- ラヴィン・スプーンフル The Lovin' Spoonful
ジョン・セバスチャン John Sebastian -

<グッド・タイム・ミュージック>
 彼らが生み出す音楽を人々は「グッド・タイム・ミュージック」と呼びました。それは彼らの音楽が、古き良きアメリカの思い出を音楽によって現代に甦らせたものだったからです。それに歌詞の内容も、明るくポジティブなものだったこともあり、彼らはあっという間にアメリカ中の人気者になりました。時代は1960年代の後半。アメリカは激動のまっただ中にあり、ビートルズやローリング・ストーンズ、バーズが、次々に新しい音楽スタイルを生み出していました。そんな緊張の糸がピーンと張りつめた状態の中に、ある日突然、そんな時代の空気とは無縁の懐かしく心温まる音楽が現れたのです。(実は時代と無縁ではなかったのですが・・・)「魔法を信じるかい?」とやさしく歌いかけた彼らの歌は、人々につかの間の安らぎを与えました。
 しかし、そのデイ・ドリームのような時は、長くは続きませんでした。今でも彼らの何曲かのヒットは、エバー・グリーンとして残っていますがラヴィン・スプーンフル、そしてジョン・セバスチャンの名は、いつの間にか人々の記憶から消え去りつつあります。それはまるで、彼らの存在自体が古き良きアメリカの思い出の一部になってしまったかのようです。

<ラヴィン・スプーンフル>
 ラヴィン・スプーンフルの中心メンバー、ジョン・セバスチャン(1944年3月7日NY生まれ)とザル・ヤノフスキー(1944年12月19日トロント生まれ)は、ニューヨークを中心に活動していたフォーク・デュオ・グループ、マグワンプスのメンバーでした。マグワンプスには、その後ママス&パパスを結成することになるキャス・エリオットデニー・ドハーティーが在籍していましたが、1964年にこの二人が脱退。ジョンとザルは、新バンドを結成するため、ベースのスティーブ・ブーンとドラムスのジョー・バトラーを加え、1965年にラヴィン・スプーンフルをスタートさせます。

<デビュー、いきなりのブレイク>
 1965年発売のデビュー・シングル「魔法を信じるかい?」は、いきなりヒット・チャートの9位にランク・イン。ここから彼らのヒット量産体制がスタートします。
うれしいあの娘 You Didn't Have To Be Nice」(1966年10位)、「デイ・ドリーム」(1966年2位)、「心に決めたかい? Did You Ever Have To Make Up Your Mind?」(1966年2位)、「サマー・イン・ザ・シティー Summer In The City」(1966年1位)、「Rain On The Roof」(1966年10位)、「Nashville Cats」(1966年8位)

<イギリスでも評価された理由>
 次々にヒットを飛ばした彼らは、逆ブリティッシュ・インベイジョンとして、イギリスへのツアーを行い、ビート・バンド花盛りのイギリスでも大歓迎されます。
 なぜ、彼らのような流行に逆行するようなオールド・スタイルの音楽がうけたのでしょうか?それは、彼らの音楽が他のアメリカのロック・バンドのようなブリティッシュ・ビート・バンドのモノマネではなかったからです。それは、アメリカの古き良き時代の音楽、カントリー&ウエスタン、フォーク、R&B、それにジャグ・バンド・サウンドを研究し、それを現代に甦らせたものでした。それは、多くのイギリスのロック・ミュージシャンたちが憧れていたアメリカン・ポップスの原点だったからなのです。

<ジャグ・バンドとは?>
 ところで、ジャグ・バンドとは何ぞや?
ジャグとは、元々水差しのような大型の空き瓶のことで、これを吹いてベースやチューバの代用品にしていたころから、その楽器を中心とするバンドにジャグ・バンドという名がついたようです。この他に、洗濯板を使ったパーカション、洗濯おけを使ったベース、それにカズーやバンジョー、フィドルなどの弦楽器を加えて、バンドは編成されていました。
 それは開拓時代のアメリカで、身近にある生活用品を使うことから生まれたアメリカン・ポップスの原点のひとつでした。(白人側の)その黄金時代は、19世紀の終わりから20世紀にかけてだったと言われています。当然その当時はまだレコードによる録音は行われておらず、具体的にどんな音楽が演奏されていたのかは推測の域をでません。
 しかし、そのジャグ・バンドの音楽が20世紀に復活した時期がありました。それは1960年代のフォーク・トラッドのリヴァイヴァル・ブームがきっかけでした。フォークやトラッドなど白人系音楽のルーツを探る都会の学生たちがその中心となり、ジャグ・バンドを復活させたのです。

