南北戦争の混乱を生きた父帰る

「マーチ家の父 もうひとつの若草物語 March」

- ジェラルディン・ブルックス Geraldine Brooks -

<リミックス小説>
 音楽の世界では昔から様々なカバー曲があり、名曲は数多くのアーティストによってカバーされ、いつまでも愛されています。さらに最近では、リミックス・バージョンという進化系のカバーや一部分をサンプリング使用する方法もあり、過去の名曲の多くが現代によみがえる傾向にあります。
 映画界でも、最近はオリジナルの原作がネタ切れなのか、過去の名作のリメイクが次々と製作されています。それに比べると、小説の世界にはそうしたカバーやリミックス、リメイクなどの作品は生まれにくいかもしれません。しかし、まったくないわけではなくそうした作品も最近増えているような気もします。
 例えば、ピノキオの老後を描いたロバート・クーヴァ―の「老ピノッキオ、ヴェネチアに帰る」は有名です。他にもマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の続編で異なる著者による「スカーレット」と「バトラー」なども有名でベストセラーになりましたが、作品としての評価は?みたいです。小説版の「007 ジェームス・ボンド」シリーズなどは、オリジナルのイアン・フレミング作品以外に数多くの異なる著者による作品があり、今後も増え続けるでしょう。こうした、異なる著者によるリミックス・バージョンの決定版ともいえるのが、この小説「マーチ家の父」です。もちろんこの作品は、単なる続編的作品ではなく、オリジナルをも越えた創造的な内容の小説です。児童文学の傑作として有名な「若草物語」のリミックス作品でありながら、なんとピューリッツアー賞を受賞しています。その質の高さはオリジナルの「若草物語」をも越えています。

<戦争小説>
 オリジナルとなるルイーザ・メイ・オルコットによる「若草物語」は、南北戦争時代のアメリカを舞台に従軍牧師として南部に行った父親の留守を守る四人姉妹とその母親ののホームドラマです。(同じ原作者オルコットによる続編が3作あり、家族のその後が描かれています)
 それに対して「マーチ家の父」は、「若草物語」では不在だった父親を主人公として、彼の戦場での体験を中心に物語を展開させています。戦闘場面の悲惨さと奴隷たちの扱いの残酷さの表現は実にリアルで、間違っても児童文学ではありえません。その違いは、「アルプスの少女ハイジ」と「進撃の巨人」ぐらいの差があります。
 もちろん、ストーリーの多くは著者ジェラルディン・フィリップスの創作によるものですが元々ノンフィクション作家だった彼女は、実在の人物であり「若草物語」のモデルとなったオルコットの父親ブロンソン・オルコットについて徹底的に調査を行い、彼の人生をマーチ家の父親の人生に重ね合わせています。この小説の主人公マーチの人生は、実在の教育者ブロンソン・オルコットの人格をもとに実にリアルかつ丹念に描き出されています。そのおかげで、この作品はヘンリー・ソローや詩人エマソンやジョン・ブラウンなど実在の人物を登場させながら、見事なリアリティーをもって読者をうならせるはずです。
 本が持っている最大の魅力とは、本のページを通して、異なる時間、異なる場所へと読者を瞬間移動させることかもしれません。その意味でも、この小説は「リアリズム」という魔法により、あなたを南北戦争真っただ中のアメリカへと連れて行ってくれる優れたタイムマシンだといえます。

<二重構造小説>
 この小説の構成で特徴的なのは、主人公であるマーチ家の父親が妻にあてた手紙を各章の冒頭に置きながら、その後、手紙に書けなかった現実の厳しさをリアルに描くことで、「若草物語」で描かれた理想の父親像とは異なる父親像を描き出していることです。そこに登場するのは、戦場を逃げ回る臆病者の非戦闘員の姿であり、初恋の女性との不倫に悩む男の姿なのです。それは、「若草物語」の成人向けヴァージョンともいえます。
 戦場で思い知ることになった自分の臆病さと愚かさにうんざりした主人公は、戦闘で受けた傷よりも、そうした精神的な傷によって生きる望みを失ってしまいます。「若草物語」のクライマックスでそんな危険な状況を救ったのが、四人姉妹と妻からの愛情でしたが、「マーチ家の父」では違います。

「もしほんとうにわたしを助けたいと思うなら、コンコードに戻ってあなた自身と仲間と一緒に働いて。黒人と白人が対等のものとして両立できる世界をあなたの隣人たちが受け入れられるように、そのための準備を促すような説教を書いてほしい」
マーチの初恋の人グレイスの言葉

