ハリウッド黄金時代が映し出す現代アメリカの闇


「Mank/マンク」

- デヴィッド・フィンチャー David Fincher -
- ハーマン・マンキーウィッツ Herman J. Mankiewicz -
<異色のフィンチャー作品>
 サスペンス映画の巨匠デヴィッド・フィンチャーとしては珍しい映画界の内幕を描いた歴史大作です。しかし、彼にとっては父親が残した大切な遺構の映画化作品であり、ネットフリックスとの協力関係が生んだアカデミー賞狙いの作品でもあります。完璧主義者として知られる彼がシーンによっては、100回も撮り直したというこの作品は、確かに賞に値する傑作に仕上がっています。
 映画の世界もその歴史は100年を超え、それぞれの作品にこめられた意味が、様々な角度、様々な歴史的側面から語られるべき段階に達しつつあります。ただ何の情報もなく見て楽しめる作品とは異なる奥の深い作品が次々に生まれつつあります。
 そして、この作品は多くの彼の作品のように画面に引き込まれて一気に見終わってしまうスリル満点のサスペンス映画とは違い、予備知識を持って見ることでより楽しむことができる奥の深い構造を持つ作品になりました。中でも重要な三つの方向からこの作品を見て見ようと思います。(もちろん、これまでの彼の作品が底が浅いと言っているわけではありません!) 

(1)「市民ケーン」の脚本誕生秘話
 この作品は映画史に残る名作「市民ケーン」の脚本誕生までの日々を描いたメイキング映画です。当然、「市民ケーン」の中に登場するキャラクターや出来事、建物や風景がいろいろと登場するので、「市民ケーン」を一度見直すことをお薦めします。
映画「市民ケーン」について

 「市民ケーン」に関係するシーンが目白押しなので、まずはそこを楽しみましょう。
 映画に出てくるハーストの豪邸は当然ですが、私設の動物園にも注目。オーソン・ウェルズがマンクの前で暴れるシーンは、「市民ケーン」でも有名なケーンが暴れるシーンのもとになりました。そして何よりマンクとハーストとの関係がどう変化したのか、その歴史がこの作品最大の見どころになっています。
 なぜ彼はかつて親しかった恩人を裏切るような作品を書いたのでしょうか?それを明らかにするために、二人の関係が時間軸を行ったり来たりしながら描かれます。ということで、二人のことを少々知っておきましょう。

<ハーマン・マンキーウィッツ>
 「マンク」ことハーマン・マンキーウィッツ Herman J. Mankiewicz は、1897年11月7日ニューヨークに生まれています。父親はドイツからの移民。成績優秀だった彼はコロンビア大学を卒業後、編集者として働き出します。一時陸軍に入隊しますが、1920年にはシカゴ・トリビューンの海外特派員となりベルリンで暮らしながら、執筆活動を開始します。帰国後、ザ・ニューヨーカーに演劇批評を書いていましたが、それを読んだ映画プロデューサーのウォルター・ウェンジャーが彼をパラマウントの脚本家チームにスカウトします。そこから彼の脚本家としての活動が始まります。ただし、彼の脚本家として高い評価を得た作品は「市民ケーン」以外では、1942年の「打撃王」のアカデミー脚本賞ノミネートぐらいかもしれません。
 1953年3月5日、彼は55歳で尿毒症によりこの世を去っています。映画にあるようにアルコールが命を縮めたのでしょう。

