ソープオペラ・イン・英国王室

「冬のライオン The Lion in Winter」

- ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップバーン・・・-

- ジョン・バリー John Barry -

<時代錯誤の歴史劇>
 「コスチューム・プレイ Costume Play」と呼ばれる時代物の衣装を身に着けて行われる演劇、映画があります。(「歴史劇」ともいいますが)まあ、日本における時代劇のようなものということになるのでしょうが、シェークスピア作品やギリシャ悲劇から古代エジプトものまで様々なタイプがあります。
 この作品は、12世紀イングランドを舞台にヘンリー2世とその妻を主人公としたコスチューム・プレイものの代表作といえます。しかし、実はこの作品の原作は意外に新しく、1966年にブロードウェイで初演された舞台劇の映画化作品です。映画化にあたっては、オリジナルの戯曲を書いたジェームズ・ゴールドマンが自ら脚色を担当し、見事にアカデミー脚色賞を受賞しています。
 舞台の公演がスタートした1966年、映画界では同じコスチューム・プレイものの傑作「わが命つきるとも」がアカデミー作品賞に輝いています。そちらは、この映画で描かれたヘンリー2世の時代から400年後、トマス・モアとヘンリー8世の対立を描いた作品でした。しかし、この映画が公開された1968年、すでに時代は変わりつつあり、そうした歴史劇が受け入れられる状況は変わりつつありました。1960年代後半、アメリカ国内は歴史上最も混乱した状況になりました。ヴェトナム戦争、公民権運動、学生運動により、社会不安が広がる中、映画界もまた変革を迫られていました。そんな影響の元、1967年のアカデミー作品賞を受賞したのは人種差別問題を題材とした黒人俳優シドニー・ポワチエ主演の「夜の大捜査線」でした。さらに、同じ年、「俺たちに明日はない」、「卒業」が公開され大ヒット、後にこの二作は「ニューシネマの先駆作」と呼ばれることになります。
 そんな時代になぜヘンリー2世の舞台劇だったのか?この企画は一歩間違うと大コケだったかもしれません。

<あらすじ>
 12世紀後半のイングランド。国王ヘンリー2世は50歳を過ぎてもなお、その権力を保ち、フランスにもその勢力を広げていました。しかし、自らの後継者問題を解決する必要を感じた彼は、クリスマスの夜、関係者一同を城に呼び寄せます。愛人アレースとの関係のために邪魔になりロンドン塔に幽閉していた正式な妻のエレノアと長男のリチャード、二男のジェフリー、三男のジョン。そして同盟国でありライバル国でもあるフランスのフィリップ国王。彼の後継者を決めるためのメンバーが集められました。(三兄弟の上には長男がいましたが、すでに亡くなっていました)
 しかし、マザコンで暴力的な長男リチャードを信頼できないヘンリーは、冷徹過ぎて不気味な存在の次男ジェフリーも信じることができず、最もひ弱で頭も悪いジョンをあえて次の王にするつもりでした。ところが、そうした王の密かな計画など知らない兄弟と母親は、それぞれ陰謀を企て、ヘンリーから王位を奪う計画を練り始めていました。こうして、異なるメンバーによる陰謀が計画され、相談され、仲間割れが起きますが、さらにそこにフランスの王フィリップまでもが加わり、事態はより混沌としてきます。まるで舞台劇を見ているようなセリフのやり取りが行われる中で、それまで秘密にされていたことが明らかになります。
 フランスの王フィリップとリチャードの同性愛。エレノアとヘンリー2世の父親がかつて近親相姦関係にあったこと。・・・次々に家族の内幕が暴露され、状況は混沌としてきます。
 そして、3人の王子たちは父親がまだ息子に後を継がせようとは思っていないと考え、ついにフィリップと共闘し父を追い落とす計画を立てます。しかし、一枚上手のヘンリー2世は、すぐにその計画を察知し、3人を捕えます。すると、今度はエレノアが3人を救い出そうと動き出します。・・・

 同性愛や近親相姦などのスキャンダラスな展開は、それまで舞台や映画の世界では許されませんでした。それはあくまでタブーでした。しかし、「欲望という名の電車」などの作品をきっかけに、そうした表現が許されるようになり、それにより古典的な演劇も時代に合わせて大きく変わろうとしていたわけです。この映画はそうした現代的リメイクの王室劇だったともいえます。

