このけったいな世界を生きる人々へ

「闇の中の男 Man In The Dark」

- ポール・オースター Paul Auster -

<9・11が生んだ苦悩>
 あまりにも多くの不幸を抱え込んでしまった文章家の苦悩を、様々なスタイルの文章で浮かび上がらせる異色の作品です。例えば、「平行世界を描いたSF小説」や「孫娘と語り合う映画論」、「知人たちの不思議なエピソード」など。今や小説界の魔術師となったポール・オースターならではの作品ですが、そこには9・11以後のアメリカが抱えた心の闇が映し出されてもいます。
 内容的に重い物語であるにも関わらず読者を飽きさせないのは、彼ならではの多彩な文章が読者を楽しませてくれるからです。ここでは、次々に登場する物語の数々を分類・整理してみようと思います。

<もう一つのアメリカの物語>
 この小説が発表されたのは2008年。当然、著者ポール・オースターは、2001年の9・11同時多発テロ事件以後のアメリカによる報復攻撃などの出来事をふまえた上で書いたはずです。
 主人公の一人オーエン・ブリックが登場する物語が展開するのは、ブッシュとゴアがギリギリまで争った大統領選挙が発端で内戦が始まったもう一つのアメリカです。思えば、あの時、大統領選挙でもしゴアが勝利を収めていたら・・・。その後のアメリカはどうなっていたのか?アメリカ人の多くが、9・11の後、そのことを考えたはずです。
 著者はもしそうなっていたら、逆にアメリカ国内で内戦が起きていたかもしれない・・・というところから並行するもう一つのアメリカを描いているのですが、どちらにしてもアメリカには「悲劇」が待っていたはずだと考えているのは、やはり優れた視点だと思います。
 しかし、この小説においては、そんな内戦状態のアメリカはブリルという一人の文筆家が頭の中で生み出した脳内世界であり、その世界を閉じることで事態と変えることが可能と考えた人々が著者ブリルのい暗殺を計画します。このアイデアは、フレデリック・ブラウンの「火星人ゴーホーム」などがありますが、ポール・オースターとしては初のSFということになります。
 実はこの仮定の物語は、それほどありえない話ではありません。2010年代半ばのアメリカでは、「小さな政府」を求め過去の強いアメリカを志向する右派グループと「大きな政府」として社会主義的な福祉国家を目指す左派グループとにはっきり二つに分裂しています。そのうえこの二つのグループの対立は決定的で対話の余地もないようです。この対立が州単位、町単位で広がるようだと、それが地域別の分裂構造を生み、再び南北戦争のようにアメリカを二分する戦争にならないとは限りません。そんな状況が今また生まれつつあるようなのです。

<映画の物語>
 その小説内小説の著者ブリルは物語を頭の中で物語を作るだけではなく、映画を勉強中の孫と名作映画について語り合ってもいます。この映画の物語もまた、読者にとってはもう一つの世界となります。どちらにしても、読者にとっては創作されたものであることにかわりないのですから。それは作者がオースターか小津安二郎かの違いであり、読者にとっては、十分に目新しい物語として楽しめます。(どれも古い映画ばかりなのでなおのこと・・・)
 孫のカーチャは、「人間」ではなく生命のない「物」による表現によって「運命」を語る巨匠たちの見事なテクニックについて語っています。(この部分は映画ファンにとっては、十分に楽しめる新鮮な映画解説になっています)

人間の感情を表現する手段としての、命なき事物たち。それが映画の言語なのよ。そのやり方を理解しているのはすぐれた監督だけだけど、ルノワール、デシーカ、レイとなったら最高の三人だものね。
ブリルの孫カーチャの言葉

(1)「自転車泥棒」(イタリア映画ビットリオ・デシーカ監督作品)・・・仕事を失った主人公と彼のためにシーツを売って自転車を買う妻の物語

(2)「大樹のうた」(インド映画サタジット・レイ監督作品)・・・知らない男のもとに嫁いだ妻と彼女を気づかう夫の物語

(3)「大いなる幻影」(フランス映画ジャンルノワール監督作品)・・・母国に戻るため愛する女性と別れるフランス人兵士と彼を愛するドイツ人女性の物語

 さらに小津監督の世界的な傑作「東京物語」についての丁寧な扱いには、日本人として恐縮してしまいます。

(4)「東京物語」(日本映画小津安二郎監督作品)・・・父親(笠智衆)と義理の娘ノリコ(原節子)との物語

 血のつながらない義理の娘でありながら、実の娘や息子たちよりも親切にしてくれるノリコに対して、父親は感謝の言葉を述べますが、それを彼女は否定。「自分は本当はずるい人間です」と答えます。それに対して父親はこう語りかけました。

