20世紀トランスジェンダー闘争史

ドキュメンタリー映画
「マーシャ・P・ジョンソンの生と死 The Death and Life of Marsha P. Johnson」

- マーシャ・P・ジョンソン Marsha P. Johnson -

- シルビア・リベラ Sylvia Rivera -
<ストーンウォールの反乱>
 マーシャ・P・ジョンソンの名が世に知られるきっかけとなったのは、1969年に起きた有名な「ストーンウォールの反乱」でした。
 1960年代まで、アメリカのほとんどの州では男性が女装して外出することは違法で、警察に逮捕され罰金刑になっていました。キリスト教の教えから同性愛は違法とされていたからです。ただし、ニューヨークには早くから性的に多様な人々が集まっていて、グリニッジ・ビレッジのいくつかの店ではそうした女装の男性たちの入店を認めていました。
 マフィアが仕切る店だったクラブ「ストーンウォール・イン」は、警察に賄賂が渡されていたことから、そうしたトランスジェンダーの入店が認められる数少ない店でした。店内は黒人中心のトランスジェンダーのにぎやかな歓声やダンス、音楽にあふれるにぎやかな空間でした。後に世界に広まるDJスタイルが誕生したのも、この地域のクラブでした。
 ところが、1969年6月27日深夜、市長選挙を前にして取締りの強化を進めていた警察がストーンウォール・インの強制捜査を開始。店内のトランスジェンダーや未成年者たちを次々に逮捕し始めました。それまでも、警察から日常的に迫害され、暴行を受けてきた彼らは警察に身体をはって抵抗し始め、ついには火炎瓶まで用いた暴動へと発展して行きました。ビートニク詩人のアレン・ギンズバーグもこの時、デモに参加してます。
 後にこの暴動は「ストーンウォールの反乱」と呼ばれることになり、LGBTの人々にとっての記念日であり、差別に対抗して始まるこの後のLGBT解放運動の原点となります。そして、その運動の先頭に立ち最も目立つ存在となったのが、トランスジェンダーたちのリーダー的存在だったマーシャ・P・ジョンソンとシルビア・リベラでした。

<トランスジェンダーの悲劇>
 当時、彼らのような派手な化粧と女装で街を歩くトランスジェンダーの人々は、その目立つ見た目のために仕事を得ることができず、当然住む場所も見つけられませんでした。そのため多くは路上生活者となり、ついには路上で身体を売る娼婦として生活費と稼いでいました。そうした人々を救うためには、先ず住む場所を用意する必要がある。そう考えたマーシャとシルビアは、「路上の異性装者にして行動する革命家たち Street Transgender Act Revolution」略称STARという組織を結成。彼らの支援のために活動を始め、1970年には「スターハウス」という共同住宅を設立しました。
 「平和で善意にあふれた社会をつくることが夢である」という理念に基づく彼らの活動は、その後のLGBT解放運動の基点となりました。

<LGBT運動の分裂>
 1970年代に入るとニューヨークだけでなく全米各地でLGBTのための差別撤廃を求める運動が広がり始めます。その中にはサンフランシスコを舞台に政治家として活躍することになるハーヴェイ・ミルクのような人物も登場します。そうした人々の活動とヒッピー・ムーブメントのような社会的な変動のおかげで、LGBTに対する差別的な法律は少しづつ撤廃され始め、様々な権利を獲得することができました。(もちろんごく一部の範囲ではありましたが)それでもそれなりの地位を獲得しつつあった人々の中には、社会の中で目立ちすぎる仲間であるはずのトランスジェンダーの人々の存在を迷惑だと考える層が増え始めます。見た目が一般人と変わらないゲイやレズビアンの人々にとって、女装して大騒ぎするトランスジェンダーの活動家は地道な活動にとって、邪魔な存在に思えてきたのです。
 1973年ニューヨークで開催されたゲイ・パレードで事態は明確になりました。パレードの先頭に立つ派手な衣装のマーシャとシルビアの姿を、主催者たちは大きなフラッグによって隠してしまったのです。
 その後集会のステージに上がったシルビアに対し、多くの参加者がブーイングを浴びせたことで、トランスジェンダーたちが解放運動からはじき出されようとしていることが明らかになります。
「私たちトランスジェンダーの仲間が先頭に立って戦ったおかげで、ここまで来たのに、今になって裏切るとは、あなたたちは恥ずかしくないの!」と叫ぶシルビアの悲痛な演説は、聖書の中に登場する「キリストが大衆によって裁かれて死刑を宣告される場面」をイメージさせます。
 結局、この後、シルビアは運動を離れ、スターハウスも1973年にその役目を終えることになりました。

