- マーティン・スコセッシ Martin Scorsese (後編) -

<「最後の誘惑」最初のチャレンジ>
 1983年、彼は10年前から暖めていた企画、カザンツァキスの小説「最後の誘惑」の映画化準備を開始します。しかし、この作品には大きな問題がありました。すでに原作は世に出ており、それがキリスト教関係者や保守派の人々から反キリスト教的な内容であるとして問題視されていたのです。
 保守派からの圧力やキリストを冒涜したことに対する訴訟問題、映画館での暴動の可能性などを恐れた製作側は結局この企画をクランク・イン直前4日前になって中止してしまいました。(と言っても、この時すでにパラマウントは製作準備のために500万ドルを使っていたのですから、いかに映画化によるトラブルを恐れていたかがわかります)

「アフター・アワーズ」
 しかたなく、彼は別の企画「アフター・アワーズ」の映画化に取り組みます。この作品はインデペンデント(独立プロダクション)作品だったため低予算を余儀なくされますが、彼はヒッチコックへのオマージュに満ちた凝った作りの作品に仕上げてみせました。そんな彼の狙いが受けたのか、この作品はカンヌ映画祭で最優秀監督賞を受賞しています。

<怪優スコセッシの仕事>
 続く彼の仕事は、監督ではなく俳優として、自分以外の監督の作品に出演するというものでした。そのうえ、その映画はアメリカ映画でなくフランス映画で、当時のフランスを代表する監督ベルトラン・タベルニエが監督した「ラウンド・ミッドナイト」でした。それは、実在の有名なジャズ・ミュージシャンであるデクスター・ゴードンを主役に抜擢した映画で、架空のモダンジャズ・サックス奏者の悲劇の物語でした。その映画で彼は有名なジャズ・クラブ「バード・ランド」の悪徳支配人として出演しました。

<ハリウッド的パート2映画へのチャレンジ>
 続いて彼に誘いの声をかけてきたのは、超大物俳優ポール・ニューマンでした。「レイジング・ブル」が気に入っていた彼は、彼がかつて主演した出世作「ハスラー」(1961年)の続編となる企画をスコセッシに持ち込みました。こうして、スコセッシとしては、最もハリウッド的な作品となった「ハスラー2」が誕生しました。(主演は、ブレイク直前のトム・クルーズでした)
「ハスラー2」(1986年)(追記2016年)
(脚)リチャード・プライス(原)ウォルター・テヴィス(撮)ミヒャエル・バルハウス(音)ロビー・ロバートソン
(出)ポール・ニューマン、トム・クルーズ、エリザベス・マストラントニオ、ジョン・タトゥーロ、フォレスト・ウィテカー、イギー・ポップ
 「ロッキー」など多くのスポーツ映画にあるように、続編においては引退したヒーローが新たな主人公となるべく未熟な若者を育て上げるというストーリーは定番的ともいえます。この「ハスラー2」もそのタイプの作品だと思っていましたが、そうではありませんでした。主役だと思っていたヴィンセント(トム・クルーズ)は、結局「脇役」で、主役はやはりエディ(ポール・ニューマン)でした。25年前の一作目でミネソタ・ファッツに敗北した後、引退して「酒」の卸販売で稼ぐ社長となったエディが、才能ある若者(ヴィンセント)と出会い彼を育てる側にまわります。ところが、途中で自分自身が「ハスラー」としてまだ終わっていないことに気づきます。
「I'm Back !」
 この作品でポール・ニューマンはついに念願のアカデミー主演男優賞を受賞していますが、この映画の彼はまだお情けで功労賞として受賞するほど老いてはいません。この作品によって、俳優としてのポール・ニューマンもまた見事にカムバックを果たしたといえそうです。
 ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)による音楽と切れのある撮影・編集も見事です。

<マイケル!>
 次ぎに声をかけてきたのは、さらなる大物でした。なんと、あのマイケル・ジャクソンです。
 1987年発表のマイケルのヒット曲「BAD」のプロモーション・フィルムは、なんとスコセッシの演出によるものでした。この時期の彼は、まさに引っ張りだこの人気演出家だったわけです。
 そんな状況の中、忘れかけていた企画「最後の誘惑」が甦ろうとしていました。

