家族の崩壊と再生を描いた映画の新たなる名作 


「マンチェスター・バイ・ザ・シー Manchester by the sea」

- ケネス・ロナーガン Kenneth Lonergan -
<家族の崩壊と再生の映画>
 様々な面でアメリカっぽくない映画です。重い空もが垂れ込めた空、雪に覆われた街並み、カモメが翔ぶ寂しい漁港などの美しい映像は、イギリスや北欧の映画を見ているようです。そして、「家族の崩壊と再生」を描いた内容も、個人主義の国アメリカっぽくないお話です。
 もちろん、日本で公開されているアメリカ映画のほとんどがハリウッドの大作映画なので、そう思えるのかもしれません。しかし、3Dにもできず、グッズ販売やゲーム化にも向かない題材をハリウッドが映画化することはほとんどなく、この作品もマット・デイモンが製作者として協力し、監督自身のこだわりがあったからこそ実現した企画でした。ある意味、この作品は映画化できたこと自体に価値があるともいえるのです。実際、アメリカで映画化されたこのテーマの映画で映画史に残る作品は、かなり珍しいといえます。
 「クレイマー、クレイマー」(1979年ロバート・ベントン)、「普通の人々」(1980年ロバート・レッドフォード)、「黄昏」(1981年マーク・ライデル)、「ガープの世界」(1982年ジョージ・ロイ・ヒル)、「ザ・ロイヤル・テネンバウム」(2001年ウェス・アンダーソン)、「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年ジョナサン・デイトン)、「ファミリー・ツリー」(2011年アレクサンダー・ペイン)、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2011年スティーブン・ダルドリー)・・・なかなか思い出せません。
 改めて振り返ると、こうした家族をテーマとする映画は、アメリカのアイデンティティが問われるような事件が起きた時に、数多く作られている傾向があります。1970年代のベトナム戦争と2001年の同時多発テロ事件の後、様々な映画が家族の存在を問い直そうとしています。逆に言うと、それ以外の時代には「家族」の問題はあまり重要視されていないとも言えるのかもしれません。同じく2016年にはデンゼル・ワシントン監督・主演の「フェンス」が公開され、ヴィオラ・デイヴィスが見事アカデミー助演女優賞を獲得しています。こちらは、1950年代黒人家族のドラマでした。アメリカでは、今再び「ホーム・ドラマ」の時代が来ているのかもしれません。

<こだわり抜いた映画>
 とはいえ、題材が珍しいからと言って素晴らしい映画ができるわけではありません。しかし、この作品は、名作映画に共通する条件をしっかりとおさえたこだわりの作品に仕上がっています。
 膨大な量の映像の中から選び抜かれたであろうそれぞれのカットはどれも美しく一気に観客を映画の中に惹き込みます。曇り空の下のどんよりとした冬景色は、まるで日本海を背景にした港町の風景を思わせ、懐かしさを感じさせてくれるのは、その映像のリアリティーによるものでしょう。
 そんな素晴らしい映像の背景に流れる音楽もまた、映画の空気感を意識したクラシックを中心とする選曲で、観客を惹き込みます。主人公のリーが過去の事件の記憶を回想する場面でかかる「アルビノーニのアダージョ」こそ、様々な映画に使用されている有名曲ですが、それもまた納得の選曲です。そして、それ以上に映画の雰囲気を生み出しているのが、ヘンデルの「メサイア」からの選曲です。
 ヘンデルはドイツ生まれの作曲家ですが、1727年にイギリスに帰化したイギリス人の作曲家としてとらえられています。そんなヘンデルの代表曲である「メサイア」は、彼が英国に帰化した後1742年に作曲、発表されています。初演はアイルランドのダブリンでした。
 映画の中の会話からすると主人公の一族はカトリックでしたから、もとはアイルランド系の移民なのかもしれません。そう考えると、ヘンデルの「メサイア」が使用されたのには、曲のイメージだけではない、ルーツにこだわった意味がある選択とも考えられます。その他にも、渋いR&Bナンバーが選曲されていて、映画の脇役として活躍しています。このページの最後に使用曲の一覧を書き出しているのでご覧ください!
 とはいえ、この映画を支える最大の功労者は、何といっても素晴らしい俳優陣の素晴らしい演技でしょう。
 アカデミー主演男優賞を獲得したケイシー・アフレックの抑えに抑えた表情と突然、切れる瞬間の恐さの表現は、迫真の演技です。パトリックを演じた少年役のルーカス・ヘッジズもまたすでに名優の域に達しています。それと、別れた奥さんのランディ(ミッシェル・ウィリアムズ)が、道端で偶然出会ったリーに泣きながら過去の自分の言動を謝る場面には本当に泣かされました。
 そして、もちろんそうした素晴らしい演技を引き出した監督の演出とアカデミー脚本賞を受賞したリアルな台詞の数々の素晴らしさも特筆すべきでしょう。ケネス・ロナーガンの次の作品に大いに期待したいと思います。
 こうして映像、音楽、俳優、脚本と演出に支えられることで、この映画は数年に一本の名作になり得たのです。