<王室ソープオペラ>
 クリスマスの夜に起きたドタバタ劇をほぼリアルタイムでカメラに収めたこの作品は、アメリカのテレビドラマでよく見られたファミリーもののドタバタ劇「ソープオペラ」の王室版ということにもなります。(「じゃじゃ馬億万長者」や「ソープ」はまさにその典型的作品)謀議の最中に別の人物が現れてはカーテンの影に隠れるというくだりに至っては、まるで3流コメディーのような展開に失笑です。
 そんな下世話な展開をギリギリ救うのは、やはり主役二人の演技でしょう。この作品で、なんと二年連続のアカデミー主演女優となったキャサリン・ヘップバーン、逆に「アラビアのロレンス」で受賞を受賞を逃し、その後もアカデミー賞に見放されることになるピーター・オトゥールの芝居を大画面で見られることだけでもその価値はあるのかもしれません。しかし、映画館でもやはり若者たちの多くは、この作品に「時代錯誤!(ナンセンス!)」と叫んだかもしれません。
 そうした事態を予期していたのか、この映画のクライマックスにはキャサリン・ヘップバーンのこんなセリフがあります。

今は1183年で私たちは野蛮だもの
戦争を始めるのは人間よ
原因は歴史でも正義でもない
信念や宗教や思想も政治観の違いも関係ない。
人間が殺し合い戦争を始める
我々が毒されているから
生者は腐り 死者は野で朽ちる
少しでも愛し合えれば平和が訪れるのに
愛し合えるはずよ。私たちには可能性がある。
世界を変えられる。


 最初の「1183年」を「1968年」に変えればそのまま当時のヴェトナム戦争に対する批判のメッセージとして受け取られていたはずです。

<若かりしスタッフたち>
 21世紀に改めてこの作品を見るなら、時代背景は忘れて、素直に「歌舞伎」を見るようにこの作品を楽しむべきなのかもしれません。
 後にヘンリー2世の後継者となり「獅子心王」と呼ばれることになるリチャードを演じるのは、この作品がデビュー作となった名優アンソニー・ホプキンスです。残虐な王子でありながら母親に頭が上がらないマザコンで、なおかつフランスの王フィリップを愛しているという同性愛者という複雑な役。
 同じく同性愛者として色気たっぷりの演技を見せたのが、フランスの王フィリップを演じたティモシー・ダルトン。彼はその後、「ミスター・イングランド」的存在ともいえる007ジェームス・ボンドを演じることになります。(ショーン・コネリー、ジョージ・レイゼンビー、ロジャー・ムーアの後)ちなみにこの役の舞台オリジナル版は、まだ若かりしクリストファー・ウォーケン(「ディア・ハンター」「デッドゾーン」など)だったそうです。
 ほとんどが夜の城の中でドラマが進行するこの作品は、松明やロウソクの灯りを基本とした薄暗い中での撮影で、斬新さこそないもののそれまでの歴史劇とは異なり映像全体がかなりリアルにできています。王族の物語にも関わらず衣装も、絢爛豪華には程遠く実に質素です。そんな渋い映像を撮ったのは、英国のカメラマン、ダグラス・スローカムDouglas Slocombe 。彼はこの作品の後、一気に世界的なカメラマンとなり、「ジュリア」、「華麗なるギャツビー」、などの名作や「インディー・ジョーンズ・シリーズ」などを手掛けることになります。そう考えると、この映画の城の地下室の薄暗い映像とインディー・シリーズの洞窟内の映像はつながっていたわけです。
 もうひとつ、この映画はアカデミー作曲賞も受賞しています。やはりイギリスを代表する映画音楽作家ジョン・バリーは、「野生のエルザ」に続き、この作品で二つ目の作曲賞を受賞しています。彼はその後も、「愛と哀しみの果て」(1985年ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ)、「ダンス・ウィズ・ウルヴス」(1990年)でもアカデミー賞を受賞しています。
 イギリスという国の暗い冬の気候風土と歴史的、経済的、社会的な閉塞感を映し出したかのようにも見えるこの映画は、終始重苦しく救いが見出せません。しかし、最後になって数少ない屋外の川のシーンになると雰囲気が一気に変わります。「川の流れ」と共に世界が変わりつつあることを予見させる素敵なエンディングです。もしかすると、そこまで見てきたのは毎年恒例の家族によるお芝居だったのではないか?そんな不思議な気がするほど雰囲気が変わるので、お楽しみに。
 本格的なお芝居を楽しみたいという方、テンションの高い演劇が好きな方に、お薦めの作品ですが、イングランドの歴史を全然知らないとついていけない可能性があるのでご注意を!