最後の誘惑(1988年)
 かつて、神父になることを目指したことのあるスコセッシにとって、イエス・キリストは「神の子」であると同時に「史上最大の謎」であり、「最も描いてみたい人物」でもありました。実際、彼はパラマウントの社長になぜイエス・キリストの人生を映画化したいのか?ときかれ
「映画を作ればイエスのことがもっとよくわかるようになるから」と答えたそうです。
 イエス・キリストという存在を「人間として」、「神として」、その両面からとらえようとする初めての試みは、アメリカだけでなくヨーロッパでも非難の対象となり、各地で公開反対運動や嫌がらせの事件が起きました。しかし、彼にとって幸いだったのは、それらの事件が映画の巨大なプロモーション・イベントとなったおかげで、十分ヒットと言える結果を残すことができたことです。

「ニューヨーク・ストーリー」(1989年)
 1986年の終わりに再び彼のもとに意外な人物から製作依頼の電話がありました。なんとその電話の主はウディ・アレンでした。
「ニューヨークについての物語を短編映画として製作し、オムニバス映画として公開しよう」という誘いでした。1989年公開の「ニューヨーク・ストーリー」はこうして生まれた企画なのです。
 こうして、彼が監督したニック・ノルティーとロザンナ・アークエット主演の短編映画「ライフ・レッスン Life Lesson」は、F・F・コッポラの「ゾーイのいない人生」、ウディ・アレンの「エディプス・コンプレックス」とともに公開されました。
 実はこの作品、僕自身にとってはスコセッシ作品中、最も思い入れの深い作品です。なぜなら、この映画が公開されていた頃、僕自身「恋のライフレッスン」真っ最中だったからです。(この時の悲しいお話もまたいつかと言いたいところですが、永遠に秘密と言うことになるかも・・・)この映画を見た頃は、どっちかというと回復期にあり、懐かしい思いを感じながらこの映画を見たような気がします。
 ジャクソン・ポロックそっくりの作風を持つ現代美術の作家とその助手の恋の物語。映画の中のポロック風絵画もなかなか良かったし、ニック・ノルティーの演技も見事でした。それ以上に、自分勝手で自由奔放な猫のような女の子、ロザンナ・アークエットの可愛いことといったら、・・・。そして、「青い影」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」など、60年代ロックのなんと格好良かったことか、・・・。この作品はスコセッシ作品中、最も純粋なラブ・ストーリーと言えるでしょう。短いからこその魅力なのかも知れません。個人的に大好きな作品です。

「グッドフェローズ」(1990年)
 1989年、彼は代表作のひとつとなる大作「グッドッフェローズ」の製作準備に入ります。この作品は、ニューヨーク・マフィアのメンバーとして活躍していた一人の男が、自らの命を守るためFBIに寝返って証言をするまでの半生を描いた作品です。実在の人物が書いた実録物なだけに、スコセッシはそのリアリティーにこだわり限りなくドキュメンタリー風に描き出しています。もちろん、彼自身が育った社会が舞台なだけに、カメラの眼は彼自身のように動き回り、次々にいろいろな事件を目撃。その細部までも描き出し、彼のこだわりを感じさせてくれます。
 この映画では、いよいよ音楽の使い方が冴えわたっています。イタリア系のドゥーワップ・コーラス(フォーシーズンズなど)が青春時代のBGMとして使われているのは当然として、デレク&ザ・ドミノスの「愛しのレイラ」が使われている殺戮シーンの「美しさ」には、背筋がゾクゾクさせられてしまいます。彼の撮影手法も円熟味を増し、細かなカットをつなぐ手法にステディー・カムを使った長回し撮影、両刀を見事に使いこなしています。
「私の気持ちには相反する二つの傾向があって、一方ではマックス・オフェルスやルノワールや溝口のワンショットでやりおおすやり方に、もう一方ではエイゼンシュタインやヒッチコックのようなカッティングの妙にそれぞれ賛嘆の念を禁じ得ない。ま、後者のほうに強い愛着があるかもしれないが。・・・」

<黒澤明の「夢」>
 「グッドフェローズ」の撮影終了後、スコセッシにはまたも俳優としての仕事が回ってきます。それも彼が師と仰ぐ黒澤明からの依頼で、黒澤の作品「夢」で「情熱の画家」ゴッホを演じるというものでした。黒澤監督がゴッホ役にスコセッシを選んだというのは、それだけでもう最高の演出をしたと言えるのかも知れません。実際、精神的に病んでいて精神病院に長く入院したゴッホの性格をスコセッシなら、少しは理解できたかもしれません。

