- マーヴィン・ゲイ Marvin Gaye -

<70年代を代表する傑作>
 かつて、ロック音楽雑誌の最高峰、ローリング・ストーン誌は、70年代を代表するベスト・アルバムのトップに、ロックのアルバムではなく、ソウルのアルバム、マーヴィン・ゲイの"What's Goin' On"を選びました。このアルバムは、マーヴィン・ゲイの最高傑作というだけでなく、モータウン・レコードにとっても、史上最高の売上を記録した作品であると同時に、初のトータル・コンセプト・アルバムでもありました。そのおかげでモータウンは、再び時代の最先端、ニューソウルの流れをリードする位置に立つことができたのです。

<"What's Goin' On"の予見した時代>
 このアルバムのジャケットで、雪の降る暗い空を見つめていたマーヴィンの眼差しは、すでに見え始めていた公民権運動の行き詰まりやベトナム戦争の泥沼化など、暗く重い時代の訪れを予見しているかのようでした。しかし、その中身はけっして暗い現実を見つめただけでなく、その向こうにある夢と希望を高らかに歌い上げており、時代を代表する作品の多くがそうであるように、芸術性と大衆性が奇跡のようなバランスをとることに成功した永遠の名作です。
 しかし、この名作を生みだした時、マーヴィン自身の精神状態が今にも崩壊寸前だったことは、あまりしられていません。もしかすると、そんな精神状態だったからこそ、あれだけの気高さと神々しさを放つ美しい作品を生み出すことができたのかもしれないのです。

<マーヴィンの生い立ち>
 マーヴィンは、ワシントンDCでキリスト教の一宗派、ペンテコステ派のカリスマ的牧師としてその名を知られた父親の元に生まれました。彼はそんな強烈な個性をもつ自信家の父の影響の元、その命令に服従することを強いられながら成長しました。そのため、彼は常に自信なげで、不安定な精神状態の子供だったといいます。しかし、そんな精神的弱さと引き替えるかのように、彼には多くの才能が与えられていました。歌やピアノ、ドラムスなどの音楽的才能だけでなく、アメリカン・フットボールなど運動のセンスもずば抜けていました。しかし、プロ・スポーツの選手になる夢は、父親の反対で早々と絶たれていたため、彼はそのはけ口を音楽に求めるようになって行きます。
 そして、「聖なる父」への反抗の手段として、「悪魔の歌」R&Bにのめり込んでいったのです。(後に、その「聖なる父」が、実は制服倒錯者だったことが明らかになり、話しはややこしくなります)

<モータウンとの出会い>
 彼はマーキーズというコーラス・グループをつくり、当時のドゥーワップ界最高のグループ、ムーン・グロウズのメンバー、ハーベイ・フークアのもとを訪れます。フークアは、すぐにマーヴィンの才能に気づき、彼を後のモータウンの社長、ベリー・ゴーディーの姉が経営していたアンナ・レコードに連れて行きました。こうして、彼らはモータウン・レコードとの関わりをもつようになるのですが、なんとフークアはベリー・ゴーディーのもう一人の姉、グエンと結婚し、そのすぐ後にはマーヴィンが社長のアンナと結婚します。彼らは、文字通りモータウン・ファミリーの一員になってしまったのです。(なんとアンナは、マーヴィンより17歳も年上でした!)

<マーヴィンの声と精神>
 ヴォーカリストとしてのマーヴィンは、三つの声を自由に使い分けることができたと言われています。その一つはロック系の激しいヴォーカル・スタイル、二つ目は力強い響きをもつハイ・テナーと彼の特徴でもあるファルセット・ヴォイス、そして三つ目が普段の彼の声にもっとも近いとされる中音域の渋いヴォーカルでした。しかし、この三つの声の見事なまでの使い分けは彼自身の精神的な分裂傾向と関わりがあったのかもしれません。

<マーヴィンの精神的弱さ>
 彼は、時に極端に自身を失うことがあり、社長のベリーが自ら出向いて彼を殴りつけなければ、舞台にも上がれないことがたびたびあったといいます。しかし、そんなあまりに繊細な神経は、逆に女性ファンの母性本能をくすぐり、彼のカリスマ的な人気を支えていたのも事実でした。
 そのせいか、彼は早くからマリファナだけでなく、コカインやヘロインなどにも手を出していました。こうして、彼は微妙なバランスをとりながら、かろうじてアーティストとしての活動を続けていたのです。

<歌によるヒーリング効果>
 「ヒッチハイク」,「悲しいうわさ」,"How Sweet It Is To Be Loved By You","Mercy,Mercy Me(The Ecology)","Let's Get It On"
 彼の生みだした素晴らしいこれらの歌の数々からは、彼の精神的弱さは少しも感じられない。たぶん彼は、歌うことによって、精神のバランスを保ち続けていたに違いないし、我々にとっても、彼の美しく力強い歌声は、ヒーリング効果をもたらしてくれるものだ。