 このグレイスという女性こそ、この小説にとって最も重要な登場人物であり、最も魅力的なキャラクターです。もし、この小説が映画化されるなら、彼女の役は白人黒人混血のハーフという点ではハル・ベリーで、タンディ・ニュートンもいいかも。でも、貫禄のある女優としては若かりし日のパム・グリアぐらいの黒人ぽさも捨てがたいかもしれません。誰にしても、アフロ・アメリカンの女神ともいえるような存在でなければなりません。

「彼が愛しているのは、たぶん、わたしが体現している概念-解放されたアフリカ-だと思う。彼にとってわたしは、もしできるならやり通すであろう過去。あるいは、望みどおりの未来への希望。そういうものの象徴なのでしょう」
彼女は振り向いて私を見た。
「彼は理想のために生き、観念のみで世界をつくりあげる。そして生活の実際的な問題についてはあなた任せ。ちがうかしら?」

夫の関係を疑うマーチの妻とグレイスの会話より

 グレイスと夫の関係を疑う妻のマーミーもまた、「若草物語」で描かれている良妻賢母とは異なるかなりエキセントリックな女性として描かれています。進歩的な考えを持つ女性であるがゆえに、彼女は抱え込んでしまったストレスに苦しみ、ついにはそれを爆発させてしまいます。その姿は、一歩間違うと狂気にしか思えないほどですが、マーチ氏はもちろんそれを理解したうえで彼女と結婚しています。

「・・・だけどたぶん、いつか自分の娘たちの教育は引き受けることになるでしょう。誓って言うけど、もしそうなったら、世間の人々が笑顔で押しつけてくる理想の女性像に娘たちの心を押しこめたりはしないつもり。作家や芸術家を育てたいものだわ、女に何ができるか世の中に知らしめるような」
彼女は軽やかに笑って続けた。
「もちろんそのまえに、こんなに自己主張の強いやかまし屋と人生をともにしてくれるパートナーを見つけないといけないけれど」


<ヘンリー・ソロー>
 マーチ夫妻がともに感情に流されやすい過激な思想家なのに対して、その対極にいる存在として描かれているのが、アメリカの思想にとって原点の一つとも言われる文学作品「森の生活」の著者ヘンリー・ソローです。
 激情型の両親の血を受け継いだ姉妹のひとりジョーが、森でひろってきた木の実を転んで落としてしまい大泣きしているのを見て、彼はこう声をかけます。さすがは「エコロジーの元祖」らしい言葉です。

「きみはちょうどここで転ぶことになっていたんだよ、ジョー。自然の妖精がわざときみを転ばせたんだ。妖精たちは、小さな女の子が今ここで転んで、次の収穫のために実をまいてくれることを望んでいる。来年ここに来たら、まさにこの場所に大きな茂みができていて、きっと実がたくさんなっているよ。そうなったら全部きみのおかげだ」

<ジョン・ブラウン>
 この小説には、究極の平和主義者ともいえるソローの対局に位置するジョン・ブラウンという実在の人物も登場します。奴隷解放論者のマーチは、ブラウンの奴隷解放運動に賛同し、彼の活動に多額の投資をしますが、その資金はブラウンが計画していた暴力による奴隷制支持者へのテロ活動に用いられてしまいます。
 過激な奴隷解放活動家として歴史に名を残すジョン・ブラウンは、南部で暮らす息子たちが南部の奴隷制支持者に狙われていることを知り、その対抗手段として暴力による対抗を決意。北部の支持者から多額の支援を得て、様々な活動を行いますが、1859年軍の施設(サムナー要塞)を襲って武器を大量に盗み出したことをきっかけに逮捕されます。そして、裁判の後、彼にとっての敵地である南部の地で絞首刑にされました。
 意外なのは、そこまで過激な活動を行っていたジョン・ブラウン自身は、奴隷でもないし、黒人でもなく、白人の軍人の子として育てられた人物だということです。そのうえ、彼は黒人奴隷たちを指揮して闘いを行ったのではなく、黒人奴隷の支持者などいないにもかかわらず運動を進めました。なぜ?と不思議に思えます。
 その根本的な理由としては、彼が保守的なカルヴァン主義者だったことが重要なようです。当時、奴隷解放運動の支持者の多くはキリスト教の中でも、行動主義的で厳格な平等主義思想をもつカルヴァン主義者で、彼らの存在なくして、奴隷解放運動は白人の間では進まなかったと思われます。当時は、黒人たちの間にまだそうした運動を指揮したり、主体となりうるような存在はほとんどなく、奴隷解放は白人によってもたらされたものだったといえます。そして、その代表的存在がリンカーンだったわけです。
 当時、彼のテロ活動は過激な暴力主義として批判されましたが、裁判における彼の行動や主張は多くの人々に支持されることにもなり、ソローやエマソンらも彼の死刑を止めるよう活動したといいます。南部の暴力的な奴隷制支持者に命の危険にさらされていた息子たちを守るため、彼はしかたなく武器をとったともいわれています。
 運動の過激化による分裂をもたらしたという点では、後の公民権運動におけるブラック・パンサーの登場をも予見する事件だったともいえます。この事件がひとつのターニングポイントとなって、その16か月後、アメリカ合衆国を二分することになる南北戦争が始まることになります。

