<マドンナという名前>
なんと驚いたことにマドンナというのは、芸名であると同時に本名でもあるそうです。性格には、マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネ。1959年にミシガン州デトロイトのイタリア系カットリック教徒の家庭に生まれました。敬虔なカトリック教徒の両親に育てられた彼女ですが、名付け親でもあった母親とは6歳の時に死別しています。
もちろん「マドンナ」とは、キリスト教における聖母マリアのことです。処女でありながら、イエス・キリストを産んだ神に選ばれし女性であり、西欧社会における母親の象徴とも言える存在です。なんという象徴的な名前でしょう。一歩間違えば、最悪の芸名になったかのしれませんが、彼女はそれを見事に逆手にとったのです。
1980年代以降、時代は変わりマドンナの音楽、生き方は常に変わり続けましたが、彼女の演じる「マドンナ」は常に時代の顔であり、セックス・シンボルであり続けました。20年に渡り、ミュージシャンとしてだけでなく俳優として、ダンサーとして、母親として、トレンド・リーダーとして、スキャンダル・ヒロインとして、常に見る者を飽きさせない時代を代表するエンターテナーとしての偉大さは、意外に過小評価されている気がします。
<ニューヨークでの下積み時代>
少女時代をデトロイトで過ごした彼女は、ショービジネスの世界に憧れて、ニューヨークへ飛び出しました。そこでディスコ・ダンサーやモデルなど数多くの仕事をしながら、彼女は見事、アルヴィン・エイリー舞踏団の奨学金をつかみ取り、パリでさらにダンサーとしての技術を磨きました。(どうりでダンスが上手いはずです)
こうして、下積みの経験を積んだ後、彼女はニューヨークに戻り、サイヤー・レコードと契約、先ずはクラブ系のシンガーとして、スタートを切りました。元々ディスコ出身の彼女にとって、それは自然な方向性でしたが、後にハウス系の大ヒットを生み出す彼女にとって、クラブ・シーンは最も重要な活動の場であったと言えるでしょう。
<デビュー>
彼女のデビュー・アルバム「バーニング・アップ Burning Up」(1983年)からは、なんと8曲のうち5曲がシングル・カットされています。そのうち第4弾シングル「ボーダー・ライン」が初めてベスト10入りを果たします。そして1984年一大ブームを巻き起こすことになる大ヒット・アルバム「ライク・ア・バージン Like A Virgin」が発売されました。
このアルバム・ジャケットのフリフリ衣装は、マドンナ・ルックとしてファッション的にもブームとなり、当時の彼女のブリッ子っぽい歌い方とともに、「80年代のセックス・シンボル」という評価を得ることになりました。(このアルバムのプロデューサーは、当時のダンス・サウンド界最大の人気者、シックのナイル・ロジャースでした)しかし、彼女の本当の才能が明らかになってゆくのは、ここからでした。
<本領発揮>
1986年発表のアルバム「トゥルー・ブルー True Blue」では、彼女自らがプロデュースを行い、その本領を発揮し始めます。シングル・カットされた「トルゥー・ブルー True Blue」、"Live To Tell"、「パパ・ドント・プリーチ Papa Don't Preach」、「オープン・ユア・ハート Open Your Heart」は、どれもが大ヒット。中でも「パパ・ドント・プリーチ」は未婚の母の問題を真っ正面から取り上げた内容で、この後彼女が積極的に自らの主張を歌にしてゆく先駆けとなった作品でした。
続くアルバム"Like A Prayer"(1989年)では、彼女に匹敵するスキャンダラスな天才アーティスト、プリンスとの共演を実現させ、「エロティカ Erotica」(1992年)「ベッド・タイム・ストーリーズ Bedtime Stories」では、いよいよ彼女の「性」へのこだわりを前面に押し出し、スキャンダラスな写真集「SEX」とともに世界中の話題をさらうことになります。
<マドンナ・ワールドの秘密>
音楽だけではない彼女の総合的なエンターテイメント性は、いくつかのキーワードで説明できるかもしれません。
ひとつは「ダンス」です。ディスコ・ガールとしてスタートした彼女にとって、ダンスは常に重要な要素でした。70年代のディスコからデビュー当時80年代のクラブ・シーン、それに90年代のテクノ・ハウス時代と彼女のサウンドは、ダンス音楽の流れとともに変化してきました。
ふたつめは「セックス」です。「ライク・ア・バージン」から始まって、ゲイ、レズビアン、エイズ問題など、彼女にとって「性」は、過去も現在の最大のテーマであり続けています。