<ウィリアム・ランドルフ・ハースト>
 「市民ケーン」のモデルでもあるウィリアム・ランドルフ・ハースト William Randolph Hearst は、1863年4月29日カリフォルニア州サンフランシスコに生まれています。父親はゴールドラッシュの際に銀鉱山を掘り当てた富豪で、その後は上院議員に当選。母親は学校の教師でした。10歳の時、母のフィービーとヨーロッパを旅行。帰国後にハーバード大学に入学しますが、途中で退学してしまいます。
 1887年、父親が賭博の担保として入手した新聞社「サンフランシスコ・エグザミナー」を譲り受け、「ザ・モナーク・オブ・ザ・デイリーズ」として運営を始めます。汚職の暴露などで読者を増やしながら利益を上げると、1895年にニューヨーク・モーニング・ジャーナルを買収。ニューヨークでの売り上げをニューヨーク・ワールドと繰り広げるため、海外植民地での混乱を今で言うフェイク・ニュースのように記事にすることで国民感情を煽り、部数を伸ばして行きました。そうした偏った情報が1898年に起きた米西戦争の原因になったとも言われます。
 1953年、彼は政界に進出し下院議員に当選。1905年にはニューヨーク市長選挙に立候補しますが、チャールズ・エヴァンス・ヒューズに敗北します。
 その間も彼は政治活動と同時進行で次々に出版社、新聞社を買収し続け、アメリカ最大のメディア王となりました。そして「シカゴ・エグザミナー」、「ボストン・アメリカン」、「コスモポリタン」、「ハーパーズ・バザー」など、28の新聞と18の雑誌を所有するまでに到ります。
 メディア王としての地位を確立し巨万の富を得た彼は、1920年代にカリフォルニア州サン・シメオンに970平方キロメートルの巨大な敷地面積の邸宅「ハースト・キャッスル」を建設しました。動物園や農場もあるその施設は今も歴史的建造物として保存され一般公開されています。この建物の建設中にハーストはブロードウェイの女優マリオン・デイヴィスと知り合い、彼女を城に住まわせることになりました。
 彼の黄金時代も1930年の世界恐慌により打撃を受け、その勢いが弱まることになります。「市民ケーン」公開時には、すでに下り坂に差し掛かっていて、1951年8月14日88歳で彼はこの世を去っています。

(2)ハリウッドの光と影の物語
 この作品はハリウッド映画の光り輝く表の顔ではなく、映画製作者などの裏方たちにスポットを当てた映画製作現場の実録映画として見ることもできます。様々な実在の登場人物を演じる俳優たちは、それぞれ本物によく似ていてそれも楽しめます。そして、彼らの仕事やプライベートに関するエピソードもこの作品の見どころになっています。
サマンサ・セイフライドが演じるハーストの籠の鳥だった女優のマリオン・デイヴィス。
若くしてこの世を去る天才プロデューサー、アーヴィング・タルバーグ。
MGMの創設者であり、詐欺師的企業家だったルイス・B・メイヤー。
オーソン・ウェルズの右腕として活躍し、その後、俳優としても活躍するジョン・ハウスマン。
その他にも、ジョセフ・スタンバーグやデヴィッド・O・セルズニックなど多くの監督やプロデューサーが登場するので注意してご覧ください!

<マリオン・デイヴィス>
 マリオン・デイヴィス Marion Davis は、1897年1月3日ニューヨーク、ブルックリンの弁護士の家庭に生まれました。子供の頃から姉妹と共に女優になることを夢見ていた彼女は、3人の姉と共にジーグフリード・フォーリーズで働き始めます。たまたま彼女が出演している舞台を見たランドルフ・ハーストが声をかけて、二人の関係が生まれました。30歳以上の年齢差もあったことから彼女はハーストを「パパ」と呼び、彼が建設した「ハースト・キャッスル」の住人となります。
 ハーストは彼女の夢をかなえるため、プロダクション「コスモポリタン」を創設し、メジャースタジオと契約。有名監督を招いて彼女を主演とした映画を作り始めます。通算で46作の映画を撮りますが、残念ながら彼女の女優としての評価は低いままでした。それでも、クラーク・ゲイブル、ビング・クロスビー、ゲイリー・クーパーらと共演し、コメディアンとしてはその才能を認められていたようです。
 ハーストの死後、彼女は別の男性とすぐに結婚し、その後は映画界を離れて暮らし、1961年9月22日64歳でこの世を去っています。

