「長距離走者の孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner」

- アラン・シリトー Alan Sillitoe -

<アラン・シリトーの死>
 2010年4月25日、新聞にこの小説の作者アラン・シリトー氏死去の記事が載っていました。アラン・シリトーといえば、「怒りをこめてふりかえれ」のジョン・オズボーンら「怒れる作家」たちと呼ばれた一群とともに一時代を築いた作家です。彼らが描いたイギリスの若者たちが抱える不満や怒りは、ビートルズローリング・ストーンズらのロック・バンドたちにも受け継がれ、さらにはセックス・ピストルズクラッシュらによるパンク・ムーブメントへとつながって行くことになります。
 彼の処女長編小説「土曜の夜と日曜の朝」は、1960年、後に「フランス軍中尉の女」や「熱い賭け」などの名作を撮るイギリスの監督カレル・ライスによって映画化され、大きな話題となりました。そして、その映画の製作者だったトニー・リチャードソンが自らメガホンを取って監督したのが、アラン・シリトーの処女短編集の表題作「長距離走者の孤独」です。この小説が発表されたのは1959年。それは不況に悩むイギリスの都市のどこでも見られた人々の生活を描き出したカタログであり、日本も含め多くの国が向かえることになる社会状況の未来予想図だったともいえます。

映画「長距離ランナーの孤独」>
 トニー・リチャードソンが監督した映画「長距離ランナーの孤独」(1962年)は、若かりしイギリスの名優トム・コートネイ(「ドレッサー」「ドクトル・ジバコ」でアカデミー助演男優賞ノミネート)が主演。この映画で高い評価を得た監督のトニー・リチャードソンは、翌年には大作「トム・ジョーンズの華麗な冒険」を撮り、アカデミー賞の作品、監督、脚色、作曲などを総なめにします。いっきに映画界の頂点に立った彼は、その後はハリウッドに進出。ジャック・ニコルソン主演でメキシコ・アメリカの国境地帯の出来事をドキュメンタリー・タッチで描いた「ボーダー」(1981年)、ウィーンにある小さなホテルを舞台にしたジョン・アーヴィング原作の隠れた名作「ホテル・ニューハンプシャー」(1984年)などの作品を残し、1991年エイズによってこの世を去りました。それと彼は「長距離ランナーの孤独」に出演していたイギリスの名優マイケル・レッドグレーヴの娘とこの映画が公開された年に結婚しています。「ジュリア」(1977年)や「裸足のイサドラ」(1968年)で有名なヴァネッサ・レッドグレーヴです。
 映画界におけるジンクス、「陸上競技映画に駄作なし」。この作品も地味ながら、その例外ではなかったと思います。競技中の主人公の回想シーンを上手くまじえることで、ただ走るだけの物語に観客を引き込むことに成功しています。

小説「長距離走者の孤独」>
 パン屋に泥棒に入り、売上金を盗んだ罪で感化院に入れられた主人公のスミス。彼は院長からその体格と脚力をかわれて、長距離クロスカントリー走の選手に指名されます。そして、他の感化院との対抗レースに出場し優勝するため、毎日感化院の外を走る自由を与えられます。元々、走るのが好きだった彼は毎日の練習にも欠かさず取り組み、大会当日もぶっちぎりでトップを独走してみせます。しかし、ゴール直前になって彼は突然走るのを止めてしまいます。・・・・・。なぜ、彼は止まってしまったのか?

「そりゃまあ、おれたちがどっちもずるい、だけどおれのほうがよっぽどずるいし、八十二で豚箱でおだぶつかもしれないが、それでも最後は勝つつもりだ。なぜならおれには奴なんかよりはるかに人生を華やかに太く生きるつもりだからだ。奴はきっと本だってべらぼうに読んでいるに違いない。それどころか、自分で書いた本だってあるかもしれない、だけどおれはちゃんと知ってるんだ、今おれがここにすわってるのと同じくらい確実に知ってるんだ、おれが今ここに書きつけてることは、奴なんかの書くことよりだんちに値打ちがあるってことを。だれが何と言おうとかまやしない、とにかくそれが事実というもんだ・・・・・」
本文中、主人公スミスが書き残した文章より

