「まっぷたつの子爵 Il Visconte Dimezzato」

- イタロ・カルヴィーノ Italo Colvino -

<ブラックな寓話世界へ>
 18世紀初めのヨーロッパを舞台にしたブラックで面白く不思議な味わいの寓話です。右と左、まっぷたつに身体が分かれてしまったことで心までもが善と悪とに分かれてしまった領主によって大混乱となった村の人々が、いあkにして平和を取り戻すか?物語の筋は実にシンプルに思えます。しかし、そこに登場する人々は実に個性的で複雑な人間として描かれていてけっして単純ではありません。そのため、彼らの行動や物語の進行は予想を裏切ることになり、物語のハッピーエンド的な結末も、その後に来るエンディングによって不気味なものへと変質。一筋縄ではゆかないお話になっています。
 それにしても、どこから右と左に分かれた人間という発想が生まれたのでしょうか?そこには作者であるイタロ・カルヴィーノの人生から生まれた深い悩みがこめられていました。

<イタロ・カルヴィーノ>
 イタロ・カルヴィーノ Italo Colvino は、1923年10日15日、カリブ海に浮かぶ国キューバで生まれたイタリア人です。なぜキューバで生まれたのかというと、彼の父親が農学者としてキューバの農業試験場で働いていたためでした。彼の母親もまた植物学者で、親族の多くは科学者という家系でした。(弟も後に地質学者になっています)そんな中、彼だけが理系ではなく文系、それも文学の道を歩むことになったのです。ただし、彼の両親は研究室ではなく大自然の中で研究を行なう科学者だったため、彼は屋外で伸び伸びと遊ぶことができました。そして、豊かな自然に囲まれながら頭の中で物語を作り上げるという想像力豊かな子供に育ってゆきました。しかし、そんな文学好きな若者の人生は、高校入学後に起きた第二次世界大戦によって大きく変えられてしまいます。
 第二次世界大戦末期の1943年、ドイツとともに闘っていたイタリアは連合軍に降伏してしまいます。しかし、ドイツからの援助を受けたムッソリーニは北イタリアで新政権を樹立。トリノやミラノなどを中心にファシスト勢力とパルチザンとの内戦が始まることになります。イタリアは、北と南、ファシストとパルチザンによって、真っ二つに分断されてしまったのです。
 この時、北イタリアの山林地帯はパルチザンにとって絶好の隠れ場所となりましたが、その土地こそ、元々その土地に住んでいたカルヴィーノにとって庭のようなものでもありました。こうして、彼はパルチザンにおける最年少戦闘員として1945年の終戦まで山の中での戦闘に参加することになりました。この時の彼の体験は、後に短編集「最後に鳥がやってくる」(1949年)として世に出ることになります。そして、その中の作品が戦後イタリア文学の中心的存在となったチェーザレ・パヴェーゼ、エーリオ・ヴィットーニらに認められ、彼は戦後作家としてのチャンスをつかむことになります。
 戦後、彼はトリノ大学の文学部に3年生として編入。1947年には卒論としてポーランドが生んだ冒険小説作家ジョセフ・コンラッドをとりあげ、無事卒業。その後は、共産党の機関紙「ウニタ」への寄稿など、左派の作家として政治活動に積極的に関ってゆきます。そんな中、1947年に彼は処女長編小説「くもの巣の小道」を発表。戦後イタリアが生んだネオリアリズモ文学の傑作として高い評価を受けました。しかし、この後、イタリア国内は再びまっぷたつに切り裂かれることになります。

<鉄のカーテンの時代>
 1950年代、共産主義国と資本主義国の対立は、「鉄のカーテン」によって隔てられることになります。そのため、資本主義国における共産主義者への弾圧が急に強まり、アメリカにおける「赤狩り」のような状況が西欧各国どの国でも現れてきました。そのため、左派の作家だった彼の先輩たちの多くは作家活動から離れることになり、チェーザレ・パヴェーゼはついに1950年自ら命を絶ってしまいます。
 カルヴィーノもまた1947年発表の「くもの巣の小道」以降、2作目の小説が書けなくなり、自らがまっぷたつに切り裂かれたかのように苦い日々を送っていました。そんな状況で彼がその苦しみから逃れようと書き始めた小説、それがこの「まっぷたつの子爵」(1952年)だったのです。
 たぶん作者はこうした前置きなしにこの小説を読んでほしいと思います。しかし、21世紀に入り当時のそうした状況も遥か過去のものとなった今、多くの人は「赤狩り」という言葉の意味も知らずにこの小説を読むようになりつつあります。この小説が発表された当時、人々はどんな空気の中でこの本を手に取ったのか?どこで笑い、どこで沈み、どこで怒ったのか?そんなことを考えながらこの本を読むことも決して無意味ではないはずです。