<ニューヨーク、映画、音楽、ファッションへのこだわり>
 彼のこだわりは、一般的に知られている劇場用映画以外にもいろいろな形で発表されています。
「イタリアン・アメリカン」(1974年)
スコセッシの両親が語るシシリー島からの移民の歴史
「アメリカン・ボーイ−スティーブン・プリンスの横顔」(1978年)
スコセッシの友人が語るニューヨーク・チンピラの青春群像
「アルマーニ・コマーシャル」(1986年)「Made In Milanアルマーニが語るミラノ」(1990年)
スコセッシの友人でもあるアルマーニに依頼されたコマーシャル・フィルム。彼のファッションへのこだわりあうかがえます。
「Somewhere Down the Crazy River」(1988年)
ザ・バンド、ロビー・ロバートソンが発表したシングルのプロモ・ビデオ
「映画の世紀−マーティン・スコセッシとたどるアメリカ映画の旅」
3部構成で4時間弱のテレビ・シリーズ
「私のイタリア旅行」
これも4時間を越えるドキュメンタリー番組「映画の世紀」のイタリア版的内容らしい
「私は個性的なスタイルを持った映画監督ではない。私自身が映画そのもの、つまり私の中に映画の歴史が流れているのだ」
その後も彼は次々と異なるタイプの作品に挑戦します。

「ケープ・フィアー」(1991年)
 この映画は、1962年公開の「恐怖の岬」のリメイクで、彼にとっては唯一の本格的サスペンス映画です。主演のロバート・デ・ニーロは、この作品のために見事な肉体を作り上げ、恐怖感を盛り上げました。なお、この作品はユニバーサルから「最後の誘惑」の資金提供を得た際に、その交換条件として求められた「娯楽作品を一本作ること」という依頼に答えたものでした。スコセッシのような大物監督ですら、アメリカでは自由に映画を撮ることは難しいのです。

「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」(1992年)
 この映画もまた、彼にとっては異色の作品です。それは彼にとって唯一の純粋ラブ・ロマンスであり、1870年代の女流社会を描いた本格的コスチューム・ドラマでもありました。
 この映画における料理や食器、衣装や建物に対するこだわりもまた大変なものだったようです。内容的に僕の趣味じゃなかったので見ていませんが、これもまたなかなか面白い作品なのかもしれません。

「カジノ Casino」(1995年)
 この映画は、「グッドフェローズ」と同じ原作者によるマフィアものということで、「ミーン・ストリート」、「グッドフェローズ」に続く3部作のまとめ的作品とも言われています。この作品も3時間におよぶ大作ですが、撮影、音楽、役者、どれをとっても楽しめる作品です。特に、3種類の爆発を用いたオープニングとクロージングの暗殺シーンは、なかなか面白いです。ほとんどが実話をもとに書かれているというのが信じられないほど、話の展開が面白く、意外性にあふれています。悲惨さや残忍さをも超越したおとぎ話的な大作悲劇です。

<その他>
 これまた異色作「クンドゥン Kundun」(1997年)はダライ・ラマ14世の半世を描いた作品。それにしても、スコセッシといい、ビースティー・ボーイズ、パティー・スミスなどニューヨークのアーティストたちは、なぜこうもダライ・ラマのファンなのでしょうか?
 「救命士 Bring Out the Dead」(1999年)は、久々に現代のニューヨークを舞台にした作品。主人公は緊急救命士で、あの「タクシー・ドライバー」の現代版ということになるのでしょうか?
「ギャング・オブ・ニューヨーク Gang of New York」(2002年)
 そしてついに彼はニューヨーク物語の集大成とも言うべきニューヨーク草創期の伝説の映画化に挑みます。
 この映画の企画が発表されたのは、なんと1978年のことです。彼は20年以上の歳月をかけてこの企画を実現したことになります。(詳細については、「ギャング・オブ・ニューヨーク」のページをご覧下さい!)
 ニューヨークという巨大な都市の歴史を描き続けてきたスコセッシの眼に、2000年のあのテロ事件以後、街の姿はそう映っているのでしょうか?
 彼が再び現代のニューヨークを舞台にした作品を作るとき、街はどんな姿を見せてくれるのか、今から楽しみです。

