- 普久原朝喜・恒勇 Maruhuku Record -

<歴史的インディーズ・レーベル「マルフク」>
 マルフク・レコードという沖縄のインディーズ・レーベルをご存じでしょうか?会社の設立はなんと1927年(昭和2年)、こんなに古い日本のインディーズ・レーベルは他にないかもしれません。このレーベルのCDを僕が最初に買ったのはいつだったか?沖縄にスキューバ・ダイビングに行った時だったか、それとも吉祥寺の芽瑠璃堂で買ったのか?いずれにしても、1980年代の中頃だったと思います。
 その時買ったのがマルフク・レコードの琉球ポップ&民謡のオムニバス盤でした。シリーズものだったのですが、一枚目のアルバムには、有名な沖縄歌謡「芭蕉布」(宮城奉子)、沖縄演歌「十九の春」(本竹祐助、津波洋子)、琉球民謡の定番「安里屋ユンタ」「てぃんさぐぬ花」(我如古より子、玉城一美、古謝美佐子、吉田康子)、さらには琉球ポップ初期の名曲「ハイサイおじさん」(喜名昌吉&チャンプルーズ)「バイバイ沖縄」知名定男などが収められていて、これぞ琉球チャンプルー・ポップ!といううれしい内容でした。すっかりこのアルバムが気に入った僕は、その後沖縄に行ったときに残りの3枚を買いました。そして、それ以来、僕の頭には「マルフク・レコード」という名前がしっかりと刻まれたのです。海外旅行をするたびにご当地もののCDやカセット・テープを買って帰るのが趣味だった僕としては、日本にもこうしたご当地レーベルがあったことに感動してしまったのです。さすがは琉球国!こうして、「マルフク・レコード」という名前は、僕にとって琉球音楽文化を象徴するキーワードのひとつになりました。

<マルフク・レコードとは?>
 そうなると、マルフク・レコードとはいかなる会社なのか?知りたくなってくるのが人の性。しかし、アーティストについての情報ならまだしも、地方のレコード会社のことがそう簡単に分かるわけもなく、早幾年月がたちました。ところが、先日たまたま本屋で「沖縄音楽ディスク・ガイド」(Tokyo FM出版)という本を見ていたところ、なんとその中にマルフク・レコードの創設者について詳しく書かれているじゃないですか!やはり、「マルフク・レコード」は単なる地方の一インディーズ・レーベルではなかったのです。というわけで、さっそくマルフク・レコードの生みの親であり、琉球音楽を育てた重要なプロデューサー兼歌い手兼作曲家、普久原親子と沖縄の歴史について、書かせていただきます。しばしお付き合いを!

<普久原朝喜の旅立ち>
 マルフク・レコードの創設者、普久原朝喜が生まれたのは、1903年越来村(現在の沖縄市)でした。子供の頃から三線を弾きながら歌っていた彼は村でも有名な歌い手だったそうです。当時彼は馬車を使った運送業を営みながら歌を歌っていましたが生活は苦しく、食べていくので精一杯だったようです。さらにこの頃(大正末期)、琉球地方は史上最悪の経済不況に苦しんでいました。後にその時期は「ソテツ地獄」(とても食べられそうにないソテツの実を食べて飢えをしのぐほど厳しかったため)と呼ばれ、多くの人々が移民としてハワイやブラジル、アルゼンチンなど海外へと旅立って行ったことでも有名です。(ネーネーズの名曲「IKAWUイカブー」はその頃のことを歌った曲なのでしょうか)もちろん、日本本土へと出稼ぎに出る人も多く、そのほとんどは当時東洋のマンチェスターとも呼ばれ経済的繁栄を謳歌していた都市、大阪へと向かいました。
 そして、普久原朝喜もまた家計を助けるため、1923年単身大阪へと出稼ぎに行きました。

<大阪の街>
 大阪という街は、いろいろな意味で興味深い街です。音楽と旅が好きな僕にとっても、昔から魅力的な土地でした。大学を出てすぐの頃、「河内音頭」にはまって、真夏の暑い時期に大阪の街を、祭りの河内音頭を求めて歩き回ったことがあります。本場の河内音頭を聴こうと、南の方(下町)で行われる盆踊り大会を見て歩いたのです。一人見知らぬ大阪の下町をワクワクしながら歩いた時のことは今でも忘れられません。
 後に知ったのですが、大阪と言っても生野区はリトル・コリア・タウンと呼ばれるほど朝鮮系の人が多く、それと同じように大正区には沖縄出身者が多いのだそうです。(2万人程度、沖縄出身者がいるとのことです)地縁血縁の薄い北海道という土地に住む人間にとってはなんともワクワクさせられる話しです。(すいません軽くて・・・)

