「巨匠とマルガリータ」

- ミハイル・ブルガーコフ -

<20世紀ロシア文学を代表する奇書>
 この小説は、20世紀ロシア文学を代表する奇書であり傑作として有名な作品です。しかし、600ページ近い大作であり、「イエス・キリストの処刑」と「現代モスクワでの悪魔によるテロ事件」がからまりあうという摩訶不思議な内容ということから、なかなか読む気になれずにいました。ところが、読み出してびっくり!次々に起こる不思議な事件は、時にスラップスティック・コメディだったり、エロティックだったり、グロテスクだったり、スリリングだったり、政治的な意図を感じさせたりと飽きさせることがありません。先が読めないハチャメチャな展開のようでいて、実はその底に著者の信念が隠されているようだし、きっちりと一冊の本として完成されています。
 考えてみるとこの小説は、「大人のためのナルニア国物語」といった感じの作品です。(「ナルニア国物語」より10年も古い作品なのですが・・・)主人公を、純粋無垢な子供たちから、不倫関係の恋人同士に代え、主人公を救う英雄をアスランから悪魔の化身ヴォルランドに代え、舞台を第二次世界大戦下のイギリスからスターリン独裁体制化のロシアに代えればいいのです。(かなりの違いですが!)
 先ずは、この小説の<あらすじ>を紹介しておいた方がいいかもしれません。

<あらすじ>
 ある日、イワンという詩人とベルリオーズという文壇に強い影響力をもつ編集長が、公園で無神論について議論を闘わしているところに、ヴォルランドという人物が割り込んできました。彼は悪魔学の大家としてロシアに招かれてきたと説明した後、ベルリオーズの死を予言します。すると、その予言通りベルリオーズは路面電車に轢かれて死んでしまい、イワンはその事件のショックで精神病院に送られることになります。彼はその病院の隣の部屋に入院していた「巨匠」と呼ばれる人物と知り合います。
 「巨匠」は作家で、イエス・キリストを処刑したローマの将軍ピラトゥス(ピラト)の苦悩を描いた小説を書き上げたものの、キリストを賛美するその内容が反革命的であると批判されて出版もできず、そのショックで原稿を自らの手で燃やしてしまい、精神を病んでしまったのでした。
 その頃、ヴォランドとその一味は、モスクワ市内の劇場を借りきり一夜限りの黒魔術ショーを開催していました。ショーが始まると、天井からお札が舞い落ちたり、女性客のために豪華なドレスや靴が配られたりとマジックとは思えない演出が行われ、ついに会場はパニック状態におちいってしまいます。さらには、外に出るとそれらのお札やドレスなどがすべて幻だったことが明らかになり、劇場周辺は大混乱となってしまいます。その他にもモスクワ市内、様々なところで次々に不可思議な事件が起き、市内全域が騒乱状態となってしまいます。
 そんな状況の中、ヴォランドはマルガリータという女性のもとに向かいます。実は彼女は巨匠の不倫関係にある人妻でした。巨匠を愛しているマルガリータは、彼を救い出すために、ヴォルランドからの申し出を受けます。それは、不気味な死者たちのパーティーにおけるホステス役を務めるという恐ろしい役でした。彼女はそのパーティーに向かうため、不思議なクリームを身体に塗り、空へと舞い上がります。
 「死者たちのパーティーとはいかなるものか?マルガリータは「巨匠」を救えるのか?そして、ヴォランド一味の目的は何なのか?

 巨匠とマルガリータの物語とは別に、この小説には巨匠が書いた「ピラトの苦悩の物語」がイエス・キリストの処刑の場面も含めて平行して展開してゆきます。ピラトの苦しみは。癒されるのか?これがこの小説のもう一つのテーマとなってゆきます。
 この物語は現実とはかけ離れたファンタジーではあっても、子供向けの冒険アドヴェンチャーものとは異なります。悪魔が主役ともいえるのですから、当然といえば当然ですが、それが単なるオカルト・スラップスティック・コメディーではないことも確かです。なぜなら、この作品は1940年に一応完成はされていたものの、1973年までは世に出ることのない発禁の書となるからです。それは著者のブルガーコフがこの小説にこめた思いが当時のソ連では受け入れがたいものだったからでした。(完全な版が出版されたのは、1990年代ペレストロイカ以降のことになります)
 そんなわけで、この小説について、より深く知るためには、ブルガーコフの人生と革命後のソ連の歴史について知る必要がありそうです。