「この世で最も神聖なふたつの文章は『聖書』と『独立宣言』です。この国でこのふたつの文書の言葉がひとつでも破られるなら、男性、女性、子供たちを含めすべての年代の人間が戦って死んだほうがいい!」
本書におけるジョン・ブラウンの講演より

<無垢なる四姉妹たち>
 マーチ家の両親の描き方に比べると、四姉妹は「若草物語」のイメージを壊すことなく無垢な存在として描かれています。これは著者が子供の頃から愛読していたというオリジナルへのリスペクトともいえるかもしれません。
 マーチ家でかくまっていた黒人奴隷を捜索に来た警官に子供ながらもしらをきりとおしたべスの言葉は、実に感動的です。

「嘘じゃないのよ、父さま」
まるで私の心を読んだかのように、べスが静かに言った。
「わたしがこの家のなかで奴隷なんて見たことありませんって言ったのは、それがまぎれもなくほんとうのことだから。父さまが何度も言ってたでしょ、神の眼から見れば奴隷はいないって。神さまはすべてお見通しなんだから、もし神さまが見てこの家に奴隷がいないなら、それはほんとうにいないってことでしょう?」


 「若草物語」では描かれていなかった南北戦争の悲劇をリアルに描き出すことで、この小説はもうひとつの「若草物語」が誕生したわけですが、著者がオリジナルの「若草物語」を愛する気持ちは強かったのでしょう。子供たちの無垢な心を守るためにも、大人たちは苦難に耐え、悪に心を奪われる危険にも立ち向かわなければならないのです。
 もうひとつの「若草物語」は、そんな大人たちのための応援歌として読むべき作品でもあるのでしょう。

<地下鉄道>
 この小説では「地下鉄道」と呼ばれていた黒人奴隷を北部へと逃がすためのシステムについても、具体的に描かれています。マーチ家では、そのために専用の隠し部屋も作られていて、まるで旅館のように次々に南部から逃げてきた黒人たちが宿泊していました。そうしたシステムを自らの危険も覚悟のうえで運営、協力していた白人たちの存在にはアメリカがかつて所有していた「自由を守るための良心」を感じます。クエーカー教徒を中心とするこうした過激派ともいえる白人たちがいなければ、奴隷解放はいつになっていたことか?
 ただし、そうした奴隷解放論者に匹敵するほどの過激な人種差別主義者が力をもつのもまた自由の国アメリカならではのこと。そう考えると、この小説は「This is America」ともいえる、「自由の国アメリカ」の本質に迫った作品のひとつといえます。

「マーチ家の父 March もうひとつの若草物語」 2005年
(著)ジェラルディン・ブルックス Geraldine Brooks
(訳)高山真由美
武田ランダムハウス・ジャパン

<あらすじ>
 妻と四人の姉妹を残し従軍牧師となったマーチ家の父は、ヴァージニア州のある農園で見覚えのある黒人奴隷を見かけます。そこは彼がまだ若かりし頃、セールスマンとして訪れた農園で、その家の主人に気に入られ長居していた彼はそこで黒人奴隷の召使グレイスと運命的な出会いをします。彼女を愛してしまったことがきっかけとなり、悲劇的な事件が起きてしまったのです。
 それ以来の再会となった二人は、彼が結婚していたにもかかわらず不倫関係となり、そのせいで彼は従軍牧師の任を解かれ、別の任務に向かうことになります。そして、彼は南部の綿花農場で解放奴隷たちを使って農業を営む北部出身の青年を手伝うことになりました。彼はそこで学校を作って黒人たちに文字を教えるなどしながら、農園を成功に導きます。しかし、成功を目前にして、農園に悲劇が訪れます。北軍が撤退した隙に、南軍の過激なゲリラ部隊が農園を襲い黒人たちを奴隷として売るために連れ去ります。一人だけ隠れていたマーチは、彼らを守れなかったことを悔い、ゲリラたちを追いかけます。しかし、銃もまともに撃てない彼に奴隷となった黒人たちを救いだすことができるのでしょうか?

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