「鉄の女」がもたらした改革と悲劇 


- マーガレット・サッチャー Margaret Thatcher -

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
<「鉄の女」の再評価>
 英国の歴史において、これからも重要な時代として1980年代は語り継がれるでしょう。当時、社会主義国家に近い体制になっていた国家のシステムを大きく改造し、現在の英国の基礎を築いた「鉄の女」マーガレット・サッチャーは、再評価されていると言いますが・・・でも本当のところはどうなのか?
 彼女の生涯を描いた映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」では、彼女の存在を男だけの政治の世界に風穴を開けた存在と描き、男にはできない改革を成し遂げた英雄として描いています。しかし、当時、彼女のことを痛烈に批判していたエルヴィス・コステロをはじめとする英国のロック・ミュージシャンたちの曲を聞いていた僕には、それを単純に再評価と受け入れるのはどうかと思います。それに彼女が政権をとっていた時代、今や英国を代表する巨匠ケン・ローチはまったく映画を撮れませんでした。改めて、英国激震の時代を率いた「鉄の女」について振り返ろうと思います。

<「鉄の女」政界へ>
 マーガレット・サッチャー Margaret Thatcher が生まれたのは、1925年10月13日英国中東部リンカンシャー州グランサムの食料雑貨店を経営する労働者階級の一般家庭でした。真面目で倹約家の父親の元で育てられた彼女は、その父親に似て真面目に勉強に取り組み、見事オックスフォード大学に合格。学内では学生組織のリーダーとして活躍し、優秀な成績を収めて卒業。理系だった彼女は、当初はプラスチック製造会社に就職しますが、政治家になる夢を抱き、24歳で保守党から下院議員選挙に立候補しますが、知名度も資金力もないため敗北してしまいます。
 26歳の時、彼女は10歳年上のデニス・サッチャーと結婚。彼が化学薬品会社の役員で資産家だったこと、そして彼女の仕事への理解があったことから、彼女は本格的に政治家としての活動に挑めるようになります。男の子と女の子を出産後、彼女は弁護士資格も取得し、再び下院議員に立候補。34歳にして保守党の国会議員に選出されます。その後は、まだ英国ではごくごく少数派だった女性議員でありながら、持ち前の真面目さと優秀な頭脳を生かして着々と実績を積み上げると、44歳で教育科学省の大臣に抜擢されます。学校で行っていたたミルクの無料支給を廃止するなど、教育予算の大幅削減を実行。多くの国民から「ミルク泥棒」と呼ばれることにもなりました。(彼女の伝記映画のオープニングではそのことが皮肉られています)しかし、保守党内部では彼女ほど大衆を敵にまわす勇気のある議員がいなかったこともあり、いつしか彼女の存在感は増してゆき、ついに彼女が保守党のトップに押しあげられることになりました。
 彼女が党首に選ばれた頃、ソ連の機関紙「レッドスター」は彼女についての記事を発表。「サッチャーというのは、共産主義に断固として反対している女だ」と記した記事に「鉄の女」という見出しをつけました。これがその後、彼女の綽名として定着することになったようです。

<改革断行>
 1979年保守党は総選挙に勝利し、自動的にサッチャーが首相に就任することになりました。すると彼女は公約通り、次々に政治改革を実行し始めます。先ず初めに行ったのは、BP(英国石油)やブリティッシュ・テレコム、ブリティッシュ・エアや水道、ガスなどに関わる国営企業をすべて民営化することでした。当時の英国は、こうした国営企業を中心にした組合の力が強く、そのために企業間の競争やシステムなどの近代化がまったく進まなかったのは確かでした。そのため、海外の企業に対し、大きく後れを取っていたことが「英国病」と言われる経済の慢性的な停滞を招いていたと言えます。しかし、そうした問題にメスを入れることは組合からの圧力で不可能だったのです。その状況は、崩壊寸前のソ連など社会主義諸国の状況とそっくりだったと言えます。したがって、サッチャーにとっての最大の敵は組合だったとも言えます。
 1984年、政府は164か所あった炭鉱の内20を閉山とし、2万人の労働者を削減すると大規模な合理化案を発表します。それに対し、組合は大規模な無期限ストライキを開始します。産業活動に必要不可欠な石炭の産出が必要不可欠なのは明らかだったので、労働者側の有利は間違いないと思われていました。ところが用意周到なサッチャーは、あらかじめ石炭の備蓄を進め、オーストラリアからの石炭の輸入も準備していました。そのため、ストライキが一年間続いても、工場の操業は止まらず、ついに組合側が敗北を認めることになりました。こうして、準社会主義国だった英国において、民営化という名の大掛かりな合理化が施行されることになりました。

<フォークランド紛争>
 1982年アルゼンチンによるフォークランド諸島の上陸作戦から始まった領有権問題を巡る戦争では、当初、英国側はアルゼンチンに対し武力での対抗措置をせず、平和的解決を目指そうと交渉を行います。しかし、世論の反発もあり、このままではアルゼンチンの思うつぼであると判断したサッチャーは武力での対抗を指示します。この時、彼女は戦争の決断にしり込みする政治家たちを前に「この中に男はいないのか!」と一喝したとのこと。さすがは「鉄の女」です。

<ウィンブルドン現象>
 1986年英国で「金融」についての大幅な自由化が実施されます。それは、経済のグローバル化の波に乗ることで、英国経済の活性化を図ろうという試みでした。そのおかげで英国の金融業界は久々の活況を呈することになりました。しかし、最終的に英国の金融機関の多くは外資系の金融機関に敗北。金融業界もまた外資に乗っ取られることになりました。サッチャー・イズムは、確かに経済の活性化をもたらしましたが、多くの悲劇を生むことになったことも確かでした。こうした、英国の様々な分野での敗北は、その後「ウィンブルドン現象」と呼ばれることになります。世界最高峰のテニスのメジャー大会「ウィンブルドン大会」は、英国を代表する世界的なイベントですが、英国人の選手はもう長い間優勝していないからです。

<鉄の女の評価>
 「鉄の女」サチャーの功績がどう評価されるのか?それは時代ごとに変化することになりそうです。確かに彼女の現役時代は、多くの知識人たちは彼女を文字通り「鉄の女」=「血も涙もない女」として評価していました。しかし、21世紀に入り、当時多くの人が味わった痛みは忘れられつつあり、そうなると経済の活性化により、長い目で見れば彼女の手法は正しかったのではないか?そう変化することになりました。
 ちょうどそんな頃に製作されたのが、映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」です。映画では、女性議員として厳しい現実と戦った彼女の初期のエピソードから、彼女が政界を引退して以降まで長いスパンでその功績を描いています。1980年代という比較的映画では描かれない時期の英国社会のリアルを知ることができる貴重な作品でもあります。もちろん、素晴らしいメイクによって蘇ったサッチャーを演じるメリル・ストリープの演技は文句のつけようがありません。

「私はコンセンサスに基づく政治家ではありません。私は信念に基づく政治家です」
マーガレット・サッチャー

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 2011年
(監)フィリダ・ロイド
(製)ダミアン・ジョーンズ(製総)フランソワ・イヴェルネル、キャメロン・マクラッケン他
(脚)アビ・モーガン
(撮)エリオット・デイヴィス
(PD)サイモン・エリオット
(メ)マーク・クーリエ、J・ロイ・ヘランド
(編)ジャスティン・ライト
(衣)コンソラータ・ボイル
(音)トーマス・ニューマン
(出)メリル・ストリープ、ジム・ブロードベント、オリヴィア・コールマン、ロジャー・アラム

世界を変えた大事件へ   トップページヘ