<ブルガーコフとソ連の歴史>
 1891年5月3日、ミハイル・アファナーシェヴィッチ・ブルガーコフは、ソ連西部(現在のウクライナ共和国)の都市キエフで生まれました。父親は神学校の教授で母親は司教の娘という宗教的な家柄に育ちました。(ロシア正教)彼の心の中に共産主義とは相容れない神の存在があったことが、この小説に大きな影響を与えていたことは間違いありません。

「それでも、気にかかっているのはこういう問題です、つまり神が存在しないとすると、おたずねしますが、人間の生活とか、要するに地上のあらゆる秩序とかを、いったい誰が支配するのでしょうか?」
「人間がみずからを支配するに決まっています」とイワンは間髪を入れずに、実際のところ、それほど明確ではないこの質問に腹立たしげに答えた。
「失礼ですが」と見知らぬ男はおだやかに応酬した。
「人間がみずからを支配するためには、やはり、せめてわずかでもよい、いくばくかの期間にたいする正確な見とおしが必要です。そこで、おたずねしたいのですが、ばかばかしいほど短い期間、そう、たとえば千年ほどの計画も立てられないばかりか自分自身の明日さえ保証できない人間が、いったい、どうして支配したりできるのでしょうか?・・・」

(以下の引用は、すべて「巨匠とマルガリータ」より)

 学校での彼の成績は普通だったようですが、早くからゴーゴリ、プーシキン、トルストイらの作品を読む文学少年でした。父親は彼が16歳の時、腎臓硬化症により、48歳という若さでこの世を去りますが、後に彼もまた同じ病により49歳でこの世を去ることになります。
<1909年> 18歳になった彼はキエフ大学の医学部に入学。
<1913年> 彼は22歳でタチアナ・ラッパという女性と結婚。(結局、彼は生涯に3度結婚することになります)
<1916年> 医学部を卒業した彼は、キエフの病院で働きだしますが、すぐに軍医として働くことになり、地方へと派遣されることになりました。
<1917年> ロシア革命が起きます。
<1918年> 革命の混乱の中、除隊した彼はキエフへと戻ります。しかし、再び彼は軍へ呼び戻されます。ちょうどこの頃、ウクライナはシモン・ぺトリューラ率いるウクライナ民族軍によって支配され、ウクライナ共和国を設立しようとしていました。
<1919年> 赤軍がキエフを制圧。その後、デューキン将軍率いる自衛軍が到着すると、彼はそこに医師として参加。部隊と共に移動する中、医師をやめ作家になることを決意します。そして、この頃の体験をもとにして後に処女長編小説「白衛軍」を書くことになります。
<1920年> 本格的に作家活動に入った彼は、ウラジカフカーズ革命委員会芸術委員会の下部組織(文学部会)の責任者となり、初の戯曲「白衛」が上演されます。彼は公開討論会において、反革命的と批判されていた文豪プーシキンを擁護。そのため、彼自身も反革命的と批判されることになります。この頃、すでに彼は共産党から目をつけられていたようです。
<1921年> 自作の戯曲「パリ・コミューンの人々」を上演するも、評論家によって酷評されます。次作「回教徒の息子たち」は興行的には大成功しますが、彼に対するバッシングは続き、一時はトルコのコンスタンチノープルへの亡命まで考えるまでに至りました。このままでは、国にいられなくなると感じた彼は、ほとんど無一文の状態でモスクワに出ます。そして、教育人民委員会の文学部会で書記として働き始めます。その後、彼は「商業産業新聞」の編集長となり、コラムやルポも執筆し始めます。ところが、翌年、この「商業産業新聞」が廃刊となったため、再び彼は失業してしまい、仕方なく彼は小さな劇場の司会者となります。(この小説にも劇場とその司会者が登場しています!)それでも中編小説集「悪魔物語」が出版されると、ゴーリキーやザミャーチンらによって高く評価され、彼の作家としての知名度は高まることになりました。
<1922年> ロシアは正式にソビエト社会主義共和国連邦(USSR)としてひとつにまとまりますが、内部には様々な権力闘争の動きがありました。
<1924年> レーニンの死去により、水面下で行われていた権力闘争が一気に表面化し始めます。
<1925年> トロツキーが失脚し、その間に無能な政治家と評されていたスターリンが権力を掌握。力をつけたスターリンによる粛正が始まります。
<1926年> 「犬の心臓」の発禁処分によって、要注意人物とされた彼はOGPU(合同国家政治保安部)の家宅捜索と事情聴取を受けることになりますが、この年の秋、彼の「白衛軍」を戯曲化した「トゥルビン家の日々」がモスクワ芸術座で初演され大成功を収めます。ところが、彼の人気が高まったことが、かえって党からの圧力を強めることになります。
<1929年> 政府は、トロツキーと元首相のルイコフを国外へと追放。これにより、スターリンによる独裁体制がほぼ固まりました。さらに最大の政敵だったジノヴィエフを1936年に処刑。1940年にはトロツキーをメキシコで暗殺。いよいよスターリン体制に敵はいなくなり、1953年にスターリンがこの世を去るまで、ソ連にとっての暗黒時代が続くことになります。