「いやあ、ずるうはない」
「いいえ、ずるいんです」
「あんたはええんじゃよ。正直で」
「とんでもない」

 ブリルはそんな彼女について孫にこう解説します。

・・・自分はいい人間だということをこの女は決して信じようとしない。なぜならいい人間だけが自分の善良さを疑うからだ。だからこそそもそもいい人間なのだ。悪い人間は自分の善良さを知っているが、いい人間は何も知らない。彼らは一生涯、他人を許すことに明け暮れるが、自分を許すことだけはできない。

 わしはあんたに幸せになってほしいんじゃ。なおも泣き続ける彼女を前にして、義理の父は、シーンが終わる前にもう一言だけ口にする。妙なもんだなあ、と彼は、ほとんど信じられないような口調で言う。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。


 あえて選んだと思える4つの国の映画に登場するのは、誰もがいい人ばかりです。にもかかわらず、彼らは不幸に巻き込まれ運命に翻弄されてしまいます。いい人ばかりの世界でも、残念ながら運命は人々に不幸をもたらす。これが人生なのです。

<知人たちのエピソード>
 主人公ブリルは、その他にも知人たちから聞いた様々なエピソードを記述しています。
(1)フランソワーズと、ある日突然失踪してしまった夫の物語(実は夫は諜報員で妻の身を守るために姿を消し続けていた)
(2)謎の人物によってユダヤ人虐殺の危機を奇跡的に逃れた少女の物語(姿を見せない彼女を愛するドイツ人によって救われた)
(3)ナチスによって収容所で処刑された女性女性教師に恋をしていたジャン=リュックの物語

<家族たちの物語>
 主人公ブリルの家族たちの物語も忘れられません。
(1)ブリルの姉ベティと夫ギルの物語(政治家として活躍するも、ある事件で政治から離れ失意のまま人生を終え、姉もその不幸を背負うことになった)
(2)ブリルと妻ソーニャの出会いからブリルの浮気から離婚、そして孫の誕生から再会、そして病気による死別までの物語
(3)ブリルの娘ミリアムとリチャードの結婚。そこから離婚に至る不幸の物語
(4)ブリルの孫カーチャと婚約者だったタイタスの悲劇の物語(婚約解消後、イラクに向かいそこでテロリストに誘拐、処刑)
(5)ブリルの娘ミリアムが執筆中のアメリカを代表する作家ナサニェル・ホーソンの娘ローズの波乱の人生の物語

 これほど多くのエピソードが、サブ・エピソードとして登場する小説は、今まで読んだことがありません。そしてそこに登場するのは、だれもが優しく真面目な人々であり、離婚にすら悪気は感じられません。しかし、どれもがやはり悲劇の物語なのです。
 なぜ、人は悲劇に巻き込まれなければならないのか?その原因は様々ありそうです。
「貧しさ」、「人種の違い」、「戦争」、「病い」、「老い」、「心のすれ違い」・・・。
 たとえ愛する家族を生涯守り続け、悪事を働くことなく正しい人生を送ったとしても、人は罪から逃れることはできない。その結末に訪れるのは「悲劇」だけなのか?
 デビュー作の頃から、ポール・オースターの小説を読み続け、映画「スモーク」や「トト」などの映画も見てきましたが、年齢とともに人は少しずつ変わるものなのでしょうか?それとも世界が変わってしまったために人が変わってしまったのでしょうか?
 人生も世界も、どちらもあまりに「もろい」ものです。

戦争の物語。一瞬でも気を緩めたら、それらはすかさず押し寄せてくる、ひとつまたひとつまたひとつ・・・・・。

 この言葉はまさに今の日本にぴったりです。

このけったいな世界が転がっていくなか。

「闇の中の男 Man In The Dark」 2008年
(著)ポール・オースター Paul Auster
(訳)柴田元幸
新潮社

<参考>ポール・オースター(著)「幻影の書」

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