<トランスジェンダーの孤立と悲劇>
 LGBT解放運動の中でも嫌われ者となったトランスジェンダーの人々は、同性愛を差別する保守派からはいよいよ差別の対象となります。ゲイの人々の社会進出は、逆にトランスジェンダーの人々への暴力に発展して行くことになったのかもしれません。アメリカ中で毎年多くのトランスジェンダーの人々が、暴力の犠牲となり、数十人が命を落としていました。そのうえ警察は、彼らの被害に対し、積極的な捜査を行わず、死亡者の多くは事故や自殺扱いとなり、殺人事件として捜査されることはありませんでした。例え、犯人が明らかで事件が裁判に持ち込まれても、弁護士からの支持により、多くの犯人は「パニック・ディフェンス」を主張することで刑を大幅に軽減することに成功していました。
<パニック・ディフェンス>
「女性だと思っていたのに、男性だとわかってパニックになってしまいました。このままだと自分が周囲から同性愛者と疑われると思い、思わず過剰な暴力をふるってしまいました」というわけです。過去10年の間に400人以上のトランスジェンダーが殺害されているという数字もあります。

<マーシャの死の謎>
 1992年7月のある夜、マーシャ・P・ジョンソンは行方不明となり、その後しばらくして溺死体となってハドソン川に浮かんでいるのが発見されました。警察は、彼女の死を自殺として処理しましたが、多くの人々が彼女が自殺するような人間ではないと知っていました。さらに彼女が死の直前、自分はマフィアに狙われていると知人に語っていたという証言もありました。当時彼女と同居していたランディという人物が、LGBTのイベント、ゲイ・プライドの主催者がマフィアがらみの人間で、イベントの収益を隠していると主張していたため、マフィアから命を狙われていたという証言もありました。そこまでわかっていながら、なぜ警察はマフィアを疑って捜査を行わなかったのでしょうか?
 この映画は、21世紀の今、改めて警察に捜査を行わせるために「アンチ・ヴァイオレンス・プロジェクト AVP」のメンバー、ビクトリア・クロスが再調査を行う過程を撮影したものです。

<シルビアのその後>
 1992年に相棒のマーシャが死亡して以降、シルビアはそのショックから立ち直れずにいました。その上、解放運動から離れてしまったことで生きる目標も失った彼女はアルコールに溺れ、ついにはホームレスとなり、忘れられた存在になってしまいました。
 しかし、かつて彼女が同じようにホームレスの仲間たちをスターハウスという施設で救ったように、彼女もまた同じようなトランスジェンダーのための共同住宅「トランジーハウス」によって救われることになりました。その施設への入居を進められた彼女はそこに住む人々の母親役、相談役を務めるようになり、きっぱりとアルコールを断つことができ、気力も健康も取り戻すことになりました。
 そんなころ、時代は彼女たちトランスジェンダーへの評価を改めつつあり、LGBT社会でも過去の彼らへの対応を反省し始めます。
 かつて黒人音楽のアーティストたちへいち早く高い評価を与えたように、ヨーロッパではアメリカと異なり、すでに彼女への再評価の機運が高まっていました。そのため彼女は、LGBT解放運動の生ける伝説として、来欧の際大歓迎を受けることになりました。再び、彼女が活躍する時代が始まろうとしていました。
 しかし、50歳を越えたばかりの彼女の身体はすでに壊れつつありました。2002年、彼女は肝臓がんに冒され、多くの仲間たちに見送られながらこの世を去りました。


「マーシャ・P・ジョンソンの生と死 The Death and Life of Marsha P. Johnson」 (2017年)
(監)(製)(脚)デヴィッド・フランス
(製)キンバリー・リード、L・A・テオドシオ
(脚)マーク・ブレーン
(撮)トム・ベルグマン、アダム・ウール
(編)タイラー・H・ウォーク
(PD)ジェームス・オドネル
(音)ブライス・デスナー
(出)ビクトリア・クルス、マーシャ・P・ジョンソン、シルビア・リベラ、テイラー・ミード

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