- マラヴォア Malavoi -

<世界一のアマチュア・バンド>
 マラヴォアは、1980年代から1990年代にかけて、世界中でマルチニーク・サウンドのブームを巻き起こしたダンス・バンドです。「カリブに浮かぶ小さな島から現れた世界一のアマチュア・バンド」、彼らのことを人はこう呼びました。しかし、彼らがアマチュアであるという事実は、非常に多くの意味をもっていました。

<マルチニーク諸島>
 先ず初めに、なぜ彼らはアマチュアなのでしょうか?それは、彼らの活動拠点であり、故郷でもあるカリブに浮かぶ島、マルチニーク諸島が人口わずか35万人の小さな島国であることが最大の理由と言えそうです。この小さな島でプロとして成功することは、国の規模からいって不可能に近いことです。したがって、この島のバンドがプロとして成功するには、島から出て統治国であるフランスかアメリカへ行くしか道はなかったのです。

<アマチュアとして生きる>
 しかし、あえて彼らは島に残って活動する道を選びました。そのため、彼らは自らの生活の糧は別の仕事で稼ぎ、バンドとしての仕事はあくまでも趣味の範囲をでないという原則をもたなければならなかったわけです。(メンバーの多くは公務員だったようです)当然、活動範囲は制限され、海外へのツアーなどは、到底不可能であり、メジャーとの契約も不可能でした。しかし、このことが彼らのサウンドの素晴らしい特徴を生み出すきっかけになったのかもしれません。

<ズークの大流行>
 マラヴォアが活躍し始めた頃、フランス本国ではマルチニーク諸島が生んだ別の音楽が大流行していました。それは、パリ在住のマルチニーク系のミュージシャンたちによって生み出されたニュー・サウンド「ズーク」でした。しかし、それはあくまでもフランスで生まれたサウンドであり、エレクトリックなカリビアン風ワールド・ミュージックと言ったほうが良いサウンドでした。(カッサブがその代表的なバンド。このバンドについては、ジャズ界の神様マイルス・デイヴィスも自伝の中で高く評価しています)

<マラヴォアの目指すサウンド>
 それに対して、マラヴォアが目指していたのは、トラディショナルな楽器編成による新しいカリビアン・サウンドの創造であり、ズークとはまったく違うサウンドでした。もし彼らがプロのバンドとして、世界的な成功を目指していたらどうなったでしょうか?たぶん、彼らがこだわったスタイル、バイオリンを中心とするゴージャスなサウンドは実現できなかったでしょう。なぜなら、ツアーをするのに、ストリングスを同行させるのは、採算性に大きな問題があるし、より広い層を狙うなら、ズークのように今はやりの打ち込みリズムを多用しない手はなかったのですから。その意味で、彼らが「アマチュア」としてバンド活動を行っていたということは、その音楽性の重要な支えになっていたと言えそうです。もちろん、地元での受けも、トラディショナルなスタイルの方が良かったはずです。

<マラヴォアの誕生>
 マラヴォアの誕生は意外に古く、1970年のことです。フランス領マルチニーク諸島の首都、フォール・ド・フランセに、バイオリニストのエマニュエル・セザールをリーダーとして結成されています。バンド名の「マラヴォア」とは、スペイン語で「さとうきび」のことで、その名のとおり、彼らは島の伝統音楽にこだわりを持ったグループとして、ビギンやクレオール・ワルツ、マズルカなどをレパートリーにしていました。

<デビューから挫折まで>
 バンドが新しいスタイルを取り入れるようになったのは、ピアニストで後にバンドのリーダーになるパウロ・ロジータが加わってからです。バイオリンだけでなく、ホーンセクションまでもつ、新しいダンス・バンドの誕生でした。とは言え、彼らはアマチュア・バンドであったため、レコード・デビューは1977年"Malavoi"とずいぶん遅い。そして、翌年にはセカンド・アルバムを発表するのですが、この時点でバンドは活動休止に追い込まれてしまいました。あまりにいろいろな要素を盛り込んだ彼らの音楽は、その個性を見出せずに中途半端なカリビアン・サウンドの域を出られずにいたようです。

<復活から世界的ブレイクへ>
 1981年マラヴォアは再スタートをきります。そして、この時からマラヴォアからはホーン・セクションが消え、彼らの売りものであるゴージャスでありながらスピード感にあふれたバイオリンを中心とする「マラヴォア・サウンド」がスタートしたのです。これは、マルチニークの「ビギン」とキューバの「チャランガ」が融合した新しいダンス・ミュージックの誕生とも言えました。そして、ここから彼らの時代がスタートしたのです。

<世界へ羽ばたくアマチュア軍団>
 1986年、マラヴォアはパリのレーベル「ブルー・シルヴァー」と契約し、パリ録音のニュー・アルバム"La Case A Lucie"を発表。続いて、彼らのダンス・バンドとしての真髄を聴くことができるライブ・アルバム"Malavoi Au Zenith"が発表され、いよいよ彼らの名は世界中に広がり始めます。(この時のビデオも出ています。もう最高です!)
 そして1988年の傑作アルバム"Jou Ouve ジュ・ウヴェ"が世界的に大ヒットし、ついに彼らは「世界一のアマチュア・バンド」という称号をえるまでになりました。

<マラヴォアがアマチュアでいられたもうひとつの理由>
 彼らがアマチュアとして活躍できた理由のひとつに、マルチニークという特殊な地域の事情もあります。それはこの島々が、近隣の島国に比べ経済的に豊かであるがために、彼らのようなバンド活動が可能だったということです。それは、この島がフランスにとって重要な軍事拠点だったことによります。そのため、この島はフランス政府の手厚い保護のもとにあるのです。すぐ近くには世界一貧しい国と言われるハイチがあることを考えると、彼らは確かに恵まれているようです。(だからといって、マラヴォアが政治的意識が低いバンドというわけではありません。1986年には「アパルトヘイト」という南アフリカのアパルトヘイトを批判する曲を発表しています)

<世界の音楽状況はどうなってゆくのか?>
 ポピュラー音楽を生み出す土壌は、どれも複雑なものであり、奥が深いものです。だからこそ、世界各地から予想もしなかった新しい音楽が常に生み出され続けているのでしょう。
 願わくば、こうした世界各地の個性的な音楽を生み出す状況が、情報産業の発達や音楽産業の巨大化などによって均一化してしまわないことを望みたいものです。

<締めのお言葉>
「地球上のすべての人にはその人を待っている宝物があるのです」と彼の心は言った。
「私たち人の心は、こうした宝物については、めったに語りません。人はもはや、宝物を探しに行きたがらないからです。私たちは子供たちにだけ、その宝物のことを話します。そのあと、私たちは、人生をそれ自身の方向へ、それ自身の宿命へと、進んで行かせます。…ほとんどの人は、世界を恐ろしい場所だと思っています。そして、そう思うことによって、世界は本当に恐ろしい場所に変わってしまうのです。…」
 パウル・コエーリョ「アルケミスト」より

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