「アラビアのロレンス Lawrence of Arabia」 1962年

- デヴィッド・リーンDavid Lean 、モーリス・ジャール Maurice Jarre -


<大画面で見たい映画>
 この映画こそ、是非新型の大画面テレビでもう一度見てみたい作品です。どこまでも続く砂漠の遥か彼方に蜃気楼のように揺らめきながら現れる砂漠の民の族長アリ。ゆっくりと近づいてくるその小さな存在に比べると、白く美しく巨大な砂漠は、まさに神の手のひらのごとき存在に思えてきます。このシーンは映画史上最も長い登場シーンといわれています。(この時、初めて482ミリという超望遠レンズが使用されました)
 このシーンだけで、僕の心はもう完全に砂漠の魅力に引き込まれてしまいました。「ドクトル・ジバコ」、「戦場にかける橋」、「ライアンの娘」、「インドへの道」など、スケールの大きな作品を手がけ、あのスティーブン・スピルバーグが最大の目標としていた巨匠デヴィッド・リーンにとっても、この作品は最高傑作といえるでしょう。
 しかし、この映画にとっての最大の魅力は、監督の才能よりも、主演のピーター・オトゥールの真っ青な瞳よりも、砂漠の美しい映像よりも何よりも、モデルとなった主人公T・E・ロレンス本人の人間性そのものにあると思います。「英雄」、「ゲイ」、「マゾヒスト」、「反逆者」、「二重スパイ」、「考古学者」、「白いアラブ人」、「スピード狂」、「発明家」、「文学者」、「ゲリラ戦の天才指揮官」などなど、数多くの顔をもつその存在を一本の映画で表現するのは可能なのか?、映画化の際もそのことが大いに話題になったことでしょう。もちろん、それが成功したからこそ、この映画は歴史に残る傑作となりえたわけです。たぶん同じように大作映画を得意とする監督でも、ウィリアム・ワイラーやロバート・ワイズではここまで成功しなかったように思います。そこにはデヴィッド・リーンでなければならない大きな理由があったと思います。

<デヴィッド・リーン>
 この映画の監督デヴィッド・リーン は、1908年3月25日ロンドン郊外のクロイドンで生まれました。真面目なクェーカー教徒で公認会計士だった父親のもとで厳格に育てられた彼は、跡継ぎとなることを期待されていたようです。しかし、映画の魅力に早くから取り付かれてしまった彼は20歳の時、カチンコ係りとして映画界入りします。当時はなかなかの美男子だったため、周りのスタッフから俳優になるよう勧められていたといいます。しかし、あくまでも監督になることにこだわっていた彼は、カメラマン助手や編集など、様々な仕事をこなしながら下積みを続け、1944年の「幸福なる種族」でついに監督デビューを果たしました。その後、彼は数多くの作品を発表しますが、それらの作品には自国のイギリスに対するこだわりが常にありました。例えば、「大いなる遺産」(1940年)、「オリヴァ・ツイスト」(1948年)の2作はイギリスが生んだ最も有名な大衆娯楽小説作家チャールズ・ディケンズの作品を映画化したものです。それに「逢びき」(1945年)はイギリスを代表する劇作家ノエル・カワードの「静物画」という戯曲を映画化したものです。
 さらに特徴的なのは、「異国に生きるイギリス人」を描いた作品群の数々です。「戦場にかける橋」、「インドへの道」、「旅情」、そして「アラビアのロレンス」などは、その代表作ですが、時にそれらの作品は大英帝国による植民地支配をノスタルジックに表現した時代錯誤にすぎないという批判を浴びることもありました。しかし、大英帝国によるかつての植民地支配とは別に英国人による異国への思い入れの深さは、他の国の国民性とは別格なものがあるのも確かです。(それはブルースを再発見したイギリス人の若者たち、ストーンズやビートルズのメンバーにも受け継がれています)たぶん、そうした異国への偏愛はデヴィッド・リーン自身にもあったのでしょう。だからこそ、彼の作品は単なる異国の文化への偏愛と共通するタブーへの偏愛にもこだわりがあったように思われます。
 例えば、彼の代表作のひとつ「逢びき」(トレバー・ハワード、シリア・ジョンソン共演)は、実は「元祖不倫映画」なのだそうです。戦争と言う混沌の時代だったとはいえ、その映画以前には人妻が他人に恋をすることなどタブーであり、それを映画で描くなどもってのほかだったのです。(ちなみに、この映画は1984年にウール・グロスバード監督、ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ主演でリメイクされています。タイトルは「恋におちて」。デ・ニーロにとっては珍しいラブ・ストーリーですが、僕個人としては大好きな作品です)
 さらにタブーといえるのは、「アラビアのロレンス」でも暗示されているロレンスの同性愛と自虐趣味。そして、「戦場にかける橋」におけるアレック・ギネスと早川雪舟の友情を越えた関係、これもまた同性愛を暗示しているように思えます。当時としては、これもまたギリギリの表現だったのかもしれません。大島渚監督の「戦場のメリー・クリスマス」における坂本龍一とデヴィッド・ボウィの関係は、そのリメイクだったともいえるでしょう。そういえば、「アラビアのロレンス」の主人公を演じたピーター・オトゥールの青い瞳に魅せられてしまった男性もけっこう多のではないでしょうか?オーディションで多くの大物俳優たちではなく、まったく無名だった彼を選んだのは監督のデヴィッド・リーン自身だったそうです。
 異国の地とそこに住む人々への偏愛、そして禁断の愛のもつ妖しい魅力、この隠し味があるからこそ、彼の作品には深い奥行きが感じられるのでしょう。