みっつめは「映画」です。「マドンナのスーザンを探して」、「ディック・トレーシー」から始まって、ドキュメンタリー映画の「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」やアケデミー賞の主演女優賞にまでノミネートされたミュージカル大作「エヴィータ」など、彼女の映画へのこだわりは並々ならぬものがあります。このこだわりは、彼女が主役となるビデオ・クリップにも影響を与えており、だからこそ彼女の曲はMTVの一大ブームに乗って世界中の人々の目を釘付けにしたのです。(彼女の曲には映画のテーマ曲も多い。「ビジョン・クエスト/青春の賭け」(1985年)のテーマとなった"Crazy For You"や元旦那様のショーン・ペン監督作品「ロンリー・ブラッド」(1986年)のテーマ曲だった"Live To Tell"、それに大ヒット曲「ヴォーグ Vogue」では、往年の名女優たちの名前が次々に登場し、彼女の映画女優への憧れの気持ちをうかがわせていました。そして最新の曲では、007の新テーマ曲があります)
よっつめに「ラテン音楽」の影響も忘れるわけにはゆかないでしょう。それは彼女がニューヨークというアメリカ最大のラテン音楽地域のダンス文化圏で育ったからかもしれません。「ラ・イスラ・ボニータ」(1987年)のようなラテン系の曲を最近のラテン音楽ブームに先駆けて取り上げていたのは、彼女くらいだったはずです。
「エビータ」 EVITA 1996年 (監)(製)(脚)アラン・パーカー
(製)ロバート・スティグウッド、アンドリュー・G・バイナ(脚)オリバー・ストーン(撮)ダリウス・コンジ(編)ジェリー・ハンプリング(詞)ティム・ライス(曲)アンドリュー・ロイド・ウェバー
(出)マドンナ、アントニオ・バンデラス、ジョナサン・プライス、ジミー・ネイル、ヴィクトリア・サス、ジュリアン・リットマン<あるすじ>
愛人の娘として生まれ、父親の葬儀にも出席を許されなかった少女。成功を夢見た彼女はタンゴの歌手の愛人となりサンチアゴへ。
次々と男を変えながら、女優としてのチャンスを得た彼女は、有名人の仲間入りを果たし、軍部の大物ぺロンと出会います。
戦後の経済の低迷から抜け出せず、社会主義運動が盛り上がる中、ペロンは貧しき者の人気を集め、大統領選挙に勝利。
彼女はファースト・レディーとして国民の人気を集め、海外でもその活躍が有名になります。
しかし、ペロンの政治は決して貧しき者の見方ではないことが次第に明らかになって行きます。マドンナ入魂の演技・歌唱でした。ストーリーの展開役だったバンデラスも素晴らしかった。
歴史的事実が興味深いため、もう少し歴史的部分を知りたかったし、ミュージカルでなくても良かった気すらします。
とはいえ、ミュージカルとしての完成度はさすがに高く音楽は素晴らしい!
演出もさすがはアラン・パーカー。画面の質も高くリアリズムは徹底されてます。脚本はオリバー・ストーンとは!
<世紀を越えたマドンナ>
世紀を越えても、彼女は「世界のマドンナ」であり続けています。「ミュージック Music」(2000年)も素晴らしかったし、2001年の同時多発テロ事件の際、アメリカの報復攻撃に対し、まっさきに反対の宣言を行ったのも彼女でした。これは、本当に勇気のいることだったはずです。20世紀を終えてもなお、「戦争」と「暴力」との縁を切ることのできない男性中心の世界を変えることができるのは、間違いなく彼女のような怖い者知らずの女性たちでしょう。(ちなみに、「世界のマドンナ」は、れっきとしたひとりの母親でもあります)
ミュージシャンの枠を越えた時代を代表するエンターテナー、そう言える存在は20世紀を終えた時点で、何人くらいいるでしょうか?そう考えると、やっぱりマドンナはその名に恥じない本物の「マドンナ」なのです。
<大衆の期待を裏切り続けてきたポップ・アーティスト>
マドンナはデビュー以来、常に人々の期待を裏切り続けてきたアーティストでもあります。趣味の悪い衣装に身を包み、世の人々が嫌悪する「マテリアル・ガール」たちの心を代弁し、それ以上にタブー視されてきたエイズに苦しむゲイ社会のことを歌い、「セックスの喜び」をライブ、MTV、写真集などで世に広め、アメリカ中が支持したアフガニスタンへの報復攻撃にも反対を宣言しました。
あくまでもアンダーグラウンドな存在であることにこだわり続けることで、彼女はポピュラー音楽の世界において、その存在感を示し続けているのです。アンダーグラウンドとヒットチャートを行き来する、その微妙なバランス感覚は、女性ならではの感覚であり、彼女が時代のマドンナであることの証だと僕は思います。
<締めのお言葉>
「良き趣味は、不安なものの見え透いた方便だ。
良き趣味なるものは、良き趣味なるものの持ち主たちは皇帝の衣服の古物を買うのに懸命だ。
良き趣味なるものは、非創造的なるものの第一の逃げ場だ。
それは、芸術家の最後の散兵壕だ。
良き趣味なるものは大衆の麻薬だ」
ハリー・パーカー
ヴィクター・パパ・ネック「生き延びるためのデザイン」より
<追記>2014年9月
「マドンナは常に”からだ”を使ってきた。マゾにもサドにもレズにも反戦闘士にも南部娘にももちろん売春婦にも母親にも小娘にもなってきた。マドンナには固有の発声法がない、と私は長い間思っていたが、それはマドンナの”個性”というべきものが、擬態を本能としているからであって、表層のすぐ下の層は常に一律であることをそれとなく知らしめることも怠らなかった。それゆえに”からだ”は疎かにできない。」
湯浅学「音楽が降ってくる」より