<細部にこだわり現実を映し出す作家>
 「タクシー・ドライバー」を15回も見たという青年ビリー・ヒンクリー・Jrは、ジョディー・フォスターに完全に心を奪われ、映画を現実化するべく当時の大統領ロナルド・レーガンを狙撃しました。彼は結局精神異常ということで無罪なったと言います。実際に起きたこの事件は、スコセッシのブラック・コメディー映画「キング・オブ・コメディー」よりも、現実の方がよほどドラマチックかつ非現実的であり、笑えないものであることを示してもくれました。
  「ものの本質は細部にやどる」そんな言葉があります。
もしかすると、スコセッシ作品の魅力は、この「本質がやどった細部」にこそあるのではないでしょうか。だからこそ、彼の作品は時に現実をも変えてしまうことがあるのかもしれません。
 それは「タクシー・ドライバー」における「水蒸気の中から現れるイエローキャブ」だったり、「グッドフェローズ」における「愛しのレイラ」だったり、「アリスの恋」における「懐かしの我が家のセット」だったり、「ケープ・フィアー」におけるデ・ニーロの「背中の筋肉と入れ墨」だったり、「カジノ」における3パターンの「爆破シーン」だったり、「ギャング・オブ・ニューヨーク」における「燃え上がるニューヨークの街」だったりするのです。
 そんな彼のこだわりがつまった作品が、いつかハリウッドで評価され、アカデミー作品賞をとる日がやって来ることを願います。いや、取らない方がいいのかな?

<追記>2007年3月1日
 なんと香港映画のリメイク「ディパーテッド」でアカデミー賞をとってしまうとは!これもまたある意味「B級映画の王」スコセッシ監督らしい受賞だったのかも?と思いつつ、やはりハリウッド映画界の落ち込みぶりが現れているといわざるを得ないでしょう。ただし、確かにこの映画は彼の作品にしては珍しくお話がしっかりとまとまっていたのは確かです。間違いなく面白う映画です。それに少なくとも、この映画のヒットによりまた一本、彼好みの映画が実現することになるのかもしれません。それもまた楽しみです。くれぐれもパート2の監督は別の監督に任せてほしいものです。
 そうそう遠藤周作の小説「沈黙」がスコセッシ監督によって映画化されます。神父になれなかった彼がどんな神の映画を作るのか、そちらもまた興味津々です。

「ヒューゴの不思議な発明」 2011年(追記2016年3月)
 映画における特殊効果の父ともいえる「映像の魔術師」ジョルジュ・メリエスの伝記映画ともオマージュともいえる作品です。スコセッシ監督の「映画への熱い愛」にあふれた作品であり、彼唯一の子供たちのための夢がつまったファンタジー映画です。映画が誕生したばかりの時代の歴史を知るにも役に立つ、映画ファンには必見の作品です。
 原作はブライアン・セルズニックの「ユゴーの不思議な発明」。

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 2013年(追記2016年11月)
 実在の人物による小説よりも奇なる自伝をもとにしたコメディ映画。この映画を見てもまだ株を買おうという人は、間違いなく証券会社に守られて、損失補てんを受けることができる本物の大金持ちでしょう。トランプに投票した多くの人がこの映画を見たのかもしれません。ウォール街に鉄槌を下すべく、トランプが大統領に選ばれたともいえますが、ウォール街の人々はそれでもなお、アメリカを牛耳続けることになるのでしょう。革命でも起きない限り、その状況は変わらない。そう思わせてくれる腹が立つけど笑えちゃう不思議な映画です。

<締めのお言葉>
「アカデミーというのは、ある程度、ハリウッド”黄金時代”の価値観に忠実な組織だと思う。私の映画はどうもそれとは正反対のものを描いているようだ。そう、たしかにジョン・フォードのような監督になってアカデミー賞を4回ももらってみたい。でも私は、あらゆる意味で育った場所が違う。賞が欲しいとか欲しくないとかいうこととは別に、その事実は受け入れなければならないだろう。というのも、私は賞を取るよりはむしろ自分の好きに映画を作るほうを選ぶからだ」

マーティン・スコセッシ 

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