<T・E・ロレンスの栄光>
 1907年、オックスフォード大学で中東の歴史を研究していたT・E・ロレンスは、イギリス政府のための諜報活動もしていた教授デヴィッド・ジョージ・ホガースと出会います。その後、シリアでの研究の旅に出かけた彼はアラブ文化の虜になり、自らの人生をアラブの研究に捧げる決心をします。彼がアラブの文化を愛するようになった理由のひとつに、彼の助手を務めていたアラブ人男性との恋愛関係があったとも言われていますが、アラブの文化を愛したからこそ、その土地の男性と恋に落ちたと考えるべきなのかもしれません。時は、1913年のことです。その後、彼はイギリス政府からの依頼を受け、シナイ半島の遺跡調査という名目で、軍のための諜報活動をすることになります。
 1916年、彼はイギリス政府直属の組織、アラブ局の職員となります。そこで彼に与えられた任務は当時イギリス政府と対立していたトルコの植民地、アラビア半島の国々を支援し、独立戦争を起こさせることでした。アラブを愛する彼にとって、部族の対立によってバラバラになっていたアラブを対トルコの名の下に統一、そして自らが先頭に立って闘うというのは夢のような仕事でした。大学で歴史を研究していた彼は戦争における戦略の立て方についても豊富な知識をもっており、砂漠を知り尽くしたアラブの民を率いてのゲリラ戦において、彼は次々に勝利を収め、ついには難攻不落といわれてたアカバ湾の制圧にも成功します。(この映画の最も盛り上がるシーンはこのシーンでしょう)

<T・E・ロレンスの挫折>
 ところがアラブの独立を成し遂げる直前まで行きながら彼はそこで挫折してしまいます。彼が信頼を得ていたはずのアラブの指導者、ファイサルがフランスの援助を得ることで不完全な形での独立を果たしてしまったのです。それだけではなく、彼はトルコの占領地域に潜入した際に捕虜となり、そこで拷問だけでなく性的な虐待を受けたともいわれています。この時の出来事がきっかけかどうは不明ですが、この頃からマゾヒスティックな趣味をもつようになった彼の奇行はまわりにも知られるようになります。(自らを鞭で打つなどの自傷行為もあったといいます)自分ではアラブ人になりきっていたつもりが、最後には裏切られてしまい、なおかつ、性的な嗜好においても自分が異常であることを感じた彼は、それまでの誘いと自信を失い、イギリスへと帰る決意を固めます。
 帰国後、彼は自叙伝「知恵の七柱」を発表。その後は何冊もの著書を発表しますが、それで精神的に満たされるということはなく、新兵器を開発するプロジェクトに参加したり、偽名をつかって軍に入隊して、あえて無名の一兵士として戦場へ向かおうとしたりしました。こうした行為は、「アラビアのロレンス」としてマスコミによって作り上げられた英雄のイメージにより、自らの求める砂漠や危険から切り離されてしまった彼がみせた最後の闘いでした。彼にとっては、「砂漠の王」になることこそが最大の夢であり、「スピード・キング」も「同性愛」もその代用品にすぎなかったのでしょう。
 1935年5月19日、彼はバイクの事故により47歳という若さでこの世を去りましたが、その死はもしかすると遅すぎるぐらいだったのかもしれません。彼にとって、愛するアラブに裏切られ、イギリスへと帰った時、すでにその命は燃え尽きていたのですから。