<アーヴィング・タルバーグ>
 MGMの若き大物製作者アーヴィング・タルバーグ Irving Thalberg は、ニューヨーク、ブルックリンに生まれています。高卒で就職しますが、その頭の良さから「The Wonder Boy」と呼ばれ、ユニヴァーサル・ピクチャーズのニューヨーク支社で創業者でもあるカール・レムリの社長秘書として働き始めます。21歳の時、カリフォルニアに設立されたユニヴァーサルの映画製作会社で製作部門の担当重役に就任し現場での活躍を開始。
 1924年に彼はユニヴァーサルを離れ、ルイス・B・メイヤーのプロダクションに入社。メトロ・ピクチャーズとの合併が実現し巨大映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤーMGMが誕生すると、製作者としてその手腕を発揮し始め、多くの作品を世に出します。
 「ベン・ハー」(1925年)、「ラ・ボエーム」(1926年)、「ブロードウェイ・メロディ」(1929年)、「マタ・ハリ」(1931年)、「フリークス」(1932年)、「類猿人ターザン」(1932年)、「グランド・ホテル」(1932年)、「戦艦バウンティ号の叛乱」(1935年)、「オペラは踊る」(1935年)、「ロミオとジュリエット」(1936年)、「大地」(1937年)
 上記の作品のクレジットには彼の名前はありません。彼は映画製作者として映画のタイトルに自分の名前がクレジットされることを望まず、名誉よりもビジネスを優先したと言われています。それでも彼がハリウッドの映画製作のシステムをより効率的にし、多くの傑作を生み出した功績は高く評価されています。そのためアカデミー賞には優れた業績を残したプロデユーサーに与えられるアーヴィング・タルバーグ賞も創設されています。
 生涯心臓の病に苦しんだ彼はわずか37歳でこの世を去っており、まさにハリウッドの伝説となりました。スコット・フィッツジェラルドの遺作となった「ラスト・タイクーン」のモデルはタルバーグで、エリア・カザンが映画化した映画では、ロバート・デ・ニーロが彼を演じています。

<ルイス・B・メイヤー>
 MGMのトップに君臨しハリウッドのボスとして長年君臨したルイス・B・メイヤー Louis B.Mayer は、1884年7月12日に現在のベラルーシのミンスクで生まれています。1886年に家族と共にアメリカに移住したユダヤ人です。父親の稼業だったスクラップ業者として働き始めた彼は映画業界に進出するため、1907年に古い劇場を買収して映画館として再オープンさせます。その後も、周辺の映画館を次々と買収し、ニューイングランド最大の映画館チェーンを築き上げました。
 1915年、巨匠D・W・グリフィスの超大作「国民の創生」の公開の際、その独占配給権を獲得し、巨額の利益を得ました。
 1917年、それまでに得た利益を基にしてルイス・B・メイヤー映画会社を設立。ハリウッドに進出し映画の製作を始めます。その後、合併によりMGMを設立し、ハリウッドを代表する巨大企業の副社長に就任。この映画にもあるように、企業家としての彼は、利益のために労働者を犠牲にするブラックな人物であり、保守派の政治家を支持する人物でもありました。
 タルバーグがハリウッドにおける映画製作のシステムを確立したのに対し、メイヤーはスターを中心としたイメージ戦略を確立したと言えます。ロン・チェイニー、グレタ・ガルボ、クラーク・ゲイブル、スペンサー・トレイシー、ジュディ・ガーランドなどハリウッドの伝説的なスターたちを育て、そのイメージを守り続けたのも彼と言えます。
 その後、彼はMGM内での権力を分け合うことになってきたタルバーグをライバル視するようになり、彼が病で入院している間に社内での追い落としに成功します。こうして、彼の権力は安泰かと思われましたが、1950年代になると、テレビが映画の勢いを奪うようになり、彼のカリスマ的な存在感は薄れて行きます。ついに映画界を離れた彼は、マッカーシーによる「赤狩り」に積極的に協力するようになります。1957年10月29日没。