 先日、ネットで映画「長距離ランナーの孤独」について感想が書いてあるのを読みました。そこにはこんな風に書かれていました。
「主人公の行為は結局は自分が痛めつけられることになるだけのことでまったく無駄。主人公は馬鹿にしかみえない」
 確かにそうかもしれません。でも、本当にそれだけでしょうか?
 小説では、彼がレースの放棄により自分がいかに厳しい立場に追い込まれるのか十分に理解していることがわかります。しかし、その厳しい処分は自分が出所するまでの六ヶ月だけなので、十分に耐え切れると彼は考えていたようです。なかなかに彼はしたたかなのです。
 そして、短期的に見ると彼の行為は愚かかもしれませんが、十年たてばその行為は彼にとっての心の支えになっているかもしれません。少なくとも、彼はその時のことを一生覚えているはずです。
 人生において、重要な行為の多くは決して論理的に導かれたものではなく、ちょっとした思い付きだったり、かっこつけて勢いでやってしまうことから始まるものです。だからこそ、それまでの自分を越える結果が生まれるのです。人生を50年も生きてくると、そのことだけは理解できてきた気がします。

<その他の物語>
 さて、この短編集には「長距離走者の孤独」以外にも数編の短編が載せられています。その中には不況下のイギリスらしいお話がずらりと並び、当時のイギリスの社会状況が見事に描き出されています。ここではその中から、いくつかのお話を選び、「あらすじ」やポイントなどについて書き出してみました。

「アーネストおじさん」
 戦場で受けた精神的なショックによって社会生活が困難になり、妻や子供、親戚たちにも見捨てられたアーネストおじさん。彼はある日、親に見捨てられ、ひもじい思いをしている幼い姉妹と知り合い、彼女たちに毎日食事やお菓子をごちそうしたり、ほしい物を買ってやるようになり、久しぶりに生きる喜びを感じるようになります。しかし、その幸福な日々はある日突然終わりを迎えてしまいます。
 ラストの救いのなさは、やりきれないのですが、その描写は美しく、魅惑的ですらあります。

「それから彼は一足ごとに苦しみを振り落としていった。やりきれない気持ちが渦を巻いて消えてゆき、かつて味わったことのない深い感情がそれにかわった。真昼の雑踏にまじって舗道をゆく彼の足どりには、このとき、たしかな目的がこめられていた。そしてスウィング・ドアを押して、立て込んだ騒々しい酒場に足を踏み入れたとき、彼にはもう何もかもどうだってよいと思われた。美しい、たっぷり餌のついた罠に吸い寄せられるように、彼の視線はビールのジョッキにじっと注がれたが、やがて、これが唯一最善の忘却へと彼を導いてくれることになる。」

「漁船の絵」
 ある日、夫婦喧嘩の後に別れてしまった夫婦。近所のペンキ屋の男と駆け落ちして町を出たはずの妻が、数年後にふらりと夫のもとを訪れます。彼女は自分の近況を語った後、その家にかかっていた唯一の絵がほしいと言い出します。夫はその小さな「漁船の絵」を包んで彼女に持たせました。
 ところがある日、夫は質屋の店先でその絵を見つけます。こうして、別れた妻がお金に困っていることを知った彼は、その後も頻繁に彼の家を訪れる彼女に少しずつお金を渡します。しかし、なぜか彼は彼女の家に戻るように言えず、そのために、悲劇的な結末を迎えることになります。

「・・・・・それにしても、判ったってどうしようもないころになって、やっと判るなんて、おれはひどく恥しい。もう今となっちゃあ、万事手遅れだ。ところがここまで来ると、真っ暗な闇のなかから晴れやかな考え方が、鎧を着た騎士みたいにあらわれてきてはずねる。
 もしお前があの女を愛していたのなら・・・・・(もちろん、おれはものすごく愛していた)・・・・・もしそれが愛として思い出すことのできるものなら、そんなお前たち二人にできるのは、ただあれだけのことだったのだ。さあ、お前は愛していたのか?
 鎧を着た騎士は暗闇のなかへ戻ってゆく。はい、愛していました、とおれはそこで答えるんだ。でも、おれたちは二人とも、愛のために何もしなかった。だから、いけなかったんです。」


「試合」
 地元チームの敗戦でガックリきた父親がそのうっぷんを家族にぶつけてしまい、その翌日妻と子供たちが家を出てしまう。なんとも「フーリガンの故郷」イングランドらしいお話です。
 イギリス病とまで言われた長い経済不況の中、イギリス国民の多くは、すべてにおいて悲観的な見方をすることで、さらなる不幸を招きよせていたともいえます。

「ブリストル市はノッツ郡を相手に戦い、勝利を収めた。キックオフの瞬間から、レノックスはなぜだかノッツが負けそうな気がしていた。べつだん、地元選手ひとりひとりの技について予言的な知識を持っていたわけではなく、観衆のひとりとして、彼自身の気持ちがもう一つ盛り上がっていなかったからだ。悲観主義にこり固まった彼は、そばに立っていた機械工の友人フレッド・アイアモンガーに言ったものだ - 『あいつらが負けやがることは、最初っからわかってたんだ』・・・・・」
この言葉は、そのまま自分の人生にも向けられていたのかもしれません。