<スターリンとブルガーコフ>
 ブルガーコフの作家生活は、皮肉な事にスターリンが独裁体制を築き上げるまでの時期と重なっています。そして、皮肉な事に、スターリンがトロツキーを暗殺を実行し、すべての政敵を抹殺した年(1940年)に彼もまたこの世を去ってしまうのです。
 しかし、なぜか彼はスターリンに気に入られていたらしく、ブルガーコフはスターリンに直接手紙を書くことを許されていました。そしてそのおかげで、彼は何度も便宜を図ってもらい、窮地を救われています。特に、彼はスターリンの口利きのおかげで、モスクワ芸術座の舞台監督や青年労働劇場の顧問などの職を得ることができ、生活に困らずにすんでいました。それでも、彼の作品に対する検閲は、別扱いだったらしく、1928年に書き始められた本書の第一稿、第二稿はともに出版許可を得ることはできませんでした。さらに、彼が書いた戯曲モリエールを主人公にした「偽善者の陰謀・モリエール」もまた上演禁止となり、その時は彼のスターリンへの手紙も効果を発揮することはありませんでした。大きなショックを受けた彼は、当時執筆中だった長編小説の原稿を自らの手で燃やしてしまったと言われています。(これと同じように、この小説の中で「巨匠」は自らの作品を燃やしてしまいます)
<1932年> 彼はトルストイの名作「戦争と平和」を戯曲化しますが、これもまた上演禁止となります。さらに戯曲「偽善者の陰謀・モリエール」を小説化して「モリエールの生涯」を発表しようとしますが、これまた出版社が出版を拒否。
<1934年> 彼は戯曲「幸福」、映画の脚本「死せる魂」と「検察官」、「巨匠とマルガリータ」第三稿を完成しますが、どの作品も世に出ることはありませんでした。これだけの作品を書いているにも関わらず、どれひとつ発表することができなかった彼は、それでもな作品を書き続けます。彼にとっての執筆活動は、もう発表できるかできないか、売れるか売れないか、評論家に評価されるかどうかなど、もうどうでもよくなっていたのかもしれません。彼には書き続けることこそが自らの存在証明となっていたように思えます。
<1936年> 「偽善者の陰謀・モリエール」がモスクワ芸術座でついに上演されます。しかし、この公演も共産党の機関紙「プラウダ」が酷評したことでたった7公演で中止となりました。
<1938年> 彼は未完だった「巨匠とマルガリータ」の第6稿、第7稿を完成させます。
<1939年> 彼は三人目の妻エレーナと共にレニングラードへ行きますが、そこで突然の視力低下に見舞われます。彼もまた父親と同じく高血圧性の腎臓硬化症でした。こうして病床につき執筆ができなくなったにも関わらず彼はなお創作活動をあきらめず、エレーナに口述でタイプさせることで「巨匠とマルガリータ」の完成版を書き上げ、その推敲作業を続けました。しかし、彼の健康は悪化し続け、1940年3月10日、彼は友人夫妻と妻、息子のたった4人に看取られながら静かにこの世を去りました。

