・グローブ外国語映画賞

<あらすじ>
 ロシア北部の港町に住むコーリャは先祖代々住み続けてきた川辺の土地に妻と男の子を共に暮らしていましおた。ところが、その土地が市が進めるリゾート開発地にあったために、一家は立ち退きを迫られることになります。それに対し、彼は友人の弁護士の助けを得て、開発を押し進める市長に戦いを挑み、市長のスキャンダルで逆に脅しをかけます。ところが、弁護士とコーリャの妻が不倫関係にあることが発覚してしまい、コーリャと家族の絆は崩壊し始めます。弁護士は、それでもコーリャのために戦おうとしますが、市長によって誘拐され強迫された後、モスクワへと逃げ出してしまいます。そのうえ、市長はコーリャを徹底的に葬ろうと恐るべき計画を立てていました。

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