<ピーター・オトゥール>
 この映画で主人公ロレンスを演じたピーター・オトゥール Peter O'Toole もまたT・E・ロレンスに匹敵するカリスマ性をもつ俳優です。砂漠のオアシスのように青く輝く瞳には、誰もが驚かせれ、彼はいきなりこの映画でアカデミー主演男優賞にノミネートされます。しかし、あまりに本物のロレンスと似ていたためか、まだ新人だったせいか、この映画で彼はアカデミー主演男優賞を獲ることが出来ませんでした。(彼は自分のことをロレンスの遠縁にあたるといっていたといますが、だとしても不思議はないほどよく似ています)そして、その後も名優として活躍を続けますが、なぜか受賞を逃し続けます。「アラビアのロレンス」(1962年)、「ベケット」(1964年)、「冬のライオン」(1968年)、「チップス先生さようなら」(1969年)、「The Ruling Class 」(1972年)、「スタントマン」(1980年)、「My Favorite Year」(1982年)、なんと通算7回もアカデミー主演男優賞にノミネートされながら、すべて受賞を逃してしまいます。そのため2002年には、アカデミーの会員たちも、彼が不憫に思えてきたのか、アカデミー名誉賞を彼に送ることになりました。ところが、彼は自分はまだ現役なのでそんな賞はもらえないと答えたそうです!そして、2006年再び彼は映画「ヴィーナス」でアカデミー主演男優賞にノミネートされます。しかしながら、またもや受賞を逃してしまいました。

<モーリス・ジャール>
 この映画の音楽もまた映画史に残るものです。今でも巨大なスクリーンに映し出された砂漠の風景を思い出すと、すぐにあの壮大なスケールの音楽が思い浮かんできます。
 この映画の音楽を担当し一躍世界的な映画音楽の巨匠となったモーリス・ジャール Maurice Jarre は、1924年9月13日フランスのリヨンで生まれています。父親はリヨンの放送局に勤める技術部長で、特に音楽的に恵まれた環境に育ったわけではありませんでした。本人も、当初は父親の仕事の影響で映像関係の仕事につくことを考えていました。しかし、16歳の時、音楽を目指そうと決意し、パリの音楽院に入学します。そこで彼はパーカッションを学んだ後、ソルボンヌ大学に通い、その後、パリ音楽院管弦楽団のティンパニー奏者となりました。(「アラビアのロレンス」における印象的なティンパニーの役割は、彼のこの楽器に対する思い入れからきたのかもしれません)その間、作曲、指揮、電子音楽などについても学んだ彼は、現代音楽の巨匠アルチュール・オネゲル、ルイ・オーベール、ピエール・シェーファーらに師事し多くを学びました。第二次世界大戦中、海軍に入隊していた彼は、除隊後、国立劇場などの音楽監督をつとめ、舞台劇、オペラなどの音楽を十数年にわたり手がけました。映画音楽に関わるようになったのは、1957年頃。しかし、「アラビアのロレンス」の音楽は偶然彼に巡ってきたチャンスでした。
 たまたま「アラビアのロレンス」撮影中にデヴィッド・リーン監督と音楽担当のマルコム・アーノルドが対立。急に彼はこの映画から降板してしまいます。そこで急に作曲家が必要になり、代役として彼に話しが回ってきたのでした。ところが、この作品でいきなり彼はアカデミー作曲賞を受賞。(その他、「ドクトル・ジバゴ」(1965年)、「インドへの道」(1984年)でも彼はアカデミー賞を受賞しています)これ以後彼の偉大な音楽作品が次々に世に出ることになります。
 主な作品としては、「史上最大の作戦」(1961年)、「パリは燃えているか」(1965年)、「コレクター」(1965年)、「裸足のイサドラ」(1968年)、「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)、「ライアンの娘」(1970年)、「ロイ・ビーン」(1972年)、「王になろうとした男」(1975年)、「ラスト・タイクーン」(1976年)、「ブリキの太鼓」(1979年)、「危険な年」(1982年)、「刑事ジョン・ブック 目撃者」(1985年)、「モスキート・コースト」(1986年)、「いまを生きる」(1989年)「ゴースト ニューヨークの幻」(1990年)・・・etc.
 かつてはデヴィッド・リーン監督作品が多く、最近ではピーター・ウィアー作品に数多く音楽を提供しています。二人の監督に共通するのは、第三世界を舞台にしたエスニックな作品が多く、スケールの大きな大作が多いということでしょう。そんなイメージに彼の音楽はぴったりはまるのでしょう。