<タミー・テリルの死による精神の危機>
 こうして歌うことによって保たれていた彼の精神の平安が、大きく揺らぐ事件が起きます。それは、彼とデュエットのコンビを組みヒットを飛ばしていた女性ヴォーカリスト、タミー・テリルの死です。「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1976年)のヒットで有名な二人のコンビは、当時ソウル界最高のデュエットと言われていました。しかし、活躍を始めて一年足らずで彼女は脳腫瘍で倒れ、3年間の闘病生活の後、1970年3月にこの世を去ってしまいました。まだ24歳の若さでした。このあまりに不幸な出来事は、マーヴィンの繊細な神経を深く傷つけ、彼は一日中酔っぱらっていたり、タミーの不幸だけでなく父親との確執までも思い悩むようになってしまいました。完全に精神のバランスを失った彼は、突然アメリカン・フットボールのデトロイト・ライオンズに入団すると言いだし、入団試験を受けさせてもらったり、プロ・ボクサーになると言って、ジムに通いだしたりおかしな行動をとるようになります。彼は、現実世界と夢の世界のギリギリの境界線まできてしまっていました。

<永遠の名作"What's Goin' On"の誕生>
 しかし、ここで彼は立ち止まり、自分がおかれている状況を見つめ直し、かろうじて現実社会に生還します。そして、彼は自分が陥っていた底なしの不安からインスピレーションを得たかのように、モータウンの仲間達と永遠の名作"What's Goin' On"(1971年)を生みだしたのです。この曲の制作中、彼は同僚のスモーキー・ロビンソンにこの曲は僕が書いたのではなく、神様が僕を通して書かせたのだと思うと語ったと言います。当初、モータウンのトップ、ベリー・ゴーディーはこの曲の発売に反対していましたが、彼は反対を押し切って発表します。ところが、こうして生まれたシングル「What's Goin' On」は、予想もしない大ヒットとなりました。(全米ソウル・チャート5週連続1位)そうなるとモータウンも方針を転換、すぐにアルバムの制作が行われることになりました。後に70年代の最高傑作と評されるそのアルバムのレコーディングは、なんとわずか10日間で行われたといいます!
 完成したアルバムは、ソウルのアルバムとしては初めてと言っていいトータル・コンセプト・アルバムで、ベトナム戦争、公民権問題だけでなく、環境問題という当時は未だ取り上げられていなかった分野まで見つめた画期的な作品となりました。それは、不安に満ちた地球の未来を見据えるアルバムでした。このアルバムについても、モータウンは当初、発売に消極的だったといいます。なぜなら、それはあまりに政治的であり、マーヴィンのイメージを変えてしまうものだったため、モータウンという企業自体のイメージをも変えてしまいかねない、と考えたのです。しかし、その不安はすぐに吹き飛んでしまいます。アルバムもまたモータウンの歴史上最大のヒット作となったのです。
 この作品を生み出すきっかけにもなったウッドストック・フェスティバルについて、彼はこう言っています。
「ウッドストックの様子を見て、ああ、まるごとひとつの世代が新しい道に足を踏み出そうとしているんだと思ったんだ。自分の音楽も新しい道を進まなければとしみじみ感じた。・・・」

<再び悲劇は繰り返す>
 しかし、ここから再び彼の物語は悲劇へと向かって行くことになります。きっけは、またもや女性でした。17歳年上のアンナとの離婚です。1978年発売のアルバム「ヒア・マイ・ディア(離婚伝説)」は、その売上が離婚の慰謝料に充てられましたが、彼にとっては金銭的な問題よりも、精神的ショックの方が大きかったようです。再び、彼はドラッグの乱用と精神の崩壊への道へと歩みだしてしまいます。彼はその財産をすべて失い、一時はヨーロッパに脱出していました。(この時生まれたのが、最後の傑作「セクシャル・ヒーリング」です)そして、そんな精神状態の中、彼はある日父親と大喧嘩となり、彼と同じように精神錯乱状態に陥っていた父親に射殺されてしまいます。それは、1984年、彼の45歳の誕生日前日のことでした。硝子のような魂は、精神的な苦しみと闘い続けることで、美しいソウル・ミュージックを生みだし続けたましが、ついにその苦しみから解放されたのでした。
 "What's Goin' On"のジャケットで、彼が見つめていたのは、やはり天国だったのでしょうか?

<締めのお言葉>
「他の動物はみな、地を見おろすだけだが、人には顔が与えられたので、目を星に向け、空を見つめることもできた」

オヴィディウス「変形談」

<追記>
 シングル「What's Goin' On」について、久保田利伸は「聴くたびに、良くなって行く曲」と評していました。「何度聴いても古くならない曲は数多いのですが、聴くたびに良くなる曲」は、聞いたことがありません。でも、確かにその通りです。僕にとって、年末になると必ず聞きたくなる数少ない曲の一つがこの曲です。まさに永遠の名曲です。その歌詞は、時代によって新たな意味が盛り込まれることで、常に新しくなるのです。何度でも蘇り、その価値を増す曲なのです。

[参考資料]
「モータウン・ミュージック」ネルソン・ジョージ著(早川書房)
「遺作 -ミュージシャンの死とラスト・アルバム-」浅野純編集(ミュージック・マガジン社)

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