<「巨匠とマルガリータ」にこめられた思い>
 「巨匠」と呼ばれる名前のない主人公。これはスターリンに認められたおかげで、仕事を与えられ作家としてそれなりの評価を得たものの、まったく作品を発表することができなかったブルガーコフ自身であることは明らかです。
 彼が死ぬギリギリまで執筆を続けた時、彼を助けタイプを叩き続けた妻エレーナはもしかすると人妻だったのかもしれません。(略奪婚?)ヴォランド一味が最初のターゲットに選んだ編集者のベルリオーズの首が切られたのは、もちろんブルガーコフの原稿をことごとく出版拒否し続けた出版社へのささやかな復讐だったのでしょう。
 彼は自分の原稿がなぜ発表されないのか?その不条理について自問自答を繰り広げ、それを自分と悪魔との対話へと移し変える中で「神の存在」を問い、「自由な創作活動」を問うことで「共産主義社会のもつ危険性」についてあぶりだすことになったのです。

「それでは、アルバート街の地下室で暮らしたいというわけですね?これから、あなたでなくて誰が書くのですか?夢は、インスピレーションは?」
「もう、私にはどんな夢もありませんし、インスピレーションもありません」と巨匠は答えた。
「周囲に興味を惹くものはなにもないのです、マルガリータのほかには」ふたたび、マルガリータの頭に手を置いた。
「もう、私はだめになってしまったのです、なにも面白いことはなく、望むことといったら、あの地下室に戻ることだけです」
「でも、あなたの小説が憎いのです」と巨匠は答えた。
「あの小説のために、あまりにも多くの苦難を受けたのです」


 こうしたソ連の状況はその後も長く続きます。そして、その社会で神に代わる存在となった共産主義体制が崩壊した1990年代に入るとロシアの国民は信じていた価値観の基準を失ってしまいました。その時、国民の中に広まったものの中には、あのオウム真理教もありました。もちろん、その後、ロシアに拝金主義の傾向が強まったのも、その反動だったのでしょう。この小説は、そんなソ連の未来を予見した作品だったと読むこともできそうです。

「もちろん、人には誰でも、ぼくときみのように、いっさいのものを奪われてしまうと、この世に存在しない力に救いを求めるものなのだ!それも仕方の無いことだ、この世に存在しないものに救いを求めることにしよう」

 作家活動の自由を求め、生きることの自由を求めて10年以上の歳月をかけて書かれたこの作品は、意外に重たい作品ではありません。それは地下室にこもり暗い精神状態で書いたと思えない明るさと破天荒さに満ちています。
 ブルガーコフの頭の中で、この時、すでに物語はすべての規制から解き放たれ自由を得ていたのかもしれません。
 映画「未来世紀ブラジル」の主人公の想像力のように、映画「ショーシャンクの空に」の主人公の音楽を思い描く力のように、ブルガーコフの頭の中は、この小説のラストの巨匠のように自由を獲得したいに違いありません。
 「自由」とは、自由な人が感じるのでなく、不自由な人が感じる喜びのことなのかもしれません。これもまた多くの「巨匠」たちが残している言葉です。

「さあ、これで、あの小説をひとつの文章で結ぶことができるでしょう!」
 身じろぎもせずに立ちすくみ、すわっている総督をみつめていた巨匠は、すでにこの言葉を待ち受けていたかのようにだった。両手をメガフォンのようにして口に当てると、人気もなく、草木もない山々にこだまがはね返るほどの大きな声で叫んだ。
「おまえは自由だ!自由だ!彼がおまえを待っているのだ!」


「巨匠とマルガリータ」 1940年
(著)ミハイル・ブルガーコフ
(訳)水野忠夫
河出書房新社

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