<リアルなおとぎ話>
 リアルにヒーローを描き出した映画としては、名作「市民ケーン」をはじめとして、それ以前にも数多く作られてはいました。しかし、この映画のT・E・ロレンスほど、陰影が深く多角的に描かれたヒーローは、それまでほとんど存在しませんでした。この作品のスクリーンいっぱいに描き出された砂漠地帯独特の光と影のコントラストは、アラブの文化全般にも共通しているように思いますが、同じようにロレンスの人間性にもあてはまるものでした。ただし、ロレンス自身はこうしてアラブの文化に憧れながらも、アラブの人々には結局受け入れてはもらえなかったのですから、現実とは厳しいものです。この映画は、「アラブ・オタク」が仮想世界だけでなく現実世界で「アラブのリーダー」という地位を獲得。そのオタク的知識を駆使して見事ヒーローの地位に登りつめてしまったという「リアルなオタクのおとぎ話」といえるのかもしれません。現実はそう甘くなく彼がヒーローに登りつめた瞬間から、必然的に転落への道のりが始まってゆきましたが、「アラビアのロレンス」が体験した「砂漠の王」としての至福の時(映画の前半部)は、誰一人体験したことのない最高のものだったに違いありません。そんな精神の高みへと到達することができただけでも、彼は最高に幸福な人間だったと僕は思うのですが、それだけに彼にとっておまけの人生は苦痛に満ちたものだったのでしょう。

「アラビアのロレンス Lawrence of Arabia」 1962年公開
(監)デヴィッド・リーン
(製)サム・スピーゲル
(原)T・E・ロレンス
(脚)ロバート・ボルト
(撮)フレデリク・A・ヤング、ニコラス・ローグ(第二班担当)
(音)モーリス・ジャール
(出)ピーター・オトゥール、アレック・ギネス、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、ジャック・ホーキンス、アーサー・ケネディ、クロード・レインズ