<イーブン・ダズン・ジャグ・バンド>
 そして、そんなバンドの中にニューヨークの学生たち、ジョン・セバスチャンやマリア・マルダーらが在籍していたバンド、イーブン・ダズン・ジャグ・バンドがありました。彼らはフォークやトラッドを研究して行く中で、黒人たちを中心に演奏されていたジャグ・バンドのサウンドの魅力にひかれ、その再現を目指します。彼らは筋金入りの学究派バンドだったようです。そして、この時のジョンの奥深い探求があったからこそ、ラヴィン・スプーンフルの古くて新しいグッドタイム・ミュージックは生まれたと言えそうです。

<意外な結末>
 しかし、彼らの栄光の時代は意外な結末を迎えます。そのきっかけは、バンドの中心的存在だったザル・ヤノフスキーのマリファナ所持による逮捕でした。明るく健全な古き良きアメリカのイメージで売っていた彼らにとって、その逮捕は衝撃的でした。そのうえ、ザルがその逮捕の際、自分の罪をごまかすために他のメンバーも巻き込もうとしたことにより、さらに事態は悪い方向に向かってしまいました。結局ザルは、1967年の6月に脱退し、代わってジェリー・イエスターが加入しますが、バンドにとってのイメージ・ダウンは決定的でした。そして、それに追い打ちをかけるように彼らを取り巻くロック界は大きく流れを変えようとしていました。
 1967年と言えば、ロック界にとって最大の地殻変動の年でした。サイケデリック・ロック、ブルース・ロック、プログレッシブ・ロックなど次々に現れるロックの潮流は、それ以前のロックをいっきに過去のものにしてしまったのです。
 結局1968年には、ジョンもバンドを脱退。必然的にラヴィン・スプーンフルは、解散に追い込まれてしまいました。あれだけの成功を手にしながら、彼らのその後のソロ活動は成功とはほど遠いものでした。

<苦難のソロ活動>
 メンバーの中でも、唯一ジョン・セバスチャンだけは、ウッドストック・フェスティバルで活躍するなど、ソロとして成功する可能性を充分もっていました。しかし、彼もまた一度巻き込まれた悪い流れから逃れることはできませんでした。
 1968年、バンド解散の直後に彼はアルバムを完成させ、所属レーベルのMGMに持ち込みました。しかし、MGMはそのアルバム「John B.Sebastian」(1970年)を、解散したばかりでまだまだ人気のあったラヴィン・スプーンフル名義で発表することを求めました。単独での再出発を目指していたジョンは当然反発、彼はそのアルバムをリプリーズから発表してしまいます。ところが、MGMはその販売権を主張し、ジャケットを変えただけで同じアルバムを発表してしまったのです。勢いのあるアーティストなら、これもまた良い宣伝になったかもしれません。しかし、ジョンにとって、このデビュー当初のつまづきは非常に大きなものでした。結局、この混乱のおかげでアルバムはヒットせず、その後MGMはジョンに無許可でソロ・ライブ・アルバムまで発表してしまいます。当然、このアルバムはジョンの訴えにより全品回収されることになりましたが、その後彼がリプリーズから発表した「リアル・ライブ」(1971年)もまた、騒ぎの影響のせいか売上はさっぱりでした。

<ウッドストック隠遁者>
 それでも、一度だけ彼につきが回ってきたことがありました。1976年、彼が音楽を担当したTVドラマ「ウェルカム・バック」が大ヒットしたおかげで主題歌「ウェルカム・バック Welcome Back」も大ヒット、全米ナンバー1に輝いたのです。しかし、これもほんの一瞬の輝きで終わってしまいました。彼はこの後、アルバムを発表することすらできなくなってしまったのです。彼と契約するレコード会社は、ついにいなくなってしまいます。
 結局、彼はウッドストックに住み着き、そこにこもって隠遁者のような生活をするようになりました。ウッドストックで行われる他のミュージシャンの録音に、ハーモニカなどセッション・ミュージシャンとして参加したり、たまにクラブで演奏するという生活です。その後彼がニューアルバム「タール・ビーチ」を発表したのは、1993年のこと。なんと17年という歳月がたっていました。
 かつて「魔法を信じるかい?」と音楽のもつ不思議なパワーについて歌っていた彼は、まるで黒魔術によって呪われてしまったかのように、ツキに見放されてしまいました。それは他のメンバーにとっても同様で、全員がその後再び脚光を浴びることはありませんでした。と言っても、ジョンにとってのソロ活動30年の人生が本当に不幸だったのか?それはわからりません。青春時代につかんでしまった栄光を失った後の長い静かな人生、それは人によっては耐え難いものかもしれません。
 でも、ウッドストックでザ・バンドのメンバーたちや地元のミュージシャンたちと過ごす日々は、そう悪くはないものだったかもしれません。それは、彼だけにしかわからないでしょう。
 確かなのは、彼とともに幻のジャグ・バンド・サウンドが、記憶のかなたへと静かに消えようとしているということだけです。

<締めのお言葉>
「一つの種の絶滅を知らされると
 一人の偉大なる著作家のすべての労作が
 この世から消え去ったような気持ちになる」
 セオドア・ルーズベルト

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