<ジョセフ・マンキーウィッツ>
 ジョセフ・マッキーウィッツ Joseph L. Mankiewiczは、マンクの実の弟でこの映画で描かれた1940年以降映画監督として活躍。「三人の妻への手紙」(1949年)、「イヴの総て」(1950年)で二度アカデミー監督賞、脚色賞を受賞。名監督の仲間入りをしています。しかし、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンが共演した超大作「クレオパトラ」(1963年)の撮影中、エリザベス・テイラーの入院騒ぎやトラブルの続出で予算をオーバー。映画会社が危機となる巨額の赤字となり、そこから彼の仕事は激減してしまいます。皮肉なことに「クレオパトラ」の製作者はハーマンを見出しスカウトしてくれたウォルター・ウェンジャーでした。
 その後、彼はローレンス・オリヴィエとマイケル・ケイン主演の「探偵スル―ス」(1972年)で監督として復活しアカデミー監督賞にノミネートされますが、これが最後の作品となりました。1993年2月5日83歳でこの世を去っています。

<ジョン・ハウスマン>
 オーソン・ウェルズの右腕として登場するジョン・ハウスマン John Houseman は、1902年9月22日ルーマニアの首都ブカレストで生まれています。英国で育ち、1925年に大学を卒業後にアメリカに移住。ニューヨークでオーソン・ウェルズと出会った彼はブロードウェーで彼のの舞台劇のプロデュースを担当します。
 1937年、オーソン・ウェルズの名を広めることになったマーク・ブリッツシュタイン脚本・作曲の労働者たちの反乱を描いた異色のミュージカル「ゆりかごは揺れる」をプロデュース。この作品の上演は、左翼的な内容であることから、政府からの強い圧力を受け、劇場探しから困難となる中で行われましたが、それを逆手にとって見事に公演を成功に導きます。波乱の中で実現したスキャンダラスな彼らの公演は大盛況となり、内容的にも高い評価を得ることになりました。その勢いに乗り、彼はオーソンら仲間たちと「マーキュリー劇場」を設立。伝説となったラジオドラマ「宇宙戦争」によって、アメリカ中を騒がせた後、いよいよRKOからの全面的支援の下「市民ケーン」の制作準備に入ります。ただし、初め彼らが映画化しようとしたのは、後に「地獄の黙示録」として伝説的映画となるジョセフ・コンラッドの「闇の奥」でした。この作品の映画化はアフリカでのロケを必要としてたこともあり、予算的に不安な要素が大きすぎ結局実現しませんでした。
 彼は俳優としての評価も高く、1973年の青春映画「ペーパー・チェイス」では老いた大学教授の役でアカデミー助演男優賞を受賞。演劇教師としても多くの後輩を育てました。1988年10月31日86歳でこの世を去っています。

(3)民主主義とフェイク・ニュースの闘いの物語
 この作品のもう一つの見方は、2020年のアメリカで行われてきた「民主主義とフェイク・ニュースとの闘い」との関連性です。当時「イエロー・ジャーナリズム」と揶揄されたハーストの新聞が用いていた元祖フェイクニュースの手法とハリウッド映画が作ったフェイク・ニュース映像。これによって、カリフォルニア州知事選挙で保守派の共和党が勝利を収めていたことが描かれていることは決して偶然とは思えません。幸い2020年はバイデンが勝利し、「ミスター・フェイク・ニュース」は敗北しましたが、もしトランプが勝利を収めていたら、この作品はどう見られることになったか?本当は選挙戦の前にこの映画を公開したかったのでしょう。
 その意味でこの作品のもう一人の主役は、民主党のカリフォルニア州知事候補アプトン・シンクレアとも言えます。