<「大阪ウチナーンチュ」について>
 ところで、前述の大正区に住む沖縄出身者についてのお話しは、太田順一というカメラマンの方の写真&インタビュー集「大阪ウチナーンチュ」(ブレーンセンター出版)を読んで知りました。たまたま僕の友人が大阪で結婚式をあげ、その時の引き出物として渡されたのがこの本だったのです。(さすがは我が親友、常識はずれの素敵なプレゼントでした。ただし、それは僕のためだけに選んだものではなく、みんなに送られた物でした)この本を読んで僕はすっかり目から鱗が落ちました。大阪の街が「ディープ」なのも当然と納得すると同時に「琉球ムーブメント侮りがたし!」と再認識したものです。
 その本の中には、大阪の大正区に住む沖縄出身者の琉球文化復興に向けた熱い思いやそのために作られた「沖縄こども会」の活動、大阪に移り住んだ人々の苦い過去の思い出、そして未来への願いなどが、インタビューや写真などの形で収められています。こうした活動を行うだけの情熱をもつ琉球民族のエネルギーに僕は改めて感動しました。
 そして今やその情熱が見事に実を結び、琉球からの熱いサウンドが琉球民謡だけでなくあらゆるジャンルで日本のポップスをリードする存在へと成長したことは誰もが認めるところでしょう。
 1970年代に喜納昌吉や知名定男から始まった沖縄ポップスの本土侵攻は、りんけんバンドネーネーズ、ディアマンテスなどを経て、安室奈美恵、Kiroro、Cocco、Da Pump、MAX、Speed、知念里奈、夏川りみ、ビギン、モンゴル800、HY、オレンジレンジなど、今やとどまるところをしりません。
 もちろん、皆が皆沖縄音楽の影響を感じさせるわけではありませんが、こうした盛り上がりの原点には、きっと子供たちのレベルからの琉球文化復興運動が不可欠だったのだと思います。(HYもオレンジレンジもビギンも、あきらかに沖縄音楽の影響を感じさせます)
 そして、そうした運動を支えたもののひとつにマルフク・レコードのようなインディーズ・レーベルの存在があったのです。そして実は、このマルフク・レコードは沖縄ではなく大阪の街から、その活動が始まっています。

<大阪にて>
 大阪に出た朝喜は、工事現場で働いて資金を貯めた後、行商に転職、さらには喫茶店経営と着々にステップ・アップして行きます。そして、1927年マルフク・レコードを設立します。沖縄を離れ淋しい思いをしている出稼ぎの人々のために、彼は大阪在住のミュージシャンを集めて沖縄民謡のレコードを制作、販売しようと思い立ったのです。
 当然、限られた範囲の限られた人々へ売るためのレコードであるため販売枚数はわずかでしたが、他に娯楽というものが少なかったことや故郷への熱い郷愁の思いに支えられ、マルフク・レコードの販路はしだいに拡大して行きます。そして、ハワイや南米など、沖縄からの移民が住む国々にもマルフク・レコードは送られるようになります。
 元々ミュージシャンだった社長の朝喜も自らレコードを録音。沖縄からの移民について歌った「移民小唄」などを吹き込んでいます。面白いのは、1920年代という古い録音でありながら、すでにバンドのメンバーには西洋楽器のバイオリンが加わっていて、民謡ではありながら西欧化がすでに進んでいたことです。さすがはチャンプルー文化の国です。琉球ポップの雑食性と強さは、こうした発展の歴史からもわかります。
 さらに当時は日本全体が民謡ブームだったことも幸いし、1930年代マルフク・レコードは彼自身の曲や沖縄芝居の歌をレコード化したものなどを中心にヒットを飛ばし続けました。しかし、そんなマルフクの黄金時代は太平洋戦争によって突然終わりを迎えることになります。物資の不足、食べるための苦労が続いたため、戦後もすぐにはマルフク・レコードは活動を再開することができず、1952年、やっとレコード制作が可能になりました。

<琉球レーベル新時代>
 しかし、日本が復興に向けて軌道に乗り出すと、当然音楽業界も活況を呈するようになり、それまでのような一人勝ち状態は変化し始めます。1955年、故郷沖縄の那覇に高良次郎がマルタカ・レコードを設立。さらに1965年にはコザ出身で音楽漫談ワタブーショーの人気者、照屋林助がマルテル・レコードを設立。(もちろん、りんけんバンドのリーダー、照屋林賢の父です)地元沖縄から現れた手強いライバルたちによって、マルフクの牙城が少しずつ崩され始めました。
 そんな危機を救ったのが、大阪の父親の元でディレクター修行を積んでいた朝喜の息子、恒勇でした。彼は自分たちのルーツである沖縄の地に戻って再出発を図ります。その手始めとして、彼は自らプロデューサーとなり、琉球民謡の大物、喜納昌永(喜納昌吉の父親)や嘉手苅林昌らのレコードを制作、SPレコードから45cmシングルへの移行期とも重なり、ジューク・ボックスの普及も手伝って再びマルフク・レコードは息を吹き返します。
 その後は彼が作曲した沖縄音階を用いない歌謡曲「芭蕉布」が本土でもヒットしたり、数多くのオリジナル曲を発表。1995年には、沖縄民謡を用いた壮大なスケールの器楽曲「史曲・尚円」を発表するなど、コザを中心に沖縄民謡&ポップス界の大御所として、その存在感を示し続けています。(さらに彼の息子であるローリー普久原も、シンガー&ギタリストとして、大活躍をしており、3代にわたる活躍を期待されています)
 大阪と沖縄を股に掛けた普久原親子の物語。インディーズ・レーベルの老舗、マルフク・レコードの物語は、琉球民謡の歴史であると同時に沖縄を離れなければならなかった移住者たちの物語、そして20世紀沖縄の歴史そのものでもありました。それは、琉球の島々にとって音楽文化がいかに重要な存在であり続けているかを示す証なのかもしれません。
 そして、今もその歴史はしっかりと受け継がれているのです。

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