<家族のドラマは日本のお家芸?>
 「個人」を重視する欧米人に比べると、日本も含めたアジアの国々では「家族」を重視していることはよく知られています。そのためでしょうか?日本映画には「家族」を題材とした映画が非常に多い気がします。(思えば、ヤクザ映画も時代劇も、組や一族を単位とした「家族」ものの延長にあるといえます)
 映画史に残る名作を選んだ英国映画協会が発表した「オールタイムベスト100」のナンバー1に輝いた「東京物語」からして、古い家族の形が崩壊する様を描いた映画でした。この後、日本では高度経済成長の時期に一気に核家族化が進み、それまでの「家族」の形はどんどん変化して行きますが、映画はそうした変化を追い続けることになります。そうして、数多くの「家族」の映画が作られることになりました。日本映画の歴史を振り返ると、「家族の映画」の多さに驚かされるはずです。
 「おとうと」、「キューポラのある街」、「裸の島」、「人間蒸発」、「男はつらいよ」、「家族」、「楢山節考」、「家族ゲーム」、「お葬式」、「となりのトトロ」、「逆噴射家族」、「阿修羅のごとく」、「泥の河」、「お引越し」、「死の棘」、「メゾン・ド・ヒミコ」、「無能の人」、「父と暮らせば」、「間宮兄弟」、「HANA-BI」、「おくりびと」、「TOMORROW/明日」、「ぐるりのこと。」、「トウキョウソナタ」、「誰も知らない」、「そして父になる」、「八日目の蝉」、「サマー・ウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」、「ペコロスの母に会いに行く」、「歩いても歩いても」、「湯を沸かすほどの熱い愛」、「淵に立つ」、「岸辺の旅」、「ツレがうつになりました」、「海街DIARY」、「この世界の片隅に」・・・
 注目すべきは、それらの作品の中には海外で賞を受賞した作品が多いことです。「楢山節考」、「おくりびと」、「死の棘」、「無能の人」、「トウキョウソナタ」、「淵に立つ」、「誰も知らない」、「この世界の片隅に」、「HANA-BI」・・・海外で評価されている日本映画の多くが「家族」を題材にしているというのは偶然ではないはずです。
 もしかすると、世界は「家族」の映画を求めているのかもしれません。そして、日本の映画は、そうした世界のニーズに対応している数少ない国なのかもしれません。伝統的な匠の技を残してきた日本人は、「家族」という伝統的な社会システムを今に残す数少ない国であり、それが映画にも反映されているのでしょう。(一周遅れの先頭と言えるかもしれません)
 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見ていて、なんだか日本的なメンタリティーを感じたのは風景や人間関係だけからくるものではないのかもしれません。アイルランド系(カトリックだったしたぶん)の移民としてアメリカに渡り、漁業で生計を立ててきたジェシー一族は、今やアメリカでは珍しい「家族」を重視する人々であり、それがメンタリティーとして近いものに感じられるのです。
 日本の「家族」のドラマは、向田邦子の死や山田太一や倉本聰の引退により、テレビの世界ではいち早く消滅の危機にあり、映画の世界でも今後は消えゆく存在になるかもしれません。


「マンチェスター・バイ・ザ・シー Manchester by the sea」 2016年
(監)(脚)ケネス・ロナーガン Kenneth Lonergan
(製)マット・デイモン、クリス・ムーア、キンバリー・スチュワード、ローレン・ベック
(撮)ジョディ・リー・ライプス
(PD)ルース・デ・ヨンク
(音)レスリー・バーバー
(音監)リンダ・コーエン
(出)ケイシー・アフレック(リー・チャンドラー)、ミッシェル・ウィリアムズ(ランディ)、カイル・チャンドラー(ジョー)、グレッチェン・モル(エリーズ)、ルーカス・ヘッジズ(パトリック)
アカデミー主演男優賞(ケイシー・アフレック)、アカデミー脚本賞(ケネス・ロナーガン)

<使用曲>
「レット・ザ・グッドタイム・ロール
Let The Good Times Roll」 
1956年  シャーリー&リー Shirley & Lee  ニューオーリンズらしいR&Bの代表曲
「スタンド・バイ・ミー」(1986年)にも使用され、多くのアーティストがカバーしています
「Drivin' Wheel」  1936年 アルバート・キング Albert King  ブルースの古い曲で作者不詳で、この録音は1994年のものか?
B・B・キング、ポール・バターフィールド、ジュニア・ウェルズなどのバージョンが有名
「美しい朝 Oh,What A Beautiful Mornin」  1943年  レイ・チャールズ Ray Charles  ミュージカル「オクラホマ」から(オスカー・ハマースタイン&リチャード・ロジャース)
「Pifa(Pastoral Shymphony) The Messiah」
田園交響曲 
1741年  Musica Sacra Chorus & Orch.
(指)Richard Westenburg
ヘンデル George Frideric Handel のオラトリオ「メサイア」より
「45 Revolutions per Minute」 2013年  Oil Boom  テキサス州ダラスのロックバンドの曲 
「アルビノーニのアダージョ」  1958年 ロンドンフィルハーモニック交響楽団 トマゾ・アルビノーニ作曲の断片をレモ・ジャゾットは編曲し発表した
数多くの映画やテレビで使用されてきた名曲 
「Lily,Rosemary and The Jack of Hearts」 1975年 ボブ・ディラン Bob Dylan アルバム「血の轍」収録
「He Shall Feed His Flock Like A Shepherd:
Come Unto Him The Messiah」
1741年  Musica Sacra Chorus & Orch.
(指)Richard Westenburg
ヘンデル George Frideric Handel のオラトリオ「メサイア」より
「I'm Beginning To See The Light」  1945年 ザ・インク・スポッツ&エラ・フィッツジェラルド
The Ink Spots & Ella Fitzgerard
(曲)デューク・エリントンなどによるジャズのスタンダード
マイケル・ブーブレなど多くのアーティストがカバー
「At My Front Door」  1955年  エル・ドラドズ The El Dorados 黒人ドゥーワップ・グループの代表曲
パット・ブーン、シャナナ、ハリー・二ルソンなどがカバー
「オーボエとピアノのためのソナタ
Sonata For Oboe & Piano 1st Movement」 
  (曲)ヘンデル George Frideric Handel  
「Cherubin」  1905年 Musica Radio Orch. &
The Choir Chorus of the Bavarian Opera 
(曲)Jules Massenet
フランスのオペラからの曲で、エンディングで使用されています

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