<不思議なキャラクターたち>
 この小説に登場する人々はみんな実に不思議なキャラクターをもっています。
 主人公の子爵が、右と左に分かれ、本人から見て右が「善人」で左が「悪人」なのは、著者が左派のシンパだからでしょうか?しかし、彼を見る人にとっては右が「悪人」で左が「善人」ともなります。当時、社会的に左派が「悪人」扱いされていたイタリアではこちらが主流だったのですから、右左の区別はかなりいい加減なものだといえます。
 「きのこ平」に住むライ病(ハンセン病)患者たちもまた不思議な人々です。そこに住む人々は欲望のおもむくままに宗教や倫理を無視した自堕落な生活をしています。そんな彼らの存在はちょっと早いのかもしれませんが、1950年代に西欧でブームとなるビート・ジェネレーションの存在を思い起こさせます。ビート・ジェネレーションにとってのバイブルといわれるジャック・ケルアックの「路上」は、1957年に出版されていますが、実は1951年にはすでに書き上げられていました。そう考えると、戦後の混乱とアメリカ軍の進駐によりアメリカからの文化が押し寄せてきていたイタリアにすでにビート・ジェネレーションの種が蒔かれていたのかもしれません。少なくとも、戦後世代の登場により文化が大きく変わろうとしていたことだけが間違いないでしょう。
 それでは「寒さが丘」に住む貧しいユグノー教徒たちは何の象徴なのでしょうか?

<半分の人間たち>
「・・・もしも、おまえが半分になったら、そしてわたしはおまえのためにそれは心から願うのだが、少年よ、ふつうの完全な人間の知恵ではわからないことが、おまえにもわかるようになるだろう。おまえはおまえの半分を失い、世界の半分を失うが、残る半分は何千倍もたいせつで、何千倍も深い意味をもつようになるだろう。そしておまえはすべてのものがまっぷたつになることを望むだろう、おまえの姿どおりにすべてのものがなることを。なぜなら美も、知恵も、正義も、みな断片しか存在しないからだ」

「・・・この世における、ふたつの命あるものの出会いは、引き裂きあうことだ。いっしょにおいで、わたしはこの悪を知りつくしている。ほかのだれとよりも安心して、おまえはいっしょにいられるはずだ。わたしはすべての人間と同じように悪事をする。ただ、よその人間とちがっている点は、わたしの腕が確かなことだ」

 この小説は、18世紀初めにあったトルコとオーストリアの戦争から始まっています。それはヨーロッパに住む人々にとっての世界がイスラム教徒とキリスト教徒によって引き裂かれていた時代でした。それから100年後、世界は共産主義と資本主義によって引き裂かれることになりましたが、その50年後の21世紀、再び世界はイスラム教とキリスト教によって引き裂かれています。残念ながら、引き裂かれた苦しみを知る人が子爵メダルドのように再び心を統合して平安を取り戻すことはめったにないことであり、なおかつ、それがたったひとりでは世の中は変えられないのです。そのことに気づいた語り手の少年は船に乗って旅立ってゆくメダルドの手術を行なった医師トレロニーに向かって叫びます。

「『博士!トレロニー博士!つれていって!ここに、ぼくを置いていかないで、博士!』
 しかし、船の影は水平線に沈みかけていた。そして責任と鬼火とに満ちたこの世界に、ここにぼくは残されてしまった。」


 かつて人は、ある日突然、時代の変化によってまっぷたつにされ、その苦しみを味わいました。しかし、現代社会はそれ以上に悲惨な状況を生み出しつつあります。それは生まれて、すぐに心をまっぷたつにされてしまう人がいかに多くなりつつあることか!宗教的、民族的な対立の歴史は子供たちに、生まれながらにして敵に対する憎しみ抱かせ、それを「心の糧」に生きるという悲劇的な人生を歩ませています。平和な国においても、生まれた時から家族から虐待を受け、半分だけの心をもつ子供が数多く生まれています。
 半分だけの心を持った子供たちと憎しみによって心を半分失った大人たち、彼らが残りの半分を取り戻すことは、本当に困難なことです。ああ、世界のなんと美しく悲しいことか・・・。

<あらすじ>
 子爵のメダルドは、トルコとの戦争に参加し、そこで砲弾を受け身体がまっぷたつになってしまいます。奇跡的に身体の半分だけで故郷にもどったメダルドは、心も半分になっていたため、残虐な性格に代わり、その鋭い刃であらゆるものを半分に切り刻んでゆきます。村の人々は困ってしまいますが、その頃、もう半分のメダルドが知らぬ間にもどってきていました。なぜか、そのメダルドは心優しい性格をもっていましたが、逆に真面目すぎて人々に迷惑がられることになります。
 村人たちが困り果てている中、悲しすぎるメダルドが一人の少女に結婚を申し込みます。まったく結婚する気などない少女でしたが、村人たちのためにと一計を案じ、結婚を承諾します。彼女は何を企んでいるのでしょうか?

「まっぷたつの子爵 Il Visconte Dimezzato」 1952年
イタロ・カルヴィーノ Italo Colvino(著)
河島英昭(訳)
晶文社

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