<アプトン・シンクレア>
 アプトン・シンクレア Upton Sinclair は、1878年9月20日メリーランド州ボルチモア生まれ。両親はアメリカ南部の上流階級出身の軍人家系で、彼はそこで厳しく育てられました。ただし、一家は南北戦争で南軍が敗北して以降、しだいに没落し貧しい生活を余儀なくされるようになります。それでも成績優秀だった彼は、ニューヨーク州立大学に入学。母方の裕福な親戚の家に滞在する中で、豊かな上流階級の生活も知ることになり、そこから社会的平等について考えるようになりました。
 その後、コロンビア大学在学中、生活のために雑誌や新聞に小説や雑文を書いていた彼は、1906年に小説「ジャングル The Jungle」を発表。その中で貧しい移民労働者が働く精肉産業の裏側を描き、社会に衝撃を与えました。この作品の影響によって、アメリカでは食肉検査法が成立することになったと言われています。その後も彼は様々な分野における不正や問題点を描き続ける作家として活躍します。
 「ブラス・チェック The Brass Check」(1919年)ではアメリカのジャーナリズムの内幕を描き、「石炭王」では炭鉱ストライキを巡る労働問題を、「石油」ではハーディング政権が関わったとされる石油採掘についてのスキャンダルを描くなど、一貫して資本主義体制が生み出した政治腐敗、富の不平等、公害問題などを告発し続けました。
 その後、彼は自分の力で政治の流れを変えようと、政界進出を目指し、カリフォルニア州知事に立候補。一度目は社会党から立候補したこともあり、まったく票を獲得できませんでしたが、2度目は民主党から立候補し、この映画にあるように共和党の候補と大接戦を演じることになりました。その選挙が行われた1934年はフランクリン・ルーズベルトが大統領の民主党政権の時代なので彼が勝利を収めても不思議はなかったと言えます。だからこそ、この映画に登場するフェイク・ムービーの果たした役目を大きかったと考えられます。(映画の中で映画を撮ったシェリー・メトカーフという人物は架空の存在のようですが・・・)

<デヴィッド・フィンチャー>
 この映画の監督デヴィッド・フィンチャー David Fincher は、1962年8月28日コロラド州デンバーに生まれています。この映画の脚本を書いた父親は、「ライフ誌」の記者でした。10代の頃、オレゴン州に引っ越し、高校を卒業後、8mmカメラを使って映画を自主制作し始めます。
 1980年、ジョージ・ルーカスらが設立したインダストリアル・ライト&マジックILMでアニメーターとして働き始めます。
 1986年、ビデオ制作会社Propaganda Films を設立。マドンナ、ジョージ・マイケル、エアロスミス、ローリング・ストーンズなどのミュージック・ビデオやCMを制作し、映像クリエーターとして高い評価を得る存在となります。
 1992年、新人監督の登竜門的作品でもあった「エイリアン」シリーズの第三作で監督に抜擢されます。
 1995年、サイコ・スリラーの傑作「セブン」の大ヒットにより、一躍人気監督の仲間入りを果たします。
「ファイトクラブ」(1999年)、「パニック・ルーム」(2002年)、「ゾディアック」(2007年)、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(2008年)、アカデミー監督賞候補に選ばれた「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)、「ドラゴン・タトゥーの女」(2011年)、「ゴーン・ガール」(2014年)・・・

「Mank/マンク」 2020年
(監)デイヴィッド・フォンチャー(米)
(製)セアン・チャフィン、エリック・ロス、ダグラス・アーバンスキー
(脚)ジャック・フィンチャー
(撮)エリク・メッサーシュミット
(PD)ドナルド・グレアム・バート
(衣)トリッシュ・サマーヴィル
(編)カーク・バクスター
(音)トレント・レズナー、アッティカス・ロス
(出)ゲイリー・オールドマン(ハーマン・マンキーウィッツ)
サマンサ・セイフライド(マリオン・デイヴィス)
チャールズ・ダンス(ウィリアム・ランドルフ・ハースト)
リリー・コリンズ(リタ・アレクサンダー)
アーリス・ハワード(ルイス・B・メイヤー)
トム・ペルフリー(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)
サラ・トラウトン(ジョン・ハウスマン)
フェルディナンド・キングスレー(アーヴィング・タルバーグ)
トム・バーク(オーソン・ウェルズ)
ジェイミー・マクシェーン(シェリー・メトカーフ)
タペンス・ミドルトン(サラ・マンキーウィッツ)
トビー・レオナルド・ムーア(デヴィッド・O・セルズニック)
ジェフ・ハームズ(ベン・ヘクト) 

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