<ジョン・バリー>
 ジョン・バリー John Barry は、1933年11月3日イギリス中部ヨーク州の小さな町に生まれました。父親が劇場と映画館を経営、母親はピアニストだったことから、彼は子供の頃から映画の音楽を作りたいと思っていたといいます。
 しかし、田舎の町では映画音楽の勉強をどうすればいいのかわからないため、彼はロンドンに出て音楽学校で作曲やオーケストレーションを学びます。学校でその音楽的才能は認められていたものの、若かった彼は当時もっとも人気があったジャズにのめり込み、ビート族の仲間たちとバンドを作るなどしているうちに出席日数が不足などにより退学させられてしまいます。ちなみに彼はトロンボーン奏者としてモダン・ジャズを演奏していました。
 1957年、彼は本格的にバンド活動をするため、7人組のバンド、ジョン・バリー・セブンを結成。ロック、R&B、ジャズなどをミックスしたアシッド・ジャズの先駆的な音楽を演奏。同時にEMIレコードでディレクターとしても働き始め、他のバンドやアーティストたちのための制作、編曲をするようになります。
 1959年、彼は英国でその後クリフ・リチャードと人気を二分することになるアイドル・シンガー、アダム・フェイスの曲のプロデュースも担当し始めます。こうして、作曲家、プロデューサーとして知られるようになった彼に青春映画「狂っちゃいねえぜ」(1959年)の音楽の依頼が来ます。こうして、彼の映画音楽との関りが始まりました。

「映画音楽の依頼があると、着手する前に常に三通りや四通りのやり方を考える。管楽器か弦楽器か、またはロックを主体とするか。そうしたいくつかの選択肢のなかから厳選してスタイルを決めることは、実作業に取り掛かる前の精神的なプロセスでとても重要なことなんだ」
ジョン・バリー

 ジャズとロックを融合させるポップ・ミュージックの世界から登場した彼にとって、ジャズとオーケストラのミックスも得意分野でした。そこからあの「007シリーズ」の音楽が誕生しました。しかし、クラシック音楽の分野でも彼のポップ・センスは生かされ「ある日どこかで」(1980)のような美しい作品を生み出すことになります。
 その他にも、「冬のライオン」のような格調高い歴史劇での重厚な音楽でもしの才能を発揮し、見事、アカデミー作曲賞を獲得。ささに、「野生のエルザ」、「愛と哀しみの果て」というアフリカを舞台とした2作品でも、雄大なスケールのオーケストレーションによる音楽を作り上げ、アカデミー作曲賞を受賞しています。もうひとつ「ダンス・ウィズ・ウルブス」でもアカデミー作曲賞を受賞しています。インタビューによると、尊敬する作曲家として、彼はクラシック界からプロコフィエフとマーラーをあげ、映画音楽の世界ではニーノ・ロータをあげています。
 21世紀に入って以降、彼はニューヨークを拠点として舞台劇の音楽やヴォーカル・グループのザ・テン・テナーズなどのプロデュースに関わるなどして、映画界からは離れているようです。 
<ジョン・バリーの代表作>
「狂っちゃいねえぜ」(1959年)、「007/ドクターノオ」(1962年)、「ズールー戦争」(1963年)、「007/ロシアより愛をこめて」(1963年)、「007/ゴールド・フィンガー」(1964年)、「国際諜報局」「ナック」「007/サンダーボール作戦」(1965年)、「逃亡地帯」「野生のエルザ」「さらばベルリン」(1966年)、「夕なぎ」「冬のライオン」(1968年)、「真夜中のカウボーイ」(1969年)、「モンテウォルシュ」(1970年)、「007/ダイヤモンドは永遠に」「美しき冒険旅行」(1971年)、「フォロー・ミー」(1972年)、TV「オーソン・ウェルズ劇場」(1973年)、「人形の家」「ダブ」「007/黄金銃を持つ男」「イナゴの日」(1974年)、「ロビンとマリアン」「キングコング」(1976年)、「ブルース・リー死亡遊戯」(1978年)、「007/ムーンレイカー」「ハノーバー・ストリート」(1979年)、「ある日どこかで」「レイズ・ザ・タイタニック」(1980年)、白いドレスの女」(1981年)、「女優フランシス」(1982年)、「007/オクトパシー」(1983年)、「コットン・クラブ」(1984年)、「愛と哀しみの果てに」(1985年)、「ペギー・スーの結婚」(1986年)、「007/リビング・デイライツ」(1987年)、「ダンス・ウィズ・ウルブス」(1990年)、「チャーリー」(1992年)、「マイ・ライフ」(1993年)

「冬のライオン The Lion in Winter」 1968年
(監)アンソニー・ハーヴェイ
(原)(脚)ジェームズ・ゴールドマン
(撮)ダグラス・スローカム
(音)ジョン・バリー
(出)ピーター・オトゥール(ヘンリー2世)、キャサリン・ヘップバーン(エレノア)
   ジューン・メロウ(アレース)、ティモシー・ダルトン(フィリップ王)
   アンソニー・ホプキンス(リチャード)、ジョン・キャッスル(ジェフリー)、ナイジェル・テリー(ジョン)

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