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「アラバマ物語 To Kill A Mockingbird」(監)ロバート・マリガン(主)グレゴリー・ペック(アカデミー主演男優賞
アラビアのロレンスLawrence of Arabia」(監)デヴィッド・リーン(音)Maurice Jarre(アカデミー作曲賞アカデミー作品賞、監督賞
(ピーター・オトゥールの青い目が忘れられません。アラブの歴史を学ぶのに最適)
「女と男のいる舗道」(監)(脚)ジャン=リュック・ゴダール(原)マルセル・サコット(出)アンナ・カリーナ、サディ・ルボット
「家族日誌」(監)ヴェレリオ・ズルリーニ(出)マルチェロ・マストロヤンニ、ジャック・ペラン(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「渇いた太陽 Sweet Bird of Youth」(監)リチャード・ブルックス(エド・ベグリーがアカデミー助演男優賞
「奇跡の人 The Miracle Worker」(監)アーサー・ペンアカデミー主演女優賞、助演女優賞(アン・バンクロフト、パティ・デューク))
「酒とバラの日 Days of Wine and Roses」(監)ブレーク・エドワーズ(音)Henry Mantini アカデミー歌曲賞(ブレーク・エドワーズ監督とのコンビ作、レイ・ミランド主演)
「サンタ・バルバラの誓い」(監)アンセルモ・デュアルテ(カンヌ映画祭パルムドール
「シベールの日曜日」(監)(脚)セルジュ・ブールギニョン(原)ベルナール・エシャスリオー(出)ハーディー・クリューガー、パトリシア・ゴッジ
「ジャンヌ・ダルク裁判」(監)ロベール・ブレッソン(カンヌ映画祭パルムドール
「終身犯」(監)ジョン・フランケンハイマー(出)バート・ランカスター(ヴェネチア映画祭助演男優賞
「西部開拓史 How the West Was Won」(監)ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード他(音)Alfred Newman(ランディー・ニューマンの叔父さん)
「太陽はひとりぼっち」(監)(脚)ミケランジェロ・アントニオーニ(脚)トニーノ・グエッラ(出)アラン・ドロン、モニカ・ヴィッティ(カンヌ映画祭審査員特別賞
「脱獄」(監)デヴィッド・ミラー(脚)ダルトン・トランボ(出)カーク・ダグラス、マイケル・ケイン
「長距離走者の孤独」(監)トニー・リチャードソン(脚)アラン・シリトー(出)トム・コートネイ
「沈黙」〈監)〈脚)イングマール・ベルイマン(撮)スヴェン・ニクベスト(出)イングリッド・チューリン、グンネル・リンドブロム
「何がジェーンに起こったか? What Ever Happened to Baby Jane ?」(監)ロバート・アルドリッチ(出)ベティ・デイヴィス
「僕の村は戦場だった」(監)アンドレ・タルコフスキー(出)コーリャ・ブルリャーエフ(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「水の中のナイフ」(監)ロマン・ポランスキー(出)レオン・ニェムチェク(ヴェネチ映画祭国際映画評論家連盟賞

キューポラのある街(監)(脚)浦山桐郎(原)早船ちよ(脚)今村昌平(出)吉永小百合、浜田光夫、東野英治郎
「座頭市物語」(監)三隅研次(主)勝新太郎
「秋刀魚の味」(監)(脚)小津安二郎(脚)野田高梧(出)笠智衆、佐田啓二、岩下志麻
「切腹」(監)小林桂樹(原)滝口康彦(脚)橋本忍(撮)宮島義勇(出)仲代達也、石浜朗、岩下志麻
「椿三十郎」(監)(脚)黒澤明(原)山本周五郎(脚)菊島隆三、小国英雄(出)三船敏郎、仲代達也、加山雄三
「破戒」(監)市川昆(原)島崎藤村、(脚)和田夏十((撮)宮川和夫(出)市川雷蔵、船越英二、藤村志保
「私は二歳」(監)(製)市川昆(脚)和田夏十(原)松田道雄(出)鈴木博雄、山本富士子、船越英二

コンバット」(TVシリーズ) Leonard Rosenman
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<アメリカ>
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<アフリカ>
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<アジア>
中国、インド間の国境紛争が勃発
中国とソ連の対立が表面化

<芸術、文化、商品関連>
「イワン・デニーソヴィッチの一日」ソルジェニーツィン著(ソ)
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サム・ウォルトンがウォルマートを設立(スーパーマーケット時代の到来)
<音楽関連(海外)>
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<音楽関連(国内)>
ジャニーズ事務所設立
(メリー喜多川、ジャニー喜多川の姉弟が設立。進駐軍ハウスで作られた少年野球チーム「ジャニーズ」からタレント志望の少年たちを集めて、歌って踊れるチームを作ろうとしたのが始まりだった。さらにそのモデルとなったのは映画「ウエスト・サイド物語」のグループでした)
この年の音楽については、ここから!

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