「ジム・スカーフィデルの屈辱」
 年金暮らしの親のもとから離れず独身のまま生活していた若者ジム。彼はある日突然インテリのお嬢様と結婚し家を出ます。ところがその結婚は、左派の思想にかぶれたお嬢さんの気まぐれにすぎず、彼は彼女にさんざんバカにされた後、すごすごと母親のもとに帰ってきてしまいます。そのうえ、彼は妻からの屈辱的な仕打ちによって精神のバランスを崩してしまい、その後、幼女への異常な性犯罪をおこして警察に逮捕されてしまいます。
 このお話は当時のイギリスを象徴するような展開ですが、現在の日本の状況にもぴたりと当てはまります。20世紀半ばのイギリスは、21世紀の日本をいち早く体験していたといえます。

「それだから、ぼくはだれでもジムのように、あまり長くおふくろのエプロンにぶら下がっていてはいけないと思うのだ - そうでないと、みんなジムみたいになっちまいかねないからだ。だからこそ、ぼくは授業中も足し算などやらず、・・・・・机の下に入れた地図を眺めるのだ・・・・・」

「フランキー・ブラーの没落」
 戦争ごっこ好きの知恵遅れの青年フランキー・ブラーと彼のもとに集まって、いたずらに明け暮れる少年たちの物語。第二次世界大戦が始まったことで少年たちは本物の戦場へと旅立ち、一人残されたフランキーは暴力事件を起こしてしまい精神病院に入院させられてしまいます。そしてそこで彼は電気ショックによる治療を受けさせられることになります。
 キューブリック監督の映画「時計じかけのオレンジ」を思わせるこの物語の結末は、作家になった語り手の人物「ぼく」が久しぶりにフランキーと出会い、その変化に驚くと同時に自らもまた戻れないところにきたことを実感するというものです。それは作家アラン・シリトーが「怒れる若者」の一人から「怒れる作家」へと転身したことを自ら宣言する青春時代への決別の書だったといえます。

「『元気でな、フランキー』街角を曲がる彼にぼくは叫んだ。治療がすっかり終わるころには、あの男のどれだけが残るだろうか、とぼくは考えていた。霊感を吹き込まれた彼の秘められた心に、その広大な地下の貯水池に、穴をあけすっかり乾かしてしまうことがはたして医者たちにできるものだろうか?
 ぼくは彼のうしろ姿を見守った。彼の信号を無視し、雨に濡れた幅広い通りを斜めに横切り、バスを追いかけていって無事に飛び乗った。
 本に囲まれたぼくは、それ以来フランキーには会っていない。それはぼく自身の大きな部分に別れを告げるようなものだった - 永遠に。」


<アラン・シリトー>
 この小説の作者アラン・シリトー Alan Sillitoe は、1928年3月4日にイギリス中部の工業都市ノッティンガムで生まれています。父親は市内の工場で働く労働者で、彼もまた14歳で学業を終えると、父親と同じように工場で働き始めました。何もなければ、もしかすると彼はそのまま名も無き工員として一生を終えていたかもしれません。しかし、第二次世界大戦が起きたため、彼は18歳でイギリス空軍に入隊。彼は無線技師として当時イギリス領だったマレーシアに向かうことになりました。ところが、彼はそこで肺結核を患い本国へと送還され、一年半に渡る療養生活を強いられます。そして、この期間に彼は多くの本を読み、文章を書くことの喜びを知り、詩などの創作活動を行なうようになります。
 作家アラン・シリトーは、こうして「戦争」と「肺結核」という二つの不幸のおかげで誕生することになりました。この本の中の物語は、どれもみな救いようの無い悲劇ばかりです。しかし、それでもなお、そこに希望の光が感じられるのは、それらの作品がどれも彼自身が実際にそこで生き、体感したところから生まれたものだったからであると同時に彼の人生が「災い転じて福となす」ことになったからなのかもしれません。
 この小説によって描き出された若者たちの怒りは、この後小説だけでなく他の分野にも波及。ビートルズやストーンズ、フーなどのロックバンドを生み出し、1960年代カウンター・カルチャーの先駆けとなります。こうして走り出した怒れる若者たちは、立ち止まることなく1960年代を駆け抜けてゆくことになります。


「長距離走者の孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner」 1959年
(著)アラン・シリトー Alan Sillitoe
(訳)丸谷才一、